メインコンテンツへスキップ
見出し画像

祖母の葬儀をきねんして。

    かつて、写真撮影は「魂を抜き取られる」行為と恐れられた。
    今、「生を刻む」手段となった写真は、死者にすら息を吹き込む。


    平成が終わる前年、私たち家族は、亡骸となった祖母を囲み写真を撮った。



    春の夜に、祖母は亡くなった。
    私の家族と伯父家族、十人で病床を囲み、看取った。


    十五年間、同居していた祖母であった。
    共働きの父母に代わり、毎晩食事を作るのは祖母だった。習い事のお迎えをするのも祖母だった。夕食前だろうがなんだろうがみかんや焼き芋の籠を手に、私のいるリビングにやって来る祖母だった。陽気で豪傑、何より世話焼きな人であった。



    何時からだろうか。祖母は、二人きりになると「私が死んだら、〇〇ちゃんは泣いてくれるかなぁ?」と尋ねるようになった。まったく死にそうでない人から死を問われるのが厄介で、「泣くんじゃない?分からんけど。」といなすのが常だった。ある時は「私のお葬式では泣いてよ。」と縋るように言われ、ある時は「死ぬのが恐ろしいわ。」「死にたくないわ。」と零された。


    ゴールデンウィークが始まる日曜に、祖母は死んだ。
    だから他県で仕事をしていた私もいとこも看取ることができた。死ぬのが怖いから「皆に集まってほしいわ。」と親族一同招かれたのだと、知っていた。



    夜驚の祖母であった。
    十五になるまで、私は好んで祖父母の部屋で寝ていた。自分で敷くよと言っても、祖母は私の布団も敷いた。
    隣で寝ている祖母は、時折「ぎゃああああ」と何かに怯えた声で叫んでいた。
    あまりに激しかった翌朝、一度だけ「ばあちゃん昨日の夜叫んでたよ?」と言った。祖母は「全然覚えとらんわ。」とあっけらかんとしていた。肝の据わった、快活な祖母である。悪夢を見ているのか、そういう夜もあるだろうと、私も気にするのを止めて隣で寝続けた。



    眠るように息を引き取らない祖母であった。
    表示される心拍と祖母の顔とを交互に見た。もう、あと数十秒で、祖母は死ぬと分かっていた。
    死に際に生き様が現れると、直観した。
    ばあちゃんが死ぬのを、この目に焼き付ける。
    心電図を見るのを止めて、祖母の顔を凝視した。
    それぞれが祖母の名を呼び、泣き縋った。


    死の五秒前、祖母は、かっと目を見開いた。そして、閉じた。
    刮目せよ、と言わんばかりであった。
    だから私は、祖母が自分の意思で生に区切りを付けたのだと、分かった。


    皆で泣いた。わんわん泣いた。泣き顔など見たこともない祖父が慟哭した。
    散々泣きじゃくったので、病室を後にする頃には、皆すっかり泣き止んでいた。
    私は振り返って、白いベッドの祖母に笑った。皆ばあちゃんが死んで泣いたじゃん、良かったじゃん、と笑った。



    夜遅く家に帰り、通夜と葬儀の説明を受けた。通夜は翌日となった。
    皆が準備に忙しく、仕事が回りまわって、私は遺影選びを任された。あんたが好きな写真を選びなさいとのお達しである。
    基準はひとつ。祖母が一番笑っている写真を選べばいい。
    しかしどれもこれも笑っているため、少々時間を要した。



    通夜の後、私は葬儀場に泊まった。
    祖母に手紙を書いた後、棺の横に、布団を敷いた。
    何も怖くはなかった。昨日まで生きていたのだから、生と死のあいだを見ていたのだから、いま死んでいようが怖いはずもない。
    一緒に過ごす最後の夜だと、小窓で死に化粧をしている祖母に笑った。もう怖い夢見なくて済むじゃん、良かったじゃん、と笑った。



    葬儀が始まる前、祖母の寝ている横で、親族揃ってお茶を飲みお菓子を食べた。
    生前と何も変わらない。
    皆喪服だが、誰も泣いていない。
    それどころか暇そうに談笑している。


    今しかないと、私は昨晩からずっと思っていたことを口にした。

    「ねぇ、ばあちゃんと写真撮らん?」


    不謹慎なのは百も承知だが、誰も反対しないと分かっていた。
    案の定、誰も不謹慎だとか止めておこうなどと言わなかった。
    「いいんかなぁ。」と戸惑いながらも、自然と祖母の顔の周りに集まり、代わる代わる記念撮影をした。
    皆、何時も通りの表情だった。私も何時ものように笑った。



    葬儀では、また皆して泣いた。祖母の願いは叶えられた。
    葬儀が終わる頃には皆泣き止み、わざわざ葬儀場の人に頼んで、祖母の遺影を囲み、花壇を背に記念写真を撮っていた。

    少し寂しげな私たちの真ん中で、主役顔で誰よりも微笑む祖母であった。




    四月二十九日。祖母の命日に捧ぐ。



     
     
    なんか まんりょう。徒然を紛らせるために徒然に書いたり描いたりしています。「どれもホントのこと」を書きたい年頃です。

    あなたへのおすすめ