
きっと私は、祖母の葬式に呼ばれない。
両親との確執はそれぞれにあるが、もういい大人なので法事以外に特に関わりもなく過ごしている。
あとはただ、両親自身が死亡するイベントをやり過ごすだけだ。
と、思っていた。
祖父母は、母方の祖母だけが存命だ。
10代の終わりの頃のこと、母方の祖父の葬式に行けなかった。
子供の頃、両親が離婚する前は祖父母の近くに住んでいて不在がちな両親の代わりによく世話をしてもらっていた。
週末にはあちこちに遊びに連れ出してもくれた。
子供の頃のどこかに出かけた記憶にはいつもじいちゃんとばあちゃんがいた。
写真もたくさん撮ってくれた。
なのにその最期は母親からのたった一本の電話だけだった。
「じいちゃん死んだよ。これから火葬だから。」
今だったら声を荒げて「あんまりだ」「なんで連絡くれなかったの?」と母親を糾弾できていただろう。
でも当時の私の状況は過酷で、そんなマトモな感覚などなかった。
「えっ…そうなんだ」みたいな事を言ったと思う。
ショックではあったが、何を言ったか覚えていない。
母親や祖父母と離れて暮らす事、毎晩のように夜中に酔った父から殴られる事、父方の親族からの理不尽な罵倒…
そんな、何もできずに何かを失い続ける事態が日常すぎて、でもそのパターン違いが来て、虚無感と絶望感でいっぱいになっていたような感覚がある。
私たち二人姉弟は両親の離婚時に父親に引き取られ、遠方の父親の実家で暮らしていたため自力で関東の母親の実家に駆けつけるのは困難だった。
そして母親にも、私達を呼び寄せる経済力がなかったのだろう、と勝手に想像して勝手に納得することにした。
祖父が亡くなって約20年、もうずっと、そう思っていた。
最近、祖母とのお別れを覚悟しなければいけないのではないかと思うようになった。
上京してから、何度も何度も祖母と会ってデートした。
今思えば全然気の利いたデートなんかじゃなかったけど、
祖母は「あなたが都内に連れ出してくれるから嬉しい」と言ってくれた。
コロナ禍でそれは途絶え、祖母の体調はゆっくりと、でも崖を下るように悪化していった。
後悔はない。私は祖母との空白をこれでもかと埋めた。今まで出来なかったことや、出来るようになったことをたくさんした。
そして当たり前に、私達はいつか葬式に呼ばれると思っていた。
でもきっと、私達は葬式には呼ばれない。
大人になっていくつかの真実を知り、自分の過去の状況の謎に合点がいくことが今までにたくさんあった。
勝手に納得して見落としていたが10代の終わりのあの頃、祖父の葬式に私達は「行けなかった」んじゃない。
「呼ばれなかった」んだ。
かなり後になって知った事だが、母親は離婚してすぐに再婚し出産していた。
私達は何も知らされていなかった。
祖父が亡くなった時、母親には新しい夫がいて、物心もとっくについてる新しい子供がいたということだ。
母親はあえて、もうどうしようもない何もできないタイミングだからこそ
「これから火葬だから」と電話してきたんだとわかってしまった。
…これは被害妄想なのか?
…だっていきなり死んだ訳じゃない。もう具合が悪くなって入院して亡くなった。
…いくらでも連絡するタイミングはあった筈で、私だっていくらでもなんとかしようがあった。
でも、もうどうにもできないタイミングで、知らせてきた。
これが悪意じゃなかったらなんだというんだ。
母親の汚い部分を新たに知ることはさすがにないだろうと思っていた
もう母親や父親に私の心が脅かされることはないと思っていた
今、マトモな感覚を持つマトモな大人にやっとなったのに、もうこんなことは受け止めたくない。
こんな思いをしたくない。
けれど私はまだまだ誰かのいらない人間で、失敗した人間で、なかったことにしたい人間なんだという事実がまたしてもここにある。
そして近い将来に必ずそれをまた突きつけられる。
私は、
これをなんともないことにして、なんともないように生きていくしかないのか
いつまで経っても…。