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【愚りもわ〜る】第八話「モーニングページ」



    2026/02/12/01:21

    「いてもたってもいられないときは走れ。走るんだジョー!!!」と言ったのは、もちろんあのばかだ。

        だからという訳では決してないけど、私は走っている。

        走るのは苦手。歩くのもそんなに。それでも一生懸命に走っているのは、頭の中を真っ白にしたいから。

        恋愛とか将来の漠然とした不安なんかも、ぜんぶ酸素不足の脳ミソから追い出されて、ただ前へ進むことだけで精一杯になる。

        だけど、あのばかの顔だけは消えてくれない。

        下手くそな愛想笑い。

        困ったみたいな笑顔。

        笑うなら、もっと上手に笑え!!

        こっちまで気を使うじゃん!

        それなのに知りたいとか思っちゃうのはなぜ!

        あのばかが塞ぎ込んでいた時期とか、ばかだった子供時代とか、なんで小説書いてるのとか! 

        ぜんぶぜんぶ知りたい!

        知ったうえでギュッと抱きしめてやりたいと思うのはなぜ!

        たぶん!

        私がいいやつだから!

        うん!

         そう!

         絶対それ!

    「あー」

        思わず立ち止まる。

        んなわけあるかい。

        冷たい夜風が火照った頬を撫でた。

    知りたい知りたい知りたい知りたい。

    ​ 私はポケットから、あのばかのスマホを取り出した。

     凍りつくように冷たい無機質な感触。画面をタップすると、歓楽街の毒々しい光に負けないくらい真っ白なバックライトが、私の顔を照らした。

     ホーム画面にはメモ帳のアイコン。

     躊躇いなく開いた。

    モーニングページでもやろうか。そう思った。なぜか。頭の中がこんがらがっているように感じたからである。四六時中、小説、エッセイ、恋愛について脳ミソをフル稼働させていたから、オーバーヒートを起こしているのかもしれない。スッキリさせたくて、完全休暇を設けることも考えたが、それよりも瞑想とかモーニングページをやって、切り替えることを学んだ方がいい気がした。というわけで何も考えず書いてみることにしよう。意識がぽんやりする。明瞭ではない。覚醒していない。恋のせいか。恋のせいだろうな。恋のせいに違いないという3段活用。はい。基本的に論理的な人間ではないのだから、論理的な文章を書くのは骨が折れる。全体像を把握するのが苦手だ。方向音痴だし、空間把握能力がない。ということは構造を理解する力もない。どうやったら理解できるのだろう。理解したところでそれを自らの力で作り上げられるかはまた別問題である。やるべきことが多すぎて嫌になる。これまでの人生なにをして生きてきたのだろうか。思えば全てからただ逃げ続けてきたように感じる。吾輩はカスである。名前はつけるまでもない。何がインプットアウトプットや。横文字なんか使うな。日ノ本言葉を使わんかい。より良い人間にさせようとすな。人間は所詮で人間である。単なる畜生だ。自然に対抗するため文明を作った。長い歴史をかけてね。先人たちが積み上げてきた智恵を利用すればいい。それが哲学であり建築である。中国人は漢方とかだったり、万里の長城からわかるよう1世代では何事も成し遂げることはできないということを理解している。俺は歴史に残るような名作を書きたい。そのために何をすればよいか。また現代文学において百年後も残っているようなものはあるのか。春樹はどうだ。太宰の人間失格や漱石のこころと比べたら片手落ちじゃないか?村上龍はどうだ。限りなく透明に近いブルーは、日本の被占領性を暴いていたが、古典と比べたら弱い気もする。違いはなんだ? 川端康成の雪国や谷崎潤一郎の痴人の愛と何が違う。文章力か?意識の違いか?現代人は賢くなっているのか?それともバカになっているのか?

    2024年2月6日月曜日。
    記念すべき最初のモーニングページであるため、少しばかり気合いが入っている。あるいは昨日書き殴った小説のようなものが、僕がこれから進むべき道を指し示す天啓だったから、気分が高揚しているだけかもしれない。その小説のようなものについて説明しておくと、それは言葉の不確定性に切り込んでいた。たとえばある男を描写しようとして、太っているなどと外見的特徴をあげたとする。そうすると我々はその太っているという外見的特徴から、なんとなく内面も想像してしまうだろう。少し鈍いのだろうか、それとも穏やかな人格をしているのだろうか、そんな風にあることないこと推測してしまう。ただ彼が太っていると言っただけなのに、脳内では、性格は穏やかで、動きが鈍い太った人、と言ったような勝手なイメージが完成しつつある。そうなったのは漫画のせいなのではないか。漫画に登場する二次元キャラクターの性格はある程度決まったパターンが存在している。アリストテレスだかそこら辺の時代の人間さえ性格を大まかに分類してようとしているし、人間をキャラクター化して、理解しようと努めるのは、心理学的見解なのかもしれない。実際には優しいだけの人間はいないというのに。家族や友人に対しては、優しいかもしれないが、職場では鬼のように厳しいかもしれないし、嗚呼わかってる。人間の性格は一言で表せるような単純なものではないって僕は言いたいんだ。それを十分君たちも理解しているし、だけど、僕が説明したいのは言葉では現実の人間をありのままに説明できないのではないかってことじゃない。そのまま行けば、ひいては純文学は人間や現実を描けないじゃないか、なんて問題に辿り着いてしまうだろうし、そうなれば非常に面倒くさい。だいたいそういう問いかけは疲れる。ただ言葉の不確定性と不自由性について、僕は思うところがあるってことなんだ。言葉ってものは自由なんかじゃない。決められたパターンでしか物事を語れないし、小説なんかは構成なんかもみんな似たり寄ったりで、そんなもんを何万冊も読んだからって賢くなれたりなんかしない。賢いっていうのはその決められたパターンから脱出するための知恵のことなんだから。僕が目指すのは、誰も読んだことのないような小説だ。一時も退屈することのない奇跡的な小説。今時の若者の口語的な感じで、まやかしの新鮮さを提供している最近の小説家は、詐欺師だ。中身はこれまでに書かれた小説と代わり映えしないものなのに、ただ砕けた言葉で描かれている、若者が書いただけで取り上げたりするから。嫌になってくる。深く考えたくないね。どうせ、何を書いたところで売れなければ、人の目につかなければ、何も書いてないのと同義だなんて。僕たちは何も変えられはしないとか、陳腐極まりないよね。どうして僕は小説を書いているのだろう。小説を読むのは嫌いじゃない。金持ちになりたいから? それならもっと手っ取り早い方法がいくらでもあるだろう。高校時代に遡るべきか。アニメにどっぷりと浸かっていたあの頃に。今とやってることは何一つ変わってないね。今は洋画や海外、日本の文学に変わっただけで。家で何を観たり読んだりしているのは変わってない。サウスパークのスタンが見るもの聞くものすべてクソになってしまう回を思い出す。スタンはアスペルガー症候群だと判断されてしまい、病院へ連れて行かれ、他のアスペルガー症候群の患者と共に治療を受けるのだが、実はアスペルガー症候群は存在しておらず、何らかの組織と戦うための隠れ蓑的なものなのだった。特殊な機械を用いて精神世界へ行き、現実を壊そうとするアスペルガー症候群の患者たち。あくまでもそれは彼らの脳内の話であり、本当はお酒を飲み、酔っ払っているだけだ。細部は忘れてしまっているが、だいたいこんな感じの話だった。スタンの思春期にありがちな反応が、アスペルガーだと騒がれる様子は、現代の精神病において、何から何まで名前をつけ、病気にしてしまう風潮を嘲っているのだろうか。たしかに昨今は、HSPでしたっけ? 敏感だとか何とか。あまり詳しくないけど、病院とかどっかの団体が金儲けするためにどんどんどんどん新しい病気を増やすのはなんだかなあって思います。話が逸れてしまったが、最近の私は、その時のスタンのような感覚を持っている。流行りのポップスや映画、ドラマ、小説はマジでクソに思える。そして実際にクソだと思う。何かが流行れば、それをパクったような作品が大量に乱立する。

    2024年11月1日。
    目が覚めた。寝起き特有の口内が臭そうな、あの感じがするので、すぐに歯を磨く。モーニングページは、スマホではなくて紙に書かなければならないのだが、まだ深夜三時五十四分だし、家には赤ん坊もいるため、電気をつけるのは躊躇われる。赤ん坊──甥っ子は昨日、母親──俺の妹の頬を真剣な表情で吸っていた。あれには笑わせてもらった。可愛い。赤ん坊の匂いは癒される。swettyのjunkieを聴きながら、俺は甥っ子の面倒を見た。と言っても三十分ほど抱っこしていただけなのだが。匂い。は重要なキーワードだと思う。それは記憶に直結しており、脳の片隅に追いやられ、記憶の彼方に置き忘れていた懐かしき過去を呼び起こすファクターとなる。にしても今週は快便すぎる。夜勤のときにお腹が痛くなるのはやめてほしい。何が原因なのだろうか。いや原因は明らかだ。日曜日に食べた旨辛豚ラーメンである。辛くて脂まみれの食べ物を食べればそりゃ下痢にだってなる。文学を形にするために必要なのは、何か。なんとなくイメージを形にするということではないのかと思った。たとえばインターネットという単語を目にしたとき、脳内に浮かぶのは、真っ暗な室内で、パソコンの前に座る太った成人男性のイメージ。このイメージはどこから来ているのだろうか。山田孝之主演の電車男。2ch全盛期の頃の記憶。中学生時代の不遇な俺。すでに傷は癒えたはずだ。以前は俺がこんなザマになってしまったのは、すべて中学時代のいじめにその原因があるように思っていたが、なんてことはない。どんな経験も人間は忘れることができる。強烈な記憶、一生その人を縛り続ける呪いのような記憶など、存在しえない。きっといつかは何もかも忘れてしまう。好きだったあの子も、生きる理由とさえ考えていたのに、今ではもう思い出すこともなくなった。記憶。匂い。大切なはずだった記憶。大切だと思っていた記憶。今の俺を形作っていると思っていた取るに足らない記憶たち。記憶はイメージであり、同時に言葉である。イメージを形にするためには、言葉が必要不可欠だからだ。作家にとって内省は必要かどうか。自分の中に言葉はあるか。俺の本能は制度を否定しているのか。表象に現れない無意識の世界で、俺は制度を肯定しているのではないだろうか。「しょうがない」「どうすることもできない」俺は、何もかもを、ただ受け入れることしかできやしない。不条理。原因はどこかにある。ダメで元々。100パーセント理想通りになるはずがない。今の恋がダメでも、タイミングが悪かっただけに他ならない。二千回の内、一回や二回でも上手くいけば、それで御の字だ。だからブスでも彼女がいる人間は、出会いの数が多いのだろう。

    2024年11月16日
    耳について語ろうと思う。オレは耳が好きだ。耳を触っていると、腹の底が、海綿体のあたりが、悶々としてきて、熱を帯びてくる。つまりは、ムラムラしてくるってこと。けれど、耳にチンポコを突っ込みたいとは思っていない。もしかしたら、性的欲求ではないのかもしれない。ただ人と触れ合いたいっていう、子供の瞳のようにキラキラとしてる、純粋で無垢な欲求なのかもしれない。てか、むしろ、目の前に触りたい耳があるのに触れないっていうシチュエーションのときの方が、腹の底あたりがキュンって切なくなる。あんまよく覚えてないけど少年時代のNARUTOがたぶんサスケに対して腹キュンしてたみたいな描写あったよね。あ、そういえば小学校時代の同級生と風呂場でセックスをする夢を見た。お互いにちゃんと大人になってたから児ポではない。夢の中のセックスって現実のセックスよりも気持ちいい気がする。夢精はしてないけど。鬱が酷い。心臓が圧縮器でプレスされてるみたいな感覚がする。

    2024年12月20日
    金曜日ようやくスーツ用のシャツとベルトを購入した。これを機会に今まで見ないふりをしていたストレスを解消していこうと思う。腹筋を百回できた。朝から丁寧な洗顔を行った。モーニングページ何を書いてもいいんやって言われたら余計に何も浮かばなくなる。自由すぎるのも問題だ。何かしらの矛盾がなければ思考することはない。それはそうとして、お腹がいっぱいである。ちゃんこ鍋を食べた。味はあんまり好みじゃなかったが、肉が食えればなんだっていい。昨日は丁寧な暮らしを心がけてみた。入浴するときに丁寧に洗うことを意識しただけだ。そうしたら、これまで無意識にやっていた体の動かし方が気になり始め、それを言語化することは難しいということに気付いた。たとえば甥っ子にお風呂の入り方を教えるとして、私はなんて説明するだろう。まずはお湯で頭と体を流す。そうだ、洗顔のときと一緒だ。汚れを丁寧にお湯で流すのだ。そうしてからシャンプーやボディーソープで洗う。体を隅々まで洗う作業は、心を穏やかにさせる。それはなぜだろうか。自己愛かあ。Mayと佐藤パコを一緒にお風呂に入れて身体を洗い合うというアイデアは良いかもしれない。それとも短絡的すぎか。自己ケア。自分を大切にしている。

    2024年12月21日
    土曜日身体中が痛いのでとりあえずストレッチを行おうと思う。まずは歯磨きをして、お湯で顔を流し、寝ている間にかいた不快な汗を流してしまいたい。今日も自分がやりたいことだけやるぞ。素晴らしい一日だ。自由を謳歌せよ。ハメ撮りマスター佐藤パコのために、佐藤パコとMayのリアルな会話を描くために、何をすればよいか。リアルな会話を描こうとして、現実の会話を参考にしてみたが、なんだかピンとこない。それはなぜだろうか。リアルなのに、リアルじゃない。現実には、現実しかないはずだ。ちゃんとしたコミュニケーションじゃなくてもいい。むしろ、佐藤パコとMayの会話はちゃんとしたコミュニケーションが取れていないだろう。佐藤パコは、Mayに話しかけてるようで、その実、自分自身に話しかけているのだ。それはもちろん私にも全く同じことが言えるだろうね。ちゃんと筋トレをしよう。まずは書きたいシーンを具体的に想像するんだ。ラブホテルでのワンシーン。ソファに座って、Mayを撮影している佐藤パコ。手が滑り、スマートフォンが彼女の肌に触れる。幻聴。そして覚醒。今日はいい日になりそうだ。資本主義と物質社会、情報社会について、見解を広めたいし、この小説を書くためにやりたいことがたくさんある。アメリカン・サイコ、ファイトクラブのプロットを言語化するのもいいだろう。ヨヨチューのプラトニックアニマルを分析するのもいい。私は生まれてきたことに感謝する。一日何回かの感謝の正拳突きでもしたらいいか? ネテロ、寝てろ!

    2024年12月22日
    日曜日昨日とは打って変わって、最低な気分だ。いい気分になればなるだけ翌日の反動がすごい。人生はクソだ。人間は粗大ゴミだ。吐き気がする。寒いのは嫌いだ。寒さは人をリアリストにする。冬はリアリストで、夏は能天気の象徴。思考の断絶を感じる。連想ができない。

    雪は、雪である。それ以外の何ものでもない。

    2024年12月23日
    月曜日全身の老廃物を流すストレッチおよびマッサージをしたからか肌の調子がいい。これまでは何の効果もないと思っていたから、まさしく青天の霹靂だ。そして睡眠もしっかり摂ることができた。ヨガは最高かもしれない。まだ2日目だから効果を実感するには早すぎるか。僕は思い込みが激しいが、実際に八時間寝れたし、実績があるのだから、否定的になる方がおかしい。オープンマインドで生きるべきだ。そりゃあ、まあ詐欺師とかクソみたいな人間もいるから、常にオープンマインドでいるのはやばいけども。フリクリFLCLフーリークーリーFooly Cooly愚かで、かっこいい。

    「なんじゃこりゃあ」


    To Be Continued…


     
     
    純文学をポップカルチャーに。 三年間・毎日投稿に挑戦中。 513/1095 日目

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