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6.1.2 トルキスタンの成立 世界史の教科書を最初から最後まで

    みんなの世界史

    ウイグルの国が崩壊すると、トルコ系のウイグル人の一部は天山山脈周辺に移動し、遊牧生活をやめて農業をはじめるようになった。



    もともとイラン系・インド系の言葉を話す人々が多かったこの地域に、トルコ系の言葉を話す“ニューカマー”がやってきたわけだ。



    この動きは、しだいにタリム盆地の西方のパミール高原

    よりも西の地域にも、広がった。


    トルコ系の民族が、アム川上流のオアシス都市にも広がり、農業をはじめるようになったのだ。

    (注)「オアシス都市」についてはこちらを参照



    こうしたトルコ人の人口増加を受け、パミール高原の東西に広がる乾燥エリアは、ペルシア語で「トルコ人の地域」(トルキスタン)と呼ばれるようになる。

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    え? トルコってもっと西にあるんじゃないの? って思うかもしれない。

    現在「アナトリア半島」にある「トルコ」という国は、さらにその後西に進んで行ったトルコ人の一派が建てた「オスマン帝国」という強国を倒して建てられた国。


    トルコ人は、現在の「トルコ」だけではなく、今でも「トルキスタン」方面にたくさん分布しているんだ。

    なお現在トルキスタンの東半分は、中国の領土の一部分になっていることも、この後の世界史を勉強していくと、どうしてかわかるようになるよ。





    さて、西トルキスタンは、従来イラン系のソグド人をはじめとする人々の生活していたエリア(教科書の言葉では「イラン・ペルシア語文化圏」)。
    イスラーム教の広がる以前は、ゾロアスター教が広く信仰されていた。

    東トルキスタンでは、イランから伝わったマニ教や仏教の信仰が盛んだった。

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