
なりたい自分になるために理想の自分手放しました
理想の自分というのはいつも程遠い場所に笑顔で座っている気がする。
こちらが必死に追いつこうとするのに、微笑んでこちらを見下ろしてくる。そして追いついたと思うとひらりと姿を変えてまた遠くに鎮座する…。
「理想と現実」という言葉はよく言われるけど、こうも差を見せつけられると悲しくなってしまうもの。
そんなに差をつけなくてもいいじゃないか…
そんなに現実を突きつけなくてもいいじゃないかぁあああ!!!
そう叫び出したくなってしまうこともある。
じゃあ、現実を受け入れろと言われたところでそれができれば悩んでいない。
理想を描き続けた10代、理想を追い続けた20代、そして30代に入った私は理想を手放すことにした。
そんな私の最近の学びをここに。
▪️私の最初の理想
私の初めての理想の姿はなんだったか…。
大人っぽい賢い人だったかもしれない。小学生高学年頃から冷静で落ち着きのある人に憧れるようになったこともあって、
「なるべく落ち着こう、勉強を頑張ろう」
と思ったのが理想の自分の姿を描いた最初の記憶だと思う。
元々の私は落ち着きがなく、走り回るような子供だったのに…。
その後、気づけば勉強を頑張る印象は周りからもあったようだが、上には上がいることと自分の限界を知ったことで初めて理想と現実に打ち砕かれたのは高校受験の時だった。
第一志望の不合格を知った私は初めての大きな挫折を味わった。
▪️可憐な女性とガサツな少女
次の理想の姿は世界を飛び回る客室乗務員の姿。
最初の理想の姿と同じ頃に抱いた理想だったが、同時に私の夢でもあった。
幼い頃から、飛行機に乗る機会のあった私にとって飛行機は身近でありながら夢のような乗り物だった。
あの浮遊感も旅行のワクワク感を増幅させてくれて、私は大好きだ。
でも、忙しいはずなのに品よく可憐に動き回る姿は当時の私にとっては遠い存在。
なぜなら男の子とバスケや鬼ごっこをしている方が楽しかった男勝りな性格の女の子が品を固めたような女性たちになれるとは思わなかったから。
そんな私もやっぱり客室乗務員を目指そうと思ったのは「アテンションプリーズ」というドラマを観たことがきっかけだった。
元々、飛行機に関わる仕事がしたいと思っていたけど、私のようにガサツな女の子でも客室乗務員を目指すことができるんじゃないかと思った。我ながら単純すぎる理由にびっくりする。
ただ、飛行機に関わるという意味では一番近いわけだからまあ、目指すことは間違ってはいない。
そして、10年後無事に夢を叶えた。
入ってみると案外、サバサバした女性たちが集まっていて、品がありながらも芯があったり強さを持っている女性たちが集まっていたのは居心地の良さがあった。
ただやはり、体力勝負で女性社会。
身も心もすり減らしながら慌ただしくすぎる日々に、コロナ禍でのイレギュラーからの急激な需要回復。
プライベートでの生活の変化も相まって、心と体が追いつかずうつ病になって退職。
あっけないような気もしたが、またもや理想の自分との差を突きつけられた。
どんなに忙しくても、笑顔で可憐に飛び回る自分の "理想の姿" はうつ病当時の私にとっては、一番心を締め付けられる姿だったかもしれない。
▪️あれ、理想の姿ってなんだったんだっけ・・
思い返すと、私の人生はいつも理想を追いかけていた。
理想の姿で生きる自分、志望校に通う自分、憧れの仕事で笑顔で活躍する自分。
誰しも、理想を描くことはあるんだと思う。
そして、時にその姿が目標になり自分をより成長させることもある。
そう言い切れるのは、あのガサツ少女が客室乗務員になれたから。
理想だけを追い続けた私は確かに成長した部分はあったかもしれない。
けど同時に、いつもどこか何かが足りない気がしていた。
そして理想の姿に近づいたと思っても、見える景色は思っていたより変わらない。
そう気づいた時、私は心のどこかで
「理想の自分になればこの人生の見え方が変わるはず」
と考えていたことに気がついた。
つまりは、理想の自分になれば幸せになれるはずだと信じていたということ。
それって、今のままの自分だと愛されないし、幸せじゃないって言ってるのと同じなのにね。
理想の姿を追うということは、一つの底なし沼にハマる危険があるとうつをきっかけに気がついた。
理想の自分を目指すことはいいけれど、自分より理想の姿に近い人というのは世の中にたくさんいるものだ。
その理想の姿にばかり囚われると、自分より優れている人を見つけ続けて自分を卑下し続けるという負のループにハマりかねないということは忘れてはいけないのかもしれない。
▪️理想の姿を手放してみると…
そう気がついてからは、理想を描く前に目の前の人生を楽しむことに集中するようにした。
至極当たり前のことを言っている自覚はある。
だけど、理想に生き続けた私にとって等身大の自分で目の前の小さな出来事を楽しむということは少し忍耐力を求められることだった。
理想に生きるとは、今の自分に足りないところに目を向け続け、その足りないところを補足するように努力をするということ。
一見、すごいことのように思えるけど、それは常に上を目指して今を見たくないと拒否する感覚だった。
ただ、やることが明確にあるから、"何かしらやっていた"。必要だと思ったことはただやれば良かったから。
そうやって行動しているうちは今の自分から離れたようで安心できたのかもしれない。
そう。私の努力は、「今の自分」から逃げるためのものだったのだ。
でも、本当に必要なことは「今」にしかないということを忘れてはいけなかかった。
私はいつも過去を振り返るとき、もっとその場を楽しめば良かったと思っていた。高校生活も大学生活も社会人生活も…。
そしてそれは、努力という綺麗に思える言葉でかき消した
「今を生きることへの怠慢」がゆえの感覚だったのかもしれない。
どう過ごしても過ぎていく時間なら、全力で楽しまないとそれは生きている意味がないとさえ今は思う。
「今」とは時間においての現在点でしかない。
私たちは生活に追われるあまり、過去に描いた線を憂うか未来に続く点線に理想の形を押し付けることにエネルギーを使いがちになる。
だけど、そうしている間に生涯のうちに存在する「今」という点を刻一刻と失っていることを思い出す必要があるのかもしれない…。
理想を手放したことでそんな当たり前だけど尊い「今」という時間を取り戻せた気がした。
▪️手放した今の理想の自分との向き合い方
理想の自分を手放し、「今」という時間を取り戻した私だったけど、じゃあこのままでいいのかというと、やはり理想や目標は浮かんでくる。
ただ、今までとその向き合い方が変わった。
あくまで、「今」を楽しんだ先に広がる広い世界のどこかに理想や目標が存在しているという認識。
これは、「絶対に目指すべきもの」という今までの考え方とは異なり、「目指すこともできる未来の一つ」くらいの感覚になった。
あくまで一つの可能性でしかないということ。
「今」を楽しんだ後、そこはやっぱり目指さなくてもいい未来になるかもしれない。
それでも、その理想の姿が浮かぶことは「今」の私にとっては大切な可能性。そう思うと、理想という存在が重苦しい重りではなく、温かく軽い存在になった。
あってもいいし、なくてもいい。
ただ必要な時に目の前にある温かい存在。
ふんわりと包んでくれる毛布のように。
▪️なりたい自分になるのに本当に必要だったこと
さて、ここで最近気がついた本当の自分として生きるために、なりたい自分になるために必要だったことについて書いていく。
これは、20代の私が理想を追いかけるために意識していたこととは大きく異なっていた。
その説明をするために、ここからは少し言葉あそびを一緒に楽しんでほしい。
題して、「自分らしく生きるためのあいうえお」。
以下の考え方をこれからの指針にしていきたい考え方をまとめたもの。
自分らしくなるための5つのことと、その時に大事にしたい3つのキーワードだ。
<自分らしさのための5つの「る」と3つの「ん」>
あ:ある
い:いる
う:うる / うん
え:える / えん
お:おる / おん
▶︎ある
まずは「今」に意識を向ける。どんな状態でも今の自分は過去の賜物。だからこそ現在地を確実に把握すること、全力で楽しむ。ただただ今の自分自身を認めて楽しむことで、ただ自分自身で"在る"ことに集中する。
▶︎いる
ただ"在る"ことができるようになったら、他人ともできる限りその姿で関われるようにする。プライドや見栄で着飾るのではなく、"在る"状態のまま他人と"居る"。これを「ありのまま」と言うんだろう。
▶︎うる
他人との関わりあいの中でも"在る"状態の姿で居られるようになったら、自分にできることを"売る"。単純に物だけではなく、何かを生み出すこと、仕事もその一環。
▶︎える
"売る"ことで相手から感謝を"得る"。現代ではお金もその一環だけど、それが全てではない。あくまで感謝を"得る"。
▶︎おる
"在る""居る""売る"と"得る"の中で出会った人との繋がりの糸を"織る"。人は一人では生きていけないと言うが、その関係性を大切にしながら、"あ"から"え"の活動を続けたことで色んな繋がりを織りなすんだろう。
▶︎うん
人生、"運" が味方をすることってあると思う。別に失敗しても運が悪かったと立ち直ればいい。運を味方につけるための行動をするのだっていい。
▶︎えん
昔から "縁" は大事にされてきた。いいご縁に繋がったあとは、絹糸を織るかのごとく、優しく丁寧に関係を続けていくことが大切だ。
▶︎おん
感謝を得たことでもっと頑張ろうとなることも、あの時の誰かに対してでも。自分が"売る"と"得る"の活動をより広げていくことで社会を発展できる。そのために大事にしたい考え方が"恩返し"。
日本語とはよくできているなあと思うことがある。
音の組み合わせでありながら、そこには確実に意味が付随する。
「はし」のようにたとえ同じ音を持っていてもいろんな意味を持っている言葉もあったりしてそんな日本語が面白い。
"売る"と"得る"だって、どちらも「うる」と発音ができる。それくらい表裏一体で切っても切れない関係であることを日本人は昔から知っていたのかもしれないと思うとロマンがある。
そんな日本語の中に、理想と現実を合わせながら自分らしく生きていくヒントがあったんだと気がついたのがこの「あいうえお」だった。
日本語に存在する、最初にして大事な心得なのかもしれない。
▪️愛を持って、応援される人になる
私たち人間は目の前のことしか全力でできない。
そのために自分を知り、認めそのままの姿を大事にする。
それを"あい"を持つと言うのかもしれない。自分自身に対して愛を持てない人が人を愛せるはずがなかったんだ。
ありのままで他人といることは誠実さにも繋がるんだと思う。
どうせなら、そんな愛のある人になりたい。
そして、その愛を循環させるために何かを売り、感謝を得る行為はビジネスに繋がる。
それは一見単純なことだけど、過去の成功者たちはみんなただ売ればいいとは思っていなかった人が多い。企業理念にその考え方が残っていることもある。「三方よし」などがいい例だ。
そういった話からは誠実さを大切にしたからこそ成功したことがわかる話も多い。
そんな人たちが"あい"を持ってその愛を、"売る"、"得る"、"織る"という形で循環をさせる。
その時には、"運"と"縁"と"恩"を味方につけて大事にしてきたんだろう。
その結果こそが、"おうえ"んなのかもしれない。
運や縁などの見えないものも、周りの人たちとの間で生まれた恩も全て応援に変えて、より多くの人に愛を届けていく。
自分らしく生きるとはその小さな積み重ねの先に生まれた結果でしかなかったんだ。
そう気がついた今、できることはやはり理想を手放し、「今」を全力で生きることでしかないと改めて言われた気がした。
▪️なりたい自分になるために
私たちは、理想という幻想を追いかけてひたすらにがむしゃらに走り続けている。
自分らしく生きるとはなんだろう、私が本当に自分らしく輝ける姿ってどんなだろう、そんななりたい姿になるにはどうしたらいいんだろう。
そうやって、気がついた時には常に周りに目を向けて、自分に足りないことに目を向け続けている私のような人が多くいる気がしている。
まっすぐ走っているつもりでも、無意識に周りの姿がちらついて少しずつズレていく…そしてまた自分のことが一番わからなくなる。
でも、本当はシンプルなことだった。
手放して、「今」に意識を向けてただ自分で"在る"。そして、そのままの自分で他人と"居る"こと。そうやって、「今」を全力で楽しむことだ。
ただ、シンプルながらこれが一番難しい。
なぜなら人間には欲があるからね。
より良い未来を描きたくなるし、もっともっとと欲しいものが増えていく。
でも、そんな欲さえも楽しみながら、もがいていきたい。
理想を手放したとはいえ、時間が経つとまた以前のように理想に夢中になる私が顔を出す。
ある種、クセのようなもので夢見がちな性格もまた私だから。
なら、無理に捨てる必要はない。
ただ、もう以前のように理想という幻想、より良い未来に対する欲に飲まれることはしない。
そうやって、私はまた今日も理想を描きながら、「今」この瞬間パソコンに文字を打ち込むこの作業を楽しむんだ。