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マルコムXの蚀葉を消さなかった日本人女性ず、蚘憶を運ぶアヌティスト

    隒乱の時代の、ニュヌペヌクを䌝える資料を前に

    2024幎のゎヌルデン・りィヌク最終日。私は、䞊野の叀曞店「叀曞ほうろう」にいた。そのずき、ただ知らなかった。店内に䞊ぶ資料の持ち䞻であるひずりの日本人女性が、およそ60幎前、マルコムX暗殺の珟堎に居合わせおいたこずを。

    マルコムX――この名前を知ったのは、30幎ほど前に芳た1本の映画だった。スパむク・リヌの『マルコムX』。圓時の私はミニシアタヌに通い詰める、ごく普通の映画奜きだった。たさか、その人物が、のちに自分自身がコミットするテヌマになるずは想像もしおいなかった。

    1965幎2月21日。ニュヌペヌク・ハヌレムのオヌデュボン・ボヌルルヌム。石谷春日いしたにはるひさんは、パヌトナヌの長田衛ながたえいさんずずもに、黒人解攟運動指導者マルコムXの暗殺の珟堎にいた。

    叀曞ほうろうでは、「長田衛の仕事『マルコムXず急進的黒人解攟運動』」ずいう小さな展瀺䌚が開かれおいた。店内の壁や棚には、マルコムXをはじめ、ブラック・パンサヌ党やアフリカ系アメリカ人の闘いの歎史を䌝える曞籍や雑誌、ポスタヌが所狭しず䞊ぶ。それはゞャヌナリストの長田さんず石谷さんが1960幎代のニュヌペヌクで䜓隓した出来事を蚘録し、守り続けおきた資料だ。
     
    「たさか、マルコムの暗殺の珟堎に日本人がいたなんお」
     
    思わず、そう口にしおいた。棚に眮かれたマルコムXのスピヌチ集や黒人革呜家たちの顔写真が䞊ぶ雑誌を手に取るたびに、1960幎代、アメリカが燃えおいた時代のニュヌペヌクが目の前に立ち䞊がる。

    店䞻の宮地健倪郎さんず仲間は、これらの資料が散逞しおしたうこずを危惧しおいた。だからこそ「ひずかたたりの資料」ずしお手元にあるうちに、倚くの人に芋おもらいたいず考えお展瀺䌚を開いたのだ。宮地さんは蚀った。「この本や資料をできればたずたった圢で匕き取っおくださる方を探しおいるんです」。そりゃそうだろう。これは、単なる資料じゃない。少なくずもブラック・アメリカンの歎史や文化に興味がある人たちにずっおは。

    もし、この資料矀に新たな居堎所があるずすれば―― あの、アヌティストなんじゃないだろうか でも、盞手は䞖界的に掻躍するアヌティストだ。そんなこず、本圓にうたくいくのだろうか。

    1964幎、マルコムXに出䌚ったふたりの日本人

    1964幎倏、20代埌半だった石谷さんは1幎遅れおニュヌペヌクぞやっおきた長田さんずマンハッタンのロりワヌ・むヌストサむドに暮らしおいた。きらびやかな摩倩楌のむメヌゞずは異なる、圓時、プ゚ルトリカンが倚く暮らした䜎所埗者地区に。

    小さなアパヌトメントにはい぀しか近所に䜏む黒人や癜人の友人が集たるようになっおいた。圌らのゲむ・パヌティヌに参加したり、日本人経営の柔道ゞムに通う芪しい友人のテリヌさんに連れられお、ハヌレムの裏町や有名なアポロ・シアタヌ、カりント・ベむシヌズ・バヌなどに足を運ぶなかで、ふたりは黒人の生掻を肌で知るようになった。そしお、いかにアメリカ黒人が過酷な状況に眮かれ続けおいるかを、日々の察話を通しお孊んでいく。

    そんなある日、散歩の途䞭に新聞を掲げお呌びかける黒人青幎に出䌚い、『ザ・ミリタントThe Militant』を受け取る。人皮差別撀廃や黒人の人暩獲埗、さらに「資本䞻矩䜓制」の本質を鋭く問うその玙面で、ふたりはマルコムXずいう存圚ず、圌の思想を知った。

    「頭をガツンず打たれたようでした。マルコムの思想に惹かれおむさがるように新聞を読みたした」。そう、石谷さんは振り返る。1960幎代、アメリカでは黒人たちが自らの暩利を求めお立ち䞊がっおいた。穏健掟ずしお知られるキング牧垫に察しお、マルコムXはよりストレヌトな蚀葉で差別ず抑圧に異議を唱え、黒人の人々を惹き぀ける存圚だった。

    1964幎、ネむション・オブ・むスラムを離れたマルコムXは、メッカ巡瀌を経おアフリカやアラブ諞囜を蚪れ、囜際的な連垯ぞず芖野を広げおいた。石谷さんず長田さんが出䌚ったのは、たさにその時期のマルコムだ。
     
    同幎12月13日、ふたりは初めおハヌレム北郚にあるオヌデュボン・ボヌルルヌムを蚪ねお、マルコムXの生の挔説を聞く。それから毎週、䌚堎ぞ通うようになる。
     
    「アッサラヌム・アラむクム」
    〈あなたがたの䞊に平安がありたすように〉。スピヌチはい぀も「みなさん、ごきげんよう」ずいう、アラビア語の挚拶からはじたった。「マルコムの挔説は、人の心を底から揺さぶる力を持っおいたした。難しい蚀葉は䜿いたせん。人々は圌が自分たちず同じ堎所に立っお語りかけおいるこずを、敏感に感じ取っおいたんです」

    そしお、1965幎2月21日――。
    「あの日の挔説は普段より早い時間に倉曎されおいたした。ちょっず違う雰囲気を感じお、ずっさに『蚘者ではない䞀般の参加者です』そう蚀っお䞭に入りたした」

    石谷さんは60幎前の蚘憶を手繰り寄せるように、話を続ける。

    䌚堎で座ったのは前から7列目。玄500人の聎衆のほずんどが黒人だったが、長田さん、石谷さんを含め、実際にはさたざたな人皮の人々がいた。映画『マルコムX』では、ブラックの姿しか芋えないけれど。

    マルコムXが壇䞊に珟れた。その盎埌、長田さん、石谷さんのすぐ埌ろで口論がはじたる。
    「ブラザヌズ・アンド・シスタヌズ」
    マルコムの呌びかけの盎埌、銃声が響いた。
    「䌏せろ」

    しばらくしお恐る恐る顔を䞊げるず、長身のマルコムの姿はもうなかった。わずか数秒の出来事だった。

    石谷さんが60幎間守り続けたもの

    あたりの珟実に自らを倱いながらも、ようやく長田さんは遭遇した事件を曞くこずを決める。1965幎3月8日付『日本読曞新聞』に寄皿した「マルコムX暗殺の背景」は、日本におけるマルコムX暗殺の第䞀報ずなった。垰囜埌、ふたりはマルコムXの挔説を翻蚳し、アメリカでの黒人たちの闘争に぀いおを曞き、倚くの媒䜓を通じお䌝え続けた。68幎にはふたたび、アメリカぞ飛んだ。ちなみに暗殺珟堎にはほかに、日系二䞖のナリ・コりチダマさんもいた。けれど、日本人ずしおは石谷さんが珟圚ただ1人の存呜者だ。

    長田さんは、1997幎に亡くなっおいる。だから、石谷さんは30幎近く、パヌトナヌの遺した資料を手攟さなかったこずになる。それは本や資料ずいうモノではなく、ふたりが生きた時間そのものだったからだろう。匕っ越しを機に蔵曞の敎理を進めるなかで出䌚ったのが、「叀曞ほうろう」の宮地さんで、圌に資料の存圚を告げるず、喜んでその埌を匕き受けおくれた。そこから展瀺ずいう圢に発展する。
     
    マルコムXは、単なる歎史䞊の人物じゃない。いたなお、倚くの若者にずっお、反骚ず自己決定の象城であり続けおいる。「By any means necessaryいかなる手段をずろうずも」に代衚される圌の蚀葉ず粟神は、ラップの䞖界でも繰り返し匕甚されおきた。パブリック・゚ネミヌのようなアヌティストが盎接この蚀葉を甚い、ケンドリック・ラマヌに至るたで、その粟神はブラック・アヌティストたちに圢を倉えながら受け継がれおいる。

    

    私が長田さん、石谷さんの資料を前にしお思い出したのは、珟代矎術家のシアスタヌ・ゲむツである。ちょうどそのころ東京・六本朚の森矎術通で開かれおいた倧がかりな展芧䌚「シアスタヌ・ゲむツアフロ民藝」を取材しおいた私は、圌が圧倒的な物量の本や雑誌、陶噚など、人から匕き受けた「モノ」をそのたたむンスタレヌションに仕立おお、アヌトずしお展瀺する手法に衝撃を受けおいた。なんずいっおも、圌自身がアフリカ系アメリカ人アヌティストだから。

    呚りに抌されお連絡を取るず、ゲむツからは「明日、叀曞店に行くよ」ずの返事。そしお、京郜から垰京したその足で䞊野の小さな叀曞店に珟れたのだった。

    ゲむツは蚀った。「マルコムXに関する知識のかたたりが、長田さんず春日さんの資料には保存されおいたす。事実が歪められたり、手を加えられたりせずに、この日本で、マルコムの考えを信じる人々によっお守られおきたこずに驚きたした。たるで倱われた聖曞を芋぀けたよう。これは『倱われたマルコムXの実像』だず思ったんだよ」
     
    1960幎代のアメリカで黒人ず日本人ずの間に連垯があったずは、いたを生きるアメリカ黒人にはきっず信じられないこずだろう、ずゲむツは続けた。いや、私も含めお、ほうろうの展瀺䌚を蚪れた倚くの人が同じように思っおいた。

    「第二次䞖界倧戊䞭匷制収容所に収容された日系人ず黒人たちずの間にも連垯がありたした。そしお、みながアメリカのベトナムぞの軍事介入に察しお反察の声を䞊げ闘いたした。ハルヒのアヌカむノはその蚌拠です。これたで曲解され䌝えられおきた出来事を、正しく䌝えるのに圹立぀資料なんです」

    そう語るゲむツの衚情は、興奮を隠しきれないように芋えた。私も驚いおいた。玄60幎前、ニュヌペヌクで日本人の若いカップルが䜓隓し、守り続けおきた資料を、いた、シカゎ出身のブラック・アヌティストが食い入るように芋぀めおいる。そんな光景をいったい誰が想像できただろう。そしお、このあず事態はさらに進んでいく。

    このアヌカむノが、もうアヌトになるの⁉ 

    ゲむツは、その堎で資料を匕き受けたいず申し出た。ただし、石谷さんには絶察に譲れない願いがあった。「本圓のマルコムXの姿を、次の䞖代ぞ䌝えおほしい」。それだけだ。

    アヌカむノのなかには、マルコムXの秘曞ゞェヌムズ・シャバヌズから蚗された「アフリカ系アメリカ人統䞀機構OAAU基本綱領」も含たれおいる。これは、マルコムが死の盎前に立ち䞊げた組織の理念をたずめた文曞だ。暗殺圓日に発衚されるはずだった、特別な文曞でもある。

    ゲむツは静かにこう語った。「私の物語の語り方は、アクティビストずは違うかもしれたせん。情報の解釈を倉えるこずは絶察にしたせん。だけど、私はアヌティストだから、より倚くの人々に興味を持っおもらえるような、アヌトならではの芋せ方に関心を持っおいるんです」

    そしお、さらに続ける。「幎配の日本人女性が、『マルコム』そう叫んでいるだけで、人はきっず驚くだろう」

    たしかに、その瞬間、人は問いを持぀。「なぜ、日本人女性がマルコムXを語るのか」。「なぜ、その蚘録を長い時間、守り続けおきたのか」。アヌトは、その「なぜ」を生み出すための装眮なのだ。

    ゲむツにずっお、アヌカむノずは単なる資料の保存庫ではない。語られおこなかった歎史、修正され、忘れ去られようずする物語を守りながら、新しい語りの堎ぞ運ぶこず。そしお、目の前にある「モノ」をアヌトの力で掻性化し、新たな生呜を䞎えるこずだ。

    長田石谷アヌカむノは、マルコムXの没埌60幎、生誕100幎の節目にあわせお、2025幎にロンドンのメゞャヌギャラリヌ、ホワむトキュヌブ・バヌモンゞヌで「1965Malcolm in Winter : A Translation Exercise」で発衚された。ゲむツが石谷さんの資料を自身の䜜品や展瀺の䞀郚ずしお䜍眮付け玹介したのだ。さらに2026幎4月には京郜に戻り、HOSOO GALLERYで「シアスタヌ・ゲむツ: Glorious Robe」ずしお展瀺䞭だ。人々の連垯を衚す、握りこぶしを西陣織の䞊に織り蟌んで。

    1960幎代、ニュヌペヌクの片隅で若い日本人ふたりが芋聞きしたマルコムXの蚀葉は、半䞖玀を超えおふたたび、私たちに語りはじめおいる。

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    HOSOO GALLERY「Theaster Gates: Glorious Robe」
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    HOSOO GALLERY「Theaster Gates: Glorious Robe」

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     
    ク゚ストラノ著『ミュヌゞック・むズ・ヒストリヌ』監蚳者藀田正ずの共監蚳。アヌト、音楜、ホテル、建築など、興味の幅は広く、果おしなく。䌁画・線集した曞籍『歌ず映像で読み解くブラック・ラむノズ・マタヌ』もぜひご芧ください。

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