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ロマアセと「愛」と家族のかたち

    恋せぬふたりを見て、
    初めて「恋愛感情がなくても家族になれるのかもしれない」と思えた。

    作中でさっこは、
    恋愛感情がないことをなかなか理解してもらえない。

    家族からは「どうして好きにならないの?」と言われ、
    周りからは当たり前のように恋愛を前提に話をされる。

    「愛のないセックスは理解できるのに、
    セックスのない愛は理解できないのか」
    という言葉がすごく印象に残った。

    恋愛をしないことが、どこか“欠けているもの”のように扱われる違和感。
    「好きにならないなんて楽だよね」と言われてしまう苦しさ。

    この“理解されなさ”は、
    自分の感覚とも重なる部分があった。

    私はこれまで結婚願望もなかった。
    恋愛が前提の関係に、
    どこかずっと違和感があったから。

    でもこの作品の中で描かれていたのは、
    恋愛がなくても成立する関係だった。

    ただ一緒にご飯を食べること。
    同じ時間を過ごすこと。
    一人では見られなかった世界を一緒に見ること。

    それだけでも、誰かと生きる理由になるんだと思えた。

    「相手の帰る場所になる」という関係。

    一緒に住んでいなくても、
    同じ形じゃなくても、
    家族でいられるという在り方。

    恋愛がなくても、人と過ごすのはいい。
    むしろ、恋愛がないからこそ無理がなくて、
    純粋に「一緒にいたいかどうか」で関係を選べる気がする。

    多分ロマアセである私は、恋愛感情は強くない。
    でもそれは「愛がない」ということではないと思う。

    安心できること。
    無理をしなくていいこと。
    一緒にいる時間が自然であること。

    そういうものを大事にしたいと思うし、
    それが私にとっての“愛”なんだと思う。

    同時に、自分を守る感覚も強い。
    無理に誰かに合わせたり、「普通」に当てはめようとするとしんどくなる。

    だから関係は慎重に選ぶし、
    選んだ相手とはちゃんと向き合いたいと思う。

    家族の形も、愛の形も、幸せの形も人それぞれ。

    恋愛がすべてじゃない。

    私の人生に何か言っていいのは私だけ。
    私の幸せを決めるのも私だけ。

    私は、私の形でいい。

     
     

    清香

     
     
    清らかに香ると書いて、さやかです。

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