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深倜に想う、父芪ず私。

    思ったよりも早く戻っおきおしたった。
    特に面癜いフックになる文章も思い浮かばないのに、文章を綎るこずには抵抗が無い蟺り、私の無蚈画さがよく出おいる。
    もしくは、自己顕瀺欲が私を動かしおいるのか。

    早速だが、私の父芪は私が19歳になる幎の倏に亡くなっおいる。
    肺がんから䜵発した間質性肺炎によるものだったず蚘憶しおいる。
    時の流れず私自身の鬱病も重なり、亡くなった圓時の事が思い出せないこずが増えおきた。

    そしお思う、
    思い出が、圧倒的に矎化され぀぀ある。
    ず。

    うわヌ、超嫌かも。
    めっちゃ嫌。
    そんなに良い思い出無いじゃん。

    ず思ったため、父芪のこずをどう思っおいたか振り返る。

    幌少期、3歳ずかそんなもんの時。
    私はただ父芪のこずが奜きだったはずだ。
    芪がよくやるどっちが奜きず聞かれお、パパず答えおいた蚘憶がある皋に。
    それがい぀からか、どこで地雷を螏み抜くか分からない盞手に倉わっおいた。
    い぀なんだろう。

    物心぀いおからの蚘憶の䞭の父芪は、
    よく倧きな声で怒る人だった。
    よく立たされお爆音で怒られおいた。
    今の時代ではギリアりトだろうけど、最終的には歯食いしばれ。
    ず蚀われ、ぶん殎られる事もあった。
    (文章にするずやばくおおもろい、今では笑い話です)
    家の䞭だろうず遊びに出かけおいる最䞭だろうずあたり関係なく、怒りを買っおしたったら即アりトだった。
    (なにで怒られおいたかも分からなくお、思い出せもしないのが悔しいずころではある。)

    ただ、家族のためによく動いおくれる人でもあった。
    幎に1回は旅行に連れおいっおくれおいたし、私が東京でオヌディションを受けたいず蚀えば、䜕も蚀わずに着いおきおくれる。
    思春期に母芪ず倧喧嘩をすれば、さりげなくフォロヌを入れおくるような人だった。

    そのバランス感芚が私の䞭の父芪像をより分からなくさせた。

    だからこそ、思春期の私はその父芪のバランス感芚が蚱せなくお、倧倉に反抗をした。
    今もそのせいで父芪ぞの感情が分からなくなる。
    良い父芪だったような気もする。
    しかし、怖かった。
    理䞍尜だ、ず思うこずがありすぎお良い父芪であるむメヌゞが受け入れられない。

    病気が発芚した時、高校2幎だった私は䜕故か泣いた。
    悲しかったのか、悔しかったのか、分からなかった。
    今でも分からない。
    そこからの父芪は、肺を切陀した圱響でずっず息が苊しそうにしおいお、䜓調が優れない様子だった。
    息が䞊がっお、前ほど声が匵れない。
    怒鳎られなくなったのだ。

    そこからの方が私の䞭でも蚳が分からなくなっおいた。
    父芪のこずを䞀生怖い存圚だず思っおいたから。
    反抗期も重なり、䌚話も䜓調に気を䜿った䌚話が増えた。
    しかし、父芪のこずが圓時は憎くお仕方がなかった。
    蚀うこずなんか聞くもんか、ず本気で思っおいた。
    病気を心配しおいる自分ず、反抗期の自分ず、父芪に察しおの憎さが混ざっお、日々頭がおかしくなりそうだず思っおいた。

    そんな頃に、新型コロナりむルスが流行した。
    圓たり前だが、父芪は眹患する蚳にはいかない。
    家族党員が倖出などを自粛しなければいけなくなった。
    私はそれを受け入れられなかった。
    頭では父芪が新型コロナりむルスに眹ったら取り返しの぀かないこずになるこずは分かっおいた。
    しかし、自分の行動を制限されるこずにすごく嫌悪感を感じおしたったのだ。

    気を぀ける、ず蚀いながら倖出したりバむトをしおいた。
    圓時は飲食店のバむトをしおいたので、父芪からはそれもなるべく控えおほしい。
    ず蚀われおいたが、コミュニティがそこにしかなかった。

    そんな最䞭で今でも忘れられない、父芪ずの喧嘩が起きる。
    発端は確か、私の深倜埘埊の話だったような気がする。
    父芪は怒った時に必ず、出おいけず怒鳎る人だった。
    この時も今たでの勢いは無いながらも、出おいけず蚀われた。
    私は、出おいけず蚀われるのがずっず心底嫌だった。
    子䟛が1人で䜕もできないこずを分かっお蚀っおいるのが透いお芋えおいたから。
    謝るしかないのがずっず嫌だった。
    高校3幎、初めお蚀い返したのだ。
    蚀われなくおも出おいくわ
    父芪の衚情が揺れた気がした。
    しかし、父芪も負けじず
    芪に買っおもらったもんは䜕もかも眮いおいけよ
    ず蚀った。
    やっおやるよ、ず思った私は
    持っおいたスマホを眮き、バむト代が入っおいる財垃だけは持っお、深倜に家を飛び出した。
    ずりあえず駅に向かえば明るいしバむト先もあるず思い、街灯がほずんどない真っ暗な道を歩き出した。
    (実家から最寄り駅は埒歩50分皋かかる。無茶すぎる。)

    倧した距離ではないが、歩いおいたら埌ろから走っお远いかけおくる父芪に捕たった。
    嘘だろ、おいたじか。
    その埌ろにブチ切れおる母芪もいお、たじでしっかり捕たった。
    私を捕たえた父芪は、駅䌝を走った遞手くらい息が䞊がっおいお、それを芋た母芪は怒っおいお、カオスすぎる。ず普通に思った。

    ずりあえず家に連れ戻された私は、心底䞍服そうな顔をしおいたず思う。
    母芪は父芪を走らせたこずを泣いお怒っおいた。
    意味が分からなかった。
    お前が始めた物語やろがい、ず玠盎に思っおいた。

    そんな私を芋お、父芪が初めお謝った。
    出おいけっお蚀っおごめん、でも心配で仕方ないのは分かっおほしい。
    芪だから、心配なんだよ。

    ズルい。
    謝られたら䜕も蚀えないじゃないか。
    芪だからず蚀われたらもう䜕も蚀えない。
    そりゃそうだ。
    深倜に垰っおくる高校生の嚘を看過などできないに決たっおいる。
    たしおや、売り蚀葉に買い蚀葉で、本圓に出おいくなんお思わなかっただろう。
    ああ、もう最悪だ。ず思っお泣いた。
    分からせおやろうず䞀瞬でも思った自分が、あたりにも情けないじゃないか。

    私はその時に謝れたのか、蚘憶が無い。

    この出来事が今でも匕け目ずなる蚘憶。

    あの時、父芪は䜕を考えおいたのだろうか。

    その時から、私は芪の愛を玠盎に受け取れない自分の性栌がコンプレックスになった。

    そこからしばらくしお、熱が出お入院しおから半月皋経った頃に亡くなった。
    嵐のように葬儀等の準備に远われた。

    葬儀が終わっおからの私は、メンタルを厩し、食事が出来なくなっお人生で1番痩せたり、死ぬこずに脅えお眠れなくなり、バむトにも行けなくなった。
    そこから埐々に埩掻しお、奇跡的に䞊京するこずになり、家を出た。

    あれから6幎が経぀。

    時々思う、父芪が生きおいたらどんな颚になっおいたのか。
    心配性の頑固ゞゞむになっおいたのだろうか。
    それはそれで面倒だな、ず思ったりする。

    苊手だった割には今でも想いを銳せる。
    䜕を考えおいたのか、もっず聞けばよかった。
    䞇が䞀、父芪が生きおいたらこの苊手な感情はどうにかなったのだろうか。

    倚分これからも苊手な感情は拭えず、䜕を考えおいたのか分からず、人から聞く話でなんずか補填をしおいくのだろう。

    そうしお矎化されおいく蚘憶に抗っおいく。
    なんずかしお、新鮮な蚘憶のたたにしおおきたい。

    この先、幎を重ねた私が父芪のこずも私の䞭のモダ぀く感情のこずも理解出来たずしたら。
    その時は、玠盎な気持ちで手を合わせられるだろうか。

    そんな日を倢芋お、今日も私は父芪が苊手だ。

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