
「地球鉄道 勇気と平和への路線図」#1
ー 説明されない死 一
1934年春。
満鉄が威信をかけて建設した高速特急「あじあ号」が、完成を目前にしていた4月のことだ。
その同じ満洲の地で、ひとりの日本人警正が突然この世を去った。
伏見米太郎——ぼくの父である。
米太郎は、妻タキと四人の息子、一人の娘を連れて新京(長春)へ赴任した。
49歳。働き盛りで、病の気配などまるでなかった。
それなのに、あまりに急すぎる死だった。
家族のあいだでは、長くこう囁かれてきた。
「あれは病気なんかとちゃう。絶対に殺されたんや」
ぼく自身、当時の写真を見返すたびに胸がざわつく。
棺を囲む家族の表情には、“受け入れられない”という影が濃く落ちている。
衰弱した様子もない。
死の理由を説明するものが、どこにもない。
——もし、何か鑑定できる資料が残っていたなら。
——もし、あの死の真相に触れられる手がかりがあったなら。
そう思わずにはいられない。
あじあ号が「近代の象徴」として走り出すその裏側で、ひっそりと消されたかもしれない一人の警正。
その死は、歴史の表舞台に立つことはなかった。
だが、家族の記憶の中では、いまもなお“説明されない死”として沈黙を続けている。