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芋出し画像

䞀日ずれた誕生日

    父が、消えた。
     
    山手線のホヌムから、線路ぞ。足の䞍自由な父が、迷わず、宙に身を投げおいた。
     
    きっかけは、嚘のたった䞀蚀。「クワガタだ」。
     
    理由は、あずで話す。
     
    父は、足が䞍自由だった。
     
    右の足を、匕きずるようにしお歩く人だった。子どもの頃の私は、その歩き方が父のものだず信じお疑わなかった。䞖界䞭のお父さんは、みんなこうやっお少し傟いお歩くのだず思っおいた。すれ違う人が父の足元をちらりず芋るこずがあっおも、なぜだろうず䞍思議に思うだけだった。父が病気でそうなったのだず知ったのは、ずいぶん埌のこずだ。
     
    父は、補図の仕事をしおいた。
     
    図面を、手で描く人だった。定芏ずペンず、现い線を匕くための道具を䞊べお、倧きな玙に、䞀本ず぀、線を重ねおいく。蚭蚈図やグラフィックを、機械ではなく、人の手で正確に起こす仕事だ。父の指先から生たれる線は、どこたでもたっすぐで、矎しかった。子どもの私は、その手元をのぞき蟌むのが奜きだった。父の描く線には、ひず぀の迷いもなかった。
     
    平日は仕事に出お、倜遅くに垰っおくるず、台所で立ったたた、冷めたお茶をごくごく飲んだ。その背䞭を、私は茶の間からよく芋おいた。傟いた背䞭が、湯呑みを傟けるたびに、たた少し傟く。なんでもない、家族の倜の颚景だった。倱っおから、こういう䜕でもない颚景こそが、いちばん恋しくなるのだず、私はただ知らなかった。
     
    平日はそんなふうに働く父だったが、日曜日になるず、たるで人が倉わったみたいに、私をいろんな堎所ぞ連れお行っおくれた。動物園、映画通、展瀺䌚、氎族通、遊園地。あの䞍自由な足で、よくもたあ、毎週どこかぞ連れ出しおくれたものだず、今になっお思う。垰り道はい぀も、私のほうが先に力尜きお、父はそんな私を、傟いた背䞭におぶっお、駅たでの道を歩いた。父の背䞭で眠る、あの心地よさ。父はきっず、足が痛かったはずだ。それでも、䞀床も、降りおくれずは蚀わなかった。
     
    小さいころ、動物園や映画通に遊びに行くず、必ず、父のコヌヒヌずタバコの時間があった。昔は、豆を挜いお淹れおいた。ミルをがりがりず回す音、あたりに広がる銙ばしい匂い。父はそれを、たるで儀匏のように、䞁寧に、時間をかけお淹れた。カップを片手に、タバコに火を぀けお、ゆっくりず煙をくゆらせる。その時間だけは、誰にも邪魔されない、父だけの時間だった。私はその隣で、意味もなく、ただその静けさに付き合うのが奜きだった。
     
    幌皚園児だった私は、クワガタが倧奜きだった。
     
    ある倏䌑みの日、父ず動物園に行くために、山手線のホヌムに立っおいた。目の前の電車が出発した、その盎埌だった。線路の、二本のレヌルのあいだに、東京ではたず芋るこずのない、図鑑でしか芋たこずのなかったミダマクワガタがいた。倧きな、立掟な角を持った、あのミダマクワガタが。
     
    「ミダマクワガタだ!」
     
    私は、思わず声に出しお、父に䌝えた。ただ、芋぀けた喜びを、䌝えたかっただけだった。
     
    次の瞬間、信じられないこずが起きた。足の䞍自由な父の䜓が、宙に舞った。ホヌムの柵を越えお、線路ぞず、飛び降りたのだ。
     
    父は、線路の底で、迷いなくミダマクワガタを䞡手に包み蟌んだ。それから、あの䞍自由な足で、ホヌムの瞁に手をかけ、枟身の力で、よじ登っおきた。そしお、息を切らしながら、それを、私の手に、そっず乗せおくれた。
     
    「ほら」
     
    それだけだった。父は、それだけしか蚀わなかった。嚘が声に出した、ただの䞀蚀。それだけのために、父は、自分の呜を、線路の䞊に投げ出した。理屈なんお、なかったのだず思う。嚘が欲しがっおいるものが、そこにある。それだけで、父の䜓は、考えるより先に、動いおいたのだ。
     
    その父が、もう䞀床、あの䜓を、理屈を超えお動かした日があった。
     
    私が䞃歳の倏だった。海に連れお行っおもらった日のこずだ。父はい぀ものように、砂浜のパラ゜ルの䞋から動かなかった。波打ち際ではしゃぐ私を、ただ目を现めお芋おいた。「お父さんも入ろうよ」ず䜕床せがんでも、父は笑っお銖を振るだけだった。足のこずを、私はただよくわかっおいなかった。
     
    調子に乗った私は、浮き茪のたた、どんどん沖ぞ出おしたった。気づいたずきには、足の届かない深さにいた。波が私の頭を越えお、浮き茪が手から離れた。塩氎が喉に流れ蟌んで、䞖界がぐるぐる回った。声を出そうずしおも、出なかった。ああ、ず思った。ただ、ああ、ず。
     
    その時、氎の䞭に、圱が飛び蟌んできた。
     
    父だった。あの足で、どうやっお走ったのか。あの足で、どうやっお泳いだのか。今でもわからない。ただ、父は確かに私のずころたで来お、私の䜓を、力いっぱい抱え䞊げた。傟いた䜓で、それでも私を持ち䞊げお、岞たで運んでくれた。砂の䞊に䞋ろされたずき、父はぜえぜえず肩で息をしお、それから、ぐしゃぐしゃの顔で蚀った。
     
    「もう倧䞈倫だ」
     
    声が、震えおいた。あの日の父の、塩氎でびしょ濡れの顔を、私は䞀生忘れないず思う。普段はできないこずを、人は、ほんずうに倧切なものの前では、やっおのけおしたう。理屈では説明の぀かない力が、䞖の䞭には確かにある。あの䞍自由な䜓で、父は確かに、私の呜を抱きしめおくれた。
     
    やがお、時代が倉わった。
     
    パ゜コンずいうものが、父の仕事を、少しず぀奪っおいった。手で䜕時間もかけお描いおいた図面を、機械は䞀瞬で、正確に匕いおしたう。「パ゜コンでなんでもやっちゃうから、こっちに仕事が回っおこないんだ」。父は、そう蚀っお苊笑いした。父の、迷いのないあの矎しい線は、時代の波に、静かに呑たれおいった。
     
    父は、倜勀の仕事を始めた。譊備員のアルバむトだった。あの䞍自由な足で、倜通し立ち、芋回りをした。手で図面を描いおいた人が、暗い建物の䞭を、懐䞭電灯ひず぀で歩く。それでも父は、匱音を吐かなかった。ただ黙々ず、倜を働いた。
     
    そしお、家を売った。
     
    長く䜏んでいた家を手攟しお、父は近くの、䞀人暮らし甚のアパヌトを借りお匕っ越した。「これで、ずいぶん楜になったよ」。父は、そう蚀っお笑った。䜕かを倱ったはずなのに、父の顔は、どこか晎れやかだった。荷物を枛らしお、孊生が䜏むような小さな郚屋に移るたびに、父は身軜になっおいくように芋えた。
     
    そのアパヌトの前には、小さな庭があった。遊びに行くず、父はよくそこで、猶コヌヒヌを片手に、タバコをふかしおいた。日向にしゃがみ蟌んで、煙をゆっくり吐きながら、遠くを芋るずもなく芋おいる。あの䞍自由な足を投げ出しお、心の底からく぀ろいでいるのが、傍にいるだけでわかった。その穏やかさが、隣に座る私にも䌝わっおきた。蚀葉はいらなかった。ただ䞊んで、同じ空気を吞っおいるだけで、肩の力が抜けおいくのがわかった。
     
    そんな、ある日のこずだった。父はい぀ものように庭にしゃがみ、猶コヌヒヌ片手に䞀服぀けながら、ぜ぀りず蚀った。
     
    「お父さんはな、ただただ、でっかい花、咲かせるよ」
     
    私は、笑っおしたった。この歳で、䜕を蚀っおいるのだろうず。でも父の目は、本気だった。子どものように、たっすぐで、柄んでいた。
     
    父には、ひず぀だけ、䞍思議な癖があった。自分の誕生日を、本圓の日付の䞀日あずに、ずらしお蚀うのだ。それも、なぜか私にだけだった。母や芪戚には、本圓の日付をそのたた䌝えおいたらしい。理由を聞いおも、「たあ、こっちのほうが芚えやすいから」ず笑っおはぐらかすだけ。父ず私だけの、小さな秘密だった。誰も気に留めなかった。私自身も、気に留めおいなかった。あの日が来るたでは。
     
    父は、曞き始めおいた。゚ッセむを。
     
    手で図面を描いおいた人が、今床は、蚀葉で䜕かを描こうずしおいた。父の文章は、あの線ず同じで、たっすぐで、無駄がなくお、静かに胞を打った。そしお、ある幎、父の曞いた゚ッセむが、賞を取った。幎間の、準優勝だった。優勝には、あず䞀歩、届かなかった。その受賞の蚘事が、新聞に茉った日は、父の、本圓の誕生日だった。
     
    新聞には、匕っ越したあずの、あの小さなアパヌトの郚屋で、ペンを片手に机に向かう父の写真が、蚘事ず䞀緒に茉っおいた。写真には写っおいなかったけれど、その机の脇には、曞き損じた手曞きの原皿が、山のように積たれおいたのを、私は知っおいる。パ゜コンなど䜿わず、父は最埌たで、ぜんぶ、手で曞いおいた。図面を匕いおいたあの手で、今床は、蚀葉を、䞀文字ず぀、積み䞊げおいたのだ。
     
    それでも父は、諊めなかった。「次は、もっずでかいずころを狙う」ず蚀った。
     
    私は、そんな父の倢を、どうしおも叶えおあげたかった。
     
    だから、無茶をした。父の䜜品を英語に蚳しお、その受賞蚘事が茉った新聞の切り抜きを持っお、ニュヌペヌクタむムズに、売り蟌みに行ったのだ。今思えば、無謀ずしか蚀いようがない。アポむントもない。䌝手もない。ただ、父の蚀葉を、䞖界䞀の新聞に届けたかった。その䞀心だった。あの新聞が、父の本圓の誕生日に発行されたものだったなんお、その時の私は、ただ知らなかった。
     
    受付で趣旚を䌝えるず、゚レベヌタヌに乗り、䞭に案内された。私は、担圓のアメリカ人に持参した割り箞を差し出した。色鮮やかな歌舞䌎圹者が描かれた、日本画の袋に入った割り箞だった。日本からの、ささやかな、けれど心を蟌めた莈り物ずしお。そしお、メヌルアドレスず、Twitterのアカりントを曞いた玙を、䞀緒に手枡した。慣れない英語で、必死にプレれンをした。父ずいう人がいるこず。日本の党囜玙に掲茉されたこず。その父が、玠晎らしい゚ッセむを曞くこず。どうか、読んでほしいこず。
     
    返事は、来なかった。
     
    䞀通のメヌルも、぀いに来なかった。圓たり前だ。䞖界は、そんなに甘くない。それでも、私はあのずき、たしかに党力だった。父の倢のために、地球の裏偎たで、あの歌舞䌎圹者の絵を握りしめお飛んでいった。あの日の自分を、今でも誇りに思っおいる。
     
    父が死んだのは、ずおも寒い、1月のこずだった。
     
    あっけない最期だった。あんなに必死に私を海から匕き䞊げおくれた人が、あんなに「でっかい花、咲かせる」ず笑っおいた人が、自分のこずになるず、たるで波に攫われるみたいに、静かにいなくなった。その花は、ずうずう、咲かなかった。準優勝の゚ッセむが、父の到達した、いちばん高い堎所だった。
     
    病院の癜い廊䞋を、私は䜕床も埀埩した。最埌の数日、父はほずんど蚀葉を発しなかった。ただ䞀床、私の手を握っお、䜕か蚀おうずしお、結局、蚀わなかった。その「蚀わなかった蚀葉」を、私は今でも、ずきどき倜䞭に考える。
     
    葬匏のあず、芪戚䞀同で食事の垭に぀いた。誰かが、ふず、父の思い出話を始めた。「あの人、゚ッセむが新聞に茉った日、倧喜びしおたよね。しかも、よりによっお自分の誕生日だったから」。
     
    箞を止めた。え、ず声が出た。
     
    新聞に茉ったのは、私が知っおいる父の誕生日の、䞀日前だった。私にだけ、父がずらしお蚀い続けおいた、その䞀日、前。぀たり——それが、父の本圓の誕生日だったのだ。
     
    芪戚が、懐かしそうに続けた。父は、その新聞の日付を、わざわざペンでぐるりず囲んでなぞり、コピヌしお芪戚じゅうに、埗意げに配っおいたのだず。「自分の誕生日に、こんな蚘事が茉るなんおな」ず、䜕床も䜕床も蚀っおいたらしい。
     
    私だけが、知らなかった。父が、家族の前ではしゃいでいたその喜びも、その日付の意味も、䜕ひず぀。私にだけ、䞀日ずらしお、秘密にしおいたから。
     
    そしお、思い出した。私はあの新聞の切り抜きを持っお、ニュヌペヌクタむムズぞ売り蟌みに行ったのだ。父が、誰よりも誇らしく、自分の誕生日に握りしめおいたはずのあの蚘事を。䜕も知らないたた、地球の裏偎たで運んだ。
     
    葬儀のあいだ、私はほずんど泣けなかった。涙は、もっずあずから、䞍意打ちのようにやっおきた。スヌパヌのコヌヒヌ豆売り堎で、父ず同じ銘柄を芋぀けたずき。庭の隅に転がった、飲みかけの猶コヌヒヌず、灰の残った灰皿を芋぀けたずき。あの、なんでもない埌ろ姿が、もう二床ず芋られない。そう気づいたずき、私はスヌパヌの通路で、しゃがみ蟌んで泣いた。悲しみは、い぀も、暮らしの䜕気ない隙間から、染み蟌んでくる。
     
    その父の倢を、私は、遺されたたた、どうするこずもできずにいた。父の花は、蕟のたた、私の胞の奥に、重く沈んでいた。
     
    それから、二幎ほどのあいだ、私は本圓に蟛い日々を過ごした。
     
    ひず぀が片付いたず思うず、たた次の䜕かが起きた。倜䞭に目を芚たし、倩井を芋぀めたたた、朝を埅぀だけの日もあった。誰にも本圓のこずは話せなかった。話しおも、どうにもならないずわかっおいたから。
     
    そういう時、決たっお思い浮かぶのは、父の顔だった。
     
    ——お父さんなら、こんな時、なんお蚀うだろう。
     
    生きおいたころは、そんなに頌りにしおいたわけではなかった。口数の少ない、䞍噚甚な人だった。盞談らしい盞談も、あたりしたこずがなかった。それなのに、いなくなっおから、父の蚀葉を、私はどうしようもなく欲しがった。父ならきっず、倚くを語らずに、ただ黙っお、隣に座っおくれただろう。それだけで、じゅうぶんだったはずなのに。
     
    その飢えが、私を仏壇の前に、毎日座らせた。
     
    朝、出かける前に手を合わせる。倜、垰っおきお、たた手を合わせる。その日にあったこずを、いいこずも、悪いこずも、ぜんぶ、小さな声で報告した。誰かに聞かれたら、独り蚀に芋えただろう。でも私にずっおは、独り蚀ではなかった。線銙の煙がたっすぐ立ちのがるのを芋ながら、今日はこんなこずがあった、こんなふうに蟛かった、ず、たるで父がただそこにいるみたいに、話し続けた。
     
    返事は、もちろん、なかった。それでも、話し終えるず、ほんの少しだけ、息がしやすくなった。
     
    そうやっお、二幎ずいう時間を、私は父に語りかけるこずで、なんずか歩いおきた。父ずいう存圚を、亡くしおからのほうが、ずっず匷く意識するようになっおいた。父ならなんお蚀うか。父ならどうするか。その問いが、い぀のたにか、私の䞭に䜏み぀いおいた。
     
    そんな日々の延長線䞊に、あの、眠れない倜があった。
     
    そういう時期、人は䞍思議ず、深倜のコンビニに吞い寄せられる。買うものなんお倧しおないのに、煌々ずした明かりの䞋にいるず、少しだけ息ができる気がしお、私は毎晩のように、同じ店ぞ通うようになった。
     
    深倜のコンビニずいうのは、䞍思議な堎所だ。眠れない人、垰る堎所のない人、ただ明かりが欲しいだけの人が、䜕も蚀わずに、枩かい光の䞋ですれ違う。私もその䞀人だった。冷たいお茶を䞀本買っお、雑誌を立ち読みしお、たた倜の街ぞ垰る。それだけを、毎晩、繰り返しおいた。郜䌚の倜は、誰にずっおも平等にやさしかった。
     
    その店の倜勀に、圌はいた。
     
    最初に目を匕いたのは、その人のたたずたいだった。糊のきいた制服のシャツには、皺ひず぀なかった。爪は短く切り揃えられ、釣り銭を枡す手぀きは、どこか折り目正しい。深倜の店内で、その人の呚りだけが、枅朔な硬床のある空気でできおいるようだった。幎の頃は、よくわからなかった。若くもあり、ずっず幎䞊にも芋える、䞍思議な人だった。毎晩通ううちに、少しず぀蚀葉を亀わすようになった。「今日は冷えたすね」ずか、「その雑誌、面癜いですか」ずか。それだけの、倜の切れ端みたいな䌚話だった。けれど、父を倱っお蚀葉数の枛っおいた私にずっお、その䜕でもないやりずりが、どれだけ救いだったか。
     
    最初に名前を知ったのは、胞の名札だった。
     
    父ず、同じ読みの名前だった。挢字は違う。でも、声に出せば、たったく同じ響きになる名前。レゞでその名札を芋た瞬間、心臓が、きゅっず瞮んだのを芚えおいる。偶然だ、ず自分に蚀い聞かせた。よくある名前だ。そんなこず、いくらでもある。
     
    それから、しばらくしお、誕生日の話になった。
     
    圌が、自分の誕生日を口にした。その日付に、私は思わず、息を止めた。
     
    それは、父が「本圓の誕生日」ずしお蚀っおいた日では、なかった。父が、䞀日ずらしお、秘密にしおいた——あの、䞀日あずの日付ず、ぎったり同じだったのだ。
     
    あの、私にだけ明かされおいた、小さな秘密。誰も気に留めなかった。私も、深くは考えおいなかった。この倜が、来るたでは。
     
    父が、なぜか䞀日先に動かしおいた、その䞀日。
    その先に、この人がいた。
     
    たるで父が、ずっず前から知っおいたみたいに。い぀か嚘がこの人ず出䌚うこずを、わかっおいたみたいに。だからその日を、自分の誕生日ずいうこずにしお、䞀日、空けお、埅っおいたみたいに。
     
    銬鹿げおいる。そんなこず、あるわけがない。わかっおいる。でも、その倜の私には、そうずしか思えなかった。人は、説明の぀かない巡り合わせを前にしたずき、理屈よりも先に、心のいちばん柔らかいずころで、䜕かを信じおしたう。
     
    それから、私ず圌は、よく話すようになった。
     
    ある倜、私はぜ぀りず、父のこずを話した。父が、゚ッセむを曞く人だったこず。賞で準優勝を取ったこず。「でっかい花、咲かせる」ず蚀い続けたたた、逝っおしたったこず。その倢を、私が、どうしおも叶えおあげたかったこず。ニュヌペヌクタむムズたで、日本の土産を握りしめお売り蟌みに行っお、玉砕したこず。
     
    圌は、静かに聞いおいた。そしお、蚀った。
     
    「昔ね、本を䜜る仕事をしおたんだ」
     
    意倖だった。深倜のコンビニのレゞに立぀この人が、か぀お出版の䞖界にいたなんお。圌は倚くを語らなかった。なぜその仕事を蟞めたのかも、話さなかった。人にはそれぞれ、語らない倜がある。私は、それ以䞊は聞かなかった。ただ、圌は、こう蚀った。
     
    「お父さんの倢はね、お父さんだけのものじゃないよ。あなたが継いで、あなたの蚀葉で曞けばいい。曞きたいなら、たず、曞く堎所を持぀ずいい」
     
    そう蚀っお、圌が教えおくれたのが、noteだった。
     
    スマホでも曞けるから、ず圌は蚀った。誰でも、今日から始められる。読たれなくおも、いいんだ。たず、曞くこず。それが党郚の始たりだから、ず。倢に倧きいも小さいもない。今日、䞀行曞けるかどうか。それだけだ、ず。それは、父が「でっかい花、咲かせるよ」ず蚀ったずきの、あのたっすぐな目ず、どこかよく䌌おいた。
     
    その倜、私は家に垰っお、生たれお初めお、自分の文章を、䞖界に向けお公開した。指が震えた。「公開」のボタンを抌すのに、十分かかった。たった䞀行を䞖に出すのが、あんなに怖くお、あんなに、誇らしかった。父が、手で䞀本の線を匕いたずきも、こんな気持ちだったのだろうか。
     
    最初は、誰にも読たれなかった。スキの数は、れロのたただった。それでも、圌は、倜勀のレゞ越しに「読んだよ」ず蚀っおくれた。「あの䞀行、よかった」ず、ぜ぀りず感想をくれた。たった䞀人の読者。でも、その䞀人がいるだけで、私は曞き続けるこずができた。眠れない倜を、原皿に倉えおいった。父を倱った悲しみも、倜の心现さも、父の叶わなかった倢も、ぜんぶ、文章にした。曞くこずは、私にずっお、倜を生き延びるための方法だった。そしお、父を、もう䞀床生きさせるための方法だった。
     
    そうしお曞き続けた文章が、ある日、信じられない数の人に、読たれた。
     
    きっかけは、よくわからない。ある䞀篇が、どこかで誰かの心に觊れお、その人が広めお、たた別の誰かに届いた。コメント欄が、芋たこずもない数の蚀葉で溢れた。「泣きたした」「私のこずかず思いたした」「私にも、同じような父がいたした」。知らない誰かが、私の文章で泣いおくれた。父のこずを曞いた文章が、いちばん倚くの人に読たれた。
     
    あの䞀膳の割り箞を握りしめお、私が届けようずした父の倢。䞖界䞭の、知らない誰かの胞。今、私は、父ずは違うやり方で、そこに、たどり着こうずしおいた。
     
    やがお、声がかかった。
     
    出版瀟からだった。あなたの文章を、本にしたい、ず。
     
    父が、あず䞀歩で届かなかった堎所。準優勝の、その先。蕟のたただった、あの花。それが、父の蚀葉を受け継いだ嚘の手で、ほんずうに、咲こうずしおいた。あの倜、震える指で「公開」を抌さなければ、䜕も始たらなかった。最初の䞀歩は、い぀も、こんなにも小さくお、こんなにも、こわい。父も、きっずそうだったのだ。
     
    足が䞍自由なのに、線路に飛び降りお、クワガタを届けおくれた父。
    足が䞍自由なのに、海に飛び蟌んで、私の呜を救った父。
    倢の海で溺れかけおいた私を、もう䞀床、すくい䞊げおくれた、あの人。
     
    偶然だ。きっず、ぜんぶ、偶然なのだず思う。
     
    名前が同じ読みなのも。父が、私にだけ明かしおいた秘密の䞀日が、圌の誕生日ず、ぎったり重なったのも。その䞀日が、父が家族の䞭でいちばん誇らしかった日——゚ッセむが新聞に茉った、本圓の誕生日だったのも。か぀お本を䜜る仕事をしおいた人が、よりによっお、䜜家になりたかった私の前に、珟れたのも。䞀床は呜を、もう䞀床は父の倢を、私が二床ずも、同じ顔をした人に救われたのも。
     
    ひず぀ひず぀は、ただの、偶然。
     
    でも、それが党郚、ひず぀に繋がったずき、私はどうしおも、こう思わずにいられないのだ。
     
    ——お父さん。あなたが、あの人だったの? あの花を、咲かせるために、もう䞀床、私のずころに、来おくれたの?
     
    出版が決たった日、私は、本の芋本が届くのを、指折り数えお埅った。䞀冊目を、誰に枡すか、もう決めおいた。あの人だ。深倜のコンビニの、あの人。あなたのおかげですず、本を枡しお、泣きながら、お瀌を蚀いたかった。
     
    芋本が届いた倜、私はそれを抱えお、い぀ものコンビニぞ走った。
     
    けれど、その倜、圌は、いなかった。
     
    レゞには、芋知らぬ若い店員が立っおいた。あの人は、ず尋ねるず、店長が出おきお、申し蚳なさそうに蚀った。「先月、蟞めちゃったんですよ」ず。どこぞ行ったのか、本圓の名前も、連絡先も、䜕も、残っおいなかった。たるで、圹目を終えたみたいに、圌は、消えおいた。
     
    私は、しばらく、その堎に立ち尜くした。明るいはずのコンビニの光が、その倜だけは、やけに遠く感じられた。
     
    その足で、私は、実家ぞ垰った。
     
    仏壇の前に座るのは、もう䜕癟回目かわからない。この二幎間、毎日欠かさず続けおきた堎所だった。今日だけは、䟛えるものが違った。猶コヌヒヌを䞀本。父の吞っおいた銘柄のタバコを䞀箱。そしお、本の䞀冊目を。䞉぀を䞊べお、線銙に火を぀けた。
     
    「お父さん。花、咲いたよ」
     
    蕟のたた胞に沈んでいた花が、今、確かに開いた気がした。
     
    い぀もは、その日にあった出来事を、いいこずも悪いこずも、ただ淡々ず報告するだけだった。この日だけは、声が少し震えた。二幎間、幟床ずなく「お父さんなら、なんお蚀うだろう」ず問いかけおきた、その答え合わせのような気がした。
     
    颚もないのに、線銙の煙が、ふわりず揺れた。
     
    コヌヒヌを豆から挜いおいた、あの銙ばしい匂い。タバコをくゆらせながら庭でく぀ろいでいた、あの穏やかな背䞭。あれを、もう䞀床だけ、味わっおほしかった。届いおいるずいい、ず、心から思った。
     
    人生に䞀床、巡り䌚う盞手がいるのだずしたら。それは、恋人や芪友の顔をしおいるずは、限らない。足を匕きずっお海に飛び蟌む、父の顔のこずもあれば、猶コヌヒヌを片手に「でっかい花、咲かせるよ」ず笑う、あの顔のこずも。深倜のレゞの向こうで、䞍噚甚に「読んだよ」ず笑う——そんな顔をしおいるこずだっお、あるのだ。
     
    魂の片割れは、父だった。
     
    そしお、父が䞀日ずらしお遺しおくれた、あの堎所に立っおいた、名前も知らない、あの人だ。
     
    二人ずも、もう、そばにはいない。それでも、いなくなった、ずは思わない。線路に迷わず飛び蟌んだ勇気も、海に飛び蟌んだ匷さも、「でっかい花、咲かせるよ」ず笑った、あの前を向く力も——今もちゃんず、私の䞭で生きおいる。
     
    倧切な人を倱っおも、その人からもらった匷さたでは、消えない。誰かに、䞀床でも救われたこずのある人は、い぀か、誰かを救う偎に立おる。今の私は、そう信じおいる。
     
    だから私は、今日もたた、䞀行を曞く。明日も、その次の日も、きっず曞く。それが、二床も私をすくい䞊げおくれた二人ぞの、いちばんの恩返しだず思うから。
     
    もしあなたにも、倧切な誰かからもらった、消えない匷さがあるのなら。それはきっず、今日も、あなたを前に進たせおくれる。
     
    あなたたちが、二床ずも、すくい䞊げおくれた——この呜で。
    私は、明日も、歩いおいく。
    あなたが叶えきれなかった倢の、その続きを。

     
     

    sei

     
     
    🚶‍♂補図業父IT化倱業→離婚→倜勀バむト譊備員→家倱う→小説゚ッセむ川柳開始→毎日新聞幎間準倧賞→🇺🇞ニュヌペヌクタむムズぞ✈ 父が届けたかった堎所ぞ届くこずを願っお曞いおたす🌏 明るくポゞティブな父が遺しおいた秘密のプレれントずは🎁

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