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『スティールハーツ』特務郵便配達人ヤン・デ・コポン

    #創作大賞2026 #エンタメ原作部門 #青年マンガ #映像化 #アニメ映像化 #映画ドラマ脚本用原作 #コメディアクション

    ■あらすじ

    古代飛鳥時代からの流れを汲む、もうひとつの郵便組織『特務郵便結社 八洲逓信局』。新人女性配達人ヤンは「街の安全と平和」のために「特務郵便業務」に精を出す。
    有力議員による犯罪を告発証言をする江藤浩三の娘・蘭が口封じのため誘拐された。相手は議員が雇った犯罪実行組織。だが偶然にも、同組織で蘭の弟・翔がこの事件に関わる。
    冷徹なバイオレンス兄弟、高速飛来する重装備ホバー強襲隊、超人的な斬れ味を誇る用心棒……。
    そんな敵勢力を相手にマシンナンバー79⁺¹の配達バイクを駆り、愛銃グロックと特殊義手『機神義肢』の力を駆使して、ヤンは蘭救出のために「実力を持って」これを行使するコメディアクションバトル。

    ※上記イメージイラストは生成AIミッドジャーニー使用。
     本文の企画構成、執筆は作者が作成。


    ■主な登場人物

    ヤン・デ・コポン(19歳):特務郵便結社『八洲逓信局』の公儀郵便配達人。「怖い顔」と揶揄されながら、おいしいものとかわいいものが好き
    邦泰(くにやす):通称ヤス。ヤンのパートナー。情報分析と通信を担当

    江藤蘭(20歳):ジャーナリスト志望の女性。浩三の娘
    江藤翔(17歳):蘭の弟。犯罪組織『ブラックマター』の受け子として働く
    槍杉議員:地区で顔の利く有力議員。
    井原兄弟:実行組織『ブラックマター』トップ。街の顔役に
    江藤浩三:蘭と翔の父親。新開発建設課の課長
    トヨ婆ちゃん:江藤家の祖父。ヤンと仲良し

    ソードマン:ブラックマターの上位組織で、ヤンたち八洲逓信と敵対する用心棒(マッスル)。右腕に突き刺された剝き出しの刃を持つ。
    (※本文 約28000文字)


    本編


    ■第1章:ハンコ貰うまで帰りません! 公儀配達人ヤン登場

    1871年。この年、それまで日本、特に江戸時代の情報網を支えてきた飛脚制度から、明治政府によって国家事業として再編導入されて我が国の郵便制度が誕生した。民営化、そして半官半民化を経て『新にっぽん郵便(NNP)』に改名改革され、郵政事業は2030年の現在に至っている。

    しかし、多くの人々は知らない。
    実は日本の郵便組織には、もう一つの流れがあったことを……

    『郵便特務結社 八洲逓信局』

    1500年以上もの昔、飛鳥時代から源流を持つ「もう一つの郵便組織」は全国の新にっぽん郵便局と処を同じにしながら、他の職員とは異なる郵便業務に日々勤しんでいた。

    『公儀 特務郵便配達人』

    この肩書きを背負った女性郵便屋ヤンは、『臙脂の魂』こと臙脂色ジャケットに袖を通し、特殊改造を施されたマシンナンバー79⁺¹・125cc配達バイクで街を駆け抜ける。

    ×       ×       ×

    「ごめん、おばあちゃん。手ぶらじゃ帰れないんだ、俺ら。あとでめちゃ怒られるから」

    つい先程まで平和だったある家の中は平和ではなくなっていた。その戸建て一軒家のリビングには靴を履いたままの2人の男たちが、老婆と男の子を見下ろしていた。
    『犯罪刑事課』と印字された身分証カードを首にぶら下げている男は、ダクトテープで口と両手首を固定された男の子と老婆を交互に見た。

    「もう許して、これで全部なの、お願い」

    クレジットカードを3枚、男に差し出した老婆は涙を浮かべて懇願した。だが、身分証男は不満げな顔を拘束された男の子に向けた。

    「この子がなあ〜、余計なこと言わなければうまくいったんだよ。カード貰えてりゃすぐ帰ったんだよな。でも、邪魔されちゃったからなあ」

    身分証男に乗っかる形で共犯の少年が声を荒げた。

    「まだあるんだろ、もっと出せよ金」

    身分証男は床に放り出されているランドセルの中身を漁り始めた。教科書、ノートを引っ張り出して舐めるように見回し、

    「ふ〜ん、るか君って名前なんだキミ。ねえ、るか君」

    少年に首を押さえつけられ、るかは悔しさからか目から涙が滲んでいる。

    「ちゃんと、撮っとけ」

    少年は言われた通り、るかを膝で押さえつけながら急いでスマホで、るかの顔や名前を撮り始めた。身分証男は穏やかな口調で老婆に告げた。

    「逃げても無駄だから。他の人に話したり警察に行ったら、わかってるよね? また来るよ」

    震える老婆はうっ、うっ、口を噛み締めることしかできずにいた。

    その時だった。ピンポーン。誰かがきた。インターフォンが鳴るが、みな動けずにいた。
    ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン!とその訪問者は乱打した。

    「郵便で〜す、ハンコお願いします」

    すっとんきょうなかけ声が聞こえた。

    「なんだ、郵便かよ」

    声は出すなよ、と身分証男は全員に目配せした。
    ダンダンダン! 猛烈にドアをノックする音が響く。

    「いるんでしょ、いるのはわかってるゾ、ハンコください〜。ハンコもらうまで帰らないからね〜」
    「妙な郵便屋だな。おい、インターフォンに出て帰らせろ」

    身分証男は老婆を立たせ、インターフォンを取らせた。
    モニターに映ったのは女性の郵便屋さん。白いヘルメットで顔はよく見えないが長い後ろ髪が印象的だ。老婆はか細い声で郵便屋さんに話し始めた。

    「あ、あの‥‥‥今、出れないんです」
    「別にいいですよ、ハンコもらったらすぐバックれますから」

    会話が噛み合ってない。睨みをきかせている身分証男が老婆に小さく首を振る。

    「あの、本当にごめんなさい。今出れないので」
    「‥‥‥そうですか」

    モニターの中の女性郵便屋は、くるりとドアに背を向け立ち去った。
    老婆は力なくインターフォンを置いた。少しホッとした身分証男は、ほらと老婆の肩をこづきリビングへ歩かせた。
    が、その途中、ジジジ、ジジジ‥‥‥。
    ん? 玄関から何か音が聞こえてきた。

    「‥‥‥何の音だ?」

    身分証男は音がする方向を見た。よく見ると、玄関のドアノブの周りにバーナーで焼かれたような小さな火花が飛び散り、四角形に移動していた。綺麗に切断されたドアノブがコロンと玄関の床に落ちた瞬間、ドアがガンと足で蹴飛ばされ郵便屋が入ってきた。

    「郵便です、ハンコお願いします!」

    唖然と身分証男と老婆は見つめるしかなかった。
    のっしのっしと家に上がり込むその女郵便屋は、玄関から廊下に上がる際に一瞬、靴を脱ごうか逡巡した。

    「ヤン、『郵便中』は脱がなくてもいい。そのまま上がれ」
    ヤンと呼ばれたその郵便屋のヘルメットから通信が聞こえた。その声に従い、土足で上がった。ズカズカズカ。
    身分証男は突然の展開にまだついて行けていなかった。

    「アンタ誰?‥‥‥いや、オレたちはこのウチの家族で――」

    そう、とぼけようとした身分証男が全部言い終える前にヤンの踵蹴りがスパッと走った。
    べキッツ! 身分証男の余裕は完全に消えた。彼の膝は逆向きに折れた。

    「ゔ、ゔゔ‥‥‥」

    予想しなかった衝撃が走った男は声にならないうめき声を漏らしながら床に崩れた。
    唖然としている老婆を横目に、女郵便屋はそのままリビングに入った。
    その状況にようやく追いついた少年は、腰が引けながらも女配達員に飛びかかった。
    だが、一、二歩助走つけたヤンの飛び膝蹴りが少年の顔面にカウンターでクリーンヒット!その勢いで少年は窓ガラスを突き破り、庭に吹っ飛んでいった。ガラスの破片で顔や腕を切った少年だが、痛さよりも恐怖が優先したのか、顔を押さえながら逃げていった。
    女郵便屋は動けずにいた男の子の拘束テープを剥がした。そして、軽く頭を撫でた。

    「あ、あの‥‥‥」

    まだ自体が飲み込めない老婆は女郵便屋さんに何を聞いていいかわからずにいた。
    彼女は、腰に装備していたテープを取り出すと、口、両手、両足と身分証男を手際よく折りたたみ「梱包」。そして最後に分厚い段ボール箱に入れ封をした。
    作業完了後、2人に告げた。

    「公儀 特務郵便配達人ヤン・デ・コホン、作業終了、集荷します。問題なければサインを」

    ヤンと名乗ったその郵便屋は臙脂色の伝票用紙を2人に出してサインを促した。答えられずにいる2人にヤンは付け加えた。

    「あ、このあと警察に通報、届出をおすすめします」

    ヤンは梱包された段ボール箱に配送シールをバンと貼り付けた。
    そしてラストに決めセリフを忘れなかった。

    「真幸くあれ」




    ■第2章:特務郵便結社 八洲逓信局

    郵便配達を終えた赤いバイク集団が郵便局に続々と帰局してきた。その中に臙脂色の配達車両を伴ってヤンのバイクもあった。
    郵便局内の地下駐車場に入るとヤンたちは、他の職員たちとは違う搬入口に向かっていった。そこはまるで空母の格納庫を彷彿とさせる造り。ヤンと配達車はその空間に入ると分厚い扉がゴンと閉じた。
    ヤンたちを運ぶデリバリーシステムが垂直、水平にと何回か動き扉が開くと、そこにはまるで秘密基地。モータースポーツのメカニックルームを彷彿させる空間が広がっていた。
    上方から迫る巨大アームがヤンの配達バイクを掴み、移動させていった。これから整備に回されるのだ。実はヤンのバイクは極度にカスタマイズされている。
    排気量は125ccだが、特務に耐えうるよう調整され、タイヤに足回りも強化だ。
    だが、それ以上に「機密」がヤン着用のヘルメットにある。
    各地の天候地形、交通状況から政治経済情勢、各国要人や重要人物の位置情報から銀行口座に決算書、ネットでの書き込みから小学生の時の作文までリアルタイムで表示と解析が可能なのだ。郵便業務の遂行中、瞬時に高度な判断と作戦遂行をするための「走る情報機関」である。そのソフトプログラムコード数は約1200万行で最先端戦闘機なみ。ちなみにスペースシャトルが宇宙に出て帰還するまでのコードは約40万行であることを考えるとその緻密さ、量に圧倒される。
    ヤンはピットクルーに自身のヘルメットを預けると、クルーは専門工具で微小なチップを取り出しヤンに渡した。その後ヘルメットは専用保管庫に収納される予定だ。
    ヤンはバイクとヘルメットの引き渡し完了を示す書類にサインした後、クルーにうながされる。

    「このあと、世情監察局に回って『御用伝達』しておいて」

    言われた通りヤンは作業報告のため、チップを手に移動エレベーターに乗り込んだ。
    扉が閉じる前に、配達車の後部扉が開かれ、先ほどヤンが『集荷』してきた段ボール箱も荷下ろしされ、クルーに運ばれていった。

    ×       ×       ×

    ヤンが乗ったエレベーターは地下8階を目指しつ進む。建物はガラス張り構造なため各階フロアの様子がしっかり見える。誰が何をしているかオープンなのだ。九百路局、信書保安局、情報解析局、通信防衛局、車両整備局、資材局、特機開発研究局、武術研鑽局、など多岐に渡る。
    『高貴な鹿』の紋様が描かれた移動エレベーターの扉が開き、ヤンは世情監察局に向かった。

    「第3級信書執行官 ヤン・デ・コポン。これより本日の『御用伝聞』報告を始めます」

    ここでは正式な役職で名乗る必要があった。特務結社八洲逓信では毎日の『特務郵便業務』が正しく行われたかを確認するのだ。
    「第3級信書執行官(通称シカ3)」とは現場での実務遂行担当。必要に応じて「実力」を持って事に当たる。そのヤンは「観聞奏議司(通称ウマ)」という同局の情報分析官とコンビを組むのである。シカとウマはワンセットの立場だ。
    ヤンのウマ、邦泰(くにやす)はヤンから手渡されたチップを機器に読み込ませて、データを照合する。データには現場の撮影データも含まれていたので邦泰は動画を再生しながらヤンの『御用伝達』報告に耳を傾ける。

    「本日15時38分、第3エリア『2三』地区で犯罪捜査課の刑事を名乗る男と共犯の少年の2人が72歳女性からクレジットカードを盗む計画を実行。しかし、帰宅した10歳小学生男子が不審に思い女性に忠告、2人組は逆上し、家内に立てこもり過度な金銭を要求。報告を受け自分が現場に急行、咎人1人を『集荷梱包』、残る共犯の少年1人に打撃を与えたが、そのまま逃亡。自分は応援を呼び、局まで輸送。伝達以上」

    邦泰は、各種データを見比べてから、

    「確認した。伝達報告と相違無し。問題なし。こちらでも確認したが、まあ当然だが、警察の身分証は偽称だ。今は簡単に作れるからな。本件の指示役の方は最近活発な犯罪実行グループ『ブラックマター』だな。ただし実行役の2人は使い捨ての下っぱだ」

    ヤンは一応、聞いてみた。

    「ねえヤス、逃げた1人は追わなくていいの?」
    「身元は特定してる。ウチは警察じゃない、あとは署管轄に回す」

    邦泰は慣れた手つきで報告データをまとめ、アップロードした。

    「あとさっき、集荷したあれって、このあとどうなるの?」
    「処理班がやる。任せておけ」

    知らなくていいってこと? ヤンの頭の上にはてなマークが浮かんだ。

    「おまえ、ここに配属されてどのくらいだ?」

    邦泰は、怪訝そうにヤンに聞いた。

    「先月‥‥‥、まだお給料もらってない」
    「そうか、ならひとつ教えておく。特務郵便中は家の中でも靴は脱がなくて大丈夫だ」
    「あ、そう‥‥‥」

    ヤンが聞きたい答えではなかった。
    察した邦泰が逆にヤンに聞いてみた。

    「まだ、慣れないか。他に確認したいことはあるか?」
    「ひとつある。終わったあと、いつもみんなポカンとしてるの。今日もおばあさんもちびっ子さんも、ずっとあたしのこと見てた。喜怒哀楽のどれを出せばいいのかわからないみたいに何も言わず。だからあたしのこと、説明するの毎回面倒くさい」
    「で、いつもなんて説明してるんだ?」
    「『通報しないとみんな来れないから、代わりに来た。お得ですよ』」

    ヤンよりも勤務歴が長い邦康はやれやれと肩をすくめた。

    「つか、もっとあたしたちのこと、もっと知られれば、やりやすくなるんだけど」

    邦泰はヤンの目をまっすぐ見て告げた。

    「なあ、ヤン。俺たちの仕事はなんだと思う?」
    「『クソやろーの膝を蹴り抜くこと』」

    ヤンは即答した。

    「違う、俺たち八洲逓信は『蒼生万民の平和、安寧』のためにある。そのために『咎人』から民を守る。永年そう祈り願っている方々のために動くんだ」

    そういえば、そんなこと訓練の時にも誰かが言ってたな。ヤンは当時の記憶を反芻していた。

    『郵便特務結社 八洲逓信』
    明治時代に確立された日本の郵政3事業(郵便・貯金・保険)。それと同じ管轄内に所属しながら完全な独立組織として運用されてきた特務機関、それが八洲逓信である。

    その起源は約7世紀、飛鳥奈良時代にまで遡り、時の施政者たちによって「世の安寧」を大願として結社された。その主目的は「豪族、権力者、富裕者におもねず、「市井の人々」を守ること」。

    最大の特徴は『地域超密着ネットワーク』にある。
    新にっぽん郵便の一般職員本人達は全く知らされていないが、郵便配達時にバイクと配達員に計6つから8つの極小カメラと各種センサーが常時装備、街の細部と深部がリアルタイムでチェック可能。郵便配達・集荷作業を通して他組織に比べ「より踏み込んだ」調査、取り組みが可能なのだ。

    現在、日本の巨大企業群や各種組織も詳細な管理データを持っているが、より街に、より人に密着した生きたデータを持っているのは日本各地に点在する郵便組織が圧倒的だ。
    ただし、これを閲覧分析できる権限は唯一、八洲逓信のみであり、各郵便組織では閲覧不可である。そして司法はもとより各省庁、政府の強い要請であってもこのデータは提供されず、他者に犯されない特権を八洲逓信は持つのである。

    その理由は、
    「全ては『蒼生万民』の平和、安寧のため」

    報告を終え、世情監察局を出たヤンは、そういえば、もうじき初のお給料が支給されることを思いだし、買い揃えたかったキャラ弁の具材をどこで買おうか思案し始めていた。




    ■第3章:消える娘 事件のはじまり

    街の古びた木造の駄菓子屋に夕暮れの日が差し始めた。
    自転車に乗ってヤンが帰宅した。住まいはここ、築50年の駄菓子屋を格安で譲り受けている。

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    イメージイラストはすべて生成AI「ミッドジャーニー」で作成 ※本文は作者作成

    「あら、ヤンさんおかえり〜」

    駄菓子屋の中から出迎えてくれたトヨ婆ちゃんと飼い猫ミケの声がした。

    「お、お婆さん、ミケさん、‥‥‥ただいま」

    店の真向かいの家、江藤家に住む江藤トヨ婆ちゃんはヤンの留守中に店番を「勝手に」引き受けてくれるご近所さん。もちろん、駄菓子なんて一個も売れないが、トヨ婆ちゃんとミケはこの店にいる時間が好きなのだ。
    店自体は古びているが中も外も綺麗に履き清められている。トヨ婆ちゃんが毎日掃除をしてくれている。暇を見つけては庭の掃除や手入れまでしてくれているのだ。
    そのせいもあって、ヤンは自分の家なのに毎回恐縮だった。

    「今日も『お仕事』ご苦労さま、これまた作っておいたよ。お腹空いたら食べえや」

    トヨは小さめの重箱をヤンに手渡した。

    「こ、これは、おはぎさん♡」

    同僚たちからはいつも『怖い顔』と定評のあるヤンの顔は綻ぶ。

    「ヤンさんはきな粉と胡麻とあんこ、どれが好きだったかな。悪かったね、忘れてしまったんで3つとも入れたんじゃが、大丈夫だったかい?」

    ヤンは『全部好き!(本心』の気持ちを込めて親指をグッ!と立てた。

    「おばあちゃん、おばあちゃ〜ん、まだいる?」

    外からトヨ婆ちゃんを呼ぶ声に出てみると、それは20代くらいの女性、江藤蘭だ。

    「ああ、蘭。ヤンさんは会うの初めてだったかい? あたしの孫娘の蘭だよ」

    「こんばんは〜」

    明るく快活な江藤蘭の挨拶にヤンは軽く会釈した。

    「蘭、これから出かけるのかい?」
    「うん、大事な取材が今入ったの。今日じゃないとダメって言うから行ってくる」
    「気をつけてね」

    わかった〜、と蘭は手を振りながら、スクーターを走らせていった。

    「張り切ってやってるからいいんだけどね。無理しないといいけど‥‥‥」
    「何かあったの?」

    ヤンは大好きなご近所さんを気遣った。

    「ん、あの子はいい子だよ。明るくて家族思いで」
    「取材って、記者さん?」
    「じゃーなりすと? とかになりたいんじゃて。まだ見習いだけど頑張ってるみたいだよ」
    「ああ、ジャーナリストさん。じゃあ悪いヤツを調べたりするのかな」
    「父親譲りで正義感が強い子だよ。でも、頑張りすぎなきゃいいんじゃが」

    他人の家の事情なのでヤンはそれ以上聞かなかった。
    ただ、走り去る蘭の顔、左頬の大きい裂傷はヤンの目に残っていた。

    トヨが帰宅し1人になった時間をヤンは愉しむ。熱いお茶を用意してから、もらった重箱の蓋をゆっくり開くと3色のおはぎが詰まっている。

    「きな粉さん、胡麻さん、あんこさん‥‥‥」

    ヤンはまずはきな粉を口に入れいただく。

    「きな粉さん、おいし‥‥‥」

    ヤンは多幸感に溢れた。まだきな粉の味が残っているにもかかわらず、次の胡麻に気持ちは飛んでいた。

    ×       ×       ×

    夜、午後19時30分。暗くなったが、まだ寝る時間じゃない。ヤンは洗った重箱を返すために江藤家のチャイムを鳴らした。
    だが、返事がない。数度鳴らして待った後ドアが開いた。
    出てきたのはトヨではない。高校生くらいの男子がムスッとしたまま、何も言わずヤンの前を通り過ぎ、出かけていった。

    「翔! ちょっとお待ち」

    少年の後を追いかけてトヨ婆さんが玄関に出てきた。
    その時、少年の後ろ姿を見かけヤンはあっと思い出した。

    「もしかして、昼間のヤツ?」

    今日、警官と偽って高齢者からクレジットカードを奪おうとした男の共犯で逃げた少年だった。ヤンは後を追うか一瞬迷ったがウマの邦康が、あとは所轄に引き継ぐと言っていたことを思い出しやめた。

    「あの子ったら……」

    トヨはため息をひとつついた後、翔と呼ぶ少年のことはいったん置き、ヤンと向き合った。

    「あの、これ。ご馳走様です。おいしかったです」
    「まあまあ、明日でもよかったのに。ヤンさん、わざわざありがと」

    そういうトヨの顔は冴えなかった。
    すると、家の奥から女性の声で口論のような強い声が聞こえてきた。「委員会」「証言」「あなたは、蘭のことが心配じゃないの?」といった話の断片がヤンにも聞き取れた。

    「すまないね、ウチの息子夫婦が騒がしくしちゃって」
    「お婆さん、何があったの? 蘭さんって聞こえたけど‥‥‥」

    聞いてしまったものは仕方がない、ヤンは思い切って質問した。
    トヨの顔は曇った。何かの言葉を飲み込んでいるように見えた。

    「トヨさん、トヨさん!」

    そこにもうひとり、近所のよし子おばさんが小走りでやってきた。

    「よし子さん、どうしたんだい?」
    「あたしさっき、蘭ちゃんが黒い大きい車の中に大勢で無理に乗せられたところ見たんだけど、大丈夫だったかい? 気になったから声かけようとしたけど、その車は急いで行っちゃったから。蘭ちゃん、もう帰ってきたかえ?」

    足の力が抜けたトヨは震えながらその場にしゃがみ込んでしまった。
    その姿を見た瞬間、ヤンのスイッチが入った。くるっと踵を返し、江藤家を後にするとヤンはケータイでどこかに連絡をとり始めた。ちなみにヤンたち特務郵便屋は連絡用に八洲逓信で独自開発したガラケーが支給されている。使用電波も独自回線だ。

    「ヤン、どうした? 営業時間外だぞ」

    パートナーのウマこと邦泰が電話に出た。

    「大至急調べて欲しいの。『江藤蘭』さんって子。何かあったわ」
    「これは正式な要請か?」
    「本局に『緊急見聞目録提供』の要請を」

    シカこと特務郵便配達人であるヤンはこの情報提供の要請を出せる強い権限を持っている。そのため、ウマは応えなければならない。

    「‥‥‥わかった、精査してこちらから掛け直す」

    ヤンは急ぎ駄菓子屋に戻った。

    ×       ×       ×

    「まさか、ご近所でこんなことがねえ〜」

    約10分後、邦泰から『見聞目録』の情報が届いた。
    だが、その声は『ヤン、お前今まで気がつかなかったの?』とでも言いたげだった。
    ヤンは居間で軽量携帯タイプの極薄タブレットで届いた画像と音声をチェックしている。
    邦康は情報提供を始める。

    「江藤蘭20歳。そのおばちゃんが目撃した通り、今日の午後17時48分、お揃いの黒いジャケット姿の2人によって身柄を拘束され黒のワゴン車で移動。こいつらは今日話した『ブラックマター』の幹部たちだ。取材を口実に蘭を呼び寄せたことも確認すみだ」
    「結構、手が込んでるね」
    「午後19時15分、江藤家に電話が入る。ちなみにその15分後お前が江藤家に来訪する」
    「で、電話の内容は?」
    「その前に状況説明をする。江藤浩三48歳。蘭の父だ。今度新たに官民合同による数百億円規模の都市開発が決まったんだが、江藤浩三は行政側の開発建築課の主任だ。明日午前に議員主催の調査委員会で証言する予定だった」

    ヤンはまだ事件の全体像が把握できない。

    「その誘拐された蘭さんと調査委員会での証言は関係あるの?」
    「ああ、結論を言うと賄賂がらみの汚職だ。工事費を必要以上に大幅に嵩上げしてその差額をキックバックさせる。数十億単位だ」
    「首謀者は誰?」
    「槍杉議員56歳。政党内で強い影響力があり、現知事とは大学の先輩後輩の関係。議会・建設会社・役所に働きかけ、分け前与える代わりにこっちに賄賂をということだな」

    ヤンは槍杉の顔写真を見ながら『わかりやすいくらい悪そうだな』と感想を持ちながら聞いていた。邦泰は続けた。

    「建設会社との契約内容や入札基準に問題があって、蘭の父、江藤浩三は疑義を持ち、自ら告発と言う形で証言に立つ予定だ。いわゆる『不正は許さない漢』タイプだな」

    ヤンは先ほどトヨが言った「蘭は父親譲り」の意味を理解した。

    「なるほど、じゃ、今回の誘拐は『証言の口封じに娘の蘭さんを人質にした』で合ってるかしら?」
    「槍杉議員のスタッフがブラックマターのリーダーに依頼電話している。通話記録も確認済みだ」

    ヤンの頭の中で、関係者一同の利害関係がつながった。

    「『明日の調査委員会を欠席。一生口を開くな、顔出すな』が蘭って子の解放条件だ」

    邦泰の報告を聞いたヤンは力強く言い放った。

    「確認するわ、つまり『あたしの大好きなお婆さんの孫さんが、クソやろーに勝手に連れて行かれて、クソやろーは偉そうに命令してる』ってことでおk?」
    「要約すると、そうだな」

    ヤンの肚は決まった。

    「なら、蘭さんの場所もそいつらの居場所もわかってるんでしょ、どこ?」
    「特定済みだ。‥‥‥ヤン、やるのか?」

    ヤンの顔は特務郵便時に見せる『いつもの怖い顔』に変わり、そして明快に言った。

    「委細承知!」

    ×       ×       ×

    ヤンは手首の端末を使って信号を送った。
    その信号を受けて、八洲逓信内の格納庫が開き、ヤンのバイクのエンジンが点火する。もちろん全自動。デリバリーシステムが稼働し、ロボットアームでカタパルトまでバイクが移動した。
    発射! バイクは3階の射出口から大きく飛び出した。路面に綺麗に着地し、法定速度を少し超えてライダーのもとへ駆け抜けた。

    5分後、ヤンの元にバイクが到着した。車体に小さくマークされた『79⁺¹』のロゴが眩しい。高精度GPSによりセンチ単位で発信者の元に安全に自動走行が可能だ。これも八洲逓信の独自開発技術のひとつだ。
    ヤンは後部の荷物ボックスを開き、底板を外すと中には愛銃グロック17と同マガジン2本が収納されている。17発装填可能の拳銃で実弾だ。ヤンはグロックの初弾を込めて腰のホルスターに入れた。
    そして、さらにボックスから小型エネルギーパックを取り出した。ヤンは通常右手は黒手袋をしているが、その理由は外した時にわかる。
    義手なのだ。ただの義手ではない。
    『高度戦術義肢兵装』
    「Adaptive Reaction eXoskeletal System(適応反応型外骨格システム)」を採用したコード名『機神義肢(キシンギシ)』を装着している。主な性能や特殊能力は物語が進むのちにわかるだろう。
    ヤンはエネルギーパックを右手に差し込むと起動音と共に新たに各種センサーが発動する。これはヤンにとって戦闘開始の合図なのだ。

    「ひとつ言っておく」

    邦泰はウマらしく忠告を忘れなかった。

    「ヤンの実力なら連中を制圧するのは問題ないだろう。だが今回は『後ろ盾』が来るかもしれない」
    「誰さん?」
    「この仕事をやっていれば、いずれかち合うことになる。そいつらはナイフやスタンガン振り回すような優しい相手じゃない。平時は議員やブラックマターたちにやらせて裏に控えている。滅多に表に出てこないが、今回は後始末をしにくるかもしれない。」
    「『大物さん』ね。それとも『ラスボスさん?』」
    「今案件に正規の応援は出せない。営業時間外だからな。ヤン、確認する。それでいいのか?」
    「委細承知」

    ヤンは短く答えながら右手に手袋をはめる。

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    イメージイラストはすべて生成AI「ミッドジャーニー」使用。※本文は作者作成

    郵便配達用のジャケットは実はリバーシブルで裏表を逆にすると『高貴な鹿』のマークとともに臙脂色の生地になる。臙脂の魂。「臙脂に袖を通す」。
    特務郵便配達人にとってそれは後には引かない「業務遂行の意思」の表れなのだ。
    ヤンはヘルメットを被りながら、最後に邦泰にこう告げた。

    「『みんなさんの幸せを守る』。それがあたしたちの仕事なんでしょ。それに‥‥‥」
    ヤンは思い出すようにこぼした。

    「お婆さんのおはぎさんは、やわらかかった」

    マシンのアクセルをふかすと、高回転型エンジンが甲高い音を立てた。

    「『公儀郵便配達人 ヤン・デ・コポン、これより『郵便配達』に向かう!」




    ■第4章:裏切りの代償

    江藤翔は指定された住所に到着した。
    「ここの住所にこい」
    彼にとって『恐ろしい上司』に当たるブラックマター幹部から受けたスマホのチャットには逆らえない。高校生の彼は少しまとまった金が欲しかったが、それ以上に一度彼らの『仕事』に手を貸すと怖さが手伝いチームを抜けられなかった。
    翔はヤンに蹴られた際に負ったガラス破片で切った細かい裂傷のヒリヒリした痛みを抱えながら辺りを伺った。

    そこは槍杉議員の個人事務所前。翔はその建物の構造が一瞬、いかにもの極道の事務所に見えた。そばに黒いワゴンが停車しており、ドアが開くとお揃いの黒ジャケット姿の男が2人降りてきた。
    共に筋肉質の首と腕に炎らしき派手なタトゥが見える。
    翔は黒男たちに近づくと、1人が翔に声をかけた。

    「昼間、BBAからカード盗れなかったんだって?」
    「あの、‥‥‥」

    すみません、と言う前に翔の腹に突き抜けるような衝撃が走った。もう1人の黒男、井原弟が腹にキツイ一撃を入れていた。
    『躊躇なく、破れた瓶で人の横っ面を殴れる男』それが井原弟だった。
    うずくまる翔を見下す、獰猛で目力の強い男、井原兄が翔に耳打ちした。

    「悪いな、弟は手が早くてなあ。話があるからこっち見ろよ」

    翔は腹の底から込み上げる苦しみと恐怖で顔を上げることができなかった。

    「『こっち見ろ』って言ったよな、俺?」

    井原兄の言動は刃物のような緊張感があった。
    井原兄弟は別称『胃腹兄弟』とも言われている。格下相手を威圧支配し恐怖でコントロールする術を知っている。腹を痛めつけられた者は痛み苦しみと共に屈辱感、無力感に支配される。二度と敵わない。
    かつて、プロ組織、敵対チーム、外国人マフィアとも抗争を続け生き残ってきた彼らが作ったブラックマターというチームはただの犯罪グループとは一線を画す力があるのだ。その力を使い、徐々に大口の『仕事』を処理しながら稼げる力、資金力も身につけ、名実共に街で強い影響力を示し始めていた。
    その力に惹かれた翔は参加し続けたが、まだ力不足で認めてもらえていない。
    翔は恐る恐る井原兄に目を向けた。

    「逃げたのはいいよ、全然いいよ、そんなもん代わりはいるし。けど仕事できねえんじゃ意味ねえだろ。稼げねえなら、お前ん家に行って稼ぐぞ。んん゛?!」

    翔は首を振ることしかできなかった。

    「で、今日これから『仕事』あるけど、お前どうする?」

    翔は絞り出すような声でかろうじて答えられた。

    「‥‥‥や、やります。やらせてください」

    ふ〜ん、とひと言漏らした井原兄は、来いよと促す。
    井原兄弟と翔、そしてそばに控えていた薄汚れた中年のGパン男の4人は議員の事務所の中に入った。

    事務所スタッフに通されて4人は会議室に向かった。
    その中の光景を見て翔は驚いた。会議室は絨毯にソファ、高級ワインが並び、いかつい武者飾りが見下ろす空間だった。
    そこに男たちが数人、バカでかい声でガハハと下品に笑う。建物同様「いかにも」な風体に見えた。
    だが、翔が驚いたのはそこではなかった。男たちの真ん中に手足をダクトテープで縛られ、寝転がされている女性がいた光景だ。

    「‥‥‥ら、蘭?!」

    翔は思わず出そうになった声を押し込めた。
    そう、誘拐された翔の姉、江藤蘭はここに連れ込まれていたのだ。

    「なんで蘭がここに‥‥‥」

    翔は戸惑いと苛立ちが湧き始めた。

    「しかし議員、こんなことしたら訴えられますな〜」
    「あ゛訴える? やれるもんならやってみろ! 警察、弁護士、ここに連れてこい!」

    議員と呼ばれた男は品なく笑い捨てた。

    「まあ、これでうるさい江藤の奴は黙るしかないだろ。娘押さえたんだからな」
    「それでも委員会で証言されたらどうします?」
    「あ゛? そんときゃ口に札束喰わせて基礎工事で埋めてやる。娘も一緒にな。どうせそんなツラじゃ男捕まえられねえだろ」

    男たちの下卑た笑い声の真ん中で、蘭はテープで塞がれた唇を噛みながら必死に涙を堪えていた。
    おい、と議員の隣のやはりいかがわしい風体の男が井原兄弟に声かけた。

    「こいつを移動させろ。こちらから連絡するまで押さえておけ。手は出してもいい、好きにしろ。だが逃すなよ」

    いかがわしい男はそう言いながら厚い封筒を井原兄に手渡した。
    TV運搬用の大きい段ボール箱が用意され、井原兄は翔と薄汚れ中年Gパン男2人にやらせた。Gパン男は蘭の上体を翔は両足を持ち、段ボールに折りたたんで入れた。翔は涙で溢れる蘭の顔を見ることができず、顔を背けるしかできなかった。

    「運ぶぞ。お前たちはいいというまでその女の見張りだ。そのくらいできるな?」

    井原兄は2人に段ボール箱を車まで運ばせ、議員事務所を後にした。翔は、議員たちの下衆な笑い声が耳から離れなかった。

    ×       ×       ×

    大きく車体を傾けたマシンはヤンの膝を擦りながら高速で交差点を駆け抜けていく。現場へ急襲中のヤンはヘルメットの通信機能で邦泰と交信した。

    「ねえ、ヤス、ひとつ、聞きたいんだけど。蘭さんの顔の傷って、何の傷?」

    ヤンのヘルメットには現在の位置情報と別に蘭の顔写真が表示されている。顔の傷跡も。

    「ああ、彼女が小学生の頃、弟の翔が暴れた猛犬に襲われたんだよ。自分の体よりでかい犬に。で、弟を助けるために庇ったが、左頬と右腕を噛まれて20針以上縫うことになったんだ」
    「もしかして、弟ってあの‥‥‥」

    ヤンは昼間の出来事を反芻した。

    「昼間、カード強盗に失敗して逃げたガキ。あれが蘭の弟、江藤翔17歳だよ」

    ヤンはあいつもトヨ婆ちゃんの孫かと思うと少しやりきれなかった。

    「今は『ブラックマター』で汚れ仕事やらされているよ。父親の江藤浩三と折り合いが悪く、家から出たくて金を稼ぎたいらしい。だが、ブラックマターは身分証提出が義務だから家族も人質みたいなものなのにな」

    トヨ婆ちゃんがあまり自分の家にいたくない理由もそれかもしれない。
    ヤンは色々決着つけたいと考えながら、とりあえず現場に急ぐヤンだった。




    ■第5章:高層ビル急襲、空中追撃戦!

    邦泰が話した通り大規模な都市開発は始まっている。半径数百メートルの中に基礎工事が始まった箇所、取り壊し途中の箇所などが点在している。その一角に建設中の高層ビルがあった。足場が組まれ、静寂の中にライトアップされていた。
    時計は夜12時を回った。

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    イメージイラストはすべて生成AI「ミッドジャーニー」使用。※本文は作者作成

    建設中の高層ビル8階の一角、ブルーシートで仕切られた区画の中で蘭は身動きせずにうずくまっていた。ブルーシートの外で井原兄弟に後を託された翔ともう1人、薄汚れた中年Gパン男が待機していた。
    兄弟は先に引き上げていた。おそらく受け取った報酬で飲みに行っていることだろう。
    翔はシートをそっと少しだけ捲り、蘭の様子を見つめた。シートを握る手が僅かに震えている。

    「この仕事長いのか?」

    中年Gパン男が翔に話しかけてきた。

    「学生か、お前若いよな? 金に困ってるのか? 俺たちコレでいくら貰えるんだ?」

    翔はあまり話したい気分じゃなかった。

    「‥‥‥知らないよ」

    ふ〜ん、とこぼした後、中年Gパン男は続けた。

    「なあ、奢ってやるから缶コーヒー買ってきてくれねーか。大丈夫、ちょっとくらいココを抜けたってバレないって。行けよ」

    半ば強引に中年Gパン男から小銭を受け取った翔は持ち場を離れ、重い足取りで階段を降りた。1人になりたい気持ちもあった。
    翔は思わず頭をかきむしった。

    「まさか蘭がこんなことに。俺、どうすればいい?」

    気がつくとスマホを取り出していた。チャット、電話番号、思いつくままに答えを探すが何もが浮かばない。

    「くそ、ちくしょう〜」

    こんな時に頼れる人が1人もいない。これが今の自分なのか。翔は今までの自分が途端に虚しくなった。

    「蘭、俺どうすれば‥‥‥」

    その時、大きな物音が響いた。微かだが何かが聞こえた気がした。そのあと悲鳴のような声がした。翔は急いで8階に戻った。
    Gパン中年男がいない。あたりを見回すも気配がない。
    ブルーシートの中から呻き声が聞こえ、急いで翔は中に飛び込んだ。そこには馬乗りになったGパン中年男が蘭に覆い被さっていた。予想外の光景に翔は声が出せず固まっていた。

    「おい、見てんじゃねえ、さっさと出ていけ!」

    Gパン中年男の怒声が飛ぶ。

    「手は出していいんだろ。へっ、こんなことでもなきゃ俺たちゃ損な役回りなんだ。そんな顔すんな、後でお前にも順番やるからよ」

    Gパン中年男は蘭の顔を右側に捻り押さえつけると蘭の左ほほの裂傷が目についた。

    「ヘンッ! お前もこっち向かなきゃいい女なのによ。どうせこの顔のせいで男と縁ないだろ」

    蘭の顔に怒り、悔しさの涙が赤く充血した目に滲んだ。

    「ほら、醜いツラ向けるな。いい顔の方を見せろよ」

    その瞬間、翔の中で何かが弾けた。

    「うわああああああ!」

    Gパン中年男に目がけ、体当たりが決まった。もんどり打って3人は転がった。立ち上がったGパン中年男は愉しみを邪魔され、怒気に満ちていた。

    「やりやがったな、てめえ。あいつら兄弟に連絡してやるからな。全部お前が悪いってな。また腹殴られるぞ、いいんだな!」

    翔は自分よりも体格が上回るGパン中年男に飛びついた。

    「蘭を、姉ちゃんをバカにしやがって! お前なんかに、お前なんかにー!」

    翔はGパン男の腕の上から十数発もパンチを振り下ろす。だが体格差でひっくり返され、翔は顔を思い切り蹴飛ばされ動きが止まった。
    怒りが収まらないGパン中年男は床に落ちてた大きな瓦礫を拾い、翔に何発も打ち下ろした。ぎゃっ、とその度に翔の呻き声が上がった。
    だが、手足の自由が拘束されている蘭が翔に覆いがぶさり瓦礫打撃から翔を庇った。

    「女ぁ、お前は後で相手してやる。待ってろ」

    Gパン中年男は蘭の髪を掴んで翔から力づくで引き剥がし、最後の一撃を翔に加えようと尖った瓦礫を大きく振りかぶった。

    「まさかお姉ちゃんとはな。お前、大好きなお姉ちゃんさらったのかよ。『あのガキは怖くなって逃げました』。兄弟にはそう言っておいてやるよ。安心しろよ。お前の姉ちゃんは朝までちゃんと面倒見てやるから」

    クソっ、翔の目から涙がひとつ力なくこぼれた。

    「蘭、姉ちゃん‥‥‥」

    赤く泣き腫れ上がった蘭の目に絶望の色が広がった。
    その時だった。
    階段の奥から何者かが駆け上がってくる音が聞こえる。それも徐々に大きく近づいてくる。そしてブルーシートがめくれた次の瞬間、「臙脂色の光」が走った。

    グエッ! ヤンの駆るバイクが、勢いそのままGパン中年男に突っ込み大きく跳ね飛ばした。男は床を何回転もしながらぶっ飛んだ。
    改造バイクの野太いアイドリング音が小気味よく続く中、蘭と翔は何が起きたのかまだ飲み込めず唖然としていた。

    「公儀郵便配達人ヤン、現場到着」

    特務郵便のたびに名乗るのは一応規約である。
    手慣れた所作でバイクを降りたヤンは、ゆらゆらと立ち上がったGパン中年男に向かった。ダメージを受けても興奮状態の時はあまり痛みを感じないもの。手負いでもむしろ敵は後先考えず反撃してくることをヤンは知っている。
    Gパン中年男は鉄骨の棒を拾いヤンに殴りかかってきた。だがその瞬間は足に体重が乗り、隙ができやすいためヤンには絶好のタイミング。棒立ちになった男の膝をヤンは踵で蹴り砕いた。ヤンの得意技が決まる。
    グショ、膝が逆にへし折れたGパン中年男は呼吸困難になりそうなほどの息を詰まらせながらその場に崩れ動かなくなった。やはりケジメは大切である。

    ヤンは小型ナイフで蘭の拘束を解いてやると、蘭は真っ先にぐったりと動けない弟に駆け寄った。

    「翔、しっかり、翔!」

    顔を上げた弟は、虚な目で言った。

    「ごめん、ごめん‥‥‥」

    蘭は込み上げる感情が言葉にならず、弟を抱きしめて泣いた。

    「ヤス、とりあえず完了。応援が来る前に撤収する」

    ヤンはヘルメットの交信機能で邦泰に報告した。
    だが、邦泰から帰ってきた答えは、

    「待て、そちらに高速で近づく複数の存在があるぞ」
    「ヤスの方で視認できてる?」

    ヤンは腰からグロックを抜いて階段方向に注意を向ける。

    「この動き、車じゃないな。‥‥‥5、いや6つ、浮遊物みたいだ。ヤン、来るぞ!」

    次の瞬間、ビル外面に張られていた防護用ネットが一斉に燃えた。
    『敵』は空からやってきた。両手両足にホバーを装備した急襲隊が6人現れた。
    ヤンはグロックを向けるも、ホバー急襲隊は口径の大きめなラバー鉛弾を連射。薄いゴムに包まれた鉛弾は当たった鉄骨の柱を凹ませた。ヤンは身をかわしながら致命傷を避けた。
    工事建設中ビルの中でホバー隊4人が飛翔しながらヤンを追い回す。ヤンは鉄骨やブルーシート、小型クレーンの影を利用しながら、彼らのゴム鉛弾と火炎放射をかわすしかなかった。相手はかなりの実力者たちだ。追い込み役と先回り役をうまく使い分けてヤンを翻弄した。
    その隙に2名のホバー隊員が蘭の身柄を抑え、空中に舞い上がった。

    「蘭〜!」

    翔は宙に釣り上げられた蘭の体に必死にしがみついた。だがホバー隊員から放たれたラバー鉛弾が1発、翔の肩にめりこんだ。
    ぎゃっ!と呻き吹っ飛んだ翔は自分の骨が割れた音を聞いた。

    「翔〜!」

    蘭の身体は彼らによって運ばれていき、他のホバー隊員たちも後に続いた。

    「ヤス、蘭さん追うわ。いい?!」

    ヤンはバイクを始動させながら叫んだ。

    「こっちでもモニターできている、いけ!」

    ヤンはバイクのキーをさらに一段捻ると『通常配達』から『非通常配達』にランプ表示が変わった。それに伴い、エンジン音も明らかに変わった。トルクが太く力のありそうな音だ。ヤンのカスタムマシンの本領が発揮される。アクセルを吹かす右手に力が籠る。
    さあ、追跡開始だ。
    その前にヤンに懇願する翔がいた。

    「一緒に連れてって。お願いだ」

    翔の腕が負傷でブラブラしているのをヤンは見過ごさない。

    「先におうちに帰ってて。蘭さんはあたしが配達するから」

    翔はバイクのハンドルを力強く掴んだ。

    「蘭は、姉ちゃんは何度も助けてくれたんだ。今度は俺が‥‥‥」

    ヤンは、翔の目の違いに気づいた。詐欺の片棒を注いでいた時とは明らかに違うことに。

    「いいわ。でも振り落とされたらそこまで。拾わないからね」

    翔は小さくうなづき、ヤンの後部座席に座った。翔を乗せたヤンの配達バイクはホバー隊が飛び去った方向に急ターン、急加速した。
    ここは新開発エリア。建設中の高層ビルが何棟も続く。
    ヤンは階段を使わず、バイクで外へ飛んだ。地上8階だ。同乗した翔は何が起きているのか理解できなかった。
    隣のビルの7階部分に着地、そのまま真っ直ぐ、『最短距離』を駆け抜ける。
    工事建設中のビルの中は工具や鋼材、瓦礫の山があちこち点在している。その中を100キロ超えのフルスピードで突っ切る。
    三度ジャンプ。さらに隣のビルの6階部に着地。スピードは増しグングン加速していく。速度メーターは120キロから先は表示はなく針は振り切れている。
    ジャンプ! 今度はビルではなく建設中の大橋が見えた。
    綺麗に着地しながら、角度のついた橋をジャンプ台代わりに飛ぶ。
    見えた! 空中を飛行するホバー隊の横についた。ヤンは腰からグロックを素早く抜き、平行に飛ぶ隊員を撃ち抜いた。
    バイクが綺麗に着地し、代わりに2人のホバー隊員が地面に墜落した。残りは4人。

    ホバー隊の4人は2つに分かれた。蘭の移動役とヤン迎撃役に。
    迎撃役は蘭から引き離そうとヤンを別の軌道に誘導する動きを見せ始めた。さすがである。2隊は軌道を変えて飛行する。
    迎撃隊は火炎放射器の炎でヤンの走行軌道を変えさせ、予測先回りした地点にラバー鉛弾を撃ち込む連携を始めた。これはヤンにとってやられたくない戦法だった。
    開発地帯を走行するヤンの前には、資材の山、大型トラック、重機の数々が行手を阻む障害物と化していた。
    ヤンは一か八か、思い切った作戦をとる。
    火炎を狙い撃ちされる瞬間、急ブレーキ。ロックしたタイヤから煙が上がった。
    火炎ホバー隊員も急制動をとる。両手両足に装着したホバーのおかげで回転半径が小さく小回りが効く反面、短い時間だが一瞬動きが止まるのだ。
    その隙をヤンは見逃さない。急発進したバイクは瓦礫の山を駆け上がりジャンプ!
    火炎ホバー隊員にバイクごと体当たり敢行。炎が装置に引火し墜落しながら大爆発した。

    残る1人がヤンの背後に回り込み隙を伺う。
    ヤンは敵の照準を外すために蛇行しながら大きく前方にジャンプした。
    だが今度は目的が違った。ヤンは小型クレーンの脇を通りすぎながら鉤部分を掴み大きく振った。後から追尾してきたホバー隊員は鉤はかわせたもののワイヤーに引っかかり墜落した。
    これで残るは蘭を運ぶホバー2人。
    ヤンは遅れをとった分を挽回するべくマシンの速度を上げた。




    ■第6章:異形の水族館――罠と死のカウントダウン

    新開発区域の奥の方。ヤンはバイクを大きな西洋風の館の前で止めた。

    「ヤス、ここに入ったのね?」
    「ああ、間違いない。そこにいるぞ」

    ヤンはグロックのマガジンを新しく交換する。

    「先に言っておく、中にいるのは議員が雇った連中だけじゃない。『後ろ盾』もいる。ちょっと厄介だ」
    「それはさっきヤッてみてわかった。腕の立つ連中ね」
    「ヤン、武運を祈る。真幸くあれ」
    「通信は常時開けておく。『ヤス通信』、期待してるわ」

    ヤンは腕時計で現在『3時』を確認。

    「一応聞くけど、これからこの中は『修羅場』になるわよ。ここで待つ?」

    ヤンは翔に確認した。
    翔は負傷のダメージが濃く顔色が悪くなり始めていた。息が荒くなった声で翔は返した。

    「‥‥‥蘭を助けるんだ」

    翔は館の扉に向かった。
    この時だけ、ヤンは「怖い顔」が一瞬だけ消えて声をかけた。

    「じゃあ、みんなで無事に帰ろう」

    2人は館の扉を開き、中へ入った。

    ×       ×       ×

    その館は妖しくも美しかった。

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    イメージイラストはすべて生成AI「ミッドジャーニー」使用。※本文は作者作成

    暗い室内に壁一面、そして何十もの水槽の数々。青、赤、紫、間接照明の下に浮かぶ魚たち。
    だが、よく見るとその魚は異形の姿。頭だけ大きいもの、ツノが何十本も後から付けられたもの、不自然に魚体が凸凹なもの。鱗が何十色もあるもの。まるで改造でもされたかのような魚群が不気味にライトアップされている空間をヤンと翔はゆっくり進んだ。

    「全然可愛くないね」

    ヤンがポツリと本音を漏らしたとき、どこからか男の声が聞こえた。

    「鑑賞会に参加できず残念だ。だが、存分にコレクションを楽しんで欲しい。君たちが尽きる短い時間まで」

    ヤンは警戒した。館内放送でもない、無線でもない。なのになぜか男の声が聞こえる。

    「ここに来てもらったのは人質を返したくないからでもあるが、実は少し違う」
    「まわりくどいね、ストレートに言ったら」

    ヤンは自分の声が男に届いているかどうかは気にせず返した。

    「正直、俺たちが出てくる必要はなかった。この程度のことは普通、下請けで十分だしな。だが、今回は少し違う。これから先、君たちに何度も邪魔されたくないからね。少し俺たちの『力』を見せておきたい」
    「『下』が使えないと大変ね。あなたさんが『後ろ盾さん』かしら?」
    「ふふふ、奥にいる。ここまで来れたら話すよ。彼女も一緒にいる。できるだけ早くね。でも‥‥‥」

    そう男が言いかけた時、ヤンたちの前に行手を阻むものが現れた。

    「でも、まずはこいつらを相手してね」

    お揃いの黒いジャケット、黒のタトゥ。井原兄弟がこの館に来ていた。弟はゴツい革手袋を何度も合わせゴツゴツ音を鳴らしている。兄は後ろ手に何か隠している雰囲気がある。

    「ヤン、ブラックマターのリーダー、『井原兄弟』だ」

    ヤス通信が入った。

    「兄弟さんか、いいわね♡」

    ヤンはブーツから扇子を取り出し、2人に向かい真っ直ぐにかざした。

    「『修羅場』突入する!」

    どちらからともなく、距離が縮まった。戦闘開始だ。
    井原弟は大きな体格と筋肉質な腕を駆使して肉弾戦を狙ってくる。

    「ヤン、距離を取れ。奴の武器は――」

    ボディをかすめたパンチが1発柱に当たったが、大きな金属音と共に壁が削れた。どうやら手袋に固いギミックを仕込んでいるようだ。だが、ただの大振りではヤンには通じない。
    だが、その背後に抜け目なく回り込んだ井原兄はヤンに近づき仕掛ける。
    長めの刃物を仕込んでいる様子だ。すぐにまた距離をとりながら手を背中に隠すため、形状は正確にはわからない。この兄弟も連携プレイで来る。

    「その調子だ。死に物狂いでやれ。でないと『次』はないぞ」

    声だけの男は兄弟に脅しという名の発破をかける。
    チッと兄弟は小さく吐き捨てた。声だけ男と兄弟の上下関係は明らかなようだ。
    今度はヤンから動いた。狙いは弟だ。弟の重いパンチにヤンは扇子で合わせる。その扇子を軸に手首を捻ると弟は逆関節と取られ、もんどり打って倒れた。ヤン得意の扇子護身術だ。
    井原兄がその間隙をぬってヤンに斬り込むが兄が来るのは想定済み。ヤンは余裕を持って蹴りを放つ。

    「ウゲッツ」

    兄はまともに蹴りが入り吹っ飛んだ。ヤンが追撃を試みると、

    「行くな、何か来るぞ!」

    適度に入るヤス通信が危機を知らせた。まだ2人残っていたホバー隊が強襲する。1人は超低空、足を浮かせた状態でナタのような刃が長く厚みある山刀を振りかぶって突っ込んできた。
    ヤンは間一髪かわしたがキュッと小回り、即ターンで何度も切り掛かってきた。4つあるホバーを両足と腰に装着すると高く飛べない代わりに数センチ足が浮いた状態で高速移動できる性能のようだ。

    「便利だな、ウチでも採用を検討するか」

    邦泰は呑気に呟いた。
    もう1人のホバー隊員は飛行、頭上からラバー鉛弾を打ち込んでくる。ヤンに攻撃を絞らせない作戦のようだ。上から狙うラバー鉛弾を避けながら直進し斬りかかる山刀に対応する。さらに隙を見せると井原弟が鉛グローブで殴りかかってくる。

    「まずいわね」

    流石のヤンも分が悪くなり始めた。

    「そろそろペースを変えろ。お前ならできるはずだ」

    邦泰に促されヤンは意を決した。
    しっかり足を踏み締め、小刻みな呼吸をとり始めた。独特なリズムの息遣いだ。
    「カン・ソ・ホン・イ テンピン・ソワマ」
    「カン・ソ・ホン・イ テンピン・ソワマ」
    ヤンの目が徐々に据わり始めた。
    これはヤンが土壇場で見せる『気血の呼吸』。一時的に血流を活発にすることで、疲労・ダメージを急回復しつつ集中力が著しく上がる『気満(けみつ)』状態に入る。古来より伝わる、八洲逓信特務郵便員が本気で勝負を決める時の決戦仕様だ。

    山刀を振りかぶり地上ホバー隊員が高速直進。だがその姿はヤンの目には0.5倍速のゆったりに見えはじめた。
    その頭上にはランチャーを構える上空ホバー隊員の姿。挟撃の構え、しかしヤンは、

    「行けそう」

    一瞬で対応策を閃いたヤンは地上ホバー隊員に飛びつき、肩を踏み台にしてジャンプ。
    上空ホバー隊員に抱きついたヤンは手足に装着されたホバーの向きをあちこちに捻って見せた。当然バランスを失い挙動がおかしくなりグルグル回り出した。
    ヤンは組みついたまま、今度はホバーを一定の方向に向けると壁に向かって一直線に突撃。

    「グゲェ‥‥‥」

    鈍い音と共にホバー隊の顔が壁にめり込んだ。1人目、戦闘不能だ。

    「やっぱ使えるんじゃない?」

    ヤス通信からアドバイスが入った。
    ヤンは倒したホバー隊員から1つホバーを奪い取ると、突っ込んできた地上ホバー隊員の首に素早く装着した。次の瞬間、彼は検討はずれな方向へすっとんだ。首ごと引きずられて。これで2人目、戦闘不能。

    「あれ、兄弟さんはドコ?」

    井原弟はヤンがホバーたちとやり合っている間に携帯型の注射器を腕に当てていた。中の液体が彼の体内を駆け巡ると、恍惚な目に変わり、やがてそれは逆三角形、獰猛で理性を失った目に変わった。

    「ヤン、さっきとは違うようだ。油断するな」
    「承知」

    注射器を叩きつけ足で粉々にした井原弟は、血管が浮き上がった腕を存分に振り回しヤンに向かった。得意の悶絶ボディショットを狙い、ブンブンと鉛の拳を振った。その一発が大型水槽にブチ当る。
    べキッ! 1トン以上の水圧に耐える、厚み約2センチの特製ガラスに大きなヒビが入った。水がジョウロのように流れだし床に溢れた。ヤンのブーツにも水がかかった。
    ヤンは凄まじい破壊力以上に、特製グローブ着用とはいえ自分の拳がグシャグシャになる恐怖が完全に飛んでしまっていることに驚いた。彼が服用した薬効は間違いなくあるようだ。

    だが、依然ヤンの集中力も高い。
    激しく振り回されるボディショットをヤンは片手、手の平でスパンと受け止めた。刹那、井原弟の激しかった動きが止まった。もう片方の腕は空いている。だが打てない、動けなかった。
    ヤンの『集中』が井原弟の右拳から注がれる。どんどん絞り上げられ、薬効で感じなくなっているはずの軋み、痛みが井原弟を襲う。

    べキッ! 折れた。

    彼の腕は彼自身見たことない方向に曲がった。続けて膝を踵で蹴り折る。
    巨体を支えきれなくなり、崩れるところをヤンは顔面を自身の膝で蹴り抜いた。水飛沫が舞う。ヤン得意のコンビネーションが決まった。
    井原弟はゆっくり倒れ、水槽から漏れてできた水たまりに顔が沈んだ。
    3人目も戦闘不能。残りは‥‥‥、

    「すげーな。強えな、お前」

    ひとり残った井原兄は翔の首に刃渡り長いナイフの刃を当てて笑っていた。

    「本気」のようだ。浅いとはいえ翔の首は刃で切れて一筋の血が流れている。

    「俺たちはよ、いろんな奴らと戦ったしやばい橋も渡ったよ。けど、ここまで生き残れてきたのは『慎重』だからなんだよ」

    井原兄は人質をとったことで余裕が生まれたようだ。
    ヤンは静かに見つめた。

    「戦う気はねえよ。だから、わかるだろ? まずはお前、膝ついて座れよ。持ってる武器、全部床に投げろ。それから――」

    全部言い終える前にヤンのグロックが発射され9mm弾が井原兄の膝を撃ち抜いた。
    完全に予想外だった彼は、痛みよりも先に膝が折れ、床にひざまづいた。だが、かろうじて命綱であるナイフと翔は離さなかった。

    「て、てめえ、わかって――」

    2発目が同じ場所に炸裂する。実は人質にはあまり関心がないヤンだった。

    「グググゥ‥‥‥」

    声にならない声が井原兄から漏れた。翔はナイフを跳ね除け、井原兄を突き飛ばした。

    「わかっていたわ。弟さんは姉さんを助けるためならどんな目に遭ったって平気よ」

    井原兄は足を両手で引きずりながら、館の奥へ消えていった。

    「ヤス、後を追う」
    「了解」

    短いやり取りの後、ヤンと翔は井原兄が進む先に向かった。




    ■第7章:機神義肢vs魔剣の右腕――極限の「場取る(バトル)」決着

    館の奥はさらにグレードが高かった。床、天井、壁全てに巨大水槽が張られ、多くの異形な魚たちが回遊する。まるで広大な水族館か海底レストランのようだ。
    いや、「実験室」と呼んだ方がしっくりくるかもしれない。
    大小、数十本以上並ぶ試験管がぐるりと囲んだ薄暗い空間にポツンとひとつ照らされたライトの下に『声だけの男』がいた。解析モニターを睨みながら、作業机の上の実験用シャーレに目をうつす。

    2発弾を喰らった井原兄は膝をひきずりながら、その男の元にやってきた。
    瞳には怒りが滲んでいる。

    「おい、おい!」

    男は被験体から目を離さなかった。

    「ふざけんなコノヤロー、膝痛えじゃねーか! 見物してんな、あ゛! あとはてめーでやれ!」

    男の口元が緩フッと緩んだ。
    逆上した井原兄は長身刃渡りナイフを抜き、男に切り掛かった。
    刻同じくして、ヤンと翔がこの室内に現れたその瞬間、2人は見た。男の『右腕』が光ったこと。
    井原兄の自慢のナイフが真っ二つに斬れた。
    肉厚のある刃の破片が床に落ち、少し遅れて真っ二つになった井原兄も床に落ちた。
    翔は堪えきれずその場で戻した。

    「ヤス、デキるね、彼」

    ヤンは気持ちを入れ直した。ヤバい感触を感じているのだ。
    男は作業机から立ち上がるとヤンたちに死んだ魚のような口を開いた。

    「魚はいい。どれだけいじっても泳ぎ続ける。こいつとは違って」

    床に転がっている井原兄はすでに動かなかった。

    「なんでここに誘い込んだか、わかるか? ここは落ち着く。世界で1番落ち着くんだ、そぉ思うだろ? ここが俺の『場』なんだ」

    男は視界に広がる水のゆらめき、妖しい光と影、歪な回遊魚に囲まれ恍惚であった。

    「ヤツの『右腕』に気をつけろ」

    ヤンは邦泰のアドバイスに従った。何かが突き出ている。そう、右腕から日本刀の刃が飛び出ているのだ。
    正確に描写すれば、『誰かに右腕を刀で突き刺され、その刃が根本から折れた』形状だった。
    ヤンは見たまま素直に言った。

    「これから彼を『とんがりさん』と呼ぶわ?」

    絶望的にネーミングセンスはないヤンだった。邦泰は伝えた。

    「今、照会が取れた。ヤツは『ソードマン』、組織のマッスル(用心棒)担当だ」

    そのソードマンは何か言いたげだった。

    「俺たちは気が合う、なぜだかわかるか? 『バカが苦しむ姿を見るのが大好き』、そうだな?」

    ヤンは付き合う気はなかった。

    「それより聞きたい、蘭さんはどこ? あと、ワザワザあなたたちほどの実力者たちが出てきたのはなぜ? 人質とるだけならこんな派手にしなくてもいいじゃない」

    ソードマンはフッと顔を向けた。ヤンは同じ方向を見ると、なんと蘭の姿が水槽の中にあった。ボンベとゴーグルはついているものの、手足を拘束されて魚たちと同じ水槽の底だった。

    「ボンベのタイプから酸素は持って30〜50分。しかも時間はだいぶ経ってるぞ」

    ヤス通信はまず状況を整理した。翔は蘭の姿を目にするや落ち着いてはいられなかった。

    「今回、俺たちがなぜ戦力を連れて介入したか? あの議員レベルが雇えるプロ、専門家なんてたかが知れている。小銭稼ぎ程度ならそれでいいだろう。だが、それでは困る。今回は『見せしめ』だ。奴らの『店閉め』とも言う。俺たちの組織は政・官・財・法曹・アンダーグランド全てにおいて影響力を持つ。当然、利益も大きい。だから敗北、失敗は許されない」

    ソードマンはニヤリ、と笑った。

    「お前たち郵便屋とは衝突する関係だ。これまでも、そしてこれからも。長い付き合いになる。そろそろキッチリ打撃を与えておきたい。それが『組織』の意向だ」

    ソードマンは、水のゆらめきに照り返す妖しい光、異形な魚たち、この室内のエネルギーたちを全身で受け止めようと大きく両手を広げて言った。

    「ここは俺の『場』だ。誰でもない、ここでは俺が1番だ。さあ、俺からこの『場』を奪ってみせろ! 『場取る(バトル)』の開始だ!」

    ヤンは再び「気血の呼吸』に入った。最終決戦が始まる。

    「あたしがあいつを引きつけるわ。その間に蘭さんを!」

    翔は頷き、室内の裏に回った。水槽の入口を探すために。

    「行かせないサw」

    ソードマンは翔を追う、速い!2人の間にヤンが割って入る。まずはクロスレンジ、至近距離での格闘だ。ヤンは右手にグロック、左手に鉄扇でソードマンの『右腕』に対応した。
    たとえ鉄製の扇子でもまともにソードマンの刃、ライトソードを受けると斬られそうだった。ヤンはなるべく流すように受けて、あわよくば刃こぼれでもしてほしい淡い期待を持ちながらチャンスを待った。

    「どうした、受けてばかりか? それとも時間稼ぎか?」

    ソードマンの右腕の連撃が激しく、グロックを撃てずにいた。突破口を見つけたいヤン。

    その頃、翔は蘭がいる水槽の入口を見つけたかった。だが部屋の構造が特殊なのため簡単には見つからない。
    一方、ヤンは入口を探す時間は稼ぎたいが、ボンベの残り酸素量も気になる。
    2人は不利な状況を強いられたが、泣き言は言っていられない。

    ソードマンの右腕での攻撃、ライトソードは破壊力が尋常でない上に連撃で迫る。しかも的確に狙ってくるためかなり厄介だ。ヤンは高まった集中力でかろうじて致命傷を外した。
    わずかな隙をついてバックステップ、距離を取りグロックを放つがソードマンは水槽や試験管の影に常に回り込むため、当たらない。

    「ふふふ、残弾数は足りるか?」

    さすがソードマンのホームグラウンド、余裕があった。

    「ヤン、この強化ガラスは跳弾になるぞ」

    ヤス通信でヤンは閃く。ソードマンの位置を見ながら角度をつけてグロックを撃つ。が、わざと水槽にだ。弾は斜めに弾かれ、跳弾になり隠れているソードマンを掠める。

    「やるな、できるw」

    ソードマンはかすかに高揚した。
    跳弾から身を避けながら反撃を伺うソードマンだが、先回りしたヤンの飛び蹴りが決まった。
    ヤンは追撃、二撃目を狙うが、ライトソードが帰ってきた。刃はヤンを掠め、水槽を破壊した。住処を失った魚たちが飛び散り、床にボトボト落ちた。
    ヤンは思わず下を見た。戦いながら魚を踏まないか気にしているのだ。

    「ヤン、床は気にするな」

    邦泰は叱責するが、ソードマンはすぐに見抜いた。

    「優しいね♡ そんなに気になるのか? じゃあこれはどうだ?」

    バキッツ! ガシャ! ガン!
    ほらほらと、ソードマンは手当たり次第、周囲の水槽、試験管を斬っていった。弾丸を弾く硬質ガラスを簡単に斬るライトソードの斬れ味は改めて凄まじい。
    床に溢れた魚たちは苦しく顔を歪めながら、やがて動かなくなっていった。

    「こ゛らぁ!」

    挑発に乗ってしまったヤンは飛び蹴りを放ちながらソードマンに突っかかった。逆上し蹴り、突きを息が続く限り撃ちまくる。
    ソードマンはそれらを捌きながら、満を持してヤンの腹部を目がけ刃を一閃!
    しかし、ここでヤンは起死回生。奥の手発動、右手の義手『機神義肢』が発射!

    「グゲッ‥‥‥」

    ソードマンの顔面にヒットした。ヤンの義手には極細特殊ワイヤーが装備され、初速約450メートル(マッハ1.5)、距離約5メートルに渡り義手を弾丸のように飛ばすことが可能だ。
    予想外の攻撃に面喰らったソードマンはさすがに怯んだ。ちなみにこの間に義手はワイヤーが巻き取られ元に戻る。
    止めを刺すため、ヤンは相手のライトソードがこない左側に回り込みグロックを向けた。

    「いや、ダメだ!」

    邦泰が通信で叫んだが遅かった。
    今度はこちらも予想外、ソードマンの左手には2連装小型ハンドガンが握られていた。

    「やば‥‥‥」

    ヤンは2発放たれたラバー鉛弾弾の1発を腹部に受けて派手に吹っ飛んだ。外れた1発は水槽に当たり硬化ガラスが砕けた。小型だがかなりの威力だ。
    ヤンは人目も憚らず吐血した。
    余裕が戻ったソードマンは蘭の沈んだ水槽を見た。すると翔がその入口に立っている姿が見えた。

    「入口を見つけたのか。いいね、盛り上がりそうだ♡」

    ×       ×       ×

    翔は水槽の上から底を覗き込んでいた。
    蘭の位置を確認したが、海水の中には「図鑑には載っていなそうな」不気味な魚群の他にサメ系の魚影がいくつか見えた。小型とはいえ2メートルはありそうだ。
    だが、翔は迷わなかった。底から翔を見上げる蘭の姿を目がけて飛び込んだ。
    だが高さ、深さは想像以上だった。息が続かない。水圧が強く、潜っても進まない。蘭のところまで行きたくても行けないのだ。届かない。

    「はあ、はあ、はあ、」

    一度水上に上がって息を整える。大きく吸って潜る。だが、やはり届かない。回数をやればやるほど体力も落ち、可能性はどんどん下がる。
    蘭は翔を見つめ大きく何度も首を振った。もう来なくてもいい、とでも言いたいのか。
    だが、翔は続けた。そこに理屈はなかった。

    「蘭!」

    三たび、底へ向かった。
    今度は違った。おそらく翔自身は気づいていないが「ここで終わってもいい」気概に満ちていた。息が続かない、酸欠が始まったのか目がうつろに泳いでいた。それでも海底に、蘭に向かっていった。
    蘭は動けない体を無理やり動かし、少しでも上へ背を伸ばした。少しでも上へ。
    翔の手が伸びるが数センチ届かない。
    そして偶然が起きた。蘭の長い髪が水の流れで上方へ流れた。翔の指が髪先に触れた。
    届けばどこでもいい! 翔は力一杯、蘭の髪を握りしめ引き上げた。
    ゆっくり、ゆっくりだが蘭の体が浮き、2人は水槽の上へ登っていく。

    ブハッと顔を水面に出した翔を出迎えたのは、待ち構えていたソードマンだ。

    「やあ♡」

    翔は頭を踏みつけられて海水に沈められる。

    「やるじゃん! 意外だったよ、がむばったな〜♡」

    苦しみながら再度顔を出すもまた踏まれてしまう。

    「いいね、いいね、家族愛。姉弟愛か?! ほら、もっとがんばれ、がんばれ!」

    翔はもはや限界だった。バタバタもがくが顔を出せず、息ができない。
    嬉しそうなソードマンだったが、次の瞬間、驚愕する。

    「うおぉ?!」

    開き直った翔は顔を出すことを諦め、なんとソードマンの足を抱え込み、海水にひきずりこんだ。死なばもろとも精神だ。
    翔の目は酸欠で飛んでしまっているが、ソードマンの足を掴む両手の力は強かった。

    「ほう、驚いたよ。感動したマジで。ここまでやるとはね。お礼に君を『いじって』あげるよ、この後でね」

    ソードマンは自慢の刃で翔を斬りつけようと振り上げた。だが2人の間に蘭が割って入った。翔を庇うために。
    そして『奇跡』が起きた。

    ガキンッ!

    ソードマンのライトソードは蘭の背中の酸素ボンベを貫いた。だが蘭には通らなかった。代わりに刃先が折れた!
    水中故に仕損じたのか、それとも弟を守る蘭に何かが宿ったのか。

    「‥‥‥なぜだ、なぜだ?!」

    激昂したソードマンが右腕を感情のままに振った。その一撃が水槽のガラスにヒット、水槽に大きく亀裂が走った。

    バキバキバキバキ‥‥‥。

    大量の海水、たくさんの魚、割れたガラス片、そして3人が滝のように水槽の割れ目から勢いよく押し出されてきた。床は一面、海水の水たまりになった。
    おかげで翔も蘭も一命は取り留めた。大量の水を飲んだせいか、酸素が豊富な室内に移ってもなかなか呼吸ができず、激しく咳き込んだ。

    ソードマンは自らの右腕、折れた刃を見つめながら震えていた。

    「なぜだ‥‥‥、わからない、なぜなんだ?!」

    巨大水槽の強化ガラスは難なく斬れた。しかし目の前の2人には刃が通らず折れた。それがソードマンには理解できなかった。

    「なぜだ〜!!」

    ダメージが酷く動けない翔と蘭に怒りの刃が降りかかった。

    「ぎゃっつ!」

    だが、悲鳴を上げたのはソードマンの方だった。
    なんとソードマンの足にサメが噛み付いていた。今までの「扱い」に対しての報復なのか、それとも2人を助けたかったのか。

    刹那、再びヤンの義手『機神義肢』が高速で放たれソードマンにヒット!
    ガキンと頬肉と金属音が弾ける音が響く。だが今度は義手パンチだけではない、グロックが握られていた。指先で器用に回転させて握り直し弾丸が発射される。パンチを喰らっていたソードマンは対応できず数発受けてしまった。

    「‥‥‥な、なぜだ」

    戦意喪失のソードマンにトドメを刺す。空中に浮いたままの義手がソードマンの顔を鷲掴みにする。
    次の瞬間、5本指の先端から臙脂色の極細高温ビームが発射され、5箇所顔を貫いた。
    これは昼間、ヤンがドアノブを焼き切った時に使った能力だ。

    「‥‥‥ね、ねえさん」

    意外な最期の言葉だった。ソードマンは水浸しになった床に崩れ、そして落ちた。

    長い夜が明けた。
    息を吹き返した翔と蘭、そしてまだ息のある無数の魚たちがヤンを見守っていた。
    ヤンはひと言、『全員』に向かって告げた。
    「特務郵便完了、サインください。真幸くあれ」




    ■第8章:夜明けの配達 正義の証言台ーー新たなる脅威

    腕時計は朝8時30分になった。
    戦いを終えた館に朝日が差し掛かり、その前に臙脂色の特務車が数台止まっていた。営業時間になったため、応援が業務を開始したのだ。

    蘭と翔は職員たちから応急処置を受けている。疲労色は強いが生命の危機はなさそうだ。
    ヤンは完了報告の通信を行なっている。床にこぼれた、まだ息のある魚たちを水槽に戻しながら。

    「ヤス、今、救急が2人を見てる。落ち着いたら全員撤収するわ」
    「了解、まあ、予想通り『派手』だったな」

    救急以外の職員もせわしなく作業している。井原弟やホバー隊員たちを配達用の段ボール梱包。抵抗しているが集荷作業に滞りはない。その光景を横目にヤンは、

    「あと、もうひとつお願いがあるんだけど、『それ用』の車回してくれない?」
    「それは一体なんだ?」

    ヤンが頼んだ『それ用』はしばらく後に判明するが、その前にもうひとつの決着をつけなければならない。

    蘭は背中にソードマンから受けた裂傷があったが、傷は浅かった。とはいうものの、拘束による強いストレスもありダメージは深いはずだった。
    しかし、

    「お願い。病院より先にお父さんのところへ。お父さんと会わせて」

    蘭は救急職員、そしてヤンに懇願した。

    「どうしても、会って言いたいことがあるの」

    翔も担架の上で小さくうなずいていた。
    依頼はヤンも望むところ。

    「ねえヤス、これから追加で『配達』行くわ。異存は?」

    少しだけ考えた邦泰からの返答は以下だった。

    「依頼は正当。日勤は無理だから今日は夜勤に回す、いいな」

    邦泰は改まって言った。

    「法定速度で行けば、現地まで1時間以上かかる。だが‥‥‥、現場判断に任せる」
    「承知。配達行きます!」

    ヤンは小さく笑い、バイクのエンジンをかけた。

    ×       ×       ×

    午前8時50分。
    議員会館の大会議室に設けられた調査委員会の会場には配信用やTV放送用のカメラが数台並び、一般傍聴席も多くの傍聴者で埋まっていた。
    質問側の議員が着席を始める中、中央の証人席に蘭の父、江藤浩三が静かに座っていた。
    そして、浩三をギリギリと音が聞こえそうなほど憎々しげに見つめる男たちもいた。

    「江藤め、余計なこと言わさったらただじゃおかんぞ」

    槍杉議員は隣に座った秘書に毒づいた。

    「まあまあ、娘は押さえているんです。センセイ、今日は高みの見物といきましょう」
    「それもそうやな」

    ふん、と鼻息荒く槍杉議員は傍聴席に深く尻を落とした。
    だが、傍聴席の間を通り抜け、浩三に聞こえるよう大きさで女性が声を上げた。

    「お父さん!」

    会場はにわかにざわついた。浩三も後ろを向き、そしてその声の主を確認すると目を大きく開いた。ヤンがたった今、配達し終えた蘭だった。

    「お父さんのこと、ここで見てるから。ちゃんと見てるから」

    浩三は小さく唇を噛み締め前を向いた。蘭たちから見えないが、目に小さく光るものがあった。
    槍杉議員はわなわなと震えながら浩三をそして蘭を睨みつけた。だが、蘭はまっすぐ前を向きながら傍聴席に静かに腰を下ろした。

    開始のブザーが鳴る。司会進行担当の議員が口上を述べた。

    「只今より、第1回調査委員会を開催します。議題は一部議員による新開発地区の建設契約内容の疑義についてです」

    ヤンは大会議室の扉を閉め、静かに会場を後した。

    ×       ×       ×

    トヨ婆ちゃんが駄菓子屋に小走りでやってきた。

    「ヤンさん、欄が無事だったよ、帰ってきてくれたよ、よかったよかった……」

    トヨは居間で倒れているヤンに驚いた。

    「どうしたんだい、その格好は」
    「お婆さん、今日はこれから夜勤なの。お願い、今は寝かせて」

    だがトヨは、それ以上に居間の変わりようにさらに驚いた。新たに大小の水槽がいくつも並び、体長2メートル級のサメさんのために太いチューブが張り巡らされ回遊する魚たちの姿があった。ヤンが邦泰に頼んだ件はこれだった。

    「ありゃ〜、ずいぶん部屋が変わったねえ。こんなにたくさん。ヤンさんは魚が好きなの?」
    「……好きというか、義理と人情、恩返し?」

    よくわからないトヨ婆ちゃんだった。
    ウトウトしながら、ヤンはなぜかソードマンが言ったことが引っかかっていた。
    彼の最期の言葉『ねーさん』

    「お姉さんと昔、何かあったのかな……」
    ウトウトし始めたヤンはトヨが掃き掃除する音を子守唄がわりに仮眠に入った。

    ×       ×       ×

    1人の貴婦人が大きなテーブルで食事を楽しんでいる。
    壁に掲げられた7枚の女性の絵画が貴婦人に話しかけた。

    「ソードマンは失敗しました」

    貴婦人は顔を変えず、ワインを一口含んだ。『絵画たち』は続ける。

    「新しく配属された者の影響で八洲逓信の戦力として約11%アップしました」
    「このままでは我々の脅威になる危険性があります」

    貴婦人はグラスをテーブルに置きながら告げた。

    「そう、今はいいわ。けど、目障りになったら本気で潰しましょう。私たち『ネーサン』の敵になるなら」

    7枚の絵画たちは貴婦人に同意した。

    ヤンが彼女たちの存在を知るのはもう少し先のことだった。
    そして、両者による『場取る』は続く。

    ーENDー


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