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「最後の写真家」という余熱 ― 杉本博司と浅田彰の、過激で刺激的な言葉

    1.朝8時、竹橋にできていた列


    竹橋駅に着いたのは、朝8時だった。
     
    僕なりに気合を入れて行ったつもりだった。東京国立近代美術館の開館は10時。杉本博司と浅田彰による開催記念特別講演会の整理券配布も同じく10時からである。しかし、美術館の周りにはすでに人が並んでいた。
     
    お目当ては、16日から始まった「杉本博司 絶滅写真」と、その関連企画として行われる杉本本人と浅田彰の対談である。先着100名。整理券の配布は10時。対談は14時。長い1日は、まだ始まったばかりだった。


    後から聞いた話では、先頭の人は朝6時から並んでいたらしい。上には上がいるものだ。僕は15、6番目だったと思う。皆が思い思いの方法で時間をつぶしていた。左隣の女性は、哲学を図解入りでまとめた文庫本を読んでいた。右隣の男性は、杉本博司を特集した『ユリイカ』に目を通し、予習に余念がない。その光景だけで、杉本博司という現代美術作家の強烈な引力を感じた。
     

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    皇居ランナーを眺めながら、こちらは整理券待ち。方向は違えど、確実に言えるのは、どちらも朝から体力勝負であるということだ。


    皇居ランを楽しむ人々は、開館のずいぶん前からできた美術館の列を不思議そうに眺めていた。だが、僕は僕で「休みの日にランニング、ご苦労さまです」と彼らを見ているのだから、まあお互いさまと言うべきであろう。


    2. 写真だけで精一杯だった展示室


    講演までたっぷり時間があったので、まずは展示を見た。他の美術展でもそうだが、作品を観ることはとても体力を要する。まして今回は70点あまりの杉本作品である。観終わるころにはすっかりヘトヘトになっていた。これまで書籍で見てきた作品や、一昨年に江之浦測候所で見た〈海景〉シリーズに再会したことは、感慨深いというか、素直にドキドキした。
     

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    〈海景〉の前で人は立ち止まる。杉本によれば、講演前に人々がどのように自分の作品を観ているか観察したところ、ベンチで寝てしまう人もいたらしい。

    作品解説の隣には、杉本が開催の2、3か月ほど前に思いついたという狂歌が添えられていた。しかし、僕はそれをほとんど読めなかった。まず写真作品そのものを観るだけで精一杯だったし、文字を追うことで写真を体感する時間が薄まってしまうのはもったいないと感じたからだ。

    すべてを理解しようとすると、かえって頭は混乱する。自分で情報量をコントロールし、わからないものはわからないものとして、いったん棚上げする。そうしなければ、杉本作品の密度に、僕の頭も身体も追いつかなかった。


    3.21年前の問いが開かれる場所


    講演会場は地下にあった。100人ほどの観客と関係者が入れば、それでほとんど埋まってしまう、本当にこぢんまりとした空間だった。早めに並んだことが功を奏し、僕は4列目を確保できた。杉本と浅田の表情まで見える距離である。
     
    事前に、撮影・録音は禁止と案内されていた。つまり、このあと語られる言葉はあとから動画で見返すことも、音声で聞き直すこともできない。聞き逃したら、そのまま失われる。そういう場だった。そのため多くの人が開演前からメモ帳を広げていた。僕も同じように愛用のサラサ(0.7mm ブルーブラック)を持った。こういう会場はたいていそうであるように、冷房が効きすぎていて、途中から少し寒くなる。ジャケットを持ってきて正解だったと思った。
     
    冒頭、増田玲から、今回の展示は杉本の写真中心の回顧展としては21年ぶりである、という紹介があった。そして、その21年前の展覧会に浅田彰が寄せた文章が紹介された。そこにあったのは杉本博司を「最後の写真家」として捉える視線だった。
     
    それは決して大げさな表現ではないのだろう。映像のデジタル化が進む中で、銀塩写真の材料、とくに杉本が使うような特殊な材料は、少しずつ製造中止に追い込まれていく。浅田はその現実を前に、写真という媒体が「事実上の終焉」を迎えようとしていると見ていた。その流れの中で、杉本自身もかつて「写真をやめるか、コダック社を買収するか、どっちかしかない」と冗談めかして語ったらしい。だから浅田にとって、杉本はただの偉大な写真家ではない。写真史が終わりへ向かうその時点で現れた、「最高の幕引き役」だった。

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    これも杉本が観察したところによると、若者が「はて、誰だろう?」という顔をしていたらしい。


    この対談は、単なる展覧会の記念講演ではないと思った。21年前に置かれた問いが、いまもう一度、杉本博司本人を前にして展開される場だったからだ。その問いの行方を聞き逃すまいと、僕はサラサを握り直した。


    4.「切る」のではなく、「開く」シャッター


    対談は、作品解説から始まったわけではなかった。杉本が「ちょっとした映像を作った」と言い、《CAMERA MAN》という短い映像を紹介した。メガネ型のカメラを装着した杉本が、杖を突きながら江之浦測候所の中を歩いている。3分の暗闇は人類が歩んできた時間であり、1秒の露光は人生の時間である。その1秒で何を見るのか。杉本が見たのは、小田原の海だった。

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    「さあ、シャッターを開こう!!」


    最初は、時間、人生、人類、そして絶滅へ向かう、かなり重たい映像作品なのかと思った。しかし後半になると、そのメガネを着けたまま杉本が陽気にハーモニカを吹き始める。重たいのか、ふざけているのかわからなかった。
     
    ただ、映像の前半に出てきた「さあ、シャッターを開こう!!」という言葉は強く残った。シャッターを「切る」ではなく、「開く」。それは瞬間を断ち切るというより、世界を受け入れる感じがあった。これまで僕は「シャッターを切る」と言ってきた。だが、これからは「開く」と言いたくなった。
     

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    一昨年、大学時代のゼミ仲間と行った江之浦測候所。


    映像が終わると、浅田がいの一番に反応した。「今回は写真だけよ、という話だったのに、またこういうことをしてしまう」という趣旨のことを、半ば冗談で、しかし半ばかなり本気で言った。映像や立体物を作ってしまう杉本に苛立っているようにも見えた。会場からは笑い声が漏れた。続けて浅田は、「骨董集めとか、余計なことをしなければ、河原温になれたはずなのに」と。これも杉本がその位置にいる人物だから言える冗談なのだと思う。
     
    浅田にとって、杉本博司は〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉の三部作で、写真家としてすでに「完璧な仕事」をしてしまった人だった。だからこそ、その純度を保った作家であってほしい。そんな願いのようなものが、浅田の苛立ちの奥にあるように感じた。


    5.写真家ではなく、写真を使う思想家


    ふたりの話は写真や絵画の領域にとどまらず、浅田が古今東西の思想家や哲学的概念を次々と繰り出し、杉本は杉本で唐突に政治体制や天皇制への批評を加えていく。僕にはそれらが対談としてかみ合っているのかどうなのか、イマイチわからなかった。ただ、ふたりの内側にあるものを、少しばかり覗けたような、そんな感じがした。
     
    杉本博司は単なる写真家ではない。写真を使って現代美術に参戦してきた人だし、本人も「写真家にはなりたくなかった」と言っていた。増田玲も、杉本が写真で現代美術に入ってきたとき、そのコンセプトの斬れ味はすごかった、という趣旨の補足をしていた。それもまた、杉本が単なる写真家ではないことを表しているように思えた。

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    ディオールとヴィオレ。ちなみに本展の特別協賛はディオール。杉本作品の広がり方を考えると、これもまたかなり納得だ。


    もちろん浅田が言うように、杉本の写真は圧倒的なテクニックによって支えられている。それは大前提だ。ただ、杉本は結局のところ、写真を使って考える思想家なのだろうと思う。〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉のそれぞれのシリーズは、ただの美しい写真というより、写真というものを介して時間や記憶、そして文明をどこまで考えられるのかを試している作品だ。だからこそ対談の話題は、自然と、銀塩写真の終わりやアナログとデジタルの問題へと移っていった。


    6.アナログへの頷き、AIへのざわつき


    ふたりはアナログの情報量や物質性を非常に高く評価していた。浅田はわかりやすい例として、CDでは抜け落ちる音があるという趣旨の話をしていたし、杉本はデジタル写真を「ピクセルの集合体」として見ていた。銀塩写真にこだわり続ける杉本にとっては、当然の見方なのだろう。そして話はデジタル情報が100年後、200年後に本当に残るのか、というところまで進んだ。
     

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    ここまでは僕もおおよそ理解できるというか、実体験としてそういうこともありえると思った。今でもフィルムを使っているのは、デジタルでは表現できない領域があるように思えるからだし、HDDが故障して昔撮った写真の一部が失われたこともあったからだ。だから、ふたりの言う「21世紀は膨大に記録したようで、モノとしての記録が残らない世紀になるかもしれない」という見方には、頷けるところがあった。
     
    生成AIについては、さらに辛辣だった。杉本はAIが作った「杉本っぽい作品」を見て、「全くコンシャスがない」と感じたそうだ。そして、AIを含むものを子や孫世代に残してしまったことについて、「罪悪感がある」とまで語った。そこまで言うのか!と驚いた。浅田もまた、現時点におけるAIの限界を指摘したうえで、巨大テック企業やイーロン・マスクへの批判を展開し、現代の富の集中を、中世の階級社会への逆戻りとして捉えていた。
     
    それを聞きながら、たぶんふたりと僕では生成AIの捉え方が全く異なるのだろうと思った。ほぼ毎日AIを生活インフラとして使っている身と、現代美術作家、批評家・哲学者の眼に見えるAI観というのは、大きな差異があるのだろう。僕は杉本の作品には強く惹かれている。浅田の言葉にも圧倒されていた。ただ、ふたりの見方をそのまま「ふむ」と納得できたわけではなくて、ざわざわもしていた。

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    19世紀、写真は絵画の側から見れば、邪道に見えたかもしれない。実際、写真を芸術として素直に迎え入れなかった画家や批評家はいた。だがその後、写真は大きく発展し、MoMAなどの美術館が写真を収集するようになり、さまざまな偉大な写真家を生み出した。そして、僕のように余暇で写真を楽しむたくさんのアマチュアも生んだ。
     
    ならば、杉本という写真の大家が「コンシャスがない」と言った生成AIの表現から、10年後か20年後(あるいはもっと早く)に、新しい大家がたぶん生まれるのではないか、と勝手に思っている。


    7.拡散する言葉と大雨の竹橋


    質疑応答は予定時間を20分ほど超過した。3つの質問があったのだが、杉本が質問に答えるうちに、その答えが浅田との対談になり、そしてどんどん脱線していった。対談本編にはある程度のシナリオがあったのだろうが、質疑ではふたりの思想と言葉があふれて収拾がつかないような感じだった。
     
    杉本が「まとめますか」と言う。すると浅田が、少し困ったように「まとめます、って……」という顔をする。まとまるはずがない、という空気が会場に流れる。そこで杉本が〈劇場〉シリーズの照明の裏側を話し始め、また話は脱線していった。最後は杉本が、「お後がよろしいようで」と言って、無理やりに、しかしいかにも杉本らしく締めくくった。
     

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    講演後、もう一度展示室に入ることもできると案内があった。しかし、僕はそのまま外へ出た。朝から並び、展示を見て、地下の小さな会場で杉本と浅田の言葉を浴び続け、気づけばメモはかなりの量になっていた。もう一度展示室に戻るだけの体力は、残っていなかった。外は大雨だった。
     
    ふたりの考えていることの深淵までは、とても届かなかった。いや、表層ですら掴めていないのだろう。それでも、ふたりが発した言葉の数々を浴びたことは事実だった。こうしてあまりに過激で、刺激的な一日を終え、僕は竹橋を後にした。
     

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    いつのころからか、自分の文字を読解することに苦労するようになった。少なくとも、僕の机にあるメモ類を妻は全く読めないらしいし、読む気も起らないらしい。


    そして、1週間たった今も、僕はメモを見返しながら、ふたりの言葉を何度も思い返している。



    👉しれーっと、展示のお知らせ

    今回は1枚ということで難しさはありつつも、フィルムで撮った大室山の写真を展示してみた。

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    展示会名:photoholic 企画展「色に恋する」
    会場:gallery40 / 喫茶 追憶
    住所:名古屋市中区金山3-11-18
    会期:6月22日(月)〜28日(日)⇒ 残すは土日のみ!!
    開廊時間:13時 〜 18時



    👉noteについて

    ■筆者:h_yamada

    このnoteでは機材の優劣や上達の近道よりも、写真とどう向き合い、そしてどんな時間を過ごしているのかを書いていこうと思います。写真の話だけではなく、少し寄り道——ときには回り道もします。


     
     

    h_yamada

     
     
    写真の楽しみ方、あるいは立ち止まり方を考えていきます/名古屋のすみっこ/妻と娘の3人/スイーツ大好き/Instagram:@h_yamada_photo

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