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エッセイ|男になる方法



    子どもの頃、私は持久走大会を人生で一番真剣に走った。

    優勝したかったわけではない。

    男になりたかったのである。

    今となっては、その文章だけで十分におかしい。しかし当時の私にとって、それは将来の夢でも願望でもなかった。ただ、必要だった。

    私の周りにいた女の人たちは、よく泣き、よく怒り、よく笑った。そのどれもが私には少し忙しく見えた。男は違った。少なくとも、そう見えた。凛々しく、論理的で、何かを決めたら、そのまま進んでいく生き物だと思っていた。

    だから私は考えた。男になるしかない。

    幸い、方法はいくらでもあった。

    ザリガニを素手で捕まえる。泥に入る。雨の日にドッジボールをする。足が速くなる。髪を短く切る。

    それらは互いに何の関係もないように見えるかもしれない。しかし世界というものは、十歳にも満たない人間の頭の中では、驚くほど美しく一本につながっている。

    男はザリガニを怖がらない。
    男は泥に入る。
    男は足が速い。

    したがって、ザリガニを捕まえ、泥に入り、足が速くなれば、私は男になる。

    これ以上ないほど明晰な三段論法だった。

    持久走大会の日、私は全力で走った。

    苦しかった。

    肺は痛み、足はもつれ、それでも私は止まらなかった。あの日の私は、順位ではなく性別を追い抜こうとしていたのである。

    今思えば、あまりにも壮大な勘違いだ。しかし、その勘違いを笑う資格が、現在の私にあるのだろうか。

    人はいつでも、その時の頭で世界を理解している。

    あの頃の私は、「男」というものを、自分で集めた特徴だけで作っていた。

    今の私は、「ちゃんとした大人」や「いい作品」を、また別の特徴だけで作っているのかもしれない。

    それもきっと、十年後の私には同じ顔で笑われる。

    「お前、何してるん」

    自分にそう言われる未来を、私は否定できない。

    結局、私が男になる計画を諦めた理由も、なにも高尚なものではなかった。

    中学校の制服に、女が履いてもいいズボンがなかったのである。

    思想は最後まで負けなかった。ただ、校則に負けた。

     
     
     
    いちおう、文学のつもり。 掌編とエッセイを書いています。 どうでもよさそうなことを、結構真剣に考えます。 だいたい答えは出ません。

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