
昔ラジオかなんかで、中島らもが厄年について語っていた。曰く、厄年とは統計学的なものであり、その歳まで溜め込んできた精神的肉体的疲労が顕現してくる、というような話だった。
今年私は厄年になり、子供の頃から溜め込んできた精神的疲労が顕現してきた気がする。そしてこれを乗り越えれば人間の成長段階をひとつ進むことができるような気もしている。
どうも仕事が嫌になった。部署の人は本当に良い人で、とても恵まれた環境にいると思っているが、業務内容とこれから先の「キャリアプラン」に希望を感じられなくなった。
それに連動して、私がこれまで生きていて、このブログに書いてきたような憂鬱が芋づる式にやってきた。
自分が良い人間だとは思わないが、それでもどうも、不逞な奴らばっかり幅を利かせていて、自分ばっかり損を被っているような気がしていた。この先生きていても何も良いことがあるような予感もしなかった。何かに負けないように一生懸命戦ってきたのに、いつの間にか誰にも負けているような気がしていた。
そんな気持ちが昨晩一挙にやってきて、私はたまらなく嫌になった。
こんな気持ちは文章にするのは容易いが、口に出すのはものすごく難しい。なんだか勇気のいることだ。内臓をギュッと握るような、弱点に直接触れるようなものだから。
それでもいよいよ抑えきれなくなって、母に話した。話しているうちに涙が止まらなくなって、照れ臭くてはにかみながら、涙が溢れた。
母は一緒にしこたま酒を飲みながら慰めてくれた。
これがもしドラマや小説なら何か名言を描写するところだが、本当のことなのでどんな言葉があったのかは書かない。ひとつ書くとすると、「これから先生きていて良いことがあるとは思えない」と言ったら、ものすごく大きな声で「あるに決まってる!」と言われた。あの声量はチャッピーには出せない。
友人にもこの際連絡して、気持ちを吐露してお互い慰め合った。LINEしながら初めて泣いた。
生きていることは辛い。多分私は子供の頃からずっとほんのり鬱だと思う。それでも泣きながら少しずつ生きていこうと思う。自分のキャリアにおける成長とかやりがいとかこの際どうでも良くて、体裁も関係なく、とにかく少しずつ、生きていこうと思った。