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この世の常識から、自由になり意識を進化させる方々へ

    明人(myojin) / 自覚人

    塾内には様々な方がいらっしゃいます。

    その道の専門家で、誰でも知っているような方の師匠だったり、その分野でのパートナーであったり・・・

    詳しい事は書きませんし、これからもそのスタンスは変わらないように思います。

    お伝えしたい事は、近年、一線で活躍される方々の入塾が顕著になってきているという事です。

    勘違いしてほしくないのは、塾の中には肩書きは全く通用しないという事であり、自覚人として、人として、変化し続けている方が輝いています。

    「自覚」はどの分野の方が向いているという事はありません。

    これは、長年、自覚される方を見ての経験論です。

    どの分野であっても、突き詰めた方が、自覚の道に入られるようです。

    ですから、ニートであってもその可能性は十分にあるという事でもあります。

    また、道を極めんとする方々は、それに触れる機会も多いように思いますが、今まで、そのような方々が、認めてくだりやすいフェーズではなかったかもしれません。

    そうはいっても、そのような方は最初からいらっしゃいました。


    さて、誤解が生じないように書くのですが、世の中で認められるような事を生業としている方が素晴らしいかといえばそれは少し違います。

    先ほども書きましたが、ニートで生活保護をもらっている方が、以前いらっしゃいましたが、今では、そこを卒業して、そのような方の面倒を見ている方もいらっしゃいます。

    逆に、煌びやかな世界で、異彩を放っていた方もいらっしゃいます。

    正直、職種によっての上下があるようなお話は、違和感がありますし、話をする時に毎回苦慮するところではあります。

    例えば、主婦の方から一流のビジネスマンまで・・・

    と書いた時、すでにその区別が、違和感だらけなのです。

    ニートについても、極端な例と思うかもしれませんが、わたしから見るとそれも生業です。

    大切な事は、その機会を活かしているのかという事。

    その機会を浪費し、むだにしているなら、どんなことを生業としていても、その方に魅力は感じません。

    この社会において、良い仕事と考えられているそれを生業として、胡坐をかいているなら、わたしからみて、ゾンビのようにも見えます。

    まったく違う、自覚人の価値観

    この地球上での見た目はあまり当てになりません。

    地球人として地球で、肉体を以って、それぞれの国の社会の中でいている。

    そこでの価値観は、まったくもって、無意味な価値観に見えます。

    宇宙全体から見た価値観は全く違ったものがあり、それを知りながら、この社会をみるなら、違和感しかありません。

    しかし、その社会の中から、卒業していく方のサポートをしていくなら、その社会に倣ったやり方をする必要が出てきます。

    そういった意味では大分妥協している事は間違いありません。

    求めている方に伝わる為に・・・

    こういう事を書いていいのか微妙なところですし、言わなかった事ではありますが・・・

    必要な方に届かせるためには、運んでくれる方も大切です。

    荷物の中身はよくわからなくても、これを届けようと思ってくれる方の存在は、とても大切です。

    ですから、そういった発信も沢山しています。

    そこで、中身の良さを気付ける方が、集まってきているように思います。

    かなり、遠回しに書いていますが、伝わる方には伝わっている事ともいます。

    このくらいの書き方が大事だとも考えています。

    エゴの反応を極力起こさせない

    この事によって、荷物の中身が守られます。

    暗号化されたパケット通信のようなものです。

    閲覧者によって、様々に解釈されるそれ。

    エゴの働きが強ければ強いほど、ここで伝えている本質は視ることができません。

    これは仕組みではなく、理です。

    理が現われるよう、意図することができるのが自覚人でもあります。

    そのまま、ありのままに向き合う事ができるからこそ、そうなります。

    この事に、奥行きを感じられる方は少ないはずです。

    同時に価値も感じる方は少ないという事になります。

    ですから、「自覚」の場は守られます。

    自分のエゴの奴隷となる方は、自覚から離れたところにいるし、離れていきます。

    自分の規定を知り、向き合う方は幸いです。

    それが、そこから自由なる理だからです。

    エゴや執着を手放そうとする方は、エゴの奴隷です。

    それが、思考の枠の中でしか行われない事を知らないからです。

    人間の常識は、宇宙の非常識であり、理を逸脱している事と同義です。

    さて、理と書いていますが、自覚の本質は「理」を在るようにする「それ(私)」を知るという事でもあります。

    ですから、理からも自由な観点になっていく事が大切でもあるのです。

    別の言い方を追加するなら、宇宙を在るようにする「私」を知る事であり、

    太初を在るようにする私を知る事でもあります。

    知る事とは、自覚する事。

    知るという言葉を浅くとらえるなら知識になり、深くとらえられるようになると、「自覚」になります。

    簡単に書いてみましたがいかがでしょうか?

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    言葉の意味ではなく、作用と方向性を観測する文章を書いています。 違和感や揺れを、認知の入口として扱い、 思考がどの位置から立ち上がるかを静かに観察しています。 抽象と具体のあいだにある前段の構造を扱います。

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