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AIにできるのに、なぜ人間がやるのか―「人間がやること」に価値が生まれる時代―

仕事がなくなるという話から

AIが普及すると、多くの仕事がなくなるといわれている。

確かに、機械に任せた方が効率的な仕事は増えていくだろう。でも、そんな話を聞いていて、私は少し違う未来を想像した。

それは、仕事がなくなる社会ではなく、人間が仕事をすること自体に価値が生まれる社会だ。

これまで仕事は、必要なものを生産したり、サービスを提供したりするためにあった。けれども、その多くを機械が担うようになったら、人間が働く意味も変わっていくのではないだろうか。


あえて人間がやるという価値

例えば、車の運転。

自動運転が当たり前になれば、目的地まで移動するために人間が運転する必要はなくなる。それでも、自分で運転したい人はいるだろう。

人力車や馬車も、今では移動の効率より、それに乗る体験そのものが価値になっている。

料理も、案内も、歌も、演劇も同じかもしれない。機械にできるとしても、人間がやることを楽しみたい人がいる。

そう考えると、これからは「人間にしかできないこと」だけでなく、「機械にもできるけれど、人間にやってほしいこと」が仕事になっていくのではないか。


人間が作ったものを選ぶ

この変化は、サービスだけではなく、ものづくりにも広がると思う。

農業も建築も、機械化や自動化が進めば、人間が手を動かす必要は少なくなるかもしれない。

それでも、人間が育てた野菜を食べたい。職人が建てた家に住みたい。人間が描いた絵を飾りたい。そんな需要は残るのではないだろうか。

もちろん、人間が作ったものなら何でもよいわけではない。ただ、機械で作ることが当たり前になれば、反対に、人間が作ったという事実そのものが選ぶ理由になることもある。

効率や品質だけでは測れない価値が、仕事の中に生まれてくる。


誰もが何かの専門家になる

そうなると、働き方も変わる。

私は、義務教育を終えたら、誰もが何かの専門家になることを考える社会を想像した。

運転の専門家、料理の専門家、農業の専門家、ものづくりの専門家。あるいは、人を楽しませる専門家や、誰かに何かを伝える専門家。

会社に就職して、与えられた仕事をこなすことだけが働くことではなくなる。自分が何を磨き、何を人に提供できるのかを考える。

もちろん、専門家になるというのは、肩書を持つことではない。自分の技術や経験を育て、それを必要とする人に届けることだ。


普通の仕事がなくなる社会

この未来を考えると、今の「普通の仕事」というものも変わっていく気がする。

誰でもできる仕事、できればやりたくない仕事、生活のために仕方なく続けている仕事。そうした仕事の多くは、機械に任せられるようになるかもしれない。

人間は、機械にできない仕事を探すのではなく、自分がやりたいことや得意なことを仕事にしていく。

ただし、それが誰にとっても実現できるとは限らない。好きな仕事だけで生活できるのか。社会に必要な仕事を誰が担うのか。そうした問題は残る。

それでも、仕事を選ぶ基準が、生活のためだけではなくなっていく可能性には興味がある。


仕事を選ぶことから、生き方を選ぶことへ

AIが仕事を奪うという話は、仕事を失う不安から語られることが多い。

でも、私はそこから、人間が働くことの意味そのものが変わる未来を考えた。

機械に任せられることは任せる。そして、人間がやることを楽しみ、人間が作ったものを求める。自分の技術や経験を磨き、それを誰かに届ける。

そうなれば、仕事は単に生活費を稼ぐためのものではなく、自分が何をしたいのか、何ができるのかを表すものになっていく。

「何の会社に就職するか」ではなく、「自分は何の専門家として生きていくのか」。

AIの登場によって、私たちは仕事を失うだけではなく、働くことと生きることの関係を、もう一度考えることになるのかもしれない。

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