
【雑記】なんで人間のほうが頑張る前提なんだよ
ぼくは雑記としてこのノートとペンのイラストを使っているのだけれど、そもそもぼくはほとんど手書きというものをしない。
なぜかというと、手書きが「右利き向けのもの」だからだ。
文字も、文具も。全部右利きのためのもの。
左利きであることだけでなんで手書きに余計なコストを払わなきゃいけないの? って思ってる。
文字が右利きのためのものではない? 馬鹿を言え。
こちとら左で筆を持ったら右払いと左払いが逆になるし、そもそも右上がりの字がうつくしいとされてることがもう右利きの傲慢だよ。
マジョリティはこれだからいけない。自分が普通にやっていることを、できない人がいるって気付けない。
もうちょっと身近な例にしようか。
黒板とチョーク、ありますよね。
あれってチョークを押すように書くと「ギーー」って鳴って変な点線みたいになったりする。
左利きはあれを普通の紙とペンで毎日やっている。
ボールペンとかね、引いて書くでしょ、当たり前のように。
左利きにはそれができない。
文字の書き順そのものが右利き向けだから。
だから押す。押しながら書く。
しかもボールペンは引いて書くことを前提に作られているから、押して書いていると中身を使い切る前にインクが詰まって死ぬ。
これは左利きの日常。
つまるところ、手書きってものにコストを払ってるんだよね。
だからぼくは手書きをしたくない。
スマホでメモを取るし、スマホが許されないなら業務用端末にメモを取る。
少なくともそっちは、左右の差をもう少し吸収してくれるから。
でも考えてみると、こういうのって手書きだけじゃない。
雨の日、ぼくは2万円くらいする傘を使っている。
見栄じゃない。音がうるさいからだ。
普通の傘だと、雨粒が当たる音がまとわりついてくる感じがして気持ち悪くなる。
サイレントアンブレラが存在しているおかげで、ようやく雨の日に傘を差して歩くという一般的な行為ができるようになる。一般的な行為のために2万円払っている。
服もそう。
感覚過敏もあるから、縫い目が痛い。タグが痛い。洗濯表示が痛い。
最近はタグの代わりに内側へ印刷してくれている服もあるからそういうのを着ている。
家の中だったら服を裏返して着る。縫い目が外側に行くから。
あと女性ものだと、ポケットがないことがあるよね。
ポケットがあっても飾りみたいなやつ。
デザイン上きれいだから。
いや、人間に不便を押し付けるな。
そのデザインが好きな人だけが選ぶならいい。
でもポケットがあるのが当たり前の機能だったはずなのに、見た目のために消すな。
こういうの、今ふと思い浮かんだだけでもいくらでも出てくる。
「ちょっと不便だけどそこは工夫してね」「慣れてね」「頑張ってね」
いや、押し付けすぎでしょう。
人間が学習することを前提にしすぎだ。
どうして道具を作るところでそれを吸収しないんだよ。
快適さというものは、「気持ちいいこと」じゃないと思っている。
快適さというのは、「不便を感じさせないこと」だ。
服の存在を意識しなくていい。
傘の存在を意識しなくていい。
利き手のことを意識しなくていい。
そういう状態が快適なんだと思う。
だからぼくは傘には2万円出すし、服は裏返すし、手書きはしない。
道具は快適に使えるべきだと思っているから。