
百合と記憶
あの頃読んでいた自殺レポに敬意を込めて。
初めて希死念慮を抱いたのは10代にもみたない歳だったと思う。
いやなこと、はなかったとは言い切れない日々だったけれどそれなりに幸福は感じていた気はする。
だがお昼寝などでは冷たい布団の上で星の彼方を空想した。
大きく占めていたやる理由、それは自分の中での救いの為だった気がする。
ある意味での「解離」であると。
当時、自分の中でこの世界は腐っている。
そんな認識があったのだと思う。
幼稚園の帰りの母親との言い争いやうまくいかない友人関係の中で現実に失望し「解離」という形で“死”を救いの象徴としていたから。
それには以下の背景があったことを再度考える。
今よりも私が園児だった当時TVなどでは生と死を感動エピソードとして放送していたこと。
百合の花に囲まれた故人とあの世。
私はそれに目が釘付けになっていた。
あっ、こうすればかまってもらえるのだと。
言い争いで感じた母との距離感や一人で過ごす孤独感に対し死ねば救われると感じたから。
そこから象徴として具体的行動に映す日々は小学生、中学まで続いた。
あくまでも“象徴として行動化”においての空想、難しく言えば自殺企図であり実際の自殺未遂に関しては今でも続いている。
それに関しては少し脳内の片隅に入れてもらえればなと思う。
園児の時は周りの病気にあこがれを抱き真似をするというある意味での行動化のようなものが多かった。
「辛いね、しんどいよね。」という声掛けが自分の自己肯定を高めるものであり、認められたという安心感が強かった。
そして小学生になると段階的に死に対し具体的な妄想をしてそれに至るような自傷行為をするようになった。
様々な過剰摂取などだ。
それは今にも続く自殺企図である。
その中で薬物の過剰摂取をつづった自殺レポを心の救いにするようになった。
希死念慮とそれにより生じた自殺未遂による身体的苦しみをつづったあの自殺レポ。
“死”にあこがれてから何度も繰り返し読んだ。
けれど20代になり読まなくなると気づいたら消えていた。
レポを書いたあの人はうまくこの生きづらい世の中をどう生き抜いているのだろうか。