
「適当にやっていいよ」って、どういう意味?― 優しさの「適当」と、人を困らせる「適当」。その言葉の裏側にある心を覗いてみた ―
こんにちは🌸
麗香さゆり(さゆちゃん)です。
今回もここに来てくださってありがとうございます🌸
初めての皆さま、初めましてこれからもよろしくお願いします😊
今日は、ちょっと身近な言葉について考えてみたいと思います。
それは……
「適当」
という言葉。
「そんなに頑張らなくていいよ」
「適当にやっとけばいいやん」
「そんなの、適当でいいって😂」
こんなふうに言われたこと、ありませんか?
私もね、今まで何度も聞いたことがあります。
でも、ある人を見ていて、ふと思ったんです。
「あれ?」
「適当って……何なんやろ?」
って。
だってね。
その人は人には、
「適当にやっていいよ」
と言う。
でも……
自分が同じことをするときは、全然適当にやらない。
むしろ、ちゃんとやる。
そして、人に「適当にやって」と言って、本当に相手が適当にやる。
すると、その人が別の人から、
「なんでこんないい加減なことしたの?」
って怒られる。
そして、その様子を見ている本人が……
なんだか楽しそう。
私は、
「ん?」
と思ったんです。
今日は、この「適当」という言葉を、ちょっとだけ深掘りしてみようと思います😊
目次
そもそも「適当」って何?
優しさから出る「適当にやっていいよ」
優しさのつもりが、相手を困らせることもある
人には「適当でいい」と言うのに、自分は適当にやらない人
🧠ここで開催!さゆちゃんの脳内会議「適当って何やねん😂」
もしかして、人が失敗するのを楽しんでる?
なぜ、そんなことをするんだろう?
「やられたら、やり返す」のバトン
自分が傷ついたからといって、誰かを傷つけなくてもいい
「適当にやっていいよ」と言われたら、どうしたらいい?
「適当」は悪いことじゃない
おわりに ― 私にとっての「ちょうどいい」を選ぼう
第1章 そもそも「適当」って何?
まずね。
「適当」って聞くと、
「いい加減」
「雑」
「ちゃんとしていない」
みたいなイメージを持つ人も多いと思う。
でも、「適当」って、本来は悪い意味だけじゃないんですよね。
「ちょうどいい」
という意味もある。
たとえば、
「今日は無理せず適当にやろう」
と言うとき。
これは、
「全部サボろう!」
ではなくて、
「今日は力を抜いて、自分にできる範囲でやろう」
という意味だったりする。
だから、
適当にやる=雑にやる
ではないんですよね。
そして、
力を抜くことと、責任を放り投げることも違う。
ここ、結構大事だと思うんです。
自分にとっての「ちょうどいい」と、誰かにとっての「ちょうどいい」も違う。
だから、「適当」というたった一言でも、人によって意味が全然違うんですよね。
第2章 優しさから出る「適当にやっていいよ」
「適当にやっていいよ」
この言葉が、全部悪いわけじゃありません。
むしろ、すごく優しいときもある。
たとえば、頑張りすぎている人に、
「そんなに頑張らなくても大丈夫だよ」
「全部完璧にしなくていいよ」
「今日はここまででいいんじゃない?」
と言う。
これは、
「あなたを少し楽にしてあげたい」
という気持ちから出ている言葉。
これなら、私は素敵な「適当」だと思うんです。
人って、真面目な人ほど、
「ちゃんとしなきゃ」
「最後までやらなきゃ」
「失敗しちゃいけない」
って、自分で自分を追い込んじゃうことがある。
そんな人に、
「もうちょっと適当でいいよ😊」
って言ってあげる。
これは、優しさだよね。
第3章 優しさのつもりが、相手を困らせることもある
でもね。
ここもちょっと考えてみたい。
自分にとっての「適当」と、相手にとっての「適当」は違う。
自分は、
「これくらいでいいやん」
と思っていても、
相手は、
「いや、そこはちゃんとやりたい」
と思っているかもしれない。
だから、
「適当にやっていいよ」
と言う前に、
「本当にこの人にとっても、それで大丈夫かな?」
と考えることも大切なんだと思う。
適当にしたことで困るのが自分なら、自分で決めればいい。
でも、適当にしたことで困るのが別の人なら……
ちょっと話は変わってくる。
「適当でいいよ」
と言うなら、その先まで考えてあげる。
それも思いやりなのかもしれないね。
第4章 人には「適当でいい」と言うのに、自分は適当にやらない人
ここから、私がちょっと気になった話。
ある人を見ていて、
「ん?」
と思ったことがあるんです。
その人は、人には、
「適当にやっていいよ」
と言う。
でも……
自分が同じ作業をするときは、ちゃんとやる。
「あれ?」
ですよね😂
人には、
「そんなにちゃんとしなくていいって」
と言う。
でも自分は、
めっちゃちゃんとしてる。
「え?
適当でいいんじゃなかったん?😂」
ってなる。
しかも、その人が、
「適当にやって」
と言った相手が、本当に適当にやった。
すると……
その相手が別の人から、
「なんでこんないい加減なことしたの!」
と怒られる。
そして、なぜかその様子を見ている本人が……
ちょっと楽しそう。
私は、それを見ていて、
「もしかして……この人、これを楽しんでるのかな?」
って感じたんです。
もちろん、人の心の中は外からは分かりません。
だから、
「絶対にそうだ!」
とは言えない。
でも、
「もしかしたら、そういう心の動きもあるのかもしれない」
と思った。
そして、ここで私の脳みそが……
いつものように動き始めました😂
第5章 🧠ここで開催!さゆちゃんの脳内会議
「適当って何やねん😂」
ここからは、ちょっと真面目な話を……
と思ったんですが。
私の脳みそちゃんが、
「いやいや、待って!」
と入ってきました😂

🧠脳みそちゃん
「さゆちゃん。」
👩さゆちゃん
「はい。」
🧠脳みそちゃん
「そもそも“適当”って何なん?」
👩さゆちゃん
「いきなり哲学始まったな😂」
🧠脳みそちゃん
「だって気になるやん。」
👩さゆちゃん
「まあね。」
🧠脳みそちゃん
「適当って、雑ってこと?」
👩さゆちゃん
「いや、そうとも限らん。」
🧠脳みそちゃん
「じゃあ、サボる?」
👩さゆちゃん
「それも違う。」
🧠脳みそちゃん
「力抜く?」
👩さゆちゃん
「それは近い。」
🧠脳みそちゃん
「ほな……寝る?」
👩さゆちゃん
「なんでやねん😂」
🧠脳みそちゃん
「力抜くって言ったから。」
👩さゆちゃん
「力抜きすぎや😂」
🧠脳みそちゃん
「じゃあ、さゆちゃん。」
👩さゆちゃん
「はい。」
🧠脳みそちゃん
「今からこの記事、適当に書いてみて。」
👩さゆちゃん
「……。」
🧠脳みそちゃん
「どうした?」
👩さゆちゃん
「それは嫌。」
🧠脳みそちゃん
「なんでやねん😂」
👩さゆちゃん
「読んでくれる人がおるやん。」
🧠脳みそちゃん
「おるな。」
👩さゆちゃん
「適当に書いたら失礼やん。」
🧠脳みそちゃん
「ほな、めっちゃ頑張る?」
👩さゆちゃん
「いや、それも違う。」
🧠脳みそちゃん
「どっちやねん😂」
👩さゆちゃん
「ちゃんと書く。でも、完璧じゃなくていい。」
🧠脳みそちゃん
「……。」
👩さゆちゃん
「何?」
🧠脳みそちゃん
「それが“適当”なん?」
👩さゆちゃん
「たぶんね。」
🧠脳みそちゃん
「難しすぎるやろ!」
👩さゆちゃん
「😂」
🧠脳みそちゃん
「じゃあさ。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「人に“適当にやっていいよ”って言うのは?」
👩さゆちゃん
「優しさの場合もあるよね。」
🧠脳みそちゃん
「“そんなに頑張らなくていいよ”って?」
👩さゆちゃん
「そうそう。」
🧠脳みそちゃん
「“もうちょっと力抜きなよ”って?」
👩さゆちゃん
「そう。」
🧠脳みそちゃん
「じゃあ、それは優しい適当。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「じゃあ問題の人は?」
👩さゆちゃん
「……。」
🧠脳みそちゃん
「自分はちゃんとやる。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「でも人には適当にやらせる。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「そして、その人が失敗する。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「怒られる。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「本人は……」
👩さゆちゃん
「……。」
🧠脳みそちゃん
「ニヤニヤ?」
👩さゆちゃん
「いや、そこは知らん😂」
🧠脳みそちゃん
「でも、さゆちゃんにはそう見えたんやろ?」
👩さゆちゃん
「……そうなんよ。」
🧠脳みそちゃん
「ほな、ちょっと怪しいな。」
👩さゆちゃん
「何が怪しいん😂」
🧠脳みそちゃん
「“適当でいいよ”の使い方。」
👩さゆちゃん
「ああ、それは確かに。」
🧠脳みそちゃん
「なあ、さゆちゃん。」
👩さゆちゃん
「ん?」
🧠脳みそちゃん
「その人、自分がやるときは適当にせんのやろ?」
👩さゆちゃん
「そう。」
🧠脳みそちゃん
「なんで?」
👩さゆちゃん
「そこなんよ。」
🧠脳みそちゃん
「自分はちゃんとする。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「人には適当にさせる。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「……。」
👩さゆちゃん
「何?」
🧠脳みそちゃん
「人間って、ややこしいな😂」
👩さゆちゃん
「急にまとめるな😂」
🧠脳みそちゃん
「でもさ。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「もしかして、人が失敗するところを見るのが面白いんかな?」
👩さゆちゃん
「それは私も考えた。」
🧠脳みそちゃん
「人が怒られてる。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「自分は怒られてない。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「しかも、自分が“適当にやっていいよ”って言った結果。」
👩さゆちゃん
「……。」
🧠脳みそちゃん
「これ、ちょっとした観察ゲームになってない?」
👩さゆちゃん
「観察ゲームって😂」
🧠脳みそちゃん
「“さあ、この人はどれくらい適当にやるでしょう!”」
👩さゆちゃん
「やめなさい😂」
🧠脳みそちゃん
「第1問!」
👩さゆちゃん
「クイズちゃう😂」
🧠脳みそちゃん
「そして、怒られるまでがセット。」
👩さゆちゃん
「怖いわ😂」
🧠脳みそちゃん
「でも、さゆちゃん。」
👩さゆちゃん
「はい。」
🧠脳みそちゃん
「なんで、そんなことするんやろ?」
👩さゆちゃん
「そこが気になるんよ。」
🧠脳みそちゃん
「子どもの頃とか?」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「学校とか?」
👩さゆちゃん
「そういうところで、何かあったのかもしれない。」
🧠脳みそちゃん
「自分が失敗して笑われたとか?」
👩さゆちゃん
「そういう経験があったのかもしれない。」
🧠脳みそちゃん
「怒られてるところを見られたとか?」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「からかわれたとか?」
👩さゆちゃん
「かもしれない。」
🧠脳みそちゃん
「じゃあ……」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「“やられたら、やり返す”?」
👩さゆちゃん
「直接やり返すんじゃなくて、別の人に渡しちゃうこともあるのかもしれないね。」
🧠脳みそちゃん
「え?」
👩さゆちゃん
「自分が受けた痛みを、次の人に渡す。」
🧠脳みそちゃん
「……バトン?」
👩さゆちゃん
「そう。」
🧠脳みそちゃん
「昔の自分から届いたバトン。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「……。」
👩さゆちゃん
「どうした?」
🧠脳みそちゃん
「そのバトン、いらん😂」
👩さゆちゃん
「ほんまや😂」
🧠脳みそちゃん
「受け取ったら、次の人に渡さなあかんの?」
👩さゆちゃん
「いやいや。」
🧠脳みそちゃん
「じゃあ、どうする?」
👩さゆちゃん
「ここで止める。」
🧠脳みそちゃん
「おお……。」
👩さゆちゃん
「自分がされたことを、次の人にしなくてもいい。」
🧠脳みそちゃん
「バトン、地面に置く。」
👩さゆちゃん
「置く😂」
🧠脳みそちゃん
「そして帰る。」
👩さゆちゃん
「なんでやねん😂」
🧠脳みそちゃん
「もう持たんでええから。」
👩さゆちゃん
「まあ……そういうことやね😂」
🧠脳みそちゃん
「でも、さゆちゃん。」
👩さゆちゃん
「ん?」
🧠脳みそちゃん
「その人が昔傷ついたとしても、人を傷つけていい理由にはならんよね。」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「理解することと、許すことは違う。」
👩さゆちゃん
「そう。」
🧠脳みそちゃん
「“かわいそうだったんだね。じゃあ何してもいいよ”ではない。」
👩さゆちゃん
「そういうこと。」
🧠脳みそちゃん
「じゃあ、どうする?」
👩さゆちゃん
「私は、そのゲームに参加しない。」
🧠脳みそちゃん
「おお!」
👩さゆちゃん
「“適当にやって”って言われても、自分で考える。」
🧠脳みそちゃん
「ほう。」
👩さゆちゃん
「“ここはちゃんとやっておきますね”って言う。」
🧠脳みそちゃん
「強い。」
👩さゆちゃん
「“どこまで適当でいいですか?”って聞く。」
🧠脳みそちゃん
「さらに強い。」
👩さゆちゃん
「そして、必要なら断る。」
🧠脳みそちゃん
「さゆちゃん。」
👩さゆちゃん
「何?」
🧠脳みそちゃん
「今日の結論。」
👩さゆちゃん
「はい。」
🧠脳みそちゃん
「適当は……」
👩さゆちゃん
「うん。」
🧠脳みそちゃん
「適当に考えたらあかん。」
👩さゆちゃん
「……。」
🧠脳みそちゃん
「😂」
👩さゆちゃん
「最後それかい😂」
第6章 もしかして、人が失敗するのを楽しんでる?
脳内会議では、かなりふざけましたが😂
ここからは、少しだけ真面目に考えてみます。
もし、
「適当にやって」
と言う。
相手が本当に適当にやる。
その結果、相手が怒られる。
そして、その状況を見て楽しそうにしている。
そんなことが何度も続くのなら、
私は、
「もしかしたら、この人は人が失敗することそのものに、何か楽しさを感じているのかな?」
と思うことがあります。
もちろん、これは外から見た私の感じ方。
本人の心の中は分かりません。
だから、
「この人は絶対に意地悪だ」
とは決めつけません。
でも、人を困らせる。
人を動かす。
人の反応を見る。
そして、その結果を楽しむ。
そういう人がいることは、考えておいてもいいんじゃないかなと思うんです。
なぜなら、
「適当にやっていいよ」
という言葉を、全部そのまま信じてしまう必要はないから。
第7章 なぜ、そんなことをするんだろう?
ここで、もう一つ考えてみたい。
「どうして、そんなことをするんだろう?」
って。
人って、不思議だよね。
同じ経験をしても、みんな同じ人間になるわけじゃない。
でも、もしかしたら、その人の過去に何かあったのかもしれない。
子どもの頃。
学校で。
友達との関係で。
家庭の中で。
自分が失敗したときに笑われた。
怒られた。
バカにされた。
仲間外れにされた。
自分が弱い立場にいた。
そんな経験が積み重なって、
「もう自分は、困らされる側にはなりたくない」
という気持ちが強くなったのかもしれない。
そしていつの間にか、
「今度は自分が、人を動かす側にいたい」
となってしまったのかもしれない。
もちろん、これは可能性の一つ。
過去が分からない以上、決めつけることはできない。
でも、
「この人、なんでこんなことをするんだろう?」
と考えるとき、
今だけを見るんじゃなくて、
「もしかしたら、この人にも何かあったのかな?」
と考えてみる。
私は、それも人を見る一つの視点だと思う。
第8章 「やられたら、やり返す」のバトン
もし昔、自分が傷ついたとして。
「やられたら、やり返す」
という気持ちになることもあると思う。
でもね。
直接やり返さなくても、
自分が受けたものを、別の誰かに渡してしまうこともある。
自分が笑われたから、今度は誰かを笑う。
自分が困らされたから、今度は誰かを困らせる。
自分が怒られたから、今度は誰かが怒られる状況を作る。
そうやって、痛みが人から人へ渡っていく。
まるでバトンみたいに。
でも……
そのバトン、次の人に渡さなくてもいいんですよね。
「私はここで終わらせる」
そう決めてもいい。
第9章 自分が傷ついたからといって、誰かを傷つけなくてもいい
もし、その人の過去に何かあったとしても。
それは、その人を理解する材料にはなるかもしれない。
でも、
人を傷つけていい理由にはならない。
ここは、分けて考えたい。
「この人にも何かあったのかもしれない」
と思うことと、
「だから我慢してあげよう」
は違う。
「かわいそうだから、何をされても許そう」
でもない。
相手を理解しようとしながら、
自分は自分を守っていい。
これ、大事だと思う。
そして、
もし自分の中にも、
「私も昔こうされたから……」
というものがあるなら。
それを次の誰かに渡さなくてもいい。
自分のところで終わらせてもいい。
それだけでも、十分大きなことだと思う。
第10章 「適当にやっていいよ」と言われたら、どうしたらいい?
じゃあ、実際にそういう人に出会ったらどうする?
私なら、相手の「適当」をそのまま自分の基準にはしません。
たとえば、
「どこまで適当でいいですか?」
って聞いてみる。
「ここはちゃんとやったほうがいいですよね?」
と確認してみる。
「私はここまでは、ちゃんとやっておきますね」
と言ってもいい。
だって、あとで怒られるのは自分かもしれないから。
「適当にやっていいって言われたから」
だけでは、守ってもらえないこともある。
だから、
人の言葉を聞く。
でも、自分の頭でも考える。
これでいいんじゃないかな。
そして、もし、
「なんかこの人、私が困るのを楽しんでる?」
と感じるなら。
無理にそのゲームに参加しなくていい。
相手のゲームのルールで、生きなくていい。
自分のルールで、自分を守っていい。
第11章 「適当」は悪いことじゃない
ここまで「適当」について色々考えてきたけれど、
私は、
適当に生きること自体は、悪いことじゃない
と思っています。
毎日100点じゃなくていい。
全部完璧じゃなくていい。
疲れたら力を抜いていい。
「今日はここまで!」
って終わってもいい。
むしろ、そういう「適当」は、必要なこともある。
ただ、
「自分が楽になるための適当」と、
「誰かを困らせるための適当」は違う。
そして、
「人を楽にする適当」と、
「人に責任を押しつける適当」も違う。
同じ「適当」という言葉でも、
その奥にある心は全然違うんですよね。
おわりに
「適当にしていいよ」と言われたときこそ、自分の「ちょうどいい」を大切に
「適当にやっていいよ」
この言葉。
優しさのときもある。
思いやりのときもある。
でも、ときには、
「自分は責任を負いたくない」
「人を動かしたい」
「人の反応を見るのが面白い」
そんな気持ちが隠れていることもあるのかもしれない。
そして、その背景には、
昔の傷や、
「やられたら、やり返す」
という気持ちがあるのかもしれない。
でも、私たちは、
昔受け取った痛みを、次の人に渡さなくてもいい。
バトンは、そこで止めてもいい。
そして、自分が誰かに、
「適当にやっていいよ」
と言うときも、
その言葉の先にいる人のことを、ちょっとだけ考えてみたい。
本当に楽になるのかな?
困らないかな?
後で怒られないかな?
そこまで考えてあげる。
それも優しさなのかもしれないね。
そして、誰かから「適当にやって」と言われたときは、
その人の「適当」を、自分の「適当」にしなくていい。
自分で考えて、
自分で決めて、
自分にとっての「ちょうどいい」を選べばいい。
適当でもいい。
力を抜いてもいい。
完璧じゃなくてもいい。
でも、
誰かに適当にさせて、その人が困るのを楽しむ必要はない。
そして、
自分が傷ついたからといって、誰かを傷つけなくてもいい。
私は、そんなふうに思います🌸
みんなで一緒に、人生、花咲かせましょうね🌹✨
ありがとうございました🌸
今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
「適当」って、考えてみると面白い言葉ですよね😊
もし今日の記事を読んで、
「そういえば、私の周りにもいるかも」
「私も以前、似たようなことがあった」
「自分も知らないうちに、“適当でいいよ”って言ってたかも」
なんて思った方がいたら、
よかったら自分の心を、ちょっとだけ覗いてみてくださいね🌸
私は、誰かを責めるためじゃなく、
「人の心って、なんでこうなるんだろう?」
を一緒に考えるのが好きです。
また、いろんな心の実験をしていきましょう😊
🌸さゆちゃんはこんな人です
麗香さゆり(さゆちゃん)
心デザイナー・書道家
メンタル心理カウンセラー
行動心理士
福祉・専門家
イラストレーター・作家
心のメッセージアーティスト
6歳から書道を学び、書道家・筆文字講師・水墨画講師として活動。
これまで福祉の現場で、たくさんの人の心に触れてきました。
その中で感じてきた、
「人って、どうしてこんなふうに考えるんだろう?」
「心が少し整ったら、人生はどう変わるんだろう?」
そんな疑問を、自分自身の経験や日々の気づきと一緒に、楽しく綴っています。
現在は、
人生花咲く🌹夢実現サロン
で、
「心が整うと人生に花が咲く」
をテーマに、一人ひとりのお悩みや夢に寄り添っています。
一緒に心を整えて、自分らしい人生を楽しんでいきましょう🌸
初回無料20分のご相談もあります😊
🌸ありがとうございました
麗香さゆり(さゆちゃん)
心デザイナー・書道家
人生花咲く🌹夢実現サロン
#心の実験室
#適当でいい
#適当に生きる
#人間関係
#人間心理
#心の整理
#心を整える
#自分らしく生きる
#頑張りすぎない
#真面目な人へ
#一生懸命
#心のクセ
#人生を楽しむ
#さゆちゃん
#人生花咲く