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私は「頑張る」ことでしか自分の価値を示せなかった


    倒れるまで走るのではなく、続けられる速さで進みたい。




    発信を始めて1ヶ月。

    初めての世界で、今いちばん難しいと感じているのは、オンとオフの切り替えだ。

    SNSや発信には、分かりやすい退勤時間がない。

    会社員の頃は、会社を出たら一応「仕事終わり」という区切りがあった。

    もちろん、営業時代は休日でも取引先から電話がかかってくることはあったし、完全に切り替えられていたわけではない。

    それでも、会社という場所があり、勤務時間という枠があった。

    でも発信には、それがない。

    専業主婦もそうだ。

    家事にも育児にも、はっきりした終業時間はない。

    そこに発信が加わって、ますます休みとの境目が分からなくなってきた。

    「ここまでやっちゃおう。」

    そう思っているうちに、寝る時間が遅くなる。

    子どもたちが寝たあと、少しだけ作業するつもりが、気づけば日付が変わっている。

    そんな日が増えていた。

    そんな私を見かねて、夫や母が言った。

    「根を詰めてやりすぎ。最初から無理すると続かないよ。」

    その言葉を聞いた瞬間、なんだかデジャブのような感覚があった。

    ああ、これ、前にも言われたことがある。

    中学生の頃。

    毎日のように部活をやめたいと家で泣いていた私に、母は言った。

    「そんなに嫌なら、やめていいんだよ。」

    私は泣きながらこう返した。

    「そんなに簡単にやめられるわけないじゃん。」

    今思えば、やめたいならやめればよかった。

    でも、あの頃の私はやめられなかった。



    振り返ると、私は幼い頃から、競い合う環境にいることが多かった。

    小学生から始めたダンスでは、先生に認められた子がセンターや前列で踊った。

    もちろん、前列で踊るために必死だった。

    一度、叱られて脇に行くよう言われた時がある。

    その時、私は自分から先生に言った。

    「もう一度踊らせてください。」

    今思うと、小学生の私、よくそんなこと言ったなと思う。

    でも当時の私は、前に出られない自分が悔しかった。

    小学生から通った塾では、クラスや席順がテストの成績で決められた。

    地元で一番の進学校を目指していたので、勉強も真面目に取り組んだ。

    中学生になると、生活はバレーボール一色になった。

    その地域では有名な先生が、バレー部の顧問になったからだ。

    朝練、放課後練習、土日の遠征や練習試合。

    遊んだ記憶はほとんどない。

    付き添ってくれていた母も、相当大変だったと思う。

    厳しすぎて、12人いた同級生の部員は、最終的に私を含めて4人しか残らなかった。

    毎日やめたいと思っていた。

    それでも私は、やめなかった。

    理由は、今でもよく分からない。

    ただ、

    「ここでやめたら負け。」

    その気持ちだけは強くあった。

    頑張る以外の、自分の保ち方を知らなかったのだと思う。

    私はずっと、頑張っている自分に価値があると思っていた。

    前に出ること。

    成績を上げること。

    厳しい環境に残ること。

    弱音を吐きながらも、最後までやり切ること。

    そうしていれば、自分には価値があると思えた。

    逆を言えば、頑張っていない自分に周りが、がっかりするのがこわかった。

    学生の頃は、早く社会人になりたかった。

    勉強やスポーツには終わりがない。

    身体が許す限り、どれだけでもできてしまう。

    遊ぶ時間も、寝る時間も、ご飯を食べる時間も、削ろうと思えば削れる。

    だから、オンとオフがある大人を羨ましく思っていた。

    早く大人になりたかった。


    でも現実は、そんなに単純ではなかった。

    社会人になってから、私はメーカーで営業として働いた。

    営業時代も、私はやっぱり切り替えが下手だった。

    休みの日でも仕事のことを考えていた。

    取引先から電話がかかってきたら、基本的には出ていた。

    一度、ディズニーランドに行っていた時にも電話に出たことがある。

    当時付き合っていた彼氏をしばらくほったらかしにしてしまった。

    当然、険悪な雰囲気になった。

    その彼氏が、今の夫だ。

    あの時の夫からしたら、

    「今ここで出る必要ある?」

    だったと思う。

    でも当時の私は、この一本の電話が売り上げを左右するかもと思っていた。

    期待に応えられない自分。

    ちゃんとやっていないと思われる自分。

    そういう自分になるのが、許せなかったのだと思う。

    そんな私が、夫の転勤をきっかけに仕事を辞めた。

    8年弱勤めた会社を辞めて、専業主婦になった。

    ずっと頑張ってきた人生だったから、少しゆっくりした方がいい。

    そう自分に言い聞かせた。

    でも、いざ立ち止まってみると、なんだかいけないことをしているような気持ちになった。

    何もしていない自分。

    肩書きのない自分。

    誰からも評価されない自分。

    それが、とても落ち着かなかった。

    何かしなければ。

    そう思って、すぐにお金の本を読み始めた。

    投資の勉強も始めた。

    資格の勉強も始めた。

    英語の勉強も始めた。

    周りに「楽をしている」と思われるのが嫌だった。

    誰に言われたわけでもないのに。

    自分で自分を追い立てていた。


    ほどなくして妊娠し、つわりで寝たきりになった。

    毎日吐いて、点滴もした。

    その後、無事に子どもが生まれた。

    気づけば、隙間時間に考えるのは子どものことばかりになった。

    発達、遊び場、離乳食、絵本。

    自分のことは、どんどん後回しになった。

    そして少しずつ、手を抜くことも覚えた。

    トイレ掃除は毎日できていない。

    夫が裏返しに脱いだ肌着や靴下は、裏返しのまま洗って、裏返しのまま畳んでいる。

    前の私なら、全部ちゃんとやらないと気が済まなかったかもしれない。

    でも今は、そこまでやっていられない。

    母になって、私は少しずつ「全部は頑張れない」ことを知った。

    それでも、心の奥にある「頑張らないと価値がない」という感覚は、簡単には消えなかった。


    そして今。

    私はまた、新しい挑戦を始めている。

    SNSで文章を書き始め、自分の言葉を誰かに届けている。

    初めてのことばかりで、分からないことも多い。

    でも、楽しい。

    誰かに読んでもらえることが嬉しい。

    自分の中にあった言葉を外に出せることが嬉しい。

    だからこそ、また最初から全力疾走しすぎるところだった。

    「根を詰めすぎ。」

    夫や母にそう言われて、私はようやく気づいた。

    私はまた、頑張ることで自分の価値を証明しようとしていたのかもしれない。

    発信を続けたい。

    自分のキャリアをもう一度作り直したい。

    子どもたちのことも大切にしたい。

    家庭もちゃんと回したい。

    全部大事。

    全部投げ出したくない。

    でも、全部を全力でやろうとしたら、きっと続かない。

    幼い頃からの自分を変えるのは、なかなか難しい。

    頑張ってきた自分を、嫌いになりたいわけではない。

    むしろ、少し誇らしく思っているところもある。

    あの時、泣きながらでも部活を続けた自分。

    営業として必死に働いていた自分。

    退職後も、何かを学ぼうとしていた自分。

    どの自分も、あの時なりに必死だった。

    でも今の私は、自分のことだけ頑張ればよかった昔とは違う。

    子どもがいて、家庭があって、生活がある。

    寝不足の日もある。

    思うように時間が取れない日もある。

    子どもが熱を出せば、予定なんて簡単に崩れる。

    昔のように、気合いだけで走り続けることはできない。

    最近の私は、少しだけ暮らしの中に余白を作る練習をしている。

    子どもが寝たあとに、もう一本記事を書きたいと思っても、寝る日を作る。

    洗濯物が多少たまっていても、明日の自分に任せる。

    SNSの数字が気になっても、スマホを置いて絵本を読む。

    昔の私なら、きっと、まだできると思っていた。

    でも今は、続けるためにやめることも、少しずつ覚えていきたい。

    「休む」は、頑張れない人の言い訳ではなく、続けていくための術なのかもしれない。

    だからこれからは、「頑張る」というアイデンティティと少し違う向き合い方をしていきたい。

    頑張る自分を捨てたいわけじゃない。

    頑張ってきた自分を否定したいわけでもない。

    ただ、倒れるまで走るのではなく、続けられる速さで進みたい。

    誰かに認められるためだけじゃなく、自分の足で、自分の人生をもう一度進んでいくために。

    もし同じように、つい頑張りすぎてしまう人がいたら。

    頑張れない自分を責めてしまう人がいたら。

    私は、その気持ちが少し分かる気がする。

    頑張ることでしか、自分の価値を示せないと思っていた。

    でもきっと、本当はそうじゃない。

    頑張っている時の自分だけが、自分ではない。

    立ち止まる自分も。

    休む自分も。

    うまくできない自分も。

    誰かに頼る自分も。

    全部、ちゃんと自分なのだと思う。

    倒れるまで走るのではなく、続けられる速さを探していく。

    今の私は、その練習をしている途中です。



    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    1歳と3歳の母。元メーカー営業8年|米国交換留学|英語ブランク8年→臨月でTOEIC960点。おうち英語の実践、英語学習のヒント、親子で読んでよかった絵本などをお伝えします。Substackでは、これまでの経験や、育児・キャリアの揺れから見えたことを本音で書いています。

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