
私宛
拝啓 あの頃の私へ
19歳。
大学生になりたてほやほやの私。
地元を離れ、新しい環境と初めての一人暮らし。
大学ではどうしても心理学を学びたかった。
理由は複数ある。
幼いこどもたちが、虐待で命を奪われていくニュースを無視できなかった。
私のことを慕ってくれていた友人が不登校になった。手を差し伸べることに必死になった。
私たち「人間」についてもっと知りたかった。知ったら自分にできることがもっと増えると思った。
こういったことが、私を心理学の世界へと導いた。
大学1年生で初めて会う仲間たち。
学部でのオリエンテーション。
自己紹介で、
「児童相談所で働く心理師に興味があります。」
とみんなの前で堂々と話した。
その時の私は、どこか焦っていて、未熟で、だけどそんな自分を受け入れる暇もないほど、忙しなかった。
19歳。心療内科でのアルバイトを選んだ。
ドクターは掴めない、変わった人に見えた。
精神医学が大好きで、何事にも動じない、同じ人間だとは思えないほどタフな人だった。
アルバイトの募集人数は1人で、色んな人が応募していたらしい。なぜ私を選んでくれたのかわからなかったが、即決だった。
「あなた以外に選ぶ人はいなかった」
とあとで言われた。
ちょっと嬉しかった。
心療内科はどんなイメージがあるだろうか。
どんな人が来て、どういう空間で、どんな話をするのか、あまりイメージが湧かない人もいるかもしれない。
そこには本当にさまざまな人たちが訪れる。
最近あまり眠れないという人。
自分の特性が知りたい人。
長い間病気と付き合っている人。
死にたい気持ちと闘っている人。
病気が良くなってきて、薬を減らしたい人。
多くの人たちが定期的に通院し、変動のある自分、その波や苦しみと向き合っている。
それをその人が思うままにドクターに話す。物が少ない空間で、静かに自分自身と対話をしている様な時間。
私は、逐語録という、ドクターと患者の会話を記録することを主に担っていた。
初めは会話の速さについていけなくてタイピングが大変だった。電子カルテの使い方もわからなかった。それも慣れてきて自分が知らない専門用語も少しずつ学んでいった。
精神疾患の難しいところは、症状が目に見えないというところかもしれない。
病気の症状であること自体、傍から見ていると認識しづらい。
ただ苦しくて泣いている患者さんを目の当たりにすることには変わりなく、耐え難いほどに辛い思いは間違いなくそこにあるものだ。
症状として切り離して考えることが、私には難しかった。
そんな時にコロナ禍がきた。
緊急事態宣言が発表され、不要不急の外出ができなくなった。友人や先輩とも会えなくなり、県外の家族とも急に会えなくなった。
私のことばかり、目についた。
患者さんのことばかり、気がかりになった。
頭には、いつも晴れない霧があった。
知らない間に、深くて暗くて底なしの、見えない引力に逆らえなくなっていた。
私はできる、やりたいんだと、ある意味で、言い聞かせては意気込んでいたあの日から、数ヶ月が経つ。
ここで働くには、やはり早すぎたのではないか、私の気質上向いていないのではないか、という疑念を抱くようになった。
これまで友人たちには、「カウンセラーに向いてると思う」、「相談しやすい」、「優しい」、「メンタルが強そうだ」などと褒めてもらったことがある。その自負もあった。
高校生までの自分は、無敵という名の無鉄砲だった。
小学生で難病と付き合うことが決まっても、友人だと思っていた人から裏切られても、アナフィラキシーショックで死線をさまよっても、睡眠を削らなければ終わらない大量の課題が出されても、軍隊のような厳しい指導や校則があっても、受験で挫折しても。
何があっても、どんなに打ちのめされても、自力で立て直すことができた。落ち込む暇もなく前に進み続けることが最短の解決策だと、
そう思っていた。
心療内科でのアルバイトは、あまりに非日常だった。それくらい特殊な環境だった。
それがいつしか私の日常になった。
誰かの今と向き合って、苦しみと向き合って、時間も余裕もいつも足りなかった。自分に鞭を打っているような感覚があった。
生きることをやめると選択したあの人。
生きることをやめようとして失敗したあの人。
抱えながら生きると覚悟をしていたあの人。
それでも揺らいでしまうあの人。
あの人たちは、真面目で、優しくて、素直で、誠実だ。
私は生きることに執着していた。
死は恐ろしいことだと思っていた。
これからの私に期待していた。
本当にやりたいことが他にあると気がついていた。
まだ生きることを辞められない理由が確かにあった。
ある人は、「病気の症状があるから、死にたくなるのだ。」と言った。
ある人は、「死ぬことは、最後の自己決定だ。」と言った。
だけど私は、あの人たちが死ななくてはならないのか、わからなかった。そんな優しい人を傷つけてきた人がいる場合もある。それが許せなかった。
いくら病気の症状だと言っても、生きることが苦しくて耐えられなかった事実があって、あなたには関係のない人たちが無責任に放った言葉で心を抉られた事実があって。やるせない気持ちでいっぱいになった。
若すぎる私には、苦しくて、抱えていられなくて、何もできない自分が嫌になった。
ドクターは、まるで目の前にいる人間を見ていない。遠くにある山を眺めるように、その山にかかった分厚い雲を観察するように、患者さんを診ている。
熟練の技にも見えるし、極めてシンプルなやり方にも見える。
その頃の私には、そういう処理ができなかった。
アルバイトから家に帰ると、疲労感と精神的な負担を強く感じた。大学の課題をやるか、たまに家族や友人と電話をした。それでもなんとなく心は曇っている。
人と会って、顔を見て話すことが、どれだけ大切なことだったのか身に染みてわかった。
ほとんど毎日深夜まで音楽を聴いては、ひたすら絵を描いた。ひたすら文字に起こしては捨てた。
この世は本当にこの世なのだろうか。あの世と呼ばれている世界がこの世で、この世があの世だということはないだろうか。世間の認識とは逆なのではないか。
そう疑ってしまう日もあった。
なぜ追い詰められた先の選択肢のひとつと、嫌でも向き合わなければならないのか。
あなたは死ななくていいと叫びたかった。
生きていて良いのだと、心の底から叫びたかった。
ハラスメントやいじめで苦しむ人たちが大勢いた。表には見えないところで、たったのひとことで、たったひとつの出来事で、じわじわと地獄へ追い込まれてしまう人たちがいた。
あなたを傷つけたひとたちに、「人の心がないのか」「本当の意味で支援が必要なのは誰だと思うか」と文句を言いに行きたかった。
それも叶わない。
それが苦しかった。
あの時の自分はどこかおかしかったように思える。そういう自分に初めて出会った。
日々を繰り返すうちに、コロナ禍が明けた。久しぶりに、人とたくさん話した。友人に、「初めて心を病んだ気がした。」と話した。家族の前で弱音を吐いて泣いた。それまで出てこなかった本音が次から次へと溢れ出して止まらなかった。
人に頼ることが苦手で、誰かに与えることばかり考えて、でも自分のことが好きになれなくて、評価ばかり気にして、ある意味では自分のことを見ていなかった。あまり見ないようにしていた自分がいた。
初めて自分の本心がどこにあるのか、向き合うようになった。
自分のことがずっと御座なりになっていたことに気がついた。
誤魔化して。取り繕って。他人の目ばかりを気にして。
レールから外れないようにすることに意識を向けていた。
本音を言って、間違うことも嫌われることも怖かった。
これまでの人生はなんだか生きている実感が薄かったように思える。カメレオンのように、その場、その人、その状況を瞬時に読み取り、溶け込み、色を変える。
そんな自分の器用な部分に、変幻自在さに、嫌気がさした。
そんな自分でいることが苦しくなっていた。
初めて気がつくことばかりだった。
しばらくは、この異質とも言える経験が尾を引いた。
自分が何をしたいのかわからなくなったこともあった。
やりたいことが見つかっても、自分にはできないと思う日もあった。
だけど後悔したくないと葛藤した。
「野心家なんだね」「意外だ」と言われることに慣れなかった。
やりたいことがない人に、心底憧れる日もあった。
身体が付いてこない苦しさを知らない人に生まれていたら、どうなっていただろうと何度も考えた。
私から見れば、些細なことで悩んでいる人たちが羨ましかった。
「若いのに達観している」「どこに出しても恥ずかしくないね」と言う大人がいた。
やはり、どんな褒め言葉も受け取ることができない自分がいた。
本来の自分を探すことも、組み立てては壊してを繰り返すことは、思っていたより大変な作業に思えた。
私は25歳になった。
あれからも色々なことがあった。
本当に色々なことがあった。
心療内科でのアルバイトを辞めてから、
「精神疾患は甘えだ」と貶す人に出会った。
「病気になりたくない」と怯える人に出会った。
「安定が1番良いことだ」と確信している人に出会った。
「好きなことで食っていけるのは一握りだ」と諦めている人に出会った。
「好きなことをやればいい」と背中を押してくれる人に出会った。
世の中には目には見えないものが沢山ある。
表には出てこないものが、存在する。
見えているものが全てではない。
あの人は誰にも言えない悩みを抱えているかもしれない。
あの人は今も見えないものと闘っているかもしれない。
安定した暮らしが幸せな人もいる。
好きなことをして生活している人もいる。
許せることと許せないことは人によっても違う。
人それぞれの物差しを持っている。
そのそれぞれを傷つけたくない。
大切にし合っていきたい。
世の中には、白黒はっきりつけられないグラデーションが和多く存在する。
セクシュアリティだってカテゴライズできるものばかりではない。変化し得るものでもある。
発達障害だってスペクトラムだ。
誰もがその要素を、多かれ少かれ持ち合わせている。
簡単に型にハマるものばかりではないということを、忘れないでいたい。
いつか訪れてほしいダイバーシティを私は見ている。それは私たちで作ってゆくべきものでもある。
起こる全てのことは必然なのかもしれないし、単に意味づけがしたいだけなのかもしれない。
どちらであれ今は過去の私も、どんな私も、受け入れられるようになってきた。
ようやく私の言葉で、私の考えを話せるようになってきた。
「グラデーションを、多様な人々を、受け入れる柔軟な受け皿がこの地球であってほしい。」
「死ぬ時に、私で良かったと思いながら死にたい。」
これらは誰にも言ったことがない私の願いだ。
そのために、私は生きる。
悩みながら、楽しみながら、水のように流れ行く時間を受け入れて、凡ゆる心の動きを解放して、今を生きている。
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あなたと私は違う人間だ。
違うものを見ていて、違う今を生きている。
だけど、あなたと私は同じ人間で、かけがえのない光を持っている。
あなたと私は違うけど、あなたも私もふたつとない存在。この世にたったひとりだけ。
私の波を受け入れて、弱い私も私であること。
誰かの評価に寄り掛からず、私自身を信じること。
大好きな人たちの傷を背負いすぎず、でも寄り添うこと。
自分自身を1番大切にすること。
少し大人になった今の私は、少しずつバランスを掴んでいるように思う。全てできなくて良い。不完全で良い。何回でも挑戦して、何回でも失敗して良い。
誰かの受け売りなどではなく、そういうことを自然に思うようになった。
現にここに書き連ねたことたちも、初めは誰かに見せるつもりもなかった、綺麗ではないものばかりだ。
自分の舵を自分で取っている。
あの日までとは違う、そういう感覚を身につけている。
あの日があったから、今の私がある。
飛び込んでくれて、乗り越えてくれて、ありがとう。
私は、私に心からの敬意を表したい。
私は、私を心から褒め称えたい。
人生において、無駄なことなんてひとつもないって本当なのかもしれない。
伏線を張っては回収している。
何度も失敗しては、また何度も立て直している。
創造と破壊を繰り返してはどこかで楽しんでいる。
なんだかんだで、良い日々だよ。
いつも私のことを大事にしてね。
あ、ひとつ大事なことを言い忘れてた。
私ね、私のことを心から誇りに思ってるよ。
何があっても、大丈夫だから。
すべてを、受け入れるから。
すべてを、愛するから。
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敬具