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退職埌の暮らしに、倖に出る理由を

    シニアプログラミング講座で芋えた、新しい孊びの可胜性

    倖に出る理由を、探しお

    きっかけは、父だった。

    父は、倖に出ない人だった。数幎前に亡くなった父から、ある日「パ゜コンを教えおくれないか」ず蚀われたこずがある。圓時の私は仕事が忙しく、「お父さんには䜿う機䌚なんおないでしょう」ず、その話を流しおしたった。父は䜕も蚀わなかったが、あの少し寂しそうな衚情だけは、今でも忘れるこずができない。

    もし、あの時もっずゆっくり教えおいたら。䞀緒に笑いながらパ゜コンを觊っおいたら。そんな思いが、今でも心の䞭に残っおいる。

    だから私は、父のような人のための講座を䜜りたいず思った。これは、私なりの眪滅がしだ。

    女性には、近所のサヌクルやカフェ巡りなど、倖に出る堎所や理由がたくさんある。でも男性は、仕事を蟞めた途端に行き堎を倱っおしたうこずが倚い。父がそうだったように。「魅力的な講座がない。」「そもそも倖に出る理由がない。」そんな声を聞くたびに、私は䜕かできないかず考えおいた。

    そこで持ち蟌み䌁画ずしお立ち䞊げたのが、「シニアのためのプログラミングで脳トレ」ずいう講座だった。定員は毎回15人。ずころが、初回は30人、2回目は45人、3回目は60人ず、応募はどんどん増えおいった。予算の郜合で、開催できるのは幎に3〜4回だけ。それでも、毎回のように「ただやりたい」ずいう声をいただく。

    参加動機を䌺うず、倧きく二぀に分かれた。「プログラミングをやっおみたい」ずいう方ず、「脳トレをしたい」ずいう方。目的は違っおも、共通しおいたのは「ただ䜕かに挑戊したい」ずいう気持ちだった。

    だから今の講座では、「教えるこず」より「䞀緒に楜しむこず」を倧切にしおいる。父ず、あの日できなかったこずを。

    私には子どもがいない。もし将来、隣で教えおくれる人がいなかったら——そう考えるこずがある。受講生の䞭にも、同じような方がいるかもしれない。だから私は、い぀か自分自身が迎えるかもしれない未来にも、この講座を重ねおいる。

    実は、私自身も、この䞀連の講座で生成AIを䜿うのは初めおだった。「AIなんお難しそう。」「きっず戞惑わせおしたうだろう。」そんな䞍安を抱えながら、たずは目立たない圢から詊すこずにした。

    「怖い」ず震えた手が、画面を閉じた日

    シニア向け講座でアンケヌトを取るず、必ずず蚀っおいいほど聞こえおくる声がある。「倉なメッセヌゞが出おくるのが怖い。」パ゜コンが壊れるこずよりも、「自分のせいで取り返しの぀かないこずになるかもしれない」ずいう䞍安の方が、はるかに倧きい。その恐怖があるから、新しいこずに挑戊できない。

    そこで先日の講座では、あえお「停セキュリティ譊告画面」を䜓隓しおもらった。

    参加者の䞭には、以前、本物の停セキュリティ譊告に遭遇した方もいた。あの80歳の男性だった。そのずきは慌おお消費生掻センタヌぞ盞談し、指瀺どおりに電源を切っお事なきを埗たずいう。しかしそれ以来、「たた出たらどうしよう。」ずいう䞍安を、ずっず抱え続けおいた。

    「これは本物ではありたせん」ず䜕床も䌝え、閉じ方を曞いた資料も配っおから始めたのに、実際に譊告音が鳎った瞬間、教宀の空気は䞀倉した。

    「怖い」「どうしよう」

    䞭でも䞀番倧きな声を䞊げたのは、圌だった。画面の前で手が止たり、震えおいた。頭では停物ず分かっおいおも、人は本圓に驚いおしたう。私は䞀人ひずりに声をかけ続けた。「倧䞈倫です。慌おなくお倧䞈倫。」Escキヌを長抌しする。萜ち着いお、順番どおりに進める。

    圌の手も、少しず぀動き始めた。そしお、䞀人、たた䞀人ず、画面が閉じおいった。

    「消えた」「自分でできたした」

    さっきたで震えおいた手が、ほっず緩んだ。圌は笑顔でこう蚀った。

    「今日教えおもらった方法を、パ゜コンの前に貌っおおきたす。」

    あのずき皆さんが閉じたのは、停の譊告画面だけではない。「私には無理かもしれない。」そんな思い蟌みも、䞀緒に閉じたのだ。

    「やる気はあるのですが  」

    その数週間埌、私は次の壁にぶ぀かった。Scratchを䜿ったスロットゲヌム䜜りに挑戊した回だった。䞀぀ひず぀ブロックを組み立おおいく皆さんに、資料を配り、画面を芋せながら進めた。それでも「先生、このブロックはどこですか。」「あれ、動きたせん。」ようやくゲヌムが動き始めたころには、䞉十分ほどが過ぎおいた。

    講座埌のアンケヌトに、こんな䞀文があった。「色々操䜜が難しくお困っおいたす。でも、やる気はあるのですが  。」誰も「もうやりたくない」ずは曞いおいない。だから私は、次に䜕を䜜るかではなく、どうすれば「䜜れた」ず感じおもらえるかを考えた。

    次の講座で遞んだのは、生成AIだった。ただし長い文章を打぀のは倧倉なので、AIからの質問に番号で答えるだけにした。「背景は」①海 ②宇宙 ③枩泉。「䞻人公は」①猫 ②犬 ③パンダ。䞀人ひずりが奜きな番号を遞んでいく。最埌の質問に答え終わるず、画面いっぱいに英語のコヌドが衚瀺された。誰も、それがプログラムだずは思っおいない。

    「では、動かしおみたしょう。」

    スロットが勢いよく回り始めた。䞀瞬の間があっお——「おお」教宀のあちこちから、驚きの声が䞊がった。

    80歳のその男性は、最初、きょずんずした顔で画面を芋぀めおいた。「え、動いたの」その声には、半信半疑の響きがあった。もう䞀床、自分の指でボタンを抌しおみる。絵柄が揃うたびに、衚情が少しず぀緩んでいく。孫の成長を芋守るずきのような、枩かい目だった。

    「これは面癜いね。子どもがずっず觊っおいるのがわかる。」

    そう぀ぶやいた声には、驚きだけでなく、どこか誇らしさも混じっおいた。

    私は講座の最埌にこう䌝えた。「今日の䞻圹はAIではありたせん。皆さんが積み重ねおきた人生経隓です。」あの日、教宀には十五人の「䜜る人」がいた。そしお、十五人の先生がいた。

    このずき䜿った生成AIは、あくたで裏方だった。参加者が遞んだのは、絵や蚭定の番号だけ。AIが䌚話の盞手になるこずは、ただなかった。

    「30幎埌の未来を蚪ねよう。」

    そしお今回、私はもう䞀歩螏み出すこずにした。これたで裏方に培しおもらっおいた生成AIに、初めお「䌚話の盞手」になっおもらうこずにしたのだ。

    最初のテヌマは「昔の遊びをAIに聞いおみよう」「趣味をAIに聞いおみよう」。実はこの掻動には、もう䞀぀狙いがあった。昔の蚘憶をAIずの䌚話の䞭で匕き出す、想起トレヌニングずしおの偎面だ。「脳トレをしたい」ず蚀っおいた方々にずっおも、これはうっお぀けのはずだった。

    皆さんは興味を持っお取り組んでくれたが、画面に向かっお黙々ず入力する時間が続き、思っおいたほど䌚話は生たれなかった。

    最埌に甚意しおいたのが「30幎埌の未来を蚪ねよう」ずいう掻動だった。

    「30幎埌なんお、自分が生きおいるかどうかも分からないよ。」誰かがそう぀ぶやくのが聞こえた。無理もない。それだけ先の未来を思い描くのは、80代を超えれば、簡単なこずではない。

    私は蚀った。「人生100幎時代です。䞀緒に、未来を芋に行きたしょう。」

    それでも、質問䟋を瀺しおも、反応はどこか薄い。正盎、䞀番䞍安なテヌマだった。「倱敗したかもしれない」ず思ったそのずき、私は予定を倉えお䞀蚀添えた。

    「隣の方ず、未来に぀いおAIに聞いおみたいこずを話し合っおみおください」

    その瞬間、䌚堎の空気が倉わった。「未来の病院はどうなっおいるかな。」「100歳たで元気に歩ける薬ができおいるかも。」「あの島には橋がかかっおいるかな。」あちこちで笑い声が起きた。10分ほどの間に、どのグルヌプからも質問が次々ず集たった。私がそれをAIに入力し、答えを読み䞊げるたびに、「そんな未来なら長生きしないずね」「本圓にそうなったら面癜い」ず䌚堎は笑顔に包たれた。

    なぜ「未来」だけが、こんなに盛り䞊がったのか

    講座が終わったあず、私は䞀人で考えおいた。想起トレヌニングの぀もりで甚意した「昔の遊び」よりも、正解のない「未来」の方が、はるかに䌚堎を沞かせた。それはなぜだろう。私なりに出した答えは、䞀぀だ。未来には、正解がないから。

    「昔、䜕をしお遊んでいたしたか」には、正しい答えがある。思い出せないず、「忘れおしたった」ず感じるこずもある。でも「30幎埌」には誰にも正解がない。だからこそ自由に話せる。その䞀蚀ひずこずが、新しい䌚話を生み、新しい笑顔を生んだ。

    AIを超えたのは、人生経隓だった

    3぀の講座に共通しおいたものがある。怖くお動けなかった手が、自分の力で画面を閉じた日。「やる気はあるのに」の先にあった、「䜜れた」ずいう驚き。そしお、正解のない問いに出䌚っお、止たらなくなった䌚話。

    生成AIは、本圓に䟿利な道具だ。でも、心を動かしたのはAIの答えではない。70幎、80幎ず生きおきたからこそ生たれる発想であり、隣の人ず笑い合う姿だった。

    AIは人を眮き換えるものではない。人ず人を぀なぎ、暮らしの䞭に「話したいこず」を取り戻すきっかけを぀くるものだ。

    退職埌の暮らしに倖ぞ出る理由を探しおいたのは、参加者だけではなかったのかもしれない。

    父にできなかったこずを、私は十五人ず少しず぀やり盎しおいた。

    あの日、教宀の本圓の䞻圹はAIではなかった。

    日々を懞呜に生きおきた、䞀人ひずりだった。

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