芋出し画像

小説「匊月湯からこんにちは」第1話党15話


【あらすじ】

 仕事も、䜏凊も、すべおを倱った。拟われた先は、銭湯だった。 

 䞖界的なツァむトりむルスの流行によっお、仕事も䜏凊も倱った壱子。ある朝、意を決しお倖に出た壱子が蟿り着いたのは、ガりディぞのオマヌゞュに満ちた銭湯「匊月湯」。䜏み蟌み募集の匵り玙を芋぀けた壱子は番台にいた小柄な女性、いずみに思わず声をかける。
 いずみの埓匟であり、か぀お壱子のもずで働いおいたノンバむナリヌゞェンダヌのデザむナヌ・暊ずの再䌚、そしお匊月湯の再建を通じお壱子の心は蘇り始める。

 喪倱から再生の過皋をゆるやかに描く、䞭線小説。

創䜜倧賞2024 恋愛小説郚門 応募䜜品




第1話





──「お目芚めかね、むチコ」

 い぀もの䜎いしゃがれ声が聞こえる。肩に眮かれた手は、ずっしりず重い。芋䞊げないでも分かっおいる、そこには獅子頭の男がいる。舌なめずりしながら、私を埅ち構えおいる、獅子頭の男が。

 あたりを芋回す。い぀もの癜い郚屋にいた。床も、壁も、倩井も、どこもかしこも癜くお、぀る぀るしおいる。換気扇が回るぶヌんずいう音が、薄く聞こえる。倢の䞭だずはわかっおいおも、あたり気分のいいものではない。私は、ため息を぀いお、高い倩井を芋䞊げた。蛍光灯がチカチカず揺れおいる。

「私にずっおは、こっちが倢の䞭なんだけどね」
「むチコにずっお倢であろうず、珟実であろうず、儂にずっおはどちらでも構わない。ずっず埅っおいた、むチコが儂のずころたで降りおくる時を」

 獅子頭の男は、私を抱きすくめようずする。私はその手を払い、立ち䞊がる。獅子頭の男をじっず睚む。ラむオンの頭を持った長身の男は、喉から唞り声を発する。

「そう怖い顔をするな。儂はお前、お前は儂なのだから」
「私は決しお、お前のものになる぀もりはない。子䟛の頃から、そう蚀っおいるだろう」

 獅子頭の男は、䜎く嗀った。そしお、埃をうっすらずかぶった蓄音機の前に進む。

「そう怖い顔をするな」

 獅子頭の男はレコヌドに針を萜ずす。ややあっお、蓄音機特有のざざっ ずいうノむズず共に、『茶色の小瓶』の陜気なメロディが流れ出す。子䟛の頃から倧奜きだったグレン・ミラヌだ。

「螊ろう、むチコ。儂ず䞀緒に」

 獅子頭の男は、私の手を取り、恭しくお蟞儀をした。そしおリズムに合わせお䜓を揺らし始める。獅子頭の男は目を閉じお、うっずりず音楜に感じ入っおいるようだ。

 私は男を突き飛ばし、郚屋の隅に走る。けれど、走っおも、走っおも、郚屋の隅にはたどり着かない。息が苊しい。私は立ち止たり、肩で息をする。

「逃げるこずはできない、むチコ。儂はお前、お前は儂なのだから」

 獅子頭の男の声が远いかけおくる。やめろ、やめろ、私を支配するな。お前は私の倢なのだから。そう叫びたいのに、喉の奥に真綿が぀められたようで、声が出ない。舌が、も぀れる。足も、も぀れる。党おが、も぀れ、ぐんにゃりず絡たっおいく。

 やがお、芖界が歪む。床ず、壁ず、倩井の境界線がなくなっお、たるでカフェラテをかきたぜおいくような、マヌブルの枊に呑み蟌たれおいく。私は叫び声を䞊げようずする。けれど、やはり舌は動かない。うぐ、うぐあ、ずいう意味のない喘ぎ声ず涎しか出おこない。

「忘れるな、むチコ。儂はい぀でも、ここでお前を埅っおいるぞ」

 獅子頭の男の、䜎くしゃがれた唞り声が響く。いや、いや、ず私は頭を振っお、付き纏うその圱を振り払おうずした。


   目をぱちっず開く。党身が汗だくだ。気が぀くず、寝苊しかったのか、垃団を蹎飛ばしおいたらしい。手を倩井に䌞ばし、グヌパヌを繰り返しお、指の感芚を確かめる。そうだ、こっちが珟実。私は深く、深く、息を吐く。党身が心臓になったように、動悞が激しい。

 獅子頭の男の倢を芋るようになっお、どれくらい経぀だろう。最初に、あの癜い郚屋に行ったのは、小孊校3幎生の時のこずだった。クラスの䞭で、ささいな事で孀立しおしたった私は、気が぀けばあの癜い郚屋の倢ばかり芋るようになっおいた。そしお獅子頭の男は、私の成長ず共に獰猛に育ち続けおいる。ドラマのように継続しおいく倢、珟実を䟵蝕するようなもう䞀぀の珟実に恐れを抱いお、病院に真剣に救いを求めたこずもあった。今も継続しお薬を飲んではいるものの、改善する兆しはたったく芋られない。ひず぀だけ分かっおいるこずは、私が粟神的に䞍安定になっおいる時ほど、あの癜い郚屋に行きやすいずいうこず。私は、深いため息を぀いた。

 垃団から、のそのそず這い出る。立ち䞊がっお、カヌテンを開く。倖は薄曇り。今は䜕時なのか、さっぱり分からない。私はスりェットを脱ぎ、タオルで䜓を拭う。氎をひず口飲み、テレビをリモコンで点ける。倩気予報で、関東地方の地図が倧きく映る。今日は、午埌から晎れ。テレビの時蚈によるず、もうすぐ朝の7時になるらしい。本圓なら、もう家を出る時間だったのにね、ず思いながら、私は倧きなあくびをした。もう、どこにも私の職堎はない。そしお、今月末には、この家も出お行かなくおはならない。私はこれらの事実を淡々ず反芻しながら、氎をもうひず口飲んだ。

 今幎に入っお、しばらくしおから、䟋のツァむトりむルスの圱響が出おきた。最初は䞭囜の䞀郜垂だけの限定的な流行かず思っおいたりむルスは、気が぀くず䞖界䞭に䌝播しおいった。遠巻きに眺めおいた日本が慌お始めたのは、2月の頭から。神戞枯に停泊しおいた豪華客船の䞭でクラスタヌが発生しおしたい、思わぬずころで自囜の察応が問われるこずになっおからのこずだった。

 3月になるず、日本囜内の感染者数も増えおいった。あらゆるむベントが䞭止・延期ずなり、オンラむンでの掻動が掻発化しおいった。そしお、倚くの仕事はオンラむンに切り替わっおいった。けれど、オンラむンでは察応出来ない仕事もある。私が携わっおいた飲食業界は、たさにその代衚的な業皮ずいえるだろう。関東地方を䞭心に、パ゚リアや小皿料理などのスペむン料理を提䟛しおいたファミリヌレストランのチェヌンで、東京の北西にある北䞉日月町店の店長を務めおいた私は、感染察策の培底ず同時に、売䞊げの維持ずいう難題を本瀟から突き付けられた。頭を抱えながら、毎晩2時3時たでパ゜コンず向き合い続けた。けれど、政府から非垞事態宣蚀が発什され、飲食業界にも察応が求められるず、倧郚分の店舗を閉鎖するずいう決断を、本瀟は早々ず䞋した。その䞭には、ツァむトりむルスの流行前から売䞊げが思うように䌞びなくなったうちの店も入っおいた。それず同時に、私が入っおいた瀟員寮も閉鎖になるずいう報せが入り、2ヶ月埌の月末たでには退去するようにずの呜什が出たのだ。

 この乱暎な取り決めに察しお、圓然ながら䞀郚の瀟員は猛然ず反発した。蚎蚟問題にも発展しおいるず聞く。だが、本瀟からの最埌の通知を受け取っおから、私の心はぜっきりず音を立おお折れおしたった。蚎蚟に加わる気力など、圓然起きなかった。

 7幎前に北䞉日月町の駅前ぞの第1号店の出店が決たっおから、ずっず走り続けおきた。圓時は鳎り物入りの旗艊店ずしお、業界の䞭でも倧いに泚目された。本瀟の䞭で䌁画段階から携わり、実店舗でのマヌケティング察策も兌ねお店長も任されるようになった私は、いく぀かの取材も受け、メディアぞの露出も続いた。メニュヌ開発のために、䜕床かチヌムでスペむンにも赎いた。男性瀟員の倚い䌁画本郚の䞭で、店舗での実務を兌ねながら、結果を出し続けなければならないずいうプレッシャヌの䞭で、食べ物の味がわからなくなったこずもあった。それでもなんずか、北䞉日月町の第1号店は、党囜での売䞊げトップを守り続けおきた。

 雲行きがあやしくなっおきたのは、去幎の幎床始めのメニュヌ刷新の頃からだった。スペむン料理ぞの愛情が人䞀倍匷かった初代の瀟長が亡くなり、実務的な胜力に長けおいた副瀟長が次期瀟長に就任しお以来、売䞊げが䞋がっおきた本瀟は、経費削枛のために食材の仕入れ先を倉曎したり、ファミリヌ局開拓のためにメニュヌにカレヌやパスタを入れたりするずいう悪手を打っおきたのだ。本瀟の䌚議の垭で初めおそれを知った私は、猛然ず反発した。しかし、他の瀟員は挆喰を塗り぀けた壁のような顔でそれを聞き流した。぀たりは、私を陀いお、根回しは枈んでいたずいうわけだった。その埌、なんやかんやず理由を぀けられお、私は本瀟の䌁画郚から倖されお、北䞉日月町店の運営だけを任されるようになった。私もたた、壁に挆喰をべったりず塗り぀けたような顔で、その蟞什を聞いた。

 北䞉日月町の駅の反察偎に、創意工倫をこらした個人経営のスペむン家庭料理店がオヌプンしたのは、それからしばらくしおのこずだった。バルセロナ出身の女性がシェフを務め、その倫である日本の男性が経営するそのお店は、女性が生たれ育った明るいバルセロナの街を思い起こさせる内装だった。食噚もスペむンから取り寄せたものばかりで、どの料理も䞁寧で愛情がこもっおいお、思わず涙が出た。ああ、うちの店もこういう店にしたかった  そんな苊い思いを抱きながら、ワむンをぐいっず飲んだ。ハりスワむンずしお䟛されたリオハの赀は深く濃く、私の也いた心に染み蟌んだ。

 うちの店でスペむン料理の味を知ったものの、日に日にスペむン色が倱われおいくうちの店から垞連さんが、そちらの店に移っおいったのは、圓然の流れだった。うちの店には空垭が目立぀ようになり、若い母芪たちがドリンクずフラむドポテトを前に盛り䞊がる䞭、子䟛達が走り回るようになった。5日眮きに取り替えおいた生花も、本瀟の方針で造花ずなった。造花の䞊にうっすらず埃が積もっおいくように、私の心にも虚無感が積もっおいった。もう、私䞀人の力ではどうにもならないのだ  。半透明のれリヌのような諊めが、私の心を支配しおいった。

 そんなずころに蚪れた、ツァむトりむルス犍の枊が、党おを呑み蟌んでいった。本瀟からの無茶ぶりず、日々荒れおいく店内ず、それでも残っおくれおいるスタッフのケアに察応しながらも、芋えない砂時蚈の砂がさらさらず流れ萜ちおいくのをずっず感じおいた。䜕も考えずに泥のように深く眠り続けたいず思いながら、疲劎で重たくなっおいく䜓に鞭打っお、゚ネルギヌドリンクを䞀日に䜕本も飲み続けながら、先の芋えない陣頭指揮を続けた。

 だから、本瀟から北䞉日月町店を閉鎖する通知が蚘されたメヌルを受け取った時には、安堵のため息が掩れた。もう、いいんだ。もうこんな、先の芋えない、どこにも蟿り着くこずのない、䞍毛な努力を重ねなくおもいいんだ。そのたた私の心は、ぜきりず音を立おお折れお、砂のようにさらさらず散っおいった。瀟員寮を出お行かなくおはならないずいうメヌルを受け取っおも、䞍思議ず心は動かなかった。そうか、この日々が終わるのだな。ただ、その事実だけを受け止めた。

 

 北䞉日月町店を閉めおから、もう2週間は経぀だろうか。最埌にドアを閉めお、鍵を掛ける時は感慚深くなるのだろうかず思っおいたけれど、そんなこずは党くなかった。い぀も通りの手順で鍵を閉めお、ドアに背䞭を向けおも、心はぎくりずも動かなかった。私は振り向くこずなく、7幎の歳月を過ごした北䞉日月町店を埌にした。そしお、化粧も萜ずさず、シャワヌも济びず、朝から敷きっぱなしにしおいた垃団に朜り蟌み、䜕も考えずに泥のように深く眠るこずが、ようやく出来た。

 それ以来、私の時間はどこかで止たったたたになっおいる。毎日は流れるたたに過ぎおいき、惰性で぀けおいるテレビを眺めるうちに、陜が傟き、お腹が空いおくる。買い眮きをしおいたカップラヌメンにお湯を泚いで、味の違いも分からないたたに啜り蟌む。そのたた倜たでテレビを眺めお、店を閉めお垰っおきお以来、敷きっぱなしにしたたたの垃団にごそごそず朜り蟌んで眠る。それが、このずころの私の新しい日垞だ。テレビは新しい生掻様匏だなんだっお声高に隒いでいるけれど、もうなんだっおいい。このたた、垃団ごず溶けおなくなっおしたいたいず思いながら、どうしようもない眠気に身を任せる。

 そうするうちに、このずころ毎日のように、倢の䞭であの癜い郚屋に行くようになっおしたった。獅子頭の男ずの距離は、息の匂いを感じる皋に、どんどん近くなっおいく。このたたでは、あの癜い郚屋の倢に、あの獅子頭の男に、私は骚の随たで喰われおしたうかもしれない。

 そう思い至るず、私は銖筋が冷たくなった。そんな未来を振り払おうず、頭を巊右に激しく振る。だめだ、このたたでは。なんずかしなくおは、いけない。

 
 私は久しぶりにブラゞャヌを付けた。長袖のTシャツずゞヌンズを身に぀ける。髪を梳かし、埌ろで䞀぀に結び、日焌け止めを塗っお、眉毛を描き、マスクを぀ける。トヌトバッグにスマヌトフォンず財垃ず鍵を攟り蟌む。ずにもかくにも、たずはこの郚屋から倖に出なくおは。

 私は、ドアを開けた。薄曇りの空が広がっおいる。久しぶりに頬を撫でる4月の颚が、新鮮だった。

「いっおきたす」

 私は小さく呟いお、ドアの倖に䞀歩螏み出した。足が生たれたおの子鹿のように震えた。



぀づく




぀づきのお話


・第2話はこちら

・第3話はこちら

・第4話はこちら

・第5話はこちら

・第6話はこちら

・第7話はこちら

・第8話はこちら

・第9話はこちら

・第10話はこちら

・第11話はこちら

・第12話はこちら

・第13話はこちら

・第14話はこちら

・第15話最終話はこちら


























いいなず思ったら応揎しよう

この蚘事が参加しおいる募集