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デビル

    エッセイ 映画「デビル」(1997)

    デビルとは何か

    何度かテレビで観た記憶はあった。
    だが、どんな物語だったのかは思い出せなかった。
    だから改めて観た。

    見終えて残ったのは、ひとつの問いだった。
    このタイトルが指す「デビル」とは何か。


    幼少期のフランキーが見たもの。
    それは、夕食の最中に突然踏み込んできた武装した兵士と、
    目の前で撃ち殺される父の姿だった。

    それは当時の対IRA作戦の一環だった。
    だが結果として、それは誤りだった。

    しかし、その「誤り」は訂正されることはない。
    少年にとってそれは、ただ一つの現実であり、
    世界の始まりそのものになった。


    この物語は政治を語っているようで、そうではない。
    一人の少年の体験だけを起点にしている。

    だがその背後には、長い歴史がある。

    イギリスによるアイルランドへの介入は中世に遡り、
    16〜17世紀には土地の収奪と入植が行われた。

    その結果、

    • 北部にはプロテスタントの入植者

    • その他の地域にはカトリックの先住民

    という分断が生まれる。

    やがて独立戦争を経て、
    この島は決定的に引き裂かれた。


    イギリス軍にとってそれは治安維持であり、テロ対策だった。
    だがフランキーにとっては違う。

    家族を奪った侵略者

    この構図は特別なものではない。
    多くの戦争に共通している。


    その背後にあるものは何か。

    侵略、略奪、支配。
    それを正当化し、維持するための構造。
    時に宗教は、その管理装置として機能する。

    さらに視点を広げれば、
    大航海時代以降の植民地化と奴隷貿易。
    暴力の結果として生まれたという自己認識を持つ人々。

    それらは過去の出来事ではない。
    形を変えて、現在にも連続している。


    物語の終盤、トムはそれを「運命」と呼ぶ。

    だがそれは本当に運命なのか。
    むしろ積み重ねられた結果としての
    必然ではないのか。


    フランキーは言う。
    「これはアメリカの物語じゃない。アイルランドの物語だ」と。

    善良で、正義を信じるトム。
    その姿勢はどこから見ても正しい。

    しかしその正義は、
    この文脈の中では意味を失う。


    「夕食時に突然乱入してきた兵士が、父を射殺した」

    この一行だけで、人の人生は決定づけられる。

    それを経験していない者の正義と、
    それでも抵抗をやめない者の正義。

    両者は交わらない。


    では「デビル」とは何か。

    それは特定の誰かではない。

    こうした構造を生み、維持し続ける“思考そのもの”ではないか。


    その思考は過去のものではない。
    二度の世界大戦を経てもなお、
    世界のどこかで繰り返されている。


    それを動かしているのは、
    少なくとも――

    目の前で父を失った、あの少年ではない。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     

    R41

     
     
    映画レビューを書いています。 一旦レビューした下書きから、文学風のエッセイにして投稿しています。

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