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エッセイ │ 初めての後輩

    社会人になって、13年目になった。
    新入社員のころ、社内で一番優秀な先輩が私の指導係だったおかげで、とても順調なキャリアを歩んできた。

    初めての先輩は、ずっと怖かった。
    電話は2コール以内に出なさいとか、尊敬語と謙譲語の使い分けが間違っているとか、書類を留めるクリップを取引先企業の名前に重ねてはいけないとか、お辞儀の角度が悪いとか、アイスブレイクが機能していないとか、議事録がわかりづらいとか、メールの返信が遅いとか、企画がありきたりで工夫がないとか、この数字には根拠が足りないとか、お茶出しでカタカタ音を出しすぎとか、お酌の仕方がわかっていないとか、とにかく気が利かないとか、相手を考えた先回りができていないとか、言動のすべてを注意されていたから。

    ずっと会社に行くのが嫌で仕方がなかった。指導を超えて嫌がらせではないかとすら思っていた。会社のトイレで何度泣いたかわからない。

    けれど2年が過ぎたころに、先輩の海外赴任が決まった。わかりやすい出世コース。私と5歳しか変わらないのに、3年間の海外赴任を終えたら管理職になるなんてことも噂で聞いた。

    正直、ほっとした。もう怒られずに済む、って。
    でも、すぐに心細くなった。不安になった。後任として私は未熟すぎたから。
    (……これで合っている?)
    確認したくても、誰もわからない。それほどまでに先輩がこなしていた仕事は専門的で難しかった。さらに、先輩が涼しい顔でこなしていた仕事は実はとんでもない量だった。それを私が全部判断して進めるしかなかった。

    先輩がいなくなって、すぐに私は心がくじけそうになった。
    2年も引き継ぎ期間があったのだからもう一人でできるだろうって、上司もほかの先輩も助けてはくれなかった。
    そんなとき、普段あまり開かないデスクの引き出しに小さなお菓子の箱とお手紙が入っていることに気がついた。
    それは、先輩からのサプライズだった。

      さゆちゃん、2年間ありがとう。
      厳しくしすぎたでしょうか?
      つらかったよね。ごめんね。
      でも、初めての後輩で、
      私の転勤はずっと前から決まっていて、
      しっかり教えなければ、育てなければ、
      って必死でした。
      自信を持って大丈夫だよ。
      もう全部ちゃんとできているから。
      どうしても不安になったら連絡してね。
      今後の活躍を誰よりも祈っています。

    みんな帰宅して一人で残っていた深夜の執務室で声を上げて泣いた。
    職場で泣いたのは、その日が最後だったと思う。
    誰よりも優秀で憧れの先輩が「大丈夫」と言ってくれた。だから私はもう弱音は吐かないと心に決めた。先輩の足元にも及ばないけれど、誰よりも勉強して、働いて、先輩の代わりになろうって、まだその職場では最年少の私が決心した日だった。

    私は長かった髪をバッサリ切った。
    すらっと手足が長く背も高くてどんなスーツも格好良く着こなす先輩と、平均的な身長で幼さの残る私は似ても似つかない。でも、前髪をセンター分けにして、切りっぱなしボブにした。先輩のマネだった。

    「なんか最近調子いいじゃん」
    「さすが、鍛えられただけあるね」
    そんな褒め言葉をもらえるようになったのはすぐだった。

    よくよく思い返すと、私は社会人になってから今日まで、その先輩以外に怒られたことはない。本当にすごい人に面倒を見てもらえたんだって、今になって改めて実感する。

    先輩が海外に行ってしまってから連絡したのは1年半以上が過ぎてから。
    私の上司と先輩が結婚したとき。正直、先輩の結婚には驚いた。仕事一筋だと思っていたから。あんなに仕事をしているのにプライベートも充実しているんだ、ってさらに尊敬した。そのとき、ちょうど私からも先輩に伝えたいことがあった。

      ご無沙汰しております。
      ご結婚のこと、上司から伺いました。
      本当におめでとうございます。
      そして、お祝いのご連絡に合わせての
      ご報告ですみませんが、
      キャリアアップのために上京を決めました。
      先輩のおかげでもっと頑張りたくなりました。
      本当にありがとうございました。
      先輩みたいに海外で活躍はできませんが、
      私も頑張ります。

    すぐに、返信が届いた。

      久しぶり! 連絡ありがとう。
      旦那(笑)からさゆちゃんの活躍
      いつも聞いています。
      もうどこでもやっていけると思うよ!
      今後もずっと応援しています。

    このメールが私の背中を強く押してくれた。
    いつか私も後輩ができたら先輩みたいになりたい。
    でも私はもうちょっと優しく指導したいかな、なんて余裕すらできていた。

    それなのに、私に後輩はずっとできなかった。
    2社目も、3社目も、第一希望の会社で、第一希望の部署に配属されて、傍から見れば私はとても恵まれている。
    それでも、後輩ができない、それがずっとコンプレックスだった。
    友人から「後輩が~」「部下が~」という話を聞くたびに、共感したくてもできなくて、「大変だね」「そうなんだ」って無理して笑うしかできなかった。

    専門職だからだろうか?
    上京してから7年以上、部署でもチームでもずっと最年少。私よりも後に中途で入社してきた人は何人かいる。でも、全員私よりも年上だったから、仕事を教えることはあっても私の思い描く「先輩と後輩」ではなかった。

    「私は一生下っ端ですから」
    なんて自虐しながら、30代になってもずっとお茶出しをする。仕事での評価は悪くなかった。それでも、いつも上司との評価面談で「後輩指導の機会には恵まれなかったが~」というコメントが少しずつ心を削っていった。どんなに頑張っても、私に指導経験だけはずっとない。
    「機会に恵まれなかった」と書き続けるくらいならその機会を作ってよ、不公平じゃん、後輩がいれば私はもっと評価されるかもしれないのに、と苛立ちすら覚えていた。名ばかりの役職なんていらない。
    別の部署の私よりも年下の子が後輩に指導をして先輩になっていくのをただ羨ましく眺めていることしかできなかった。悔しかった。でも、人事に口を出すことはできない。諦めるしかなかった。

    そんなとき、転機が訪れた。2020年の春。
    たくさんの死者が出て、世界を揺るがした新型コロナウイルスの蔓延がきっかけの心境の変化に「転機」という言葉を使うのはとても不謹慎だとは思う。でも、私の今後の人生を大きく変える出来事には変わりなかった。

    ――私はずっと東京に残るの?
    ――コロナウイルスだけじゃない。
    ――災害があったときに家族と離れていていいの?
    ――私はどこで生きていきたいんだろう?
    ――私は誰と人生を共に過ごしたいんだろう?
    ――ここで死んでも後悔はない?

    そんなことを毎日考えていた。
    東京は好きだった。というより、好きになった。
    通勤ラッシュの満員電車や夏の暑さには嫌気がさしていたけれど、とにかくキラキラしていて、楽しいものが詰まっている場所だった。
    でも、なんだか忙しなくて、帰省したときの海風とかキュッキュッと音を立てる雪の感触とかそういう自然を求めるようになっていた。

    そこからしばらくして、生まれ故郷にある関係会社が求人を募集していることを知った。
    迷いは、一切なかった。同じような仕事ができる。いや、むしろもっと面白い仕事ができる。大切な人たちともすぐに会える。大好きな故郷で生活ができる。
    その後すぐに予定されていたキャリア面談で上司に話した。
    「故郷に帰ります」って。
    「ここにいた方が給与もいい、選択肢も多い。それでもいいのか?」とだけ確認された。でも、「もう決めました」という私の言葉を聞いてすぐに受け入れてくれた。
    まだ内定をもらっているわけではない。でも、なぜか必ずそこで働けるという確信のようなものがあった。そして、その後すぐに内定した。

    そのときの私は、誰から見ても「忙しい人」だった。
    多岐にわたるプロジェクトの責任者として、分刻みのスケジュールをこなしていた。
    このころにはどんな仕事も怖くなかった。初対面の挨拶で笑いを取る定番ネタもたくさん持っていたし、大企業の管理職や役員相手のプレゼンでも緊張すらしない。交渉事も譲るところと譲らないところを線引きして、とにかく強気だった。
    でも、それだけ慣れても勤務時間は相当長くて、労働基準法的にギリギリのラインでなんとかこなしていける状態だった。

    だから、せめて引き継ぎ期間は長めに取ります、と言って4か月間東京に残ることになった。でも、なかなか後任が決まらなかった。

    退職1か月前、ようやく紹介されたのが「初めての後輩」だった。
    (当時は苗字に「さん」付けで呼んでいたけれど、以降は今の愛称の「ユウちゃん」と書かせてもらう)

    「はじめまして!」
    上司に紹介されて声をかけてくれたユウちゃんは、とにかく可愛かった。
    小柄で声まで可愛らしくて、肌も髪もツヤっとしていて、くりくりの真ん丸の目と長いまつげが印象的で、イマドキの清楚で素敵な少女漫画のヒロインみたいな女の子。
    「えっ! 可愛い!」
    と、思わず口に出してしまっていたと思う。

    でも、同時に大きな不安と申し訳なさがこみ上げた。
    23歳、社会人2年目。1年目は研修期間で社外との接点はないとのこと。出身校や1年目の配属先を聞いて、新入社員時代の私より遥かに優秀なことはわかる。でも、社会人歴11年目の私が毎日残業をしてなんとか間に合わせていた仕事を、この子に全部押し付けなければならない。

    あのころ、先輩も同じような気持ちだったのだろうか……。
    せめて後任は経験者か年上がよかった。そう思っていたんじゃないだろうか。
    そのときになって、当時先輩がお手紙に「ごめんね」って書いたときの気持ちが痛いほどわかった。
    自分は去ることが決まっている。だから、しっかり教えなければ、育てなければならない。
    「私がやるからいいよ」「ゆっくり覚えようね」なんて甘いことは言えない。先輩は私と2年の時間を共にしてくれた。でも、私はユウちゃんと1か月しか一緒にいられない。

    正直、全部を引き継ぐなんて無理だと思った。上司もそう思っていただろう。だからチームのベテラン社員を一人サポート役に付けてくれたけれど、あくまでもユウちゃんが私の後任で、ベテラン社員はほかの業務もあるからそんなに頼れない。
    私の全部を、1か月でユウちゃんに引き継ごう、そう決めた。

    ユウちゃんは、本当に賢い。そして驚くほど仕事に前向きだった。
    後任が決まるまでに作っておいた100ページ近い引継書を挨拶した日に渡したら、その晩のうちに読み込んで、不明点にマーカーを引いた状態で翌日出社してくれた。
    1年間の研修期間でビジネスマナーも学んでいるだろう。だから「念のため」「一旦」社外の人に送るメールは軽く確認する気持ちで先に私に送ってもらうことにした。
    でも、ここで最初の壁にぶち当たった。

      こんにちは!
      了解です!
      OKです!
      それはよくないと思います!
      それは無理です!

    (……これは、まずい)
    口には出せなかった。さりげなくビジネスメールを書いたことがあるか聞いたところ、社内の人とチャットでの連絡をしたことしかないという。
    1年も研修期間があったはずなのに……、と焦った。でも、どうしようもない。
    伝えたいことはわかるし、合っている。でも、純粋すぎる。真っ直ぐすぎる。これがZ世代かとジェネレーションギャップに驚きもした。
    どのメールにもある元気な「!」には笑ってしまったし、私も時々社外宛のメールでも使うから完全に否定する必要はないと思っている。でも、相手と信頼関係を築いてから初めて使っていい記号だと私は思っていた。
    きっと指導方針はさまざまだ。これで良しとする人もいるだろう。でも、私は「基本のキ」を教えようと思った。新入社員の何もできなかった私を育ててくれた先輩を思い出しながら。
    誰に対しても丁寧で失礼のないように。どんなことにも対応できるように。

      お世話になっております。
      承知しました。/かしこまりました。
      問題ございません。
      こちらの意見としましては~
      ですがいかがでしょうか?
      申し訳ございませんがそちらは
      ご希望に沿うことが難しく、
      今回はお引き受けいたしかねます。

    丁寧に直しながら、よく使うフレーズの一覧表を作った。
    「大人って大変ですね」
    「恐れ入りますとか飾りですよね」
    そんな純粋な言葉に「うん、そうだね」ってすごく共感する。私だってできるものなら「できません!」「やりません!」「それはおかしいです!」って正直にメールしたいって何度も思っていたから。

    次の壁は業界用語だった。
    「入稿?」「下版?」「校了?」「KPI?」「グロス?」「ネット?」「完パケ?」「送稿?」「PPM?」と、はてなマークが頭の上に実際に見えるほどたくさんつまずいた。
    このとき、ユウちゃんではなく私が未熟だと気がついた。もう若手のころにわからないことがわからなくなっていた。完璧な引継書を作った、何かあればそれを見ればわかる、なんて私の自惚れだった。誰が見てもわかる資料になっていない。
    そして、用語集を書き足した。

    普段は明るくて楽しいユウちゃん。
    どんなに難しい仕事を教えても理解できるまで質問をしてくれる。
    でも、取引先に後任として紹介しに行った日、隣でガチガチに緊張しているのを見てまた申し訳なくなった。
    (そうか、こういう場も初めてだったんだ)
    どこまでフォローすべきか、どこまで任せるべきか、わからない。
    帰り道、どうしても耐えられなくなって謝った。
    「ごめんね、時間がなくて。ごめんね、後輩指導の経験がなくて……」
    でも、そんな私をいっぱいいっぱいのユウちゃんがフォローしてくれた。
    「私はさゆさんの後輩でよかったです」
    涙があふれそうになった。でも、刻一刻と迫るお別れの日を実感するのが嫌で、私は笑った。
    「ありがとう。私も初めての後輩がユウちゃんでよかった」

    クリップの留める位置が気になって声をかけたり、回答に時間がかかるときは先にメールを読んだ返信だけでもした方がいいよと教えたり、相手はきっとここで悩むから先回りでこういう提案をしようと伝えたとき、懐かしい記憶がよみがえった。そして気づけば、先輩と同じ言い方をしていた。
    ああ、先輩の指導はバトンをつないでいくようにこうやって後輩に伝わっていくんだ、って思った。

    それからの日々は、あっという間だった。
    社内外への挨拶回り、引継ぎ、送別会、引っ越し準備……。目が回るような日々。
    でも、このとき初めての感情を抱いていることに気づいた。
    「早く会社に行きたい」って。
    働かなくても生活できるのならそうしたい、楽しい仕事をしているけれどニートになりたい。仕事はあくまでも生きるための手段だったはずなのに、毎日の楽しみになっていた。
    それは、間違いなくユウちゃんとの出会いがあったから。
    帰宅したらすぐに好きな本を開いたり映画を観ていた私が、「明日はこれを伝えよう」「これも教えた方がいいかな」とか仕事のことばかり考えて、それがとにかく楽しかった。

    その楽しい時間も、ついに終わりを迎えた。
    最終日はユウちゃんと一緒に一日過ごした。昼食も、夕食も。名残惜しかった。でも、ユウちゃんは明日も朝から出社で、私は引っ越し業者が家に来る。
    首に下げている入館証を返却したら、もうお別れ。
    終わらないでほしい、まだここにいたい。あれほど故郷に戻るのを楽しみにしていたのに、迷いなんてなかったのに、東京で出会った大切な人たちとの別れも覚悟していたのに、未練ばっかり。

    「もう今日は解散、かな」
    そう言って入館証を首から外そうとしたときだった。
    「さゆさん!」
    大きな声で私の名前を呼んだユウちゃんはカメラを構えていた。
    「入館証の返却、記念に撮影しましょう!」
    たぶん、深い意味はなかったと思う。でも、私にとっては「私がここにいた」という記録を残してくれているようで、本当に嬉しかった。

    「またね」って、最後じゃないみたいに駅で別れた。
    そして、すぐにLINEを開いて、伝えられなかったことを全部文字に残した。

      1か月間、本当にありがとう。
      ユウちゃんとの時間は本当に楽しくて新鮮で、
      会社に行くのが楽しみになっていました。
      引き継ぎ、全然足りなかったと思う。
      これから困ることもたくさんあると思う。
      11年目の私も悩むことばかりだから
      大変なときは一人で抱えないでほしい。
      私でも、近くにいるほかの人でも、
      必ず誰かを頼ってほしい。
      心と体だけは大切にしてください。
      ずっと味方です。応援しています。
      本当にありがとう!

    電車の中で、誰にも気づかれないように少しだけ泣いてしまった。
    ユウちゃんからの返信はすぐに来て、とても丁寧な長文で、ここでは読めないと思って自宅に戻ってから開き直した。
    その返信は、私の心にだけ留めておきたい生涯の宝物になった。

    引っ越し後も、新しい職場に着任しても、すぐにユウちゃんから質問や相談の連絡が来ると思っていた。でも、全然来なくてちょっと寂しかった。
    あとから知ったけれど、私が先輩に遠慮してずっと連絡しなかったみたいに、ユウちゃんも遠慮していたみたい。
    (もっと甘えてくれてもいいのに)
    (まだ先輩でいたかった)
    なんて気持ちは私のわがまま。私は新しい環境で覚えること、やることがたくさんある。集中しよう。

    それから何か月か経って、ユウちゃんから会社に私宛の郵便が届いていた。
    中身は、カレンダーだった。毎年私が制作を担当していたけれど、ユウちゃんに引き継いだ最初の仕事の成果物。
    「初めての制作物です!」
    可愛いキャラクターの便せんに可愛いユウちゃんの文字で書かれたお手紙。心がとても温かくなった。私がいなくても大丈夫。それはちょっと寂しいけれど、嬉しい気持ちの方が圧倒的に大きかった。

    そのお礼から、時々連絡を取り合うようになった。
    やっぱり2年間先輩が付きっ切りだった私と違って、1か月で先輩がいなくなったユウちゃんはたくさんの悩みを抱えていた。
    そこからしばらくは電話で相談に乗ったり引き継ぎの続きをしたけれど、その頻度もどんどん減って、テレビで流れてくるCMとか、更新されているホームページとかでユウちゃんの活躍を見守っていた。
    元上司や元同僚と連絡を取ったときにユウちゃんが頑張っていることを聞いて、なんだか私まで誇らしい気持ちだった。

    昨年の末に、私は東京に行った。1年半ぶりだった。
    真っ先にユウちゃんに「少しでも会えるかな?」って連絡した。すぐに「会えます!」と返事が来て、お店まで予約してくれて、もうどっちが先輩かわからない。
    すごく大きな仕事も任されて、「こんにちは!」とメールを打っていた少女のようなユウちゃんは、素直さを残したまま素敵な女性になっていた。

    私は、今の職場ではまた最年少。
    次に先輩をできる日がいつ訪れるのかはわからない。
    でも、今は上司との評価面談で「後輩指導の機会には恵まれなかったが~」とコメントされても、友人や別の部署の年下の子から後輩や部下の話を聞いても羨ましいとか悔しいとか、そんなネガティブな感情を抱かなくなった。

    ユウちゃん、私に先輩を経験させてくれてありがとう。
    そして先輩、私の最初の先輩になってくれてありがとうございました。

    先輩から受け取ったものを、私はちゃんと次につなげられていたのかもしれない。
    あの日、ようやく私は誰かの先輩になれた。

     
     
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