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【あの頃の自分も好きになる学校へ】声の大きさで個性をつぶしたくない

「普通に発表できる人」がうらやましかった。

 中学生の頃の私は、みんなと考え方が少し違いました。他人と意見も合わず、今で言えば「独自性がある」ですが、当時は「変な子」扱いでした。
 そんな扱いをされていく中で、気持ちは下に向かうばかり。口に出す勇気はなくなり、いつも下を向いていました。思ったことが言えない。正解が分かっていても、手が挙げられない。あの中学時代の重たい沈黙を、今でもはっきり覚えています。

 理科の先生になった今、教室を見渡すと、あの頃の自分と同じ顔をした生徒がいます。もしかしたら、発表が恥ずかしいだけじゃなく、からかわれた苦い経験があるのかもしれません。でも、ノートには他の人にはない面白い考えが書いてあります。私は改めて、「話せない」ことと「考えていない」ことは、まったく別だと気づきました。

 私は現在、ICTを使った「無記名の発言機会」を授業で取り入れています。具体的には、授業で使う学習支援ツールの提出箱を匿名設定にして提出させます。名前が出ないというだけで、驚くほど多くの生徒が本音を書いてくれます。
 ある時、イラストのみを提出してきた生徒がいました。文章では自分の考えをうまく表現できずイラストにしたようです。容器の中で気体が生まれ、水を押しのけていく様子を、矢印と吹き出しだけで表現したイラストでした。
 私は、「これ、どういう意味だと思う?」とクラス全体に問いかけました。すると、「こうかな?」「いや、こうじゃない?」とみんなの意見が飛び交いました。本人を指名することはありませんでしたが、その生徒の考えは確かにクラスに届き、みんなで一緒に考える時間につながりました。

 言葉でも、絵でも、表現の形が違っても、伝える手段さえあれば、考えは伝わり、それが授業の中の小さな世界を大きく広げていきます。

 もちろん、発表する力そのものも大切です。だから、発表の練習は発表の練習として、別で積み重ねています。

 ただ、「発表できる生徒だけの意見が、教室の総意になってしまう」状態は、変えないといけません。声の大きさや、勇気の有無、表現の得意不得意に関係なく、すべての生徒の考えが同じ重さで扱われる教室。それこそが、私が授業を通じて実現したい「未来のためにできること」です。

 あの頃、中学校が嫌いだった私に、今の授業を見せてあげたい。
 そしたら、少しでも中学校が好きになるかもしれません。


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