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お涙頂戴には涙するのに、構造に怒ると煙たがられる

    冴月練

    — 感情は共有できても、問題の根本には目を向けない社会

    本noteは、シリーズ『壊される社会感覚 - 思考停止と情報操作の時代に抗う』(全5回)の第3弾です。本作から読み始めても問題ありません。

    Vol.1 怒れない国民はどこで壊れたのか
    Vol.2 政治を語ると「黙れ」と言われる国
    Vol.3 お涙頂戴には涙するのに、構造に怒ると煙たがられる
    Vol.4 声を上げる者を嘲笑する空気 - テレビとSNSが作る「世論」
    Vol.5 情報は誰が作るのか - メディアとSNSが壊す社会感覚

    序章:なぜ「かわいそう」には共感できて、「構造の問題」は嫌われるのか?

    災害で家を失った人、病気の子どもを抱える家族、介護疲れで倒れた高齢者。
    そうした「泣けるニュース」を見て、私たちは涙を流し、「大変だね」「かわいそうだね」と共感する。
    けれど、その背景にある仕組みや制度には、なかなか目を向けようとしない。
    ましてや、それを「おかしい」と声に出したり、怒りを表す人がいれば、「意識高い系」「何熱くなってるの?」と煙たがられる。

    なぜだろう?
    感情は共有できるのに、構造を問う声には冷たくなるこの空気は、誰のために作られたのだろうか?
    このnoteでは、「泣ける話」で終わらずに、問いを持つことの大切さについて考えてみたいと思う。

    第1章:お涙頂戴報道と「感情の共有」で満足する社会

    「泣ける話」に心を動かすのは、決して悪いことではない。
    他人の痛みに共感できること自体は、人間として大切な感情だ。
    でも、問題はそこで終わってしまうことだ。

    介護に疲れた家族の話を見ても、「なぜ介護がこんなにも大変なのか?」「制度は十分なのか?」まで考えが及ぶことは少ない。
    貧困や非正規雇用、医療費負担のニュースを見ても、その背景にある制度や政策の問題には触れられず、感情だけが消費されていく。

    メディアも「泣ける話」で終わらせることを好む。
    視聴率を稼ぎやすく、波風も立たない。
    「感動しました」で終わらせれば、深掘りしなくて済む。
    現在の制度ではできない理由を並べ立て、「仕方のないことだ」という印象操作をする。
    でも、それでは何も変わらない。
    問題の根は放置され、似たような悲劇が繰り返されるだけだ。

    私たちは、感情を共有することに留まらず、その背景にある構造にも目を向けるべきではないだろうか?

    第2章:怒りを向けるべきは「構造」なのに - 情報操作と思考停止の罠

    「国にお金がないから仕方ない」「自己責任だ」という言葉を、私たちはあまりにも簡単に受け入れてはいないだろうか?
    例えば、政治家やニュースが繰り返す「日本は財政破綻寸前」という言葉。
    でも、本当にそうだろうか?

    日本は他国に比べて国債発行額が非常に少ない。
    しかも、自国通貨で国債を発行できる国だ。ギリシャのように外貨で借金をしていた国とは全く違う。
    日銀の総裁も「日本は財政破綻しない」と明言しているし、マーケットも日本経済を高く評価している。
    日本の国債金利は世界最低水準で、もし本当に財政が危ないなら金利は跳ね上がっているはずだ。
    でも、そんな事実はほとんど報じられず、「増税は仕方ない」「社会保障は削るしかない」という空気だけが繰り返される。

    さらに、日本が目指す「プライマリーバランス黒字化」も、世界的に見れば異例だ。
    多くの国は経済成長や国民の暮らしを優先し、必要に応じて財政赤字を許容しているのに、日本だけが「黒字でなければならない」という家計簿的な発想に縛られている。
    その結果、医療、福祉、教育、災害対策といった大切な支出が削られ、「自己責任」の言葉で片付けられていく。

    誰が得をし、誰が苦しんでいるのか?
    なぜ私たちは、そこに怒りを向けないのか?

    第3章:「声を上げる人」を煙たがる空気

    「おかしい」と言う人がいると、場が冷える。
    SNSでは「意識高い系」「うるさい奴」と叩かれ、テレビでも真剣に語ろうとする人が笑い飛ばされる。
    「泣くのはOK、怒るのはNG」。
    そんな歪んだ空気が、この社会には染み付いている。

    「なぜ?」と問い続ける人が少数派であること自体が異常なのに、それを「普通のこと」として受け入れてしまっていないだろうか?

    怒りは健全な感情だ。
    「おかしいことはおかしい」という意思表示であり、変化の出発点だ。
    その声を押し殺し、笑いものにし続ける社会に、私たちは慣れすぎてはいないだろうか?

    第4章:問い続ける力を持てるか? - 「本当はどうなのか」を考える習慣を

    「泣ける話」で終わらず、「なぜそうなったのか?」を考える習慣を持てるか?
    そこが分かれ道だ。

    日本の国債発行額は他国に比べて少なく、自国通貨建てで発行できる強みがある。
    それなのに「日本は危ない」という言葉が刷り込まれ、社会保障の削減や増税が当然のように語られる。
    誰がこの空気を作ったのか?
    私たちは、その問いを持ち続ける必要がある。

    感情を共有するだけでは、何も変わらない。
    「かわいそう」で終わらせず、「なぜ?」を問い続ける力を持とう。
    それが、社会を変える小さな火種になるはずだ。

    結び:泣くだけで終わらないために

    「感動しました」で終わってはいけない。
    「おかしい」と感じたら、その思いを抑えずに、言葉にしよう。
    問いを持つことは、権利であり、責任でもある。

    泣くだけで終わらない社会をつくるために。
    怒ることを恐れない社会を取り戻すために。
    あなたの問いが、社会を変える火種になることを、私は信じている。

    最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
    もし共感いただけたら、「スキ」をお願いします。

    そして、あなたの問いを、あなたの言葉で語ってほしい。
    その小さな問いが、社会を変える火種になると信じています。

     
     
     
    社会への違和感と好奇心を種にエッセイ、小説、詩を書いてます。 路傍の哲学エッセイスト。 【小説】 ライト文芸を中心に書いています。 軽やかな掛け合いの中に、ちょっと考えさせられるテーマを忍ばせるのが好きです。 短編を積み重ねながら、物語世界を広げていきたいです。

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