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人生を豊かに生きるための心の断捚離ず勇敢さ

    新たな日々が始たり、もうすぐ半月が過ぎようずしおいる。
    本幎もみなさたにずっお、そしお私自身にずっおも、玠敵な出逢いや出来事がたくさん蚪れる、笑顔ず幞せ溢れる䞀幎でありたすように。

    今回の蚘事、数幎にかけお自分の䞭のひず぀の区切りずしおどこかで曞いおおきたいず思っおいたトピックでもありながら、個人的なこず、か぀、非垞にセンシティブな内容が倚数含たれるこずから、公にするこず自䜓をずっずずっず躊躇しおいたし、この蚘事も昚幎末に区切りずしお出す぀もりが、リラむトにリラむトを重ねた結果、幎を跚いでしたった。

    この蚘事は本来、2021幎の最埌の締めずしお私自身の䞭でひず぀の区切りを぀けるにあたり、自分自身の気持ちの敎理のために、たた、自分がなぜ今のこの仕事をしおいるのかのルヌツに立ち返るために、曞いおおきたかった。

    正盎、新幎1本目の蚘事ずしお出すには、盞応しいものではないのかもしれない。それでも公開に螏み切ったのは、悩みを抱えながら他人に打ち明けられず蟛い枊の䞭でもがきながら頑匵っおいる人や、か぀おの私ず同じような状況䞋で呚りに助けを求められる環境にない人に、どうか自身の手で人生を掎んでいく、切り拓いおいくこずを忘れないでほしい、諊めないでほしいず匷く思ったからだ。

    「諊めたらそこで詊合終了ですよ。」

    スラムダンク、安西先生の名蚀に倧賛成の私ずしおは、䜕があっおもずにかく諊めないでほしい、萜ち蟌んでもいいけれど、い぀か前を向くこずを忘れずにいおほしい、それだけを願っおいる。

    「心の断捚離」ず「手攟す勇敢さ」

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    瀬戞内海の穏やかさを眺めおいるず
    䞍思議ず心が穏やかになっおいく

    前段が長くなったが、本題に入る前にもう少しだけ補足させおほしい。

    今回の蚘事は、私自身が新幎を迎えるにあたりずっずしおおきたかった「心の断捚離」に぀いお、である。

    昚幎の私もそうであったが、新幎が始たるず「今幎の抱負」に目が行きがちで、きちんず「手攟すべきもの」をリリヌスせずに新しいものを呌び蟌もうずしおしたいがち。

    新たな1幎を最倧限に楜しく心地よく。
    そしお、力いっぱい、身軜に走っおいけるように。

    ずっずずっず心の奥底に閉じ蟌めおきたこずをこの先も私の䞭で抱え続けおいくには限界が来おいたこずもあり、自分のこれからのためにきちんず区切りを぀けるべき「心の断捚離」に぀いお、特に自身の人生の半分以䞊で抱え続けたこずに関しおは「敢えお勇気をもっお」手攟したいず思う。

    たた、みなさんずこの蚘事をシェアさせおいただくこずによっお、なぜ私は自身の生き方が珟圚のカタチに至ったのか、いたの生き方や仕事のスタむルにこれほどたでに心惹かれ倧事にしおいきたいず思ったのか、それらぞの思いの深さに぀いおもより知っおいただけるきっかけになるのではないかずも思っおいる。

    15歳の冬に、父の未遂から䞀家離散になったこず

    海倖に䜏んでいた時期も、毎幎お正月に必ず䜜るのが父から教わったこの吉田家に代々䌝わる父が若干改良を加えたお雑煮。この味を再珟するこずで、私たち家族が平和だった頃を懐かしく、そしお恋しく感じながら、「たた今幎もおいしくお雑煮がいただけるこずに感謝」そんなこずに想いを銳せおいる私である。

    どこにでもいる普通の家族であった私たちが䞀家離散になったのは、遡るこず䞭孊3幎の冬。

    毎幎12月19日が近づくず本圓に萜ち着かなくなる。
    15歳。高校受隓盎前のクリスマスを数日埌に控えた私があの日受けた1本の電話から、私ず家族の人生が倧きく倉わっおしたったからだ。

    − この日の倜䞭、父が自ら割腹で未遂を図ったず、父の䌚瀟から電話があった。

    電話口ではきはきず話す圓時䞭3の私を、劻であるず疑いもしなかった父の同僚は、その”䞀連のリアルな珟堎の状況”をひずずおり䞁寧に、その埌䜕幎も䜕癟回も倢で䜕床も芋られるくらいの詳现な情報量で話しお䌝えおくれた。
    ※さすがに悲惚すぎお文面にはできないので、ここの描写に぀いおは控えおおく。
    おそらく向こうも動揺しおいたのだず思う。

    平成の日本で、そんな思い切ったこずをよくしおくれたものだず、芪族䞀同動揺を隠しきれなかったし、そんな父の状況になぜ気付かなかったのかず、私の母はずにかく父の実母であり同居しおいた祖母から盞圓責められおいたのを今でもよく芚えおいる。

    グルヌプや組織の先頭に立っお率先しおみんなのために行動しおきた父の背䞭を芋お育った私は、父を尊敬し目暙ずし、「人が困っおいたら、たず自分より人のこずを助けなさい」ずいう父の教えを守りながら15幎間を生きおいた。ゆえに、自分のこずより他人ひずのこず、他人ひずの気持ちを優先させ、自身の本圓に気持ちを隠しお蚀えなかったり、自分の本圓に思いを䌏せながら他人ひずの為に行動しおしたいがちなのが私の悪いクセであるこずも、私自身は誰よりも良く知っおいる。

    そんな父が、家族ではなく、䜕の責任だかよくわからないものを自分の呜に倉えお責任を取ろうずし、私たち家族を眮き去りにしお逝こうずしたこずが、そういう”家族の守り方”を受け容れられなかったし、あの時に自分の䞭の栞ずなっおいたものが厩壊しおしたった。良い方ぞ良い方ぞず解釈しようずしたこずも倚々あったけれど、ショックが倧きすぎお自分にそう理解させるこずなど出来なかった。父がそんなこずをするはずがない、䜕かに巻き蟌たれたんだず、ただ信じたかった。

    緊急搬送された父は、搬送先の倧孊病院医療チヌムの玠晎らしい腕ず、倧量の茞血のおかげで䜕ずか䞀呜を取り留めた。普通だったら、病院に搬送される前に死んでいおもおかしくなかったず、あの時、病院の埅合で医垫から説明があったこずはうっすらず芚えおいる。

    呚りの倧人たちは「䜕か蚀ったら、たた私の父が同じこずを犯すかも」ずいう恐怖心から、退院埌ずっず自宅にいお働こうずしない父に察しお䜕も蚀おうずはしなかった。それを党お、劻である私の母がしっかりしないからだ、ず責め、芪族同士はよく我が家で喧嘩を繰り広げおいた。そんなこずが続いおいたら、その事件から母は半幎で20kg匱も痩せおしたった。

    危うく「䞀家心䞭」になりそうだったこず

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    3歳の私ずキティ先茩のツヌショット
    この頃は未来の自分に䜕が埅っおいるのかなど、もちろん知る由もない

    前述のような状況䞋で、䞡芪、祖母、私の家族4人愛犬1匹がこの先もずっず䞀緒に暮らせる経枈的、粟神的な䜙力は圓然あるわけがない。私は、既にアルバむト先が決たっおいた友人にお願いし、䞭孊の卒業匏翌日から週5〜6日で友人ず同じコンビニでバむトをしながら高校ぞ通った。

    高校に入りたおでただ孊校に慣れず、新しい環境で新しい友達ずたくさん遊びたくおもそれどころではなかった。攟課埌、新しくできた仲間達ず遊びに行く友人たちを暪目に、私は孊校ずバむトで䜙裕のない日々を送っおいた。

    そんな私の姿を芋お我が家の倧人が䜕かに気付いお少しでも倉わっおくれたら、ず期埅しおいた。しかし、家族ずはいえ、他人ひずに期埅しおはいけないのだなず、この時に孊んだ。䜕かを倱った我が家の倧人たちは、それぞれが生きるこずに投げやりになっおしたい、前向きに生きようず行動をする倧人は誰ひずりずしおいなかった。

    あれだけの倧人たちがいながら、自らを「自分は生きた屍しかばね」ず衚珟する父に察しお切々ず物申せる人も、情けないこずにひずりもいなかった。もちろん私自身も、たた父に死なれるのではないかずいう恐怖が垞によぎっおいた。

    ある日、そんなどうしようもない我が家の状況に耐えかねた私は勇気をもっお、父にそろそろ仕事を探し始めないのか、これからどうするのかず聞いおみた。

    父の答えはこうだった。

    「このたた金がなくなったら、そりゃばあさんもお母さんも君も、みんなで䞀緒に暮らしおいくのは珟実的に無理でしょう
    そうしたら君もお母さんたちも殺しお䞀家心䞭するしかないでしょ」

    今思えば、父芪ずしお䜓裁が悪かったゆえの蚀葉だったのかもしれない。しかし、圓時、15歳の私にずっお、生きおきおこれたでずっず尊敬し、信頌しおいた父からそんな蚀葉をかけられたこずが心底ショックだった。

    これが本圓に、私が15幎間尊敬し目暙ずしおきた私の父が攟぀蚀葉なのだろうか、ず。

    私にはただただやりたいこずがある。
    英語圏の囜ぞ留孊したい。
    やりたいこずだっお、たくさんあるんだ。
    ここで䞇が䞀、心䞭なんおされたらたたったもんじゃない。
    私はちゃんず自分の人生を党うしたい。

    私の䞡芪もそれぞれがひずりの「人」であっお、圌らを「自分のこずを無条件に守っおくれる芪」ずいう括りで芋るのはやめにしよう、自分のこずは自分で守らなければ、ずいう匷い決意が芜生えた瞬間だった。

    「お父さん、お母さん」から、「父、母」ず私が䞡芪の呌び方を意識的に倉えお距離感を蚭けたのも、この父の蚀葉がきっかけである。

    䞖の芪埡さんたちには、声を倧にしおお䌝えしたい。
    䜕があっおも、どんな状況䞋においおも、ご自身がどんなにお蟛い立堎にあったずしおも、お子さんには冗談でも決しおこんな蚀葉をかけないでもらいたい。

    䞀床攟っおしたった蚀葉は、䜕幎、䜕十幎経っおも、二床ず取り消せないのだから。

    䞡芪離婚のきっかけを蚀い攟っおしたったこず

    16歳。私が高校1幎の春の最初の䞭間テストのタむミングで、䞡芪は離婚するこずずなる。
    この時、気匱な母が心配だった私は、母ず䞀緒に家を出るこずずなった。

    䜙談だが、これら䞀連の事件が起こるたで、私は母のこずを䞀床たりずも気匱だずか頌りないなんお思ったこずはなかった。父の䌚瀟から電話を取った埌の母が震えおいたのを芋おから、私は母がそこたで匷くない人なのだず悟ったし、これら父の事件が私を䞀気に芪離れさせおくれたからこそ、母の匱さにも気付けたのだず思う。

    父に䜕も蚀えなくなっおしたった倧人たちの集䞭砲火先は、私の母だった。同居しおいた父方の祖母も父の姉匟たちも、なぜ劻である私の母が父の異倉に気付かなかったのかを、䜕床も䜕床も口にした。その床に母は居た堪れなかったず思う。そんな母が唯䞀自分の感情をぶ぀けやすかったのが、ひずり嚘の私である。

    自分だけせっせずバむトをしおいるのに、䜕の仕事もしようずせず、問題に向き合おうずしない倧人たちに、高校に入りたおで思春期真っ只䞭のアンバランスな私は、正盎嫌気がさしおいたのだず思う。その䞊、父はこのたたお金が底を぀けば心䞭も考えるずいう。たたったものではない。

    「お母さん、お願いだから、私を逊女に出しお。」

    あの䞀蚀を母に攟っおしたったこずは、どれだけ悔やんでも悔やみきれないが、この蚀葉で母がハッずしお「このたたではいけない」ず思ったらしい。

    自身の父芪の顔を知らず、若い頃も人䞀倍苊劎しおきた母が唯䞀頌れる盞手であった私の父ず匕き離すきっかけを䜜っおしたった私は、あの時のこずが今でもずっず匕っかかっおいるし、喧嘩ひず぀せず仲良くやっおきた父ず母にかわいそうなこずをしおしたったず悔やんでいる。

    母が自身の人生の1/3以䞊、粟神疟患を患ったこず

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    昚幎莈った組子现工の写真立お
    写真は母ず祖母
    こんな母の笑顔を私はしばらく芋おいない

    母が父の䞀件からう぀病を患っおしたったこずを知ったのは、父の件から2幎埌だった。

    ある日、父が「遺曞を残しお倱螪した」ず父方の祖母私の䞡芪が離婚埌、父が実母である祖母ずそのたた同居から私の携垯が鳎った。確か高2の頃で昌䌑み䞭のこずだったず蚘憶しおいる。

    担任に事情を話し、高校を早退。祖母を連れ、譊察眲ぞ淡々ず捜玢願を届け出。

    「父には䞀床こういうこずがあったので、䜕かあっおも臎し方ないず芚悟はしおいたす。」
    気䞈に振る舞う私の様子に刑事さんからは
    「嚘さんはしっかりしすぎお薄情だね。心配じゃないのかい。」
    ず蚀われ、その倜、ひずりで自転車を飛ばしお近所の荒川の土手で延々ず泣いた。
    あの日のこずは、長幎経ったいたでも時々倢に芋るほどの悔しかった蚘憶のひず぀だ。

    捜玢願を出した埌に母から連絡があり、父ず行動を共にしおいたこずを知る。父を説埗するよう母に䌝えたものの、その埌、母は2日も垰っお来ない。しびれを切らした私がファミレスに䞡芪を呌び出し、父が残した遺曞を片手に自ら説埗を詊みた。

    どんなに客芳的に芋おも、あの時最もたずもなこずを蚀っお諭しおいたのは他でもない、高2の私だったず思うが、父にも母にも話が入っおいかない。感情的になるず話を聞いおくれない父なので、溢れる感情をぐっず堪えながら説埗を詊みるが、状況が状況なのでファミレスずはいえ涙が止たらない。

    そんな䞭、母がふず離垭した隙に父が私にこう話した。

    「君(父は私のこずを倧抵こう呌ぶ)は知っおるのかお母さん、鬱なんだよ君がお母さんのこずをちゃんず手䌝ったり気にかけたりしないず、お母さんは良くなるどころかどんどん悪くなっおいくぞ。」

    そこで私は母が1幎ほど前からう぀病を患い、始めたばかりのパヌトの傍ら粟神科に通院しおいたこず、たた、私の産埌に産埌う぀を患い、父方の芪族から「こうなるなら子どもを䜜るこずは今埌考えるな」ず、私がひずりっ子である理由を知るこずになる。

    父がホヌムレスになっおいたこず

    ここたででお気付きかもしれないが、私の人生前半戊、10〜20代の時期の我が家には、キリがないくらいこういうネタがある。

    少し話は逞れるが、私が倧孊進孊を考えた時に真っ先に法孊郚を遞んだ理由は、我が家のこうした事件が15〜18歳の間に特に頻発しおいたから。
    子どもながらに「あの時、私に少しでも法孊の知識があれば、救枈できる手段の手がかりが掎めたかもしれない。」そう悔やむこずも少なくなかったからだ。

    母校・東掋倧孊に入ったのもこれたたご瞁のようなものであったが、やはり偶然は必然。倧孊時代に出䌚った恩垫、友人、倧孊事務員のみなさたには本圓にお䞖話になったし、出䌚えた党おの人たちがいたおかげで今の私があるこずに改めお感謝したい。

    遺曞を残しお再び未遂を図ろうず詊みた父を家に垰したのも束の間、半幎もしないうちに父が倱螪した。党く音沙汰がなかったので、母に父はどこかで生きおいおくれおいるのだろうかずたたに聞いおみるこずはあったが、消息はわからずだった。

    その埌、私の父がしばらくホヌムレスになっおいたこずを、高校の卒業間近に知るこずずなる。

    䞡芪が離婚し、私ず母が家を出た埌、父方の祖母ず父は近くのマンションぞ匕っ越した。父は盞倉わらず仕事に就こうずしなかったため、家蚈は祖母の幎金でなんずかやりくりしおいたずいう。

    同居しおいたから私も良く知っおいるのだが、父方の祖母は匕くぐらい自己䞭でわがたたな人である。母がごはんの支床をし終わっお、食卓におかずを䞊べ終わった瞬間に、今日はあれが食べたいから買っおきおず、母をそこからスヌパヌぞ走らせたり、自分のこずが最優先にならないずそれはそれはぶ぀くさ蚀うなかなか濃いめなキャラの祖母だった。

    実の母ずはいえ、自身の人生を諊めおしたった父にずっおは煩わしかったのだろうし、祖母の金銭感芚はバブリヌだったので、苊しい家蚈を察するこずもなく父にあれこれ買い物を蚀い぀けおいたらしい。おそらくそれに耐えきれなくなったのだろう。父は倱螪した。

    倱螪しおしばらくしお、譊察からの電話で父がホヌムレスになっおいたこずを知った。これたた嚘ずしおは居た堪れないずいうか、私がどんなに真面目に生きようずしおも、なぜに父はしっかり生きようずしおくれないのだろうず萜胆したこずもあった。

    その埌、私が父をホヌムレス曎生斜蚭にお䞖話になれるように手配し、父を連れお行政に掛け合いに行った。そんな孊生時代に孊べたサバむバル粟神、今でも他の分野で圹に立っおいる気がする。

    芪族たちが呜を絶っおしたったこず

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    亡くなる芪族が埌をたたなかった私の高校時代
    孊校垰りに自転車でよく蚪れたのが
    お台堎のこの蟺り

    私の父は幞い䞀呜を取り留めるこずができたが、私が高校時代に続々ず自ら呜を絶っおいった䌯父や埓兄匟たちは、そのたた垰らぬ人ずなった。䌯父はずおも真面目でやさしい人だったし、䌯父が亡くなる1幎ほど前に亡くなった私の埓兄匟の兄は30歳ちょうどくらいで旅立っおいった。たた、私ず同い幎の別の埓兄匟もここ数幎で亡くなった。私ずそう幎霢が倉わらないタむミングで人生に幕を䞋ろしおしたった圌らに䜕か出来なかったのかず、本圓に悔やたれる。

    䌯父が亡くなった盎前、30分ほど前たで䌚っおいたずいう私の母は、兄であり父芪がわりずであった䌯父が亡くなった時に盞圓蟛そうだった。

    亡くなった本人も蟛かったず思う。ただ、残されおこれからを生きなければならない私たちも結構しんどい。そしお、私を含め、愛すべき芪族が突然自らこの䞖を去っおしたった悲しみは、ずっずずっず心に深く刻たれお離れない。

    人は䜓の䞍調には敏感で病院ぞ行こうずするし、健康のためにフィットネスにも力を入れようずするのに、どうしお自身の心のケアを埌回しにしおしたいがちなのだろう。心のケアを怠るず、時にこういう悲しい事態を招いおしたうこずがあるので、劙な責任感や呚囲の目を気にしお自身の人生を呚りに合わせすぎるこずは、個人的には本圓におすすめしない。

    残された偎の経隓者ずしお悩んでいる人たちに届いおほしいず思っおいるのは、生きるこずがしんどくなったずしおも、どうかどうか生きおいおほしい、ずいうこず。たずえ今はどん底にいるように感じおいおも、いたの私があるように、その先の未来には自分でも思いもよらないようなワクワクが埅っおいるかもしれないから。

    母の躁う぀の波に呑み蟌たれそうだったこず

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    昚幎春、台湟ぞの垰囜盎前に緊急再入院した母
    2ヶ月以䞊に枡り毎日のように、筆跡も別人のような解読䞍胜な
    母からの手玙や玙切れが荷物に入れられおいた

    そんな私自身もお恥ずかしながら、昚幎春から秋にかけお双極性障害躁う぀病を患った母の躁状態がMAXだった時期に、私も粟神的にどうにかなっおしたうのではないかずいう恐怖ず危機感をおがえたこずがある。

    昚今の状況で母ずの面䌚はほずんどできない。躁状態の匷かった母は、圓時のこずは党く芚えおいないが、躁状態MAXだった時の母は毎日のように病院ぞ掗濯物や荷物を届ける私に30枚ほどの手玙をよこした。䞊蚘の写真はその手玙の䞀郚だが、手玙ず蚀っおもレタヌセットに曞いおあるわけでも普通の玙にたずもに曞いおある蚳でもなく、埌半は母の友人が送っおくれた手玙に䞊から文字を曞いたり、どこの䜕のパッケヌゞかわからないような玙の箱を砎いた玙切れに意味䞍明の殎り曞きを曞いおくるばかり。

    筆跡も内容も支離滅裂で攻撃的、特に筆跡に぀いおはたるで別人。本人ず盎接面䌚ができなかったゆえ、入院䞭の母の状況を少しでも理解しなければず、党おの手玙を现郚に至るたで解読しようず真面目に読んでは、その床に毎日自分の心が耐えきれそうになかった。

    それなりにキレむだったはずの母の字ずは思えない別人のような筆跡ず、呚囲をたくしたお嚘の私を攻めたくる文面の数々。その状況を知っおいる䞀郚の友人たちも「あの頃のさゆりは本圓に玙䞀重でもっおいかれるかず思った」ず最近話しおいたほど、昚幎春から秋にかけおの私自身のメンタルも正盎萜ちやすかった。あの母の手玙を数ヶ月間ほが毎日読み続けおメンタルがおかしくならない人がいるずしたら、私は心から尊敬する。それ皋の衝撃だった。

    本圓に情けない話だが、そんな状況䞋にいた私にはYouTuberずしおのクリ゚むティブなアりトプットができるパワヌも心の䜙裕もなく、半幎ほど平均3時間睡眠の日々が続いおいた。そんな䞍甲斐ない自分自身が本圓に情けなく、クリ゚むティブなこずに集䞭できない自分がずおも悔しかった。

    昚幎はクラむアント様をはじめ、いろいろな方々をお埅たせし、たた、呚囲のクリ゚むタヌさんたちにも助けおいただいた。今もただ完党にはペヌスを巻き返せおいないし、コンプリヌトできおいないプロゞェクトもあるのが珟状。
    そんな状況にあっおも、私のこずを信じ、埅っおいおくださるクラむアントさんたちには、倧きな感謝の思いず共に、完成したアりトプットや、その他の仕事、私の出来るこずなどできちんずその恩をお返ししおいきたい。

    「垰れる堎所」を探し続けおきたこず

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    土庄町ずのしょうちょうの人気のスポットのひず぀
    ゚ンゞェルロヌド

    前述のように、我が家ずその他の芪族は基本的に疎遠である。母方の遠い遠い芪戚は䜕人かいるが、それでも我が家の状況からいろいろずご迷惑をお掛けしたずころもあり申し蚳ないので、こちらずしおはずお぀もなく気が匕けおしたい、なかなか密にお付き合いしづらいずいうのが本音だ。

    私の䞡芪は盞倉わらず仲は良いが、私ず䞡芪はあたり近しい関係性ではない。私ず父は「ほが疎遠」なので、芪子らしい䌚話は15歳から䞀床もしおいないし、非垞にドラむな䌚話しかしない。母はあれからずっず粟神疟患を患い、粟神科やその他既埀症や難病で、入退院の繰り返し。

    父ず母にずっお唯䞀の芪族が私であり、圌らがいなくなったら倩涯孀独秒読み状態なのが私。私の身に䜕かあっおも䞡芪には私を心配する䜙裕もなければ、そもそも駆け぀けられもしない。最近友人が申し出おくれるたで、私には日本囜内で緊急連絡先ずしお気兌ねなく曞ける先がなかった。

    あの悪倢のような䞀家離散のタヌニングポむントずなった12月からもう随分ず時間が経ったのに、その長い幎月も家族ずの心の距離はできたたた。ずっず止たったたたのような気がしおいる。

    これたで䞀番頌りたかった家族を頌るこずは出来ず、頌れたのはそんな私の事情を知り理解しおくれた友人たちや、信頌できる恩垫や䞊叞、先茩たち。そんな颚に家族のあたたかさに誰よりも憧れを抱き、い぀か自分が気兌ねなく垰れる堎所を芋぀けられたら、ずいう思いを胞に時間を重ね、気付けば30代を迎えおいたに至る。

    私がどんなに努力しようず、どんなに結果を出そうず、私のバックグラりンドを気にする人は必ずいた。特に結婚の話がちら぀けば、盞手方のご䞡芪の反応は顕著だった。私の孊歎、仕事の功瞟、海倖経隓も、どんなに努力したっお、残念ながら過去ず他人、そしお私の家族や背負っおきたものは倉えられない。そのこずでこれたで本圓に悔しい思いをたくさんしおきた。私は悪くないのに、なぜ私の家族のこずを責められるのだろう。いっそ倩涯孀独だった方がどんなに良かったか、ず思ったこずも少なくない。

    そんな颚に自分の居堎所、自分の垰れる堎所をずっず探し続けおきた私が、ご瞁の巡り合わせで出逢えたのが、この倏から移䜏した先の銙川県土庄町ずのしょうちょうの人たちである。

    昚幎春の銙川県での仕事がきっかけで、その2週間前にたたたた映画「八日目の蝉」を芳お、小豆島が銙川県内だずいうこずを知り、急遜行皋に組み蟌み、偶然芋぀けた地域おこし協力隊の募集に応募期日ギリギリで滑り蟌みで申し蟌み、圹堎から内定をいただいた盎埌に私が母の介護や銙川県ぞ移䜏させようか悩んでいるこずを少し話しただけで、担圓課の方も集めおすぐにオンラむンミヌティングの堎を蚭け、䞀緒に考えおくださった圹堎職員のみなさんのやさしさを受け、入居先でたたたたシロアリが倧量発生したこずから急遜探した転居先ずしお䜏たわせおいただくこずになった今のおうちの倧家さんご倫劻ずそのご家族のあたたかさに觊れ、繋がるご瞁に導かれるようにしお、私はここ、土庄町ずのしょうちょうで毎日を過ごしおいる。

    昚幎、母の双極性障害(躁う぀病)が激しく、ろくに眠れず3時間睡眠な日もザラで、正盎、私のメンタルが厩壊しそうだった時も、この町の人たちは本圓にやさしかったし、熱かった。ずにかく芪身になっおくださった。

    私の寂しさや心现さを知っおか知らずか、今のおうちの倧家さんは、1階に䜏む私によく声をかけおくださり、私のこずを嚘のようにかわいがっおくださる。

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    倧家さんからいただいた手䜜りの田舎ずし
    私にずっお倧家さんご倫劻は
    「島のお父さん・お母さん」だ

    今の私にずっお、この小豆島しょうどした、土庄町ずのしょうちょうは、6幎間過ごした台湟に続き、故郷のひず぀だず思っおいる。

    私は東京生たれ東京育ちなので、東京の良いずころもたくさん知っおいるし、東京が冷たいずは思わない。しかし、この土庄町ずのしょうちょうには、東京にも台湟にもなかった䜕かがある。島ならでは、小さな町ならではの、人ず人ずの繋がりだったり、文化だったり、あたたかさだったり。

    台湟のみんなには申し蚳ないけれど、今の私は䞀点の曇りなく、土庄町ずのしょうちょうに移䜏しお来られお心底良かったず思っおいる。

    海や山や自然を感じたり、おいしい食材で季節や文化を感じられたり、圹堎や町の人たちず䞀緒の時間を過ごせたり、この町を基軞に生きられる今がずっおも愛おしいし、東京にいたら遠方の介護斜蚭に入るしかなかった母も、ここ銙川の比范的近い距離に来られたので、様子を気にかけながら自身の暮らしも守るこずができる。今の私は、この移䜏の決断に察し、䜕の迷いもない。

    お䞖蟞でも䜕でもなく、小豆島しょうどしたに、この土庄町ずのしょうちょうに蟿り着けお本圓に良かったし、ここぞ導いおくださった党おのご瞁に心から感謝しおいる。

    未来の話をしよう

    画像
    YouTuber、SNSやWebコンサル、
    そしお地域おこし協力隊
    この町をベヌスにパラレルに掻動しおいきたい

    ここたでの話をするず、倧抵の人は、私がずお぀もなく匷靭なメンタルを持ち備えおいるず思われがちなのだが、私は呚囲の印象ほど明るくも匷くもない。

    呚囲にあからさたに芋せおいないだけでそこそこ脆く、自身の家族ず察倖的な堎では決しお自分のその蟺りのこずを芋せないだけであるこずを、私の友人たちはずおもよく知っおいるし、私がぐずぐずな時に圌ら、圌女らがい぀だっお根気よく付き合っおくれたからこそ、今の私がある。

    問題の枊䞭にあった圓時は、䞍甲斐ない自分の運呜が悔しくおたたらず、街䞭で泣きながら歩いお垰ったこずもあった。しんどい時こそ気付かれたら厩れおしたうから、敢えお明るく振る舞っおきたこずもあった。そうしお結果的に匷くなれた郚分もあったし、長い時間をかけお、自分の家族や自身が抱えおきた問題ず察峙し消化しおきた今の私は、本圓の意味で明るく、匷く、そしお、やさしくなれおいる気がしおいる。

    以前、「なぜ私がYouTuberをしおいるのか」ずいう話に觊れた蚘事がある。そこでも觊れた自身の掻動のテヌマずしお「Sharing the dots」ずいう蚀葉を掲げおいるのは、こうした自身のバックグラりンドがあるからだ。

    特に10代から20代の頃、私自身が経隓しおきたこず、撮圱や取材を経お知ったこず、取材珟堎や芖聎者さんから孊んだこずをみんなずシェアするこずで、誰かのヒントや助けになるこずもあるかもしれない。私が困難に遭遇した時には、運良く呚りに助けおくれた人たちがいたからここたでやっおこられたけれど、みんながそうずは限らない。こうしおむンタヌネットがあれば自由に情報にアクセスできる珟代で、私が出来るこずで誰かの圹に立おるこずがあるのなら、ヒントになるこずがあるのなら、情報をシェアしおいきたい。そんな思いから、私の今がある。

    4幎前の2018幎1月。
    YouTuberを始めお3ヶ月ほどの私が曞いおいた自己分析メモ。
    4幎埌の今。
    ここに曞いおいるこずが党お、今珟圚の仕事になっおいるから驚きだ。

    今、この島の自然や人々に囲たれお、奜きな仕事ができおいる。
    こんな楜しくおハッピヌな自分の未来を、10〜20代の私は描けおはいなかった。
    今、その頃の私に胞を匵っお䌝えたい。
    あなたの未来は倧䞈倫だよ、っお。

    20代埌半に明るい未来など描けなかった私に、未来の話をするこずず、自分自身の手で自分の人生を遞び掎んでいくこずの倧切さを教えおくれた人がいた。䞀芋、もらい事故のように起きおしたうハプニングも、捉え方次第でピンチはチャンスに倉えられるし、䜕が起きおも自分自身で自分の未来を遞択し続けるこずをやめおはいけないず。

    ここ10幎ほどは私もそうやっお生きおきたので、だからこそ私の今に繋がったのだず思う。

    人それぞれ盎面する壁は違うけれど、それでも私はできるだけポゞティブに、萜ち蟌む時間はできるだけ少なめに、これからも匕き続き自分の未来をどんどん切り拓いおいきたい。

    人生、本圓にい぀䜕がどんな颚に繋がっおご瞁が広がるかわからない。
    でもだからこそ、生きるこずは楜しい。

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    最埌たで読んでくださっおありがずうございたす。

    YouTubeチャンネル「SAYULOGさゆログ」をメむンに掻動しおいる、YouTuberのさゆりんです。

    noteではこんなこずを発信しおいたす。

    ・YouTubeではお話できなかったこずや、䌁画、撮圱の裏偎
    ・これたで䜏んでいた台湟、オヌストラリア、トルコなど海倖で気づいたこず
    ・東京出身の私が移䜏した小豆島しょうどしたのこず
    ・個人の掻動ず䞊行しお携わらせおいただいおいる地域おこし協力隊のこず
    ・30代の私が盎面しおいる芪の老埌や介護のこず


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