
くまのまち
こんにちは。どうも、お忙しいところ時間をとっていただき、誠にありがとうございます。
はい、今朝早くに町を出て参りまして。東京はもう暑いですねぇ。町のほうでは、まだストーブを焚いておりまして、いえいえ、本当に。これはまあ、その、町の名物でございまして。皆さんでお召し上がりください。え? そういうものは受け取れない? それは困りました。相談に行くならと町長が持たせてくれたものでして。はい、私としてもお納めいただけないと少々……。ご斟酌ありがとうございます。
早速ですが、今日はクマ対策について年寄り三人でお願いに上がりました。私は堂前と申しまして町役場を定年退職。こちらの図体の大きい男はタイゾー……えー、苗字は、ああ、イチカワ。市川。こいつは町で食堂を経営しています。小柄な方は冷泉と申しまして神社の宮司。三人とも小学校から一緒の同期です。何年か前に赤いちゃんちゃんこを着まして、はい、もうみんな暢気な立場ですよ。忙しいところは後継者に任せたり、嘱託のような形でたまに仕事をするだけだったりなので、何かと地域の行事に引っ張り出されたり手伝わされたりと、重宝に使われております。
ここ数年、人間の生活圏でクマが目撃されております。ええ、全国的にその様ですね。人との間に距離や余裕があれば花火で遠ざけたり、吹き矢で麻酔を打ち込んで動かなくなったところを捕獲しまして、動物園に引き取ってもらうか山奥へ戻すようにしています。
しかしながら、気づかないうちに人里まで降りてきてしまった場合は、住民の安全が脅かされるとしてハンターによる駆除となります。以前は市街地での猟銃使用には制約が多かったのですが、制限が緩和されて発砲しやすくなりました。まあ、当町の駐在さんは、いままでも発砲命令を拒んだことは一度もないのですけれど。私自身、猟銃免許を持っておりまして。この前初めて駆除の現場へ出動いたしました。
え? 問題は何かと? ああ、市街地での発砲規制緩和とか警察との連携ですとか、そういう陳情ではないのです。そうではなくてですね、前例がなく説明が難しいのですが……うちの孫からも強く言われまして。ええ、孫娘です。かわいい盛りの3歳でして。なんと言いましたか、デズニー? が大好きな可愛い子なんです。なのに、ジイジの家にはもう来ないというのですよ。あの日からもう半年も、半年もですよ。会ってもくれない、電話にも出てくれないとはひどい仕打ちだとは思いませんか、あなた? だから、何としても、何とかせねばならんのです。
すみません、取り乱しました。まあ、その、いろいろとありまして……どうにかできないかと困り切ってしまったのです。あちこち相談したのですが、町でも県でもお手上げです。ならば、様々な知見や技術・人材が集まるお国の機関に縋ろうと、何かアドバイスや助言をいただけるのではないかと田舎からまかり越しました次第です。
はい。私たちは、クマを殺さない方法を探したいのです。
第1章
「という感じに、ちゃんと話をしてきた」
「ふーん、聞いてもらえてよかったじゃない」
「良くねぇよ。結局どこでも何にも出来ねぇって帰されたんだぞ」
「タイゾーさん、そりゃそうだよ。お役所なんだからさ」
「お前が言うなや」
ガタイのよい男が、窮屈そうに折りたたみ椅子を軋ませる。
「アポ無しなんてウチなら門前払いだよ」
最初に向かった総務省では、あらかじめ役場から連絡してもらっていたので、きちんと対応はしてくれた。害獣よけの柵を設置するための補助や、被害防止のアドバイスなどももらえたが、三人が望んでいるような解決策は出てこなかった。市街地すべてを柵で囲う訳にもいかない。
総務省の担当は「そういうお話でしたら、当省では難しいと思われます。動物や自然環境のことですから環境省へ行ってみてはどうでしょうか」と言い、話を聞いてくれそうな部署を教えてくれて、さらに電話で訪問のアポイントまで取ってくれた。
そこで環境省へ行ってまた一から話をしたが「動物の生態については助言できますが、自治体の具体的な安全対策ということでしたら当方では……」と。ここでも答えは出ず、そのあと、なぜか国土交通省、農林水産省、文部科学省、厚生労働省を巡礼して、どこでも一応は話を聞いてくれるものの、どこでも遠回しに「うちじゃない」と他へ回された。
「だからって、なんで僕のとこに来たの?」
「朝早くから動き回って疲れちまってなぁ。コイツが休みたいって駄々こねてさ」
「飲まなならん薬もあるんや。日陰も涼風もないアスファルトを歩き続きゆうんは、かなわんわ」
「あー、冷泉さんは高血圧だっけ?」
「そや」
「神主さんなのに血の気多いよね。子供の頃は学校で有名だったよ。怒鳴りながら追いかけてくる鬼がいるって」
「ほぅ、礼儀作法をもう一度叩き込んでもらいたいようやな、若造」
「すみません、ごめんなさい、勘弁してください」
「それで、まあ、この辺の案内図を見ながらお前さんのことを思い出してな。じゃあ、行こうと」
タイゾーが紙袋から菓子折りを取り出す。
「余ったからやるよ、町長が持たせてくれた饅頭だ。霞ヶ浦に行くならゆるキャラ饅頭でPRしてこいとさ」
「ああ、これ? 味が微妙……って、霞ヶ浦じゃない。霞が関」
「グソクが研修なんか勉強なんか人手不足の手伝いなんかよう知らんけど、日ノ本の中心“霞ヶ浦”に出向しとるんやと、聞かへんのにいつも嬉しそうに自慢しよる」
「グソク?」
「愚息。おまえさんのこっちゃ」
「恥ずかしいから止めてほしいのに」
「あの悪ガキが立派になったもんやのう、ともかく見た目だけは」
「まあ、僕だってそれなりには成長してるんだよ」
「さすが町の出世頭、期待の星。つーことで、お前んトコで引き受けてくれ」
「何を?」
「クマ対策」
「あのねぇ、タイゾーさん。ここ何処だと思ってんの?」
「いいじゃねぇか、頼むって」
「ここ、中小企業庁なんだからね。わかる? 中小・企業・庁っ!」
知り合いのおっさんたちが急に職場へ現れて、仕方なく空いてる会議室へ引っ張り込んだ。この忙しい時にと思いながら、なぜか顔がほころぶ。普通なら入館自体を断るところだが、警備になんと言い訳したのやら、懐かしい顔にビジターパスをぶら下げてノコノコやってきた。
「でもさ、どうしてそんなこと考えたの?」
「うん?」
「クマを殺さない方法とかって。そんなにたくさん出るわけじゃないでしょ、うちの町。多くたって1年に1頭か2頭。今までどおり駆除するんじゃダメなの?」
“ごんっ”と、堂前がいきなり突っ伏して机に頭をぶつけた。けっこう派手な音がする。
「ど、どしたの堂前さん?」
「それ聞いちまうかなぁ。ようやく立ち直りかけてんのに」
「へ?」
「コイツさ、駆除しちゃったんだよ」
「何てゆうたかな、東京におる長男の嬢ちゃんでな、確か3歳くらいの女の子がおるんや。その子にえろう嫌われたそうや」
「ちょっと何言ってるのか分かんないんだけど」
冷泉が懐から小型のタブレットを取り出す。
「話すより、これ見てもろた方が得心するわ」
「なんかの動画?」
「ローカルやけどテレビで流れたやつや」
慣れた手つきでタブレットを操作し、動画を早送りしていく。
“次は地域のニュースです”
「このへんからやなぁ」
“先週から住宅街に出没していた熊ですが、今朝早く、ハンターによって駆除されました。今日午前5時頃、ランニング中の高校生が北部の自然公園付近で熊を発見。その後は目撃情報が相次ぎ、複数の住民から警察へ通報がありました。熊はそのまま市街地の方へ移動しようとしたため、駆け付けた警察官とハンターが山へ向けて追い立てましたが、午前8時半ごろ、河川敷に潜んで居座ったため駆除されました”
画面には駆除された熊が横たわり、猟銃を持った堂前がインタビューを受けている。
“町の委託を受けたハンターは「市街地へ出没するのを阻止できてよかった」と語りました。住宅街までクマが接近するのは今年初めてです。警察では付近の警戒を続けており、近くにお住いの方などは充分ご注意ください”
「堂前さんて猟銃撃てたの?」
「ほら、コイツって元役場だろ、いままでやってたヤツがトシで辞めちまったから、代わりにって頼み込まれたらしい。地元に駆除できるヤツがいないと困るからな」
「それでや、遊びに来とった孫娘がこのニュースを見てしもたらしい」
「あちゃー」
「そーゆーことや」
「小さい子には、ちょっと可哀そうな気持ちにさせちゃったかもね。だけどさ、堂前さんの家庭事情なら、もう、どうしようもないじゃん。撃っちゃったんでしょ? 嫌われちゃったんでしょ? しょうがないじゃん。夢のネズミーランドに連れてって黄色いクマさんでも買ってあげてさ、ご機嫌とるしかないと思うよ」
「それがなぁ……」
「小さいのがもう1頭おるようなんや。町へ降りてこんよう毎日交代で見回りしとるけど、いつまで大人しゅうしてくれるか分からん」
「なあ、人間に危害を与えそうな親熊を駆除してもだぞ、泣きながらな、大嫌いジイジなんてもう知らないって、3歳児から冷たーい目で軽蔑されちまうんだ。小さな熊まで堂前が駆除したら……駆除って言葉で誤魔化すのはアレだよな。ハッキリ言うとだな、見た目小さくて可愛いコグマまで撃ち殺したらどうなっちまうと思う?」
「ああもうトラウマ級に避けられて、孫娘ちゃんは一生顔見せてくれないかもね」
「だから、絶対になんとかしなきゃならないんだっ!」
堂前の大声が聞こえてしまったのか、廊下から緊張感のない声がした。
「田口く~ん? ど~こいったぁ~」
「しーっ! やばい、課長だ。静かにして!」
「お前さん何かやらかしたのか?」
「違うよ。今、忙しいんだ。ややこしい企画を担当させられてるんだよ」
「ふーん?」
「そろそろ案を出さないとマズいんだ。ほら、先月種子島から打ち上げた国産ロケットあったでしょ。あれ、高性能のGPS衛星積んでたんだよね。国交省がメインでウチはあんまり関係ないはずなんだけど、予算の都合で……っていうか、経費がとってもかかるから、あちこち省庁から予算が少しづつ召し上げられて……じゃなくて先進的な研究には協力しようって各省庁が金を出したんだよ。で、ウチも金を出した分、ほんとにちょっぴりだけど、衛星が持っている性能容量の一部を使わせてもらえる」
「お前さんが担当なのか」
「そうだよ。本筋の仕事じゃないし、連絡調整が面倒だしね。僕みたいな地方からの出向組に振られる案件だよ。そもそも、中小企業と衛星って、どこをどう繋げればいいんだか。早く事業提案を出さないと衛星を使う権利が取り上げられちゃうんだ。いらないなら他で使うってことらしい。国交省の自動運転システムとか、農水省の無人トラクターなんかだと、精度を高めるために衛星の能力はいくらでも使いたいだろうし」
「よくわかんねぇけど、凄いな」
「そんなこんなで僕は忙しいんだ。久しぶりに会えてうれしかったけどさ、薬飲んで、一休みして、落ち着いたら帰ってよ」
「その、衛星を使った事業ってのは、まだ何も決まってないんだよな。でもって、いいアイディアが出なけりゃ権利もなくなっちまう」
「そうだよ」
「ならクマ対策やってくれ」
「そうだ! 私からも頼むっ、もうどこも頼れないんだ!」
「いやいや堂前さん、頼まれても無理だよ。衛星でクマ対策って意味わかんないし」
「自動運転できるくらいなら、クマ対策くらいできんだろーが」
「タイゾーさん、どういう基準で、何をもってそんな断言を?」
「そりゃお前、衛星からぴかーっとなんか出て、クマがあそこにいるってみんな分かればさ……」
「分かれば?」
「逃げれば、いいんじゃ、ねぇかな?」
「思い付きで言ってるだけでしょ!」
「じゃ、じゃあ、衛星からぴゅーっとなんか出て、クマに当たるとピカピカ光って……」
「そんな適当なこと言って」
「スーバラシイ!」
「えっ?」
会議室のドアを蹴飛ばすように入ってきたのは、公務員らしからぬ個性的な人物。外国人のように両腕を広げ、溢れんばかりの笑顔で会議室に突入してくる。やけにネクタイが派手で、それよりも派手なアロハ風のシャツを着ている。普通、アロハにネクタイするか? 霞が関にも霞ヶ浦にも、当人以外こんな姿で働く職員はまず居ない。格好も言葉づかいも役人離れしている。
「芸人さん?」
「違うっ、ウチの課長っ。課長、ど、ど、どうされましたらたかん?」
「HAHAHAHA、何を言っているんだい田口君。君を探していたら、地方からお話にいらっしゃった方と会議室で打ち合わせ中だと言うじゃないか。衛星プロジェクトの目星がついたのかと思ってご挨拶にとやってきたら、なんとクマ対策。いいね、いいね、いいじゃないか。地域密着、ニーズ即応、新分野へのあくなき挑戦。うん、新鮮で心優しいウチにぴったりの企画だ」
あっけにとられる三人に、課長が名刺を差し出す。
「改めまして、はじめまして。ワタクシ、経済産業省中小企業庁長官官房デジタル・トランスフォーメーション室長補佐兼よろず支援課の課長で、田口君の直属上司になります。頑張ってくれてますよ、田口君。このまま本庁で頑張って欲しいくらいです。ほうほう、どーもどーも、堂前さんは元役場にお勤めで。今は嘱託で猟銃免許もお持ちなのですか。飲食店を経営されているのが市川さん。ご神職は……これ、お名前はなんとお読みするんです?」
「冷泉と書いて、れいぜいと読むんや」
「由緒正しいお名前のようで」
「古いだけですわ」
「お三方とも、田口君と同じ町のご出身なのですね。冬は厳しいですが良いところですよねぇ。食べ物が美味しい。自然豊か。気候は冷涼。私、定年退職したら移住したいくらいですよ。あぁ、でも除雪とか雪かきというのは大変なんでしょうね。東京生まれの私にはちょっと厳しいかも知れません。で、田口君?」
「はひっ!」
「基本的なところで、何かボトルネックあるの?」
「問題というか、全体概略のイメージが、まだ、その、共有されていない段階のようにも思えるような感じでして、衛星を有効活用するための詳細というか、具体的なプランがですね、素人のおっさんの思い付きですから……だから、その、いわゆる、この案件はまだ検討に値するかどうか、継続的かつ丁寧な検討が……」
つまりは思い付きレベルだから止めて欲しい。
「いいんじゃない、それで。そもそもモデル事業の先行案件なんだから。完全に出来るって解っているならやる必要がない。報告書作る方は楽だけどさ。事業によって課題や問題を明らかにして、対策対応をノウハウとして蓄積し、後に続く道しるべとなす。失敗したってその失敗から価値ある経験値が残せるならそれでいい」
「はぁ……」
「みなさんのお話にありました言葉をお借りするとですね、衛星からぴかーとか、ぴゅーとか、なにか出すその何かの種類ですとか、より効率的な出し方、データ解析の方法、得られた情報の有機的結合と活用方法、どうやって逃げるかとかですね、そういうものを今回の事業で実証しましょう。衛星でクマの移動を監視して、どこにいるのか把握できるようにする。その情報を使ってどのように対処するかはご地元の様々な主体と一緒に協議が必要でしょうけれど、まあ、全部ひっくるめて実証実験って扱いにいたしますから、補助率10/10の全額国費で800万円から1,000万円くらいなら出せます」
「えーと、課長、いいんでしょうか?」
「なにがだい、田口君」
「ウチ(中小企業庁)が扱う案件なのかと」
「ええっ、この方々は大企業なの?」
「そういう訳じゃないです」
「あのねぇ田口君、他の省庁は仕事の内容が決められているけど、中企庁はね、対象主体が決められているんだよ。中小企業がやること、やろうとすること、関係すること、全部管轄。だから衛星もクマも、なんだったらね、火星移住だろうがブラックホールだろうが陽子崩壊だろうが、パンダ(熊猫)にコアラ(子守熊)にレッサーパンダ(子熊猫)。なんでもかんでも全部ひっくるめて中小企業が業として関わるならウチの出番。Do you understand? じゃあ田口君、企画書よろしくね。as soon as ナルハヤ1枚ペラで。概要ざっとでいいから。肉付けは後で。事業主体は町役場も入った地元事業者によるコンソーシアム予定にしといて。いいですよね皆さん? あくまで予定だからあとでどうとでも、ね。衛星でクマの位置を特定、あー、追尾分析にAIも活用するって入れといて。重点政策だから。でもって、位置が特定できることで自治体それぞれ対応がとれるんだっていう、統一プラットフォームになり得るように実証実験するってことで図書いてさ。将来的には水平展開。クマの出没増加やハンター減少なんかの課題に対処するとか、その辺のエビデンスはもっともらしく上手く書いといて。おっと時間だ。じゃあ、ワタクシこれで失敬します。すみません。それではみなさんヨロシク」
会議室に取り残された四人がお互いに目を見合わせる。打ち合わせか会議の予定時間なのか、スマホのアラームに追い立てられるように課長は部屋を出て行った。
「これは、引き受けてくれたと思ってええんやろか?」
「あの課長がやる気出しちゃったら誰も止められないよ。本省のキャリア組なのに、あんまりやり過ぎるから、ウチみたいなとこに飛ばされたって噂があるくらい……うわっ!」
「ゴメンゴメン、田口君、もう一つ追加で。せっかくだからさ、地域のシニア層を主体にした地域活性化、地方創生ってテーマも入れといて。それ入れたら審査加点がバンバンだから」
バンバンってなんだ?
その後、時間がないからと立ち上がった田口に促されて、一行は中小企業庁を後にした。東京駅のエキナカで弁当を奮発して、新幹線から在来線さらにローカル線へ乗り継ぐ。
地元の駅まで帰り着くと深夜になっていた。乗客は三人のほか誰もいない。何十年かぶりに利用した鉄道駅は町自体と同じように寂れている。時刻表を見ると数えるほどしか列車がない。赤字解消のためバス転換になるのではないかという噂もある。自分たちも、もうちょっと若ければ自家用車で出かけただろう。
「これからどうするんや?」
「先ずは古巣の町役場に報告してから、警察とか町内会とか、どこまで根回しするかも相談してみようと思う。今週中には方向性を固めるよ」
「頼んだぜ」
「ほな、今日は疲れたさかい、これで失礼するわ」
「俺も店が心配なんで帰るわ。店まで一緒に来てくれりゃ車で送るけど、どうする?」
「いや、ぶらぶら歩いて行くからいい」
「そうか、じゃあクマに気をつけろよ。わははは」
「今日はありがとう」
同行の礼を言って家路を急ぐ。人も車も通らないのに駅前通りは煌々と街灯がともっている。自分だけのためにどれだけ電気代がかかるのかと、計算しようとして止めた。そんなことをしてもどうしようもない。
どうしようもないことはとても多い。この年になって思う。上手くいかないこと、思い通りにならないこと。むしろそんなことばかりだ。だから、仕方がないんだと妥協する。こうするしかないんだと自分を納得させる。しかしそれは言い訳だ。
ジイジは頑張るぞ。
だから、また遊びに来てくれ。クマがいて、ジイジがいて、おまえが安心して遊べる町にするから。絶対に。その為にだったら手段は選ばん。役人時代の人脈も経験も悪知恵も全部駆使して事業を実現させてやる。見ていろよ。
しかしだ、本当に国が支援をしてくれるだろうか。話がうますぎるような気もするし、軽すぎというか、ちょっと胡散臭い感じもする。向こうのペースに乗せられ、地元でコンソーシアムを組むという前提になってしまったのも気にかかる。いろいろと説明して回らなくてはならないだろう。国のGOサインが出るまで1カ月か半月か。お役所仕事は時間がかかるものと決まっている。こちら側としては2週間くらいを目途に体制を整えれば大丈夫だろうか。ともかく出来るだけ早く動き始めなくては。
そんなことを考えながら歩いていると、携帯電話が鳴った。見慣れない番号に少し迷いながら電話に出た。
『どちらさま?』
『庁内レビュー審査通ったよぅ……僕もう帰って寝るから。じゃ』
第2章
「おい、こりゃなんだ?」
タイゾーが向かったちゃぶ台の上には、熱々の鉄板が置かれ、デミグラスソースのいい匂いがしている。
「もうすぐ役場で会議なんでしょ? お父さんの晩御飯だけ先に用意しましたよ」
「なんで、俺のメシがこんな妙なものなんだ」
「新メニューの試作ですって」
わが息子ながら、まったくアイツは訳が分からねぇ。クマ対策でいろんな関係者が町に来るかも知れねぇぞと言ったら、新しいお客さんを取り込むためにクマ定食をつくるんだと。前のゆるキャラ弁当で懲りたと思っていたんだが。それにしてもだ、クマを助けようってのにクマ食うのか? 食うにしたって顔にフォーク刺したくねぇ。なに考えてやがんだ。焼き上がってソースかかってんのに、ハンバーグがクマの顔だとちゃんと分かる。妙に器用に作りやがったな。
顔から肉汁が溢れ出てきた。食いたくねぇけど、そういえば昔はクマ食ったんだよな。イノシシも、鹿も。まあ、山で取れる獣は貴重なたんぱく源だ。今ならジビエって言うんだろ。普通の牛・豚・鳥よりずっと高けぇ。牛、食うよな。馬も、まあ、食う文化あるよな。イノシシだって駆除で罠にかかった奴は食う。だけど今クマ食う奴はいない。なんでだ。
あー、面倒くせえ。考えるとこんがらがる。半分になったクマの顔が怖ぇ。
食うためなら殺してもいいのか? いや、なんか違うな。鹿肉は食うけど、農家に被害が出るからって鹿を減らして、もったいねぇから肉を食ったり、革でなんか作ったりしてんじゃなかったか。鹿食わなくても他に肉がいろいろあるからな。あ、アレじゃねぇかな。クジラとかイルカを食うなって、アレ。魚は焼いて食ってもいいけどイルカは賢いからダメなんだ。クマも賢い……のか? 人間に危害を加えるかどうかって事かもしれねぇな。オオカミは絶滅した。そうだ、それだ。人間にとって危ねぇかどうかだ。サメを駆除しても誰も怒らねぇ。じゃあ、なんでクマを駆除したら批判されるんだ。あれ? どっちがどっちだ? クマは殺していいのか、それとも悪いのか。
人間の安全が第一。そうだ、そこから考えないと話がヘンになる。クマは危険か? 人を殺す力がある。あるけどよ、それ言っちゃうとフグもバイカルハナウドも同じだ。いや、フグは食わなきゃいいんだし、毒草には近寄らなきゃいい。じゃあ、クマだって人間と遭遇しなきゃ構わないってことか。山でおとなしくしてりゃ、わざわざこっちから駆除しに行かなくったっていい。アニサキスが怖けりゃ生で食わなきゃいい。毒キノコが不安なら変なものを採らなきゃいい。あ、そうか。避けられるかどうかって事じゃねぇかな。クマに遭遇しちまったら、並みの人間じゃあどうしようもねぇ。戦っても勝てねぇ。そんな危ねえヤツが近くをうろついてんじゃ怖くて暮らして行けねぇ。ああ、そうだ。近くに居なきゃいいんだ。
この町は残念だがもう大きくはならない。住んでる人間だって少なくなってる。だったら、クマのやつらの居場所があったっていいんじゃねえだろうか。そんな時代になったってことだ。過疎化ってやつか。ようやく、いや、だんだんか? 見つけ次第ぶち殺さなくてもいいんじゃねぇかと考えるくらい、自然と人間の関係が変化したってこった。そうだ、そういうことだ。人間も、クマも、安心して暮らせる方法があるならそうすりゃいい。そーゆーことだ。ようやくスッキリした。
「オヤジ、これも頼むわ」
「あん?」
「弁当仕立ても作ってみたから、ゆかりさんに持ってってくれ」
「ゆかりって、あ? 交番の生意気なあんにゃろうか?」
「今日の会議で会うんだろ。この前、偶然店の前で見かけたんだけど、ゆかりさん料理全然ダメなんじゃないかな。隣町のコストコで買った冷凍食品とかレトルトの袋を両手で持ってたよ。そういうのは偶にはいいけど、いつもじゃ体に悪いからさ」
「何考えて……」
やべぇ、カワイイ。
「なんで弁当箱がぬいぐるみなんだ」
「だってクマ弁だぞ。本物の毛皮と言いたいところだけど、残念ながら合成繊維。かなりクマの毛っぽいだろ? 耳も付いてんだぜ。撫でて可愛い弁当。後ろのここから、よっと、こうして開けると容器が出てくる。オヤジ、今度は絶対イケるって」
「バカ野郎」
「保温性もあるんだぜ」
「弁当はちゃんと冷ませ! 食中毒出す気かお前は!」
「じゃあ、保冷剤入れてみるか。あっ!」
「なんだ!」
「そうだよオヤジ! 保冷剤のせてさ、ほっかむりさせたらカワイイって! ち、ちょっと待ってくれよ、すぐ用意するから」
「頬被りだとう……」
あー、そうだ、そうだよ。素直に告白する。いろいろ面倒くせぇ理屈をこいたが、前言撤回。俺がクマを殺したくないのはカワイイからだ。堂前に頼まれて仕方なくなんて顔をしてるが、実はカワイイものにすごぶる弱い。恥ずかしいから隠してるが。なかでも動物の子どもが一番ヤバイ。うおぉ、手ぬぐい被ったクマ可愛いじゃねぇか!
「俺ぁもう行く! さっさと寄越せ!」
「オヤジ、なに怒ってんだよ」
「うるせえ!」
「町長、そろそろご準備を」
秘書からの声に時計を確認する。いよいよ今日だ。この町始まって以来かも知れない。開始時間まであと30分ほど。中央官庁の支援によって、全国初となる事業を実施するための会議『クマ連会』の初会合が行われる。もともとは『人工衛星を活用した先進的AI支援モデルによるわが国初の包括的クマ対策関係者連絡会議』などという物々しい名称になるはずだったが、長くて面倒だからと略称が正式名になってしまった。
変なのは名称だけでない。中央で決定してから町へ事後承諾を求めるのも前代未聞だし、国の仕事が数日で形になるのも信じられない。事業実施中は技術者が常駐して総額1千万円以上の事業費が町に落ちるという。異常でも前代未聞でも、冗談のような事業内容でも、事後報告で役場のメンツが潰されようとも、こんな有り難い話を断れるはずがない。おまけに、うるさ型の町議や顔役連中への根回しも終わっているとのことだ。故に今日の会議はセレモニーでしかない。
「出席状況はどう?」
「警察は本署ではなく駐在所の巡査長になるそうです。JAは組合長の予定がつかないため代理。ギリギリまで待ちましたが教育委員会は欠席、安全性が高まるのであれば基本的には反対しないとのことです。消防団と商店会は若手青年部の代表。PTA、町内会、社会福祉協議会からは会長がいらっしゃいます。観光協会はいつもながら回答が遅くまだわかりません」
なんとか地元の足並みは揃った。しかし、何故うちの町なのか。そこが気にかかる。
お国が振る旗に駆け出して行ったら、いつの間にかハシゴを外されていた。よくある話だ。この町には実例がある。前町長が膨大な予算をつぎ込んだ町民デジタル構想は見事にコケた。ベースとした国の住民基本台帳カード(住基カード)自体が終了してしまったのだから、どうしようもない。大金をかけて都会のコンサルが夢の絵を描き、大手IT企業がサーバとシステムを納入。そして今、仕様書は埃をかぶり、役場にコンピューター室と書かれた開かずの間が残っている。
寂れた町をなんとかしようと努力してきた。自分たちが子供だった頃、駅は倍以上に大きくて支線や省線から集積される貨物のターミナルまであった。働く場所があり、働く人がおり、その家族が暮らしていた。最盛期の人口は現在のほぼ10倍。たくさんの店があり、たいていの物は町内ですべて揃った。温泉旅館があった。映画館があった。遊園地があった。毎日楽しいことがたくさんあった。それが、いつしか、何もなくなってしまった。だから若者は町を出る。人口が減り続ける。当然だ。前回の選挙では町長自らの子供たちが町外へ転出しているのはどういう訳だと叩かれた。批判はされたくないが、親としては帰ってこないほうが幸せではないかとも思う。ここはそんな町だ。
なのに、なぜ国はこんな町の事業を支援するのだろうか。本当にこの人たちは国の役人なのだろうか。目の前で応接セットにだらしなく座っている『専門家』が、あくびをひとつした。革靴を脱いで足の指をわさわさと動かしている。典型的な中小企業のおっさんに見えるが、プロジェクトの技術的な統括役なのだという。
「あの、伺ってもよろしいですか?」
「なんやねん」
「今回のような事業に、なぜ、こんな町の企画が選ばれたのでしょう」
「そりゃアンタ、国家機密ですわ」
「は?」
「冗談や。あんさんトコの企画提案が、国の思惑どんぴしゃど真ん中にオオタニ級の速球でビシーっと決まりよったからや。ああん? 恩に着ることあらへん。感謝する必要もない。国は国の損得で動いとんねんから」
扇子を振りながら速球をビシーっと決めたらしいゼスチャーが、とても癇に障る。事前に息子から聞かされていなければ、この2人組がまさか国のお偉方だとは思わない。迎えに行った駅の改札から出てきたのは、コテコテの関西人らしいおっちゃんと、アロハシャツ。秘書もお付きも随行もなしで2人だけ。出迎えに同行した公用車の運転手は「町長、さすがにアレは違うって。え? マジっすか?」と、素が出るほど驚いていた。
「まあなぁ、なんちゅうか、黒幕はこのアロハやねん」
「HAHAHA、私がなにか?」
「防衛省やら警察庁にまで恩売ったらしいやないか」
「喜んでましたよ、彼ら。理由づけにかなり困っていましたから。渡りに船とばかりに推してくれました。なにしろ内容がほのぼのしてる。クマ、田舎の町、地域住民、安心安全。これ以上ないカモフラージュ。わが国には草花の香りがする最新鋭衛星こそふさわしい。これ公式見解。それでいて必要な要件はすべて満たしているのですから万々歳。あ、何かあれば自衛隊さんも喜んで協力してくれるそうです」
は? どういうこと?
「それとですね、ここへ来る前に少々情報流しましたら、興味を示した自治体が結構ありました。町長、視察への対応考えてもらえませんかね。例えば現地見学2時間と資料提供プラス座学レクチャーで、まあ、1人当たり5,000円くらいなら喜んで出すでしょう、自治体なら。15人の団体が20件で150万円。議員視察ならもっと吹っ掛けても大丈夫。なんならDMO(観光地域づくり法人)立ち上げちゃいましょうか? 確かここ、地域おこし協力隊員いらっしゃいましたよね。事業継続のためにはしっかり稼がないと。まあ、その辺も含めて何かあればなんなりとご相談を」
「あ、ありがとうございます……それではお二人とも、そろそろ会場へご移動を」
「ほいきた」
「プロジェクターをご用意していますから、動作確認の方もお願いします」
「ああ、それ止め。見ても意味ない。時間の無駄や」
町役場の大会議室、とはいっても一番大きいというだけで30人くらいしか入れない部屋に『クマ連会』のメンバーが顔を揃えた。時間は午後6時。職場から直行なのか、仕事着のまま出席している姿もちらほら見える。
「みなさんお揃いのようですので、たた、だいまより、第1回クマ連会を開催いたします。わたし、いえ、わたくし、司会役をお、お、おせ仕りました、地域おこし協力隊の上野と申します、です。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたしますっ」
若い司会が緊張で噛みまくりながら開会を告げ、地元参加者がそれぞれ自己紹介をしていく。
「で、では早速、事業を進めるにあた、たって必要となる基礎的な技術情報について、ご説明をお願いいたします。本日は公務ご多忙のなか特別に専門家の方をお招きしております」
「どもどもおおきに」
「今日お話しいただく先生は大阪府のご出身で、真田山幼稚園ひでより組を非常に優秀な成績で卒園され、空堀小学校では6年間給食係を……」
「コラ司会、どっから始めるつもりやねん」
「はあっ、申し訳ござりません! えー、先生ご生誕の折、ご、ご母堂さまが大きな春菊を飲み込んだ夢を見たという伝あり、菊吉丸と命名された由にござりまいて、1歳の元日には一升餅を軽々と背負われ、親戚の又兵衛叔父が面白半分に二升の餅を背中に乗せたところ、こ、これも軽々と持ち上げたという逸話が……」
「コラ司会、どっから始めるつもりやねん! ワテは太閤さんか。若いのに言葉使いおかしいやろ、歴史好きなんか。もうええ。専門は電波天文学、国の人工衛星プロジェクトの統括役。それだけでええ。アンタらが知らなならんコトは、全部このワテがちゃーんと教えたる」
「は、はい、ではよろしくお願いいたしまする」
「エライ先生ゆうて祭り上げられても、こっちはただの人や。ありがたく拝まれたってな、出来ひんことはできん。はいはい、ただいま司会からご紹介いただきました専門家、ちゅーことになっとりますけど元は町工場のオヤジですわ。そしたら簡単に。GPSっちゅうんはな、ぐろーばる・ぽじしょにんぐ・しすてむゆうて、衛星測位システムですねん。人工衛星から出とるシグナル……特定パターンの信号やな。それ使うて現在位置がわかるっちゅうもんや。あんたらの車にもカーナビ付いてますやろ。はい、そこのあんちゃん!」
「オレ?」
「そや、なんで特定パターンの信号で位置が判ると思う。ああん? 衛星との間の正確な距離がわかるから? それファイナルアンサーか? …………正解っ! アンタ詳しいな。商店街で電気屋やっとる? そら分かって当然か。しょーもない話は省きまっけどな、アメさんやらの軍事用には勝てへんとしても、我が国でも結構高度な運用しとるんですわ。2系統の電波使うたり、ノイズ予測の補正をかけたったり。せやけど、どないしても超えられん運用上の壁っちゅーのがあるんや。その壁をぶち壊そゆうんが、こないだ打ち上げた衛星ですねん。はい、そこの地味なおっさん!」
「ちょっ、いきなり驚かさないでくださいよ」
「ボケーっとしとったらアカンやないか。で、壁てなんだと思いまっか。わからん? ちっとは考え。特別ヒントや。このごろ地震やら災害が多いでっしゃろ。地殻変動。年間ミリやらセンチならなんとか補正しまっけど、大きな地震なんかやったらいきなりメートル単位で動いてまうねん。地図とズレる? うーん、それやと50点。落第やなぁ。ズレるゆーても全体にズレるんやから、地上の道路とか家とかビルとか、そうゆうもんの相対的な位置関係は変わらん。はい、そこのおばはん。あん? おばはんちゃう? まあええがな。なんでこれが困る思いまっか。そうや、さすがおばはん。ええから、ええから、ええことにしとき」
「おばさんじゃありませんっ!」
「よう分かってますな。衛星の指示どおりに自動運転したら、電信柱に突っ込みますわ。それも、正常に位置を認識して事故起こすんやからたまったもんやない。宇宙から見た地球の『ここや』っちゅう一点と、実際の山やら川やら道路・建物との関係で示される『ここやん』っちゅう一点が、違ってまう恐れがありまんのや。そこで今回打ち上げた高性能衛星の出番になるわけや。何が違う? もう、全く別もんですわ。衛星から撮影する地表映像とGPS信号をリンクさせたっちゅうのがミソや。赤外線モードもついとる。画像を見ながら、いつでも、どこでも、ここどこでっか? て聞けば座標が出てくる。あぁん、なんでっか? 結論? 大阪人のワテよりイラチでんなぁ。聞いてもわからん? あー、そうでっか。結論として、最大能力で対応すれば90秒ごとにクマの存在位置をセンチ単位で特定可能。最大誤差は15センチ。技術的なハードルは特にないから直ぐにでも実装可能ぅ(パパン!パン!)」
話の区切りで閉じた扇子を机に叩きつける。ドヤ顔で。講釈師のような間合いは、さすが大阪人。
「クマを追尾するっちゅうことやから、衛星の画像データ使うて、最初に目標物を特定しとけばええんや。赤外線モードも使うて。その後は、順次送られてくるリアルタイムの画像から目標物を探して移動を追跡することになりまっけど、その辺はAIの出番やろな。衛星の画像解像度は……機密扱いだったかも知らんから、さっきの忘れたって。まあ、AIプログラムで充分対応でける。赤外線モードで生体反応、熱やな、温度によるモニターも併用すれば万全や。画像処理だけで1カ月間の追尾成功率が87%程度。熱源併用であれば99.98%までいけると思う。あくまで予測やけどな。そっから先の話はアンタらで好きに考え。スマホに組み込むんやろ? 一般的なアプリレベルやろうから、ちょっと詳しいのならプロでなくても作れる。あ、さっきの電気屋のあんちゃん。あんた作ったらええやないの(パン!)」
扇子を広げた講釈師が会場を見回す。
「どや、わかったか? なんや聞きたいことあるか? なんでもええで。これから力合わせてやってくんやから、デスカッションや、なんでも聞いたって。あぁん、なんでっか? 情報収集衛星? ちゃいまんがな。ちょーっと高機能なGPS衛星で、ちょーっとだけ地上の情報も判ったり、防衛省が(極秘で)国土防衛システムの一部に組み込んだり、警察庁が(非公認の奥の手で)犯人追跡に使うたり、公安が(こっそりと)不審船の監視に使うたり、ちょーっとだけ(内緒に)いろいろ出来るだけやねん。あぁん、なんでっか? スパイ衛星? せやから、そんなん打ち上げる予算どう説明すんねん。国民さまの税金使わせてもろうて、無駄なことできひんやろ? ワテら公僕はそーゆうんが一番嫌やねん。ああん? 大阪人は本当にヤクルト飲まんのかやと? 飲むわい。1シーズンに何回か生意気に思うだけや。お好み焼きで飯が食えるのか? そら食える。ほれ、司会。余計な質問しかないんやったら、はよ締めて」
「は、はい。大変参考になるご高話をたまわり、皆さんもとても……」
「はいはい、どうもさんでした。拍手は要らんでぇ」
「あ、えーと、そうしましたら、続きまして……」
「ちょい待ち。聞いてよろしいか? ワテもう気になって仕方なかったんや」
「は?」
「なんで婦警さんはぬいぐるみ持参なん?」
「これはお弁当です」
「ぬいぐるみやろ、クマの」
「いいえ、お弁当らしいです。そこに座っている食堂の方から無理やり押し付けられました」
「わざわざ持ってきてやったってのに、人聞きの悪い言い方するじゃねぇか」
「こんなところで渡されても困ります」
「お前、いっつもレトルトなんだろ、ありがたく食いやがれ」
「いつもじゃないっ」
「でも、料理下手なんだろぉ?」
「うるさいっ、料理ができなくても誰にも迷惑かけてないっ。迷惑なのはあんたの方。この前だってなんで勝手に車を止めて歩行者天国にしちゃうかな。道路で小学生のブラスバンドを行進させたり、無断で電柱に盆提灯を吊るしちゃダメだって、もう毎年毎年、何回も何回も、同じことを何度言ったら分かるのよ」
「いいじゃねぇか、みんな喜んでんだし」
「だーかーらー、そういう問題じゃなくて、ちゃんと事前に許可取れって言ってるの。どうして分かんないかなこのオヤジは。毎回毎回、なんで私が本署から呼び出されて怒られなきゃなんないのよ」
「自分の飯も作れないヤツに言われたくねぇなぁ」
「それとこれは関係ないっ! ちょっと、上野ちゃん!」
「は、はいっ」
「こんな腹立つヤツの顔見たくないから、私は先に失礼します。本署の公式見解を言うから会議の議事録に留めておいて、いい? 警察としては本件の取り組みに反対はしない。しかしながら、住民の安全が脅かされないかどうか、安全が十分に担保されるかどうか、現時点では確証がない。このため、従前からの駆除手法を保留し、警察官職務執行法に基づいて人の生命・身体に危険を生じる場合には安全確保のため猟銃の使用を命じる。また、緊急時においては人命保護のため警察官が拳銃を使用することがある。その旨留意して事業を進めていただきたい。以上、それじゃ、私はこれで!」
「おーい、弁当置いて行きやがれ」
「これは食べるっ!」
「……元気な婦警さんやなぁ。ワテ、余計なこと言うてまった?」
「お気になさらずに。あれで仲は良いんですよ、多分」
「ならええけど。あと、もういっこ。その積んである野菜はなんやねん」
会議室の後方に、収穫した野菜類が入ったケースが積まれている。スイカやトウキビなどが見えるが全部ボロボロだ。地味なおっさんがケースの一つを席まで運び、中身を取り出してみせる。
「これはウチの町内でクマにやられた作物です。家庭菜園のものですけど、補償してくれると聞いたのでまとめて持ってきました。ホントに町がお金を払ってくれるのでしょうか?」
「まだ正式には決定前ですが、町長どうしましょう」
「会長さんの町内は山に近いですからね。クマが畑を荒らした場合は実損額を精査して現金またはポイントで補償します。少々フライング気味ですけれど、この会議で決定する予定のことなので、まあ、いいでしょう。JAさん、すみませんが査定をよろしく」
「あいよっ、普通に農協基準でやっていいんだな、町長。トウキビが16本、スイカ1玉、カボチャは半分は使えるっしょ。メロンは……っと、全部一口かじっただけ? 不味いんじゃないの、このメロン。うーん、査定としては全部で1,070円ってとこかな」
「ちょっと安すぎませんか」
「町内会長さんには悪いんだけどさ、まともな値段が付くのはトウキビだけだね。とくにメロンはダメだ、甘さが全然足りない。クマも食わないのが分かる。逆にトウキビはいい出来だ。クマが16本も食べた気持ちがわかるよ。舌の肥えたクマだわ、あははは」
「あとで書類を作らせますから、来週以降に窓口へ呈示して支払を受けてください」
「何ももらえないよりはマシです。ありがとうございます」
「と、こういった感じにですね、町としても最大限バックアップして参ります。前町長時代に導入した町民アプリシステムを大改修しまして、(仮称)クマモードを追加。リアルタイムでクマの現在位置がわかるほか、接近時にはアラーム警報が鳴ります。行政からのお知らせ、お祭りや集会の案内、そのほかの情報発信にも使いますし、商店会でのお買い物、ボランティアへの参加、健康診断の受診などでポイントが貯まります。クマが家屋や畑を荒らした場合は実損額を精査して基本的にはポイントで損害額を補てん。クマとの接触を避けるために従業員が出勤できなかったときや、クマを避けるために業務上の支障が出たときは、対処するために負担した費用分を町が負担します」
「前町長時代のお荷物が、今になって役に立つとはねぇ」
「そのほか、クマ対策の周知啓発という名目で国にイベント開催費を出させますから……いや、すみません。出していただきますから、とりあえず3年間は。だから、商店会の方で夏祭りの内容をちょっと検討してください。その他、なにか全体を通してご意見やご質問などはございますか?」
「損害の補填って、金はどっから出すんだよ。まさか助成金とか減らす気じゃないよな」
「安心してください。まずは、害獣対策として防護柵新設と既存設備の保守にかかっていた費用を流用します。これが年間300万円ほど。加えて夏祭りイベントの開催費を国費に付け替えることで負担減となる額が約150万円。合わせて年間450万円。当面3年間はこの予算で事業を展開します」
「PTAです。今までは警戒アラートが出る度に対応をしていましたが、今後はどのようになるのでしょう」
「クマの居場所を常時把握しますから、むしろお子さんの安全は高まると考えていただいてよいと思います。今後はクマが近づいてきたときだけ対応すればよいことになります。学校や病院など公共施設では、すでに設置されている防犯カメラ画像をAI分析に流用しまして、クマの位置を特定する精度を高めていきます」
「それはいいですね」
「町長、JAとしてはクマに荒らされた農産物の補償に十分配慮して欲しいんだわ」
「承知しました。業務用の補償は通常出荷額の6割程度と考えておりますが、品質や程度など、詳細について業界団体のみなさまと協議させていただきます」
「私からも一点いいでしょうか。町内会です。クマが物置や家を壊したときも補償してくれるのでしょうか」
「もちろん補償します。だからといって、クマのせいにして自分で壊したりしないでくださいよ。虚為申請で過料を科すことになります。来週にはそういう罰則規定も盛り込んだ条例案が町議会で可決制定される見込みです」
「社会福祉協議会です。現状としてスマホなどの情報端末を保有していない高齢者が居ますので、そういう方々への対処をお願いいたします。なかには頑固な方もいますので」
「端末をお持ちでない方々へ、機器を貸与すべく1軒1軒ご説明に回る予定です。その際には協議会さまにも協力をお願いします。ほかにご意見等がなければ……そろそろお時間ですので、これにて会議を終了させていただきます。みなさん本日はお忙しい中ご参会いただき、誠にありがとうございました」
なんね、そんなもん、わしゃ要らんとよ。
年寄りじゃと思て、馬鹿にしよるじゃろ、おんし。難しかこと言いくさって、わけのわからん言葉使いよってからに。こんな道具使えんかて、なーんも、困らん。わしの若いころはよ、みんな腕一本で生きてきたんじゃ。高い税金払ろうて、その税金使こうて、なんばしよっと。わしゃ要らん。さっさと帰れ。
あー、頑固な婆じゃと? 聞こえとるわ。耳はええんじゃ。
スマホくらい知っとるわ。そうごろけえしょん? じちたいあぷり? なんじゃそれ。だから要らんゆうとるじゃろ。必要ないんじゃ。わしゃなんでもちゃんとやれる。お上の助けなんぞ受けん。
あん? 子供や近所の人のためゆーんは、なんのこっちゃ?
なに? クマ? ああ、近頃出よるな。ほほぅ、クマが近くにいたら、この機械が知らせてくれるんか。同じ機械にみんな知らせが届くっちゅーんか。そりゃ、えらいの。みんな知らせるには、どんだけ時間がかかるもんかいの。クマだってあちこち動き回るぞ。すぐに知らせてやらんと危ないじゃろ。役場の仕事は遅いけん。回覧板じゃって2~3日はかかるわい。ほう、そりゃたまげた。そんな機械を全員が持つんか。
なに?
それ以外にも、わしがぶっ倒れてしばらく動かんかったら、自動的に誰かに連絡が行くと? だから、そんなもん頼んどらんというて……まあ、そん時はよろしゅう頼む。ああ、連絡先は息子でええわ。
第3章
“ドン、ドンドンッ!”
号砲花火が夏の青空に薄い煙を残す。
もう少ししたら、制服に着替えて夏祭りの本部テントへ顔を出すことになる。面倒とは思うけど警察へ要請があったのだから仕方がない。朝食用のショートパスタを食べるスピードを上げる。まとめ買いをしたソースの味にげんなりしながら。15種類すべて食べて、食べて、食べ飽きた。最初は美味しいと感じていたものが、いまでは見るだけで嫌になる。その点、イチカワ食堂のパスタはいつでもそれなりに食べられるから不思議だ。あのオヤジが居ないとき限定だけど。
この町に来てからもう10年。最初の頃は毎年数えていたのに、この頃はどうでもよくなってきた。「女性も駐在勤務を」「君ならできる」「少子高齢化の新モデル」。いろいろな人が様々な言葉をかけてきた。でも、わかっている。飛ばされたということだ。ちょっと考えれば気づく。わかってはいるけど、はっきりさせるのが怖かった。
余計な波風を立ててしまったとき、意味のない慣習にあらがったとき、「あなたは間違っていない」という言葉に苛立ちが募った。余裕のある笑顔に腹が立った。だから、うつむいて泣かないように我慢している私の、その肩へ差し伸べられた腕を……掴んで投げた。一本背負いの投げっぱなしで。いやいや、そっちじゃないかも。逃げた痴漢を線路づたいに2駅走って追いかけたことか。うーん、やっぱり飲酒検問中のあのことか。
「そろそろ行くかな」
でも、あと5分だけ。行かなきゃダメかなぁ。急いで片づけちゃえば間に合うから、もう少しだけ。時計の秒針が0になるまでちょっとだけ目を閉じて休憩。自分にだって、少しくらい良いことがあってもいいのに。一所懸命頑張ってきたつもりなのになぁ。
どうしようかと迷ったとき、いつも頭の中で音がする。子供のころに見たアニメ。一休さんが目を瞑るとポクポクと木魚の音がして、「チーン」と鳴ったら答えが出る。どんなに長く時間がかかったとしても、いつだって、いつかは、そうだ。答えは出るものなのだ。
“ポクポクポクポク”
“ポクポクポクポク”
“ポクポク……”
『ピンポンパンポぉーん』
町はずれにある神社に、町内放送の安っぽいスピーカーから割れた音が聞こえる。
『お、おはようございますっ。今日は年に一度の夏祭りです。みなさま、おさそそ、誘いあわわわ』
今日も賑やかやなぁ。
「ほな、後は頼んだわ」
「わかったよ」
神事がなんもない時期やから大丈夫や思ってたんに、急に電話があって、娘に打ち合わせに行ってもらわなあかんことになった。神前結婚式。そんな依頼自体が珍しい。さらに珍しいんは、新郎新婦が八十歳代ゆうこと。お互いに連れ合いを亡くして、介護ホームで知り会うたらしい。なれそめが病院の待合室ゆうんやから、昔では想像できへん時代や。
再婚ゆうのは子供やらそれぞれ家族なんかの関係が色々難しい言うけれども、八十とかまで年齢上がったら、好きなようにせいと応援することもあるんやなぁ。独りの老後よりも二人で支えあうパートナーゆうんやろか。カラッとしたもんや。周りもみんな祝福しとる。まあ、結婚てそないなもんやな。年に関係なく。自分も妻を亡くしてかなりたつ。娘に面倒をかけへんようにと思いつつも、だんだんと、確実に、老化は進んどる。この頃は祝詞の声もかすれるようになってもうた。
「段取りゆうても、始まる時間と着替えの場所くらいや。できれば、使う道具やなんやら運ぶんを手伝うて欲しいゆうといて」
「そうだね。でも、わたしも手伝うから大丈夫だよ」
「いつもすまんなぁ」
わが娘ながら、真面目で素直で奥ゆかしい。趣味は読書。妻に似た優等生タイプ。首都圏の大学で外国語を専攻。海外文学の翻訳なんかをしたいからと出版社で十数年ほど勤めた。今はフリーランスに近く、クマ対策の視察で海外から客が来ると呼ばれて通訳したり、見学先へ同行することもあるらしい。町からの委託業務で英語の案内資料もまとめた言うてた。どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘。
しかしなぁ、これでええんかと思うこともある。忙しいときは嫌な顔せず手伝うてくれる。正式に跡を継いでくれたらと思わんこともないけど、こんな田舎でずっと暮らせとは言えん。
「それでね、お父さん、あのね」
「ああ、もう行く。話あるなら祭りの後でな」
「あ、うん……」
薄々感じとるが、まだ心の準備ができとらん。許さんとか、そういうんやない。ただ、その、急に言われても困るいうか、どうしていいのかわからんのや。男親いうんは、こんなとき情けないくらい何もできん。
今は昔と違うんや。家なんぞ継がんでよろし。自分の好きな道をゆけばええ。親と一緒に暮らさんでもいい。どこへでも行って、自分の夢や希望を叶えたってくれたら、親は一番うれしいんや。そうなんや。そうだ。そうなんだがなぁ。ちょーっとだけ寂しかもしらん。ええんや、お前が幸せになってくれれば、それでええんや。でもな、嬉しいような寂しいような。そやな、お義父さんもこんな顔してたなぁ。嬉しいような寂しいような。
「今日は遅くまでいられないから、ちゃんと帰ってきてね。絶対だよ」
えらい念押しよるなぁ。嫌やなぁ。
「でも、町でクマを守ろうなんて、ちょっと可笑しいよね」
そうかもしらん。理由はいろいろで、みな違う。堂前は孫に弱いからやし、タイゾーは隠してるつもりやろうけど可愛い動物が好きでたまらんから。小さな子供をもつ親は少しでも安全に暮らしたいし、農家は被害を減らしたい。役場は外からヒトとカネが来るなら何でも歓迎や。まあ、どうでもええいう人も多いやろ。
そういえば、今回の結婚式ではタイゾーたちが宴会料理を出すらしい。少し前までなら、隣町の弁当屋から冷えたオードブルが関の山やったのに。休業しとったホテルが再開して、泊まるんはホテル、食事は町の店を使うてくれゆうことに。宴会や懇親会があればデリバリーもするゆうんやから頑張っとるなぁ。
でもまあ、いちばん巧くやっとるのはJAやろ。クマに喰われた野菜がえらい旨かったんで、クマが認めた新鮮野菜ゆうてふるさと納税の返礼品にもしとる。クママークに『クマ推奨』のシールを貼った果物は倍近い値段で売れるそうや。何百本もある果樹からクマが選んで食べた木なんやと説明しとるけど、あれ、ホンマかいな? せやけど「いやもう、クマ様には大変お世話になってますわ。あと何人か手伝いに来てもらえんもんかね。最低でももう2、3人。そこをなんとか神職の力で頼みたいんだわ。あ、今度は特産のキノコが好きなクマ様をな、ひとつお招きして欲しいんだが何とかならんかね?」なんて、妙な依頼してくるんはいかがなもんやろか。災厄除けちゅうことでクマ除けの祈祷ならできんことないが、クマ(キノコ好き)の召喚祈祷なんてしらんがな。ついこないだまで食害だ駆除だゆうとったのに。
なんや知らんが、みんな、クマが居ってもええんやないかと思い始めとる。被害に遭うたら役場から金が貰えるんやと、宝くじみたいに思うとるアホも居るようやけど、まあ、生きとし生けるもの、むやみに殺生するもんやない。クマは『隈』に通じ、山深く神々の場所を指すともいう。『神』と同根だいう説もある。日本書紀には伊邪那美命(いざなみのみこと)が熊野に葬られたゆう記載があるくらいや。熊と神はとても密接な関係がある。あるから? だからなんや? ちゃうなぁ。そない堅苦しいもん違う。なんかこう、同じ町に住んどる親戚の子みたいな感じやろか。
自分は、そうやなぁ、多分、もしかしたら、きっとなぁ……。重ねてしまってるのかもしらん。妻によう似た顔で自分を見つめとるこの娘と。だから、できるだけのことをしてやらんと気が済まん。
『ピンポンパンポぉぉぉん』
『な、夏祭りイベントへ、ご、ごご参加のみなさまは(上野ちゃんもう集まってるよ)えっ? もう集まってるんですね。そ、そうですか、そうですねっ』
「えーと、始めていいのかな?」
祭り特設会場のステージに微妙な空気が流れる。町役場の駐車場には、全国各地から300人ものイベント参加者が集まっていた。動きやすいアウトドア風の恰好をした者、サバイバルゲームでもするかのような装備をまとった者、走り続ける気なのか短パン半袖の者、なぜかクマの着ぐるみの者。見た目はバラバラ。だが、全員がゼッケンをつけて、ヘルメットには同じ器具を装着している。
「全国各地からご参加の皆さん、スタートに先立ちまして商店会長よりご挨拶申し上げます」
紹介されてステージ脇から会長が出てくるが、この派手な衣装とシルクハットは、まさか。
「ゴホ、ケホっ、ゴホン。あ、あー。みんなぁー! ニューヨークへ行きたいかぁー!」
四十歳代以上は苦笑を浮かべ、それ以下の年代は何が起きたのか分からず呆然としている。お笑いコンビと勘違いしたのか「え、屋敷?」「嶋佐?」とか言いながらキョロキョロしている若者も。
「だから会長出しちゃダメだって言っただろ。ニューヨークなんも関係ないし」
「あの衣装着て挨拶したいって駄々こねられて。アメリカ横断ウルトラクイズのパクリ企画で使ったやつ、大事にとってあったんよ」
「何十年前だよ」
「さすが呉服屋さんが作っただけあっての、何年経ってもシッカリしちょるわ」
「はいはい会長、開会宣言ありがとうございます。後はこっちでやっときますから、本部テントでご休憩ください。いいからっ。はいはい、どーもありがとうございましたっ。えー、続きまして町長からご挨拶です」
「みなさま、こんな町までようこそお越しくださいました。当町では人工衛星と防犯カメラによってクマを追跡することで、人間とクマが不幸な遭遇をしない地域づくりを進めております。この新しい仕組みの有効性と能力を広く知っていただき、安全な暮らしにつながるものであるとご理解いただくためのイベントとして、初めて開催するものでございます」
町長がちょっと後ろを振り返って、大きな看板を指さす。町の建設会社が設営したステージには、『第1回クマになって逃げ延びろ!捕まらなければ100万円!』の大看板。
「みなさんがヘルメットに装着しているのは、お店の予約待ちなどにも使われている器具を改造したものです。10メートル以内から識別番号による特定の赤外線を当てるとブザーが鳴ります。識別番号はゼッケンに記載しており、ひとりひとり異なります。これから皆さんには町内を自由に逃げ回っていただく訳ですが、追手はゼッケンから識別番号を読み取り10メートル以内に近づいて赤外線を発信。ご自身のブザーが鳴ってしまった段階で失格となります。皆さんのスタートは午前10時。12時になった時点で追手が行動を開始します。午後4時の終了時まで逃げきれたら賞金100万円。おひとり100万円ですよ。だがっ! 絶対に全員捕まえます。失格になったとしても参加賞としてJAから当町のおいしいものセットが贈られますので、どうぞ夏の一日を楽しんでいっていただければ幸いです。なお、町内であればどこへ逃げても構いませんが、クマには近づかないようにご注意を。皆様のスマホに簡易版のクマモードアプリがインストールされたと思いますので、警告やアラームが鳴った際は充分気を付けてください。では、そろそろ10時になりますので、中小企業庁助成事業『人工衛星を活用した先進的AI支援モデルによるわが国初の包括的クマ対策啓発普及イベント、クマになって逃げようとしても絶対全員捕まえてやる!』のスタートです!」
参加者が思い思いに走り出していくのを見送り、町長が振り向く。イベントの正しいタイトルは『絶対全員捕まえてやる』ではなく『逃げ延びろ』なのだが、誰もそこには突っ込まない。全員に逃げ延びられたら町の財政が破綻する。
「言ってしまいましたが、本当に大丈夫ですよね」
「ご安心ください」
迷彩服に防弾ベスト、編み上げの半長靴をはいて本部テントに顔を出した隊長が答える。
「ほんとに、本当に、絶対にお願いしますよ。イベント経費は国が出してくれるけど賞金は対象外なんです。全額町負担。それも現金。そんなの絶対に無理だから!」
「町長、落ち着いてください」
「だって、1人でも100万円だよ100万円。あの統括役が「なに言うてまんのや、賞金100万くらい言わんと田舎に人なんかよう集まらんがな。ええから、ええから。ドーンと書いたらええねん。ああん? もしも1人でも残ったらワテが町民全員にお好み奢ったるわい」なんて言うから企画通したけど、100万あったら図書館の本だって充実できるし、200万あったらプールの配管も直せる。水漏れプールだってさんざん議会でやられてきたんだ」
「ご心配無用です」
屈強な陸上自衛隊員が一斉に敬礼する。
「本部からも訓令を受けておりますので、1時間半で任務完了予定です。そのため駐屯地から精鋭メンバー25名を引き連れて参りました」
「頼りにしております。必ず全員確保をお願いいたします。しかし、あれ? 人数が少ないようですが」
「念のためフロッグマン(潜水士)2名が別所で待機中であります」
「潜水?」
「ダム湖もあると伺いましたので」
上空から爆音が響いてくる。
「時間通り到着。ヘリからの空挺要員も参加し総勢25名。上層部の判断は自分には解りかねますが、全力で当たれと厳命されております。今回の秘密作戦名は『アロハの取り立て』です」
アロハ? あ、アレか!
コンピューター室という札の上から『コントロールルーム』と書いた紙が貼られた一室で、上野(地域おこし協力隊員・DMO係長)がドローンの発進準備を始める。追手の出発を見届け、簡単な昼飯を食べてから町役場に戻ってきた。
狭い部屋には、衛星リンクからの画像や町内各所にある防犯カメラからの映像など、30台以上のモニターが所狭しと並んでいる。町長と自衛隊の隊長も同席しているのでかなり狭苦しい。映像ラインのスイッチを入れると、ブラックアウトしていたモニターに役場の屋上が映し出され、遠隔操作によってぐんぐん上昇して高度を上げていく風景が映し出されていく。
「ほ、本当に瞬殺でした。支援用のドローンを飛ばす必要もなかったくらいです」
「45分足らずで296名脱落、まだ1時前だよ。いやーちょっとは夢を見させてあげても良かったのにねぇ。残り4名も足取りは完全に捕捉してるから時間の問題だ。自衛隊さんも大人げないなぁ、はっはっはー」
「恐縮です。しかし、凄い技術ですな」
そう言いながら隊長がヘッドセットのボタンを押す。
『そのまま前方2時の方向、約15メートル。作業小屋の裏にある側溝のなかに1名』
『了解』
「まあ、必要なくても事前の手順通り飛ばさないとね。ドローン映像との連携テストという名目に沿っていないと後で怒られる。怒られてもいいけど補助金もらえなかったらコトだ」
『こちら捜索チームB。対象視認。コード入力。アラーム鳴りました。1名確保です』
『よし。チームB、次のターゲットへ向かえ』
『了解』
「また1人減って残りたった3人だ。いやー、すごいね上野君」
隣のコンソールに座る町長はめちゃくちゃ上機嫌だ。駅前に新しくできたスイーツ店から、お金に細かい町長がケーキとカフェラテまで差し入れてくれるなんて信じられない。それも経費じゃなくて自腹で。休日出勤のお礼だというけれど、機嫌が良いのには賞金を出さなくて済みそうだということ以外にもワケがある。
自分も気づいているけれど、ここのところ町に妙な活気がある。事業関係者や技術者へ町営住宅の空き家を提供することになって、町の工務店さんたちが突貫工事で修繕した。工事現場の喧騒を聞くなんて何年ぶりだろうってみんなが言っていた。「おいこら、そんな工期間に合うわけねえだろ!」とか「ちくしょうめ、忙しすぎて酒飲む暇もねえ!」なんて怒鳴り合い、役場に文句を言いつつ、なんだか、みんな、幸せそうだった。
町に暮らす人が増えたから、スーパーの品ぞろえがとてもよくなった。結構な数の視察や見学が来るし、テレビで取り上げられたり雑誌で紹介されたりしたから、観光目的の人たちも訪れるようになってきた。自然を楽しんでもらおうと川遊びやトレッキングのガイドをする人たちが現れた。中心部には観光案内所を兼ねたカフェがオープン。商店会の各店では新商品が続々と発表されている。クマ饅頭、クマそば、クマ弁、クマコロッケ、クマ牛乳、クマ佃煮、クマみそ、クマ豆腐、クマなめこ。これくらいまでなら何とか分かるけれど、クマ布団、クマ長靴、クマ軟膏、クマ預金、クマカット、クマ英会話、カラオケスナッククマ……。無節操すぎて、もう何が何やら分からない。『クマ』と付けているだけじゃないかと思うのに、ちょっとでも売れると面白がってまた違うクマ商品を出してくる。だからこの頃は町に出かけるのが面白い。聞いてみると自分以外にもそういう人は多いようで、こんなに楽しい町は久方ぶりだという。
休業していた老舗旅館では営業再開に向けて工事が進んでいる。来週には保育園が仮営業を始める。来月になると駅前通りにお土産屋さんと調剤薬局ができる。分譲住宅地の造成工事が急ピッチで進む。要望を受けて周遊バスの検討が始まった。田畑ではオーナー制度の募集準備が進んでいる。海外客向けの接遇セミナーは既に数回の基礎編が終わった。一度は撤退した会社が再び町内に出張所や営業所を置き始めた。ベテランから若手まで働く人が町に呼び戻された。働く人が家族を連れてきた。そしてまた、町は何かを取り戻していく。
DMO(観光地域づくり法人)としても大忙しの日々が続いている。天文台を作ろうとか、森にツリーハウスの宿泊施設が欲しいとか、ダムの湖岸にサウナを建てようとか。まだ実現の目途はつかないけどたくさんのアイディアが寄せられた。近頃では、合戦体験イベントに向けて高齢者と一緒に模擬戦の練習をしている。攻城側に足軽鉄砲隊、守備側には弓兵。石垣しか残っていないけれど本物の城跡で行う体験型観光だ。一般参加者にも本格的な甲冑や侍装束を用意するから特にインバウンド層の利用が期待できるだろう。
「上野君、この画像どこ?」
振り向くと町長がモニターの一つを凝視していた。
「え、えーっと、ドローンからのLIVEですから、生き残りの2名が潜伏しているダム湖上空へ向かってます」
ホントに潜るか、普通。
「水中で赤外線追尾をかく乱する目論見でしょうが、無駄ですな」
「いえ隊長、そちらではなくてですね。山を走っている車がいたような気がするのです。上野君、衛星データも参照して。乗用車なんか入って来るはずがない林道に、何かが見えたような気がする」
「すぐにやります」
「町道から林道に入って、こんな山奥にまで。普段こんなところまで人は来ない。もしかしてクマを追いかけているのかな」
「まったく何を考えているのか。身勝手な行為ですな」
「イベント参加者にクマモードアプリを入れたのが仇となりました。多分、都会の人なのでしょう。クマを目指して車を走らせているようだ」
「捜索チームの隊員から聞いた話なのですが、失格になった若者グループがもう帰るから早く土産をくれともめていたそうで」
「ああ、あの若い人たち」
「わざわざ来たのだからクマを見たいですとか、隊員にその様なことも言っていたそうです。野生動物との関わり方を知らないのですな。困ったものです。愛玩動物と同じ感覚なのかも知れません」
「上野君、町内放送を頼む。誰でもいい、近くにいる人はすぐに向かって欲しいと呼びかけるんだ。このままだと車で行ける一番奥まで、炭鉱跡まで行きそうだ」
『ぴんぽんぱんぽーん』
大丈夫、落ち着いてやろう。
衛星画像を時系列ごとに処理して、地形効果を加味しながらクマの位置と想定されるその移動ベクトルを算出。車の方は車両が通れる経路に限定して走行をシミュレーション。遭遇までの予想時間は現在時刻より28分後から41分後の間。最多分布は34分30秒。急がなきゃ。ホストサーバにアクセスして衛星制御の管理権限を一時的に委譲させる。パスワードはOKONOMIteisyoku5/2oomori_980en(お好み定食ご飯大盛り980円)。えっ? エラー? あ、そうか。OKONOMIteisyoku5/2oomori_1050en。今月から値上げになっていたんだっけ。これでどうか、っと。うん、できた。このコントロールルームから衛星の全機能にアクセスできる。最大能力で監視エリアを固定。あ、もう高画質の画像が入ってきた。賊の人数は4名。男性。年齢は十代から二十代前半と思われる。服装はストリート系。うち1名は黒のパーカーにハーフパンツ。
『ぴんぽんぱんぽーん』
『あ、あのぅ、クマを追い回している人が、えっと……』
「隊員も急行させましょう」
「お願いします隊長。クマと人が遭遇しないよう、何とか引き離しを」
「事故が起きなければよいのですが」
「本当にね、どうしてこんな面倒ごとを」
「万が一襲われた場合は、隊員による保護も検討します」
「ありがとうございます、少し安心しました」
「武器を使用するような事態にはならないと思われますが、その際には町から要請されたという形にしていただくと有難い」
「武器使用? 隊長、それは誰が? いや誰に?」
「誰にとは?」
「…………」
「町長?」
「ようやくこの町は立ち直りかけている。消滅可能性自治体だ、財政破綻予備軍だ、そんなことを言われ続けた故郷がようやく、なのです」
町長が握り潰したカップからブラックコーヒーが零れ落ちる。熱っつい。
でも、だけど。頑張らなきゃ。ちゃんとできる。伝えられる。言うんだ。口下手だと笑われて悔しかった。みんなのように上手く話せない自分が嫌になる。また逃げるのか。だめだ、だめだ、だめだ。喉元過ぎれば熱さを忘れる。滅却心頭火自涼。暑さ寒さも彼岸まで。絶対は絶対にない。戦は最後まで諦めてはならぬ。信は力なり。理想を持ち信念に生きよ。時を移さず行うが勇将の本望。思へばこの世は常の住み家にあらず。草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。金谷に花を詠じ榮花は先立つて無常の風に誘はるる。南楼の月を弄ぶ輩も月に先立つて有為の雲にかくれり。人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか。これ菩提の種と思ひ定めざらんは口惜しかりき次第ぞと思ひ定め、鳴かぬならそれをホトトギスとは呼ばぬぞワシは。我が名は織田上総介平朝臣信長。あ? ワシ、是非に及ばずとか言うておらんから。そんな世迷言を言う訳なかろう。必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。いつの時代も変わり者が世の中を変えるのじゃ。上野の姫よ、そなたならば出来る。そうかそうか覚悟を決めたか。天晴。天下布武じゃあ。
『ぴんぽんぱんぽーん…………皆の衆』
「上野君?」
『出合え! 出合え! 出陣じゃ!』
「うえのくーん?」
『出陣じゃ!』
郊外にある町営老人福祉施設のホールにも、切羽詰まった上野の声が響いた。
「なんなの、この声は役場の上野ちゃん?」
「あははは、出陣ってなんだよ」
「お姫いさま」
「ご家老、こ、これは」
「うむ、上野家の姫さまがご難渋されておる。われらも直ぐに駆けつけねば。出陣じゃ、馬引け! シニアカーでは遅かろうて。軽トラックを。いや、若衆に送迎バスを出させい」
「委細承知っ!」
「なに言ってんの、お爺ちゃんたち」
「おー、こんな天気なら外の散策もいいねぇ。出不精な皆さんが珍しい。一丁、行きますか」
「主任、外出予定は来週ですよ」
「いいじゃないっすか、たまにはさ。ほら、じーちゃんたち珍しくやる気出してんだから」
「鎧兜をこれへ!」
「あー、ちょうどいいから合戦エキストラの練習もやっちゃう? ちょい待ち、今用意する」
外出準備をしている爺さんたちのところへ、一人の老婆がやってくる。なぜか大判のバスタオルを着物のように羽織っている。
「わらわを置いてどこへ行かれるおつもりか」
「そなた、なぜここへ」
「祝言を上げるとのお約束、いかがなされるおつもりか。あの日あの時あの言葉、嘘偽りはないお気持ちと、思うたわたしが愚かかえ。あなたとならば、どこへでも。いっそ一緒に手を取って、お連れ遊ばすとご下命を。どんな艱難辛苦でも、あなたとならば幾千里。わたくしは、ああ、わたくしは……」
「許せ、往かねばならぬのじゃ」
「いいえ、いいえ、この手は放しませぬ」
「儂もそなたと居たいのじゃ、敵にあたるは恐ろしい。だがしかし、だがしかし。目を閉じ背を向け逃げたるを、悔やみ続けてきたわれら。愛するものを守るため、恐れず進めもののふよ。主家落城からはや四百年、この度は、この度こそは守り抜く。誇りと矜持とその愛を、意地でも貫き通そうぞ。国家老の儂が出ずにどうとする! 帰りを待っていてくれぃ。儂の帰るところはひとつだけ、お前の腕の中だけじゃ!」
「そんなことを仰って、あなた様はほんにずるいお人」
「儂はこうするしかできぬ男なのじゃ」
「此度こそは生きてお帰りくださいませ」
「あはははは。心配しなくても晩ご飯までには帰るって、ばぁちゃん」
「者ども続け! 若衆よバスを出せいっ!」
「はははは、御意っ!」
“ポクポクポクポクポクポクポクポク”
一休さんはいつまで考えるんだろう。足は痺れたりしないのかと、ぼんやり考えていたら悪魔がいた。そうじゃない。揺さぶられて眠い目を見開くと、目の前に悪魔がいた。悪魔? 寝ぼけているのか自分。ここは駐在所だ、いつものデスクだ。なんなんだ?
「ゆかりさん、すぐ来てくれ!」
「うわぁぁぁぁ!」
「いや、オレ、食堂の。市川ですって」
「お前はなんでそんな顔なんだっ」
「いやぁ、久しぶりにバンドやろうって話があって、郵便局のジロちゃんと電気屋のマッちゃんとで聖飢魔Ⅱのコピーバンドで祭りに出てたんです。デーモン閣下。って、いいから後ろ乗って!」
「なんだこの改造車は」
「葬儀屋さんから借りたんだ。オレたちの前に仮面ライダーショーで使ってたやつ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。警官が改造車に二人乗りはマズいって」
「いいから早く!」
「まずは訳を、理由を話しなさい」
「ついさっき役場から連絡があった。外から来たやつらがクマを追いかけてる。途中の店で餌になりそうなものを買い込んでたっていう話もある」
「人が襲われる恐れがあるから警察に出動しろと?」
“ポクポクポクポク”
「悪いけど、そういう事なら……」
猟友会かハンターに頼んだほうがいい。警察官が発砲したら、納得できる理由と安全確保の説明や緊急性の根拠に加えて、代替手段をできるだけ講じたけどやむを得なかったという作文をして、それから、それから。発砲しなくてもよかったんじゃないかと誰かが言い出し、こうすべきだったとか、こうできたはずだとか、いろんな人がいろいろと批評する。そして、必ずしも緊急かつ代替手段が見いだせないとは言いきれない状況であるかに見受けられた場合におけるその措置と対処の基本原則的なルール作りの重要性とその具体的な活用における課題の指摘として重大かつ喫緊の問題提起がなされたと認識すべき事案であるかの如き様相を呈していながら概ねのところは想定内に収まる一方で他方いわゆる丁寧な規範の提示がなされていたかという部分において惹起された相互理解上の齟齬があると考えられるというのが一般的な見解であろうとなかろうと、何が言いたいんだ面倒くさい。だからどうした面倒くさい。何をしたいんだ面倒くさい。想像するだけで疲れる。そこまでして何を守れというのか。
「いや、どっちかっていうとクマ」
「ん?」
「山へ追い返す。人を怖がらなくなるといつか殺さなきゃならない。可愛いからって餌をあげた人間は平気でも、いつか、誰かが、クマに襲われる。人を襲ったクマは殺される」
“ポクポク”
“チーン!”
いやいや、早いって。
“ポク、チーン!”
だーかーらー、落ち着いてよく考えなさいよ。また僻地にトバされちゃうんだから。
“チーン!”
“チーン!”
“チーン!”
うっさい、一休! わかったわよ!
第4章
すみませんでした。反省しています。軽い気持ちでやったことが、その、こんなことになるなんて思ってませんでした。ごめんなさい、ごめんなさい。隊員さん、助けてくれてありがとうございます。
自分ら、隣の市に住んでる同級生なんです。スケボー仲間で。オリンピックの競技にもなったじゃないっすかスケボー。なのにこの辺じゃ練習するトコって全然ないんすよ。公園とか広場とかみんな禁止されちゃってて。だから、だれか一人でも生き残って賞金取れればいいなって。100万円あったら練習場所作れるんじゃね? って。オレらガキに見えるでしょうけど、県内予選は余裕で抜けるくらい上手いんすよ。ホント。マジで。マジだって。ほらこれ見てみろよ、大会で優勝したときの画像。小さくて画面が見えない? 老眼かよ。
そんな理由で朝っぱらから来たのに、いきなり取っ捕まって全員失格だろ。じゃあどうするってことになって。この町、面白そうなところなんも無いし、クマでも見て帰ろうって。ほんと軽い気持ちで。ただ帰るのがもったいないくらいの気持ちだったんです。
助けてくれてありがとうございます。本当にありがとうございます。
最初に気づいたのはバイクのエンジン音だったんすよ。振り向いたら悪魔がバイクで走ってくる。悪魔っすよ。あれ、映画の、ほら、マッドマックスみたいな。改造バイクに乗った悪魔がなんか叫んでるし、後ろに乗ってたノーヘルの女が、バイクに乗ったまま立ち上がって鉄砲を、けん銃って言うのかな、どっちでもいいけどマジで撃ったんすよ。いきなり。連続して何発も。誰かが「伏せろ!」って叫んで、そうそう、刑事ドラマで見るみたいに。いやもうこれ相当ヤバイと思ったから車置きっぱなしで逃げたんすよ。そしたら今度は足軽鉄砲隊。やった、人がいた、助かる、そう思ったらズドンっ。マジでありえねぇ。鉄砲隊の後ろに刀持った奴らもいるんだから、なんだよこの町って思ったね。本気で恐怖を感じた。だって目がマジなんだもん。あれはヤバイ。
隠れなきゃダメだ、身を隠そうって茂みのなかに這い込んで藪を逃げてたら、今度はチェンソー持って山をかき分けてくるやつらがいるんすよ。ジェイソンかよ。なんか「追い込め」「やっちまえ!」「クマ様に手ぇ出すなんざふてぇ奴らだ」とか物騒な声するし。山狩り? なんで自分らの居場所がわかるんだよ。どこに逃げても隠れてもすぐにバレる。宇宙から? マジっすか?
最後はヤマンバ。あれが一番ヤバかった。仲間の一人は本気で腰抜かしかけた。だって、鎌持って異様な速さで近寄ってくるんだぞ。十代の自分たちが懸命に逃げてんのにどんどん距離詰めてくる。柴も生えてるし、木の根っこや岩がごろごろしてる山んなかを。ありゃ人間じゃねえ。絶対。こっちはかすり傷だらけで息が上がってゼェゼェ言ってんのに。
隊員さんたちが駆けつけてくれるのが遅かったら、自分ら、絶対ヤマンバに襲われて頭から喰われてたっす。本当に本当にありがとうございます。助けてくれてありがとうございます。ありがとうございます。
「……まあ、その、聴取したコトの顛末としては、概ねこういうことでして」
長すぎる一日が終わり、外は真っ赤な夕暮れ。
赤い光が差し込む古ぼけた会議室に大勢の関係者が詰めかけている。その時、パリンっという微かなガラス質の音を立てて、天井の蛍光灯が一斉に灯った。
「わかりました、副町長さん。いろいろと解釈や理解に齟齬もありそうですが、なるほど、そういうことで」
「ほうほう、そういうことですか」
「そういうことになるんだねぇ」
「それならええやろ」
「ああ、まったくだ」
「しかしなぁ、警官が発砲した件は何かしらの対応が必要やないんか」
「自治体が要請し、本人も対象保護のために必要だと判断したということで」
「警察官等拳銃使用及び取扱い規範の7条4項規定に基づく威嚇射撃ですかね」
「現場に居合わせた自衛隊さんが、発砲の正当な理由として状況の『合理的な必要性』を証言してくれるとのことです」
「ほうほう、そういうことですか」
「そういうことになるんだねぇ」
「それならええやろ」
「ああ、まったくだ」
「羊羹たべる? クマ羊羹」
「それでは、本件については『問題なし』ということで」
「クマ様がご無事ならそれでよし。ようやったのう、駐在。JAからも礼言わせてもらうわ」
「商店会も感謝してるぞ。在庫のクマ商品売れなくなったら大損だかんな」
「観光協会としても、クマ関連の体験型観光構想がおジャンになるとこでしたわ」
末席で小さくなっていた巡査長が、小さな声で発言する。
「当職への処分は……ないのでしょうか。発砲についての釈明などは」
「要らねぇだろ」
「駐在よくやった!」
「この町のモンは、誰もお前さんを責めたりせんがな」
「ですけど、関係各所へご迷惑をおかけしたのではないかと」
「黙ってりゃ判らねぇって」
「そういえば、自衛隊さんから貴女宛てに要請が来ています。隊長さんから必ず履行して欲しいと念を押されていますので、ご考慮よろしくお願いします」
渡された封筒を開いて恐る恐る中に入っている紙を開く。詰問か断罪かそれとも生贄か。予想に反して手書きの文字が並んでいる。筆跡も文字の太さもバラバラだ。
“ぜひ一度、駐屯地へ遊びに来てください”
「は?」
“気っ風の良さに惚れました”
“あなたは僕の女神です”
“警察クビになったら、いつでも来てください。歓迎します!”
「なーんーだーこれはっ!」
「隊長さんが仰るにはですね、部隊中で話題になって煩いから、取りあえず本人に渡すからと紙に書かせたそうです。絶対に一度来てくれと念を押されました。来てくれなければ証言しないそうです」
「意味が分からんっ」
「発砲の理由付けで悩んでいた自衛隊さんたちの目の前でですよ、悪魔を従えて全弾撃ち尽くしですから、貴女。それも寝間着姿でヘルメットもなし。思い切りが良いというか、無謀というか、よく言えば気骨があって頼りがいがあるという事なのですかね。隊長さんが仰るにはその男気に惚れたそうです」
「理由がっ、好意の理由がおかしい!」
「いいじゃねぇか、お前さんと同じ公務員だ。将来安泰だぞ」
「証言していただく義理もありますから、巡査長は必ず駐屯地へ出向いてですね、お礼かたがた親睦を深めてきてください」
「うー……」
「クマの方は拳銃と鉄砲で驚いたんだろう、すごい勢いで山奥に帰っていったそうだ」
「これで当分は大丈夫やろな」
「定期的に足軽鉄砲隊に撃ってもらえんかね」
「それいいですね。年寄りはみんな暇を持て余していますから。社会福祉協議会からも声かけます」
「観光名物になりそうじゃね?」
「火薬代はどうすんだよ」
「安いもんだし、寄付でいいだろ」
「あー、ええんやないか。誕生日とか記念日とかに使うてもらえば」
「でもよ、すぐに金集まるか?」
「当面3カ月分くらいならJAから出したるわ。いやいや、クマ様の為なら何でもねぇ」
「寄付してもらったら、会社名とかメッセージを読み上げながら撃つってのは? 花火みたいに」
「店の紹介してくれるんなら商店会も出すぞ」
「広告宣伝費で経費にできるしな」
和やかな雑談がつづくなか、疲れた表情の町長が会議室に入ってくる。
「町長、そっちはどうでしたか?」
「本当になんとか折り合いがついたよ、副町長。代理を頼んでしまってすまない」
「いえいえ。こちらも『問題なし』ということで意見がまとまりました」
「それはよかった。賞金の方もね、なんとか払わずに済みそうだ。不本意だけど中企庁のあの課長にオンラインで入ってもらった」
「で、どのようにするのです?」
「生き残った参加者は3人だ。1人100万円の約束だけど払える訳がない。そこで、それぞれにね、賞金をもらって何に使う予定だったのか聞いてみた。一人は自分でやっているクラフト工芸の工作場所を作りたい。もう一人は退職間際のシニアで、自給自足で畑なんかを作りながらスローライフを送りたいそうだ。三人目は自称ユーチューバーで何か面白い事をやりたいが、特に決まってはいないらしい。金がない町の実情をお話しして、現金ではなく100万円相当以上の支援をするということで三人とも了解してくれた」
「町長、現金じゃない支援って何だ?」
「まずね、炭鉱の閉山で使われなくなった交流会館があるだろう。一応町の所有になっているアレ」
「あのオンボロ?」
「そうあのオンボロ。いやいや、多少酷いけど、結構酷いけど、アレを工房として提供する。使用料はタダ。国の交付金を使って整備したものは当時の目的から外れる使用ができないと思っていたのだけど、より上位の総合計画で利活用の方向を示して申請すれば転用も可能になったそうだ。オンボロだけどかなり広いし、基礎がしっかりしているから重い工作機械も置ける。騒音も心配ない。なにより無料でいいと言ったら、逆に是非そうして欲しいと喜ばれたよ。壊れているところは自分で修理するそうだ。スペースに余裕があるから他にも利用希望者があれば対応する。様々な職人たちが集まる工房兼交流施設というところかな」
「もう一人は?」
「JAに頼んで耕作放棄された農地を安く、というか無償で譲ってもらうことにした。クマのおかげで一番儲かっているのだからね。家はどうしようかと思ったが、ご夫婦での移住を考えているそうなんだ。そうすると町営住宅では畑から遠いし、あまり格好いいものじゃない。聞いてみたらログハウスに憧れがあるのだとか。だったらと、賞金の残りは町有林からの丸太で払うことにした。木材の搬出入や重機の手配などは町の建設会社に協力してもらう。残念だが林業はみんな廃業してしまったからね。だけど元製材所の従業員はまだ残っているし。あ、協力といってもそこは有料。追加費用は本人に負担してもらう。出来上がるまで数年がかりでもいいそうだから、ゆっくり、こだわって、楽しみながらやってもらえればいいんじゃないかな。建設会社の社長さんもそういうのが好きらしくてね、電話越しだけど意気投合していたよ」
「最後の人は?」
「やりたいことが見つかるまで、うちの町に住みながら考えるそうだ。動画映えするカッコいい仕事を探すと言っている。ということで、町の現金持ち出しは0円。さすが国のお役人は口が巧いよ」
「お疲れさまでした。上手くいきましたね」
「ほうほう、そういうことですか」
「そういうことになるんだねぇ」
「それならええやろ」
「ああ、まったくだ」
「団子たべるか? クマ団子」
一件落着。そんな空気が流れ始めた会議室のドアが乱暴に開かれた。
「町長、大変です!」
「はははは、どうしたんだい上野君。大丈夫だよ、金の方はなんとかなった」
「境界を超えそうです」
「なに?」
「ですから、今回の騒動で驚いたクマがどんどん移動していまして、このままですと峰伝いに隣の市へ入ってしまいます。予測では数分以内。すでに隣市へ入ってしまった可能性もあります」
「そりゃ動物だから。どこにだって……あっ!」
「そうですよ」
「市町村の境界を越えたら、町としては手を出せなくなってしまう」
「一大事です」
「駆除される恐れだってある」
「なので、私に一つ策がありますっ!」
「よし聞こう、上野君」
「攻め込みましょう。町の領土にしてしまえばいいんです。勝負は兵の多少にあらず、ひとえに将の智謀にあり。疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山。人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり!」
「却下だ上野君」
「町長、ここは隣市へ連絡して、軽率な判断をしないよう依頼するのが穏当ではないかと」
「そうは言っても副町長、あの市長は苦手なんだ。市町村の合併協議会を抜けてからウチを目の敵にしているみたいだし」
「そんなんゆーとる場合やないやろ」
役場の若手職員が駆け込んできて、町長の背中越しに声をかける。
「え、何だって? その市長から電話、じゃなくてビデオ通話?」
「町長、ここは低姿勢で」
「ああ、わかった。モニターへ繋いでくれ」
大会議室のスクリーン一杯に隣市のマークが映ったかと思うと、眩いばかりの光が飛び込んできた。執務室に座る大きな顔(だと思われるもの)は、ばっちり化粧をして派手な上着を着ている市長なのだろうが、女優ばりの強力ライトに四方八方から照らされて画面はほぼ真っ白だ。
『あらあら、隣町のみなみなさま方お揃いで』
「新しモノ好きだなぁ」
「予算が潤沢なんだろうねぇ」
「いいですなぁ」
『ほほほほほ。そちらの小さな町とは違いまして、なんと申しましてもわたくしどもは市でございますから。こういった通信設備も含めまして、な・に・か・と・合理的な運営を心掛けなくてはなりませんのよ。そちらは気楽でようございますこと』
「ほらね、こういう人なんだ。それで市長さん、今日はどういったご用件でしょうか」
『あらあら町長、しばらくご無沙汰しておりますわ。おかわりはございませんこと。過疎化以外に。あら失礼。でも、こういう場合はそちらからご連絡いただくのがスジだと思うんでございますのよ』
「当町からお話しすることなど無いと思いますが」
『あら、まあ、そうなの? そういうことでしたら、クマは好きにさせていただいてもよろしいのかしら。もう、わたくしどもの土地に入っているようですし』
「このオバハン、クマをどうする気だ」
「殺すのか」
「駆除する気か」
「罠だろ、箱罠で捕まえるんだろう」
「隣市には現役のハンターも居たぞ」
「クマ様のタマ取る気やと?」
「拙いっちゃ、あっこの農協は駆除強硬派だわ」
「何年か前によ、熊で怪我人も出たんじゃなかったか」
「おいこら市長、クマに手ぇ出したらなぁ、川の上流でお前んとこの水道取水止めてやるかんな」
「野菜もコメも売ってやらんわ」
「柿の出荷止めんぞ」
「顔洗って、おととい来やがれってんだ」
「町長、やはりここは攻め込むしかありません!」
『ほほほほ、なんとでもおっしゃいなさいまし。市町村の境界を越えたのですから、あなたたちにできるのは県へ広域調整を要請するくらいしかありませんわ』
「市長、申し訳ない。町の者たちが失礼を申しました。このとおり、心より謝罪いたしますので……」
『なんですの、それは。謝罪などしていただいても一文の得にもなりませんわ。そんな無駄なことのために、わざわざこちらから連絡したのじゃありませんことよ』
「では、どうしろと?」
『知っておりますのよ。あなたたち、クマのおかげで上手くやっているのでしょう? だから、タダならよろしくてよ。無料でそちらのシステムを使わせていただけるなら、私たちの市でもクマモードを導入しますわ。如何かしら?』
「さすが市長っ!」
「どうぞどうぞ、好きなだけ水道お使いください」
「野菜なんて、こちらからいくらでもお届けしますから」
「よしよし、優先して柿を出荷してやろうじゃないか」
「いやぁ、いつ拝見してもお美しいご尊顔。お若い。もうキラっキラっ輝いてますなぁ」
「同盟ですか。起請文には熊野牛王宝印を用いるべし」
『町長、町として了解していただけるという事でよろしいのかしら?』
「ありがとう! ありがとう! もちろん無料で提供いたします。(接続料やオペレーター費用はいただくけど)システムは無料で開放いたします。(そもそも国庫補助金で構築したシステムだから利用料取ったら収益納付で補助金返還させられるから)いいのです、いいのです。友好の証として捉えていただければ。(定期的に行うアップグレードや保守点検、人材の育成・研修・交流費用はしっかりいただくということで)中企庁さまからも“その旨”しっかり理解した上で周辺自治体との連携を目指すよう指示されておりますので!」
『あらあら、まあまあ、妙に殊勝じゃないこと?』
「そんなことはございません。クマとの共存を願う仲間として歓迎いたします」
『ふぅん? なーんか腑に落ちませんけれども(なんだかんだと名目をつけてお金をせびるのは想定済みですからね)、まあいいですわ(多少の支払があっても、システムに関して無償協力という形がとれるなら議会も納得するし市長としての実績にもなるからプラスだわ)。クマにとっても、わたくしどもの市に来た方が暮らしやすいと思うのですのよ。大きな川もあるし海もありますからね。秋には鮭だって上がりますのよ。クマといえば鮭でしょう? そちらのように野菜と果物だけですと、なんといいますか、失礼かも知れませんけれども食生活が貧しすぎだと思いますわ。ほほほほほ』
「町にだって、果物や野菜以外に旨いもんがあるわ!」
「JAさんよ、一丁言ってやってくれ」
「おぅおぅ、任せろ商店会。まだ秘密にしちょるが、鋭意生産開発中の……」
『キノコでしょ』
「ままままままあ、それもあるが。魚だってのう……」
『川のウグイかしら』
「うっ!」
『ほほほほほほほほほほ、とても美味しそうですこと』
「JAはんも商店会はんも、そな張り合わんと。市も町もお互いええところも足りんところもあるんやから。仲良くクマを見守って行こうやないか」
『さすがはご神職、お志が高うございますこと。そうですわ、その時にはそちらにもお願いしようかしら』
「なにをですの?」
『結婚式。一家を構えるときには、ご神職にもお願いいたしますわ』
「市長、そら、その、なんや。相手がおるんか?」
『3カ月ほど前から当市の山奥に別のクマが居る様ですのよ。名前もあって、ジェームスって申しますの』
ジェームス? 人間みたいなクマだな。
「お父さん、遅いよ! 挨拶したいからって、ずっと待っていてくれたんだよ」
「お前なんでここに」
「はずめますて、めらすさんば、わにけへ」
「なに言うとるんや、この外人さん?」
「ジェームスはカナダ生まれで青森育ちのイギリス人なの。飛行機の時間があるから、今日は遅くまでいられないって言ったじゃない」
ジェームス? クマみたいな人間だな。
「イギリス? 青森? ジェームス?」
「そ、そな、いきなり言われて、どこの馬の骨とも知れん奴に挨拶されても……」
「馬の骨とクマって、どっちが上でどっちが下なんだかな」
「クマの方が強いんじゃね?」
「けどよ、馬の方が人間の役に立つぞ」
『ほほほほほ、馬の骨とは酷いですわね。わたくしどものジェームスは、名誉市民として住民票もございますのよ。あなたたちのようなド田舎の娘さんとは違いますわ』
「ド田舎だってぇ」
「言ったれ、商店会。JAの仇を討ってくれやぁ」
「おいこら市長、そーゆーモンはお互いの気持ちってヤツが大事じゃねえのかい。それにな、大事なクマ子をもらいたいってんなら、それ相応の男じゃなきゃ許さねぇ。その辺のところをキッチリしてもらわねぇと、うちの大事な娘はやれねぇぜ」
「お父さんっ!」
「な、なんや」
「ジェームスはとっても真面目でいい人なの。准教授だけどイギリスの大学に勤めていて、フィールドワークで世界各地の風習や民俗を研究してるの」
「そら、すごい、えらい、やつやなぁ、うん」
『うちのジェームスだって、観光大使として担当部長級のポストを用意していますのよ』
「クマが大学? 准教授? 部長級?」
「ならよ、こっちは副町長にしちまえばどうだ!」
「いっそのこと町長にしようぜ」
「選挙したら絶対勝てるな」
「マジ?」
「わっ、私の上司がクマになるの? ん、いいかも」
「肩書とかより年収じゃね?」
「よし、町の物産館を三セクにして社長をクマに」
「金のことを言うなら結納金ってどうなるん?」
「クマ子の転出は町長の私が認めん! 婚姻届など受理しない」
『クマ子ですって、ほほほほほ。なんて可愛らしくて単純でどーでもいいような名前なんでしょ。わたくしどものジェームスとは雲泥の差ですわ』
「クマ子改め、うーん、オリヴィア、エミリー、アリス、エマ。副町長、取り合えず良さそうな名前を考えてさっさと住民票作ってこい」
「町長、なに言いだしますの」
「ならば、わかった。緊急招集だ。議会開け。議題はクマの名前をどうするかだ。大至急議会事務局へ通達しろ」
「無茶苦茶ですよ」
「ちょっと皆さん落ち着いて」
「ここは穏便に婚約ということでは」
「仲人どうする?」
「そらおめえ、町長と市長じゃろ」
「婿取りすりゃいいんだ、婿取り」
「新居は町内で用意すりゃいい。工務店の社長紹介しようか?」
「こっちで暮らしたがるような……そうだ、クマと言やあハチミツじゃ!」
「組合長、ハチミツ作りやしょう!」
「いいじゃねえか。ペンディングにしとった鱒の養殖も早急に着手せぃ!」
「へい、組合長っ!」
「コラ。ワシのことは組合長やのうて『ちぇあまん』呼べゆうとるやろ」
「すいやせん、組合長」
「しかし体が動く若手が足らんとですわ」
「あのウーチューバーだかウーバーチューバーだか知らんが、アイツにやらせりゃいい」
「一人じゃ無理っすよ」
「仲間も連れてこさせい。でなぁ、体は動かんが口は動かせる年寄りは沢山おるから、若者1人に3人のベテラン付けて手取り足取り教えたれ」
「おいっ、家具屋の三代目に言ってな、ちゃらんぽらんな二代目じゃダメだぞ三代目だぞ。最上級の嫁入り道具拵えて隣市へ送り付けろ。かまわねぇ、婿入り御礼って幟を立てて持ってっちゃえ」
「ご両家顔合わせはホテルの宴会場を押さえましょうか。会食も必要ですかね」
「どうすんだ、冷泉?」
「なにがや!」
「いやあ、お祝いだねぇ。祝い事にはやっぱり紅白饅頭かなぁ」
「ご成婚まであと何日とかってカウントダウン看板作りましょうよ」
「クマなら指輪の交換じゃないよな、首輪か?」
「町長、来月の広報誌の表紙はご成婚記念でバーンと行きましょう」
「垂れ幕あったろ。役場の屋上から下げるやつ」
「記者会見は何時から?」
「もうアプリで発表していいんすかね」
「初孫のご衣装につきましては、創業120年の老舗呉服屋であるウチにお任せを」
「てめえ、呉服屋、抜け駆けすんなよ」
「お食い初めはどうする?」
「女の子なら雛人形、男の子なら五月人形か」
「何言うちょるか。絶対に鯉のぼりや」
「よかったな、冷泉」
「なんでや!」
「お父さん!」
「めやぐなごどして、わりはんで」
「お前はお前でなにゆーとんのや!」
「I would like to obtain your consent」
「だから、なにゆーとんのか分からんわ!」
「血圧上がるぞ、冷泉」
「お父さん大丈夫?」
「あかん、ふらふらしてきよった」
「ジェームス、お父さん連れて帰るから手伝って。家で少し寝かさないと」
「わがった、しゃべでらな」
喧騒はいつまでも終わりそうにない。
くまのまち
電車を降りると、駅員が声をかけてきた。
「お客さん、この町に来たらアプリ入れてね」
「大丈夫です知っています」
「保険も入った方がいいよ」
改札口の手前に、そこだけ真新しい非接触型ICチャージ機のようなものが数台設置されている。自分のスマホを読み取り部分にかざして、インストールのボタンを押す。1秒もしないうちにダウンロードとインストールの完了画面が現れた。終了を押すと、今度はクマ保険の加入手続画面になるが、今回は入らないのでスキップする。
鋏をカチャカチャ鳴らしながら駅員が切符を回収していく。切符は手渡しなのに、改札には頑丈なゲートが設けられている。インストール済みのスマホをタッチしなければ外へ出ることができない。何度も町を訪れる人の場合は、ここでスマホをタッチすることでクマモードアプリが強制的にアクティブになる。
渡されたQRコードで来訪客用のフリーWifiを設定する。接続料は無料。町内全域でクマモードアプリの接続を確保する必要から、町が一括して通信キャリアと契約を結んだそうだ。契約と支払の一括化で料金をかなり低減できたらしく、近隣でも同様の動きが出ている。
古臭いが掃除の行き届いた駅舎。時刻表を見ると、朝夕の通勤通学時には1時間に3~4本、それ以外の時間も1時間に1本以上は電車が止まる。夏季には一部の特急が停車するとも書いてある。ホームの方を振り返ると、山から木材を運んできた列車が操車場で貨車の入れ替えをしていた。途絶えていた林業が再開され、荒れ果てていた山林に人の手が入るようになった。地元の木材を加工する製材所と職人による工芸品は産業の柱になりつつある。ヨーロッパの大手企業がCO2対策として町の森林吸収系クレジットを購入したが、その価格は一般的な二酸化炭素排出権取引の金額よりもかなり高く『クマプレミアム』と呼ばれた。
駅の待合室には観光客や仕事で来たサラリーマン、病院にでも通うのか高齢者の姿もちらほら見える。遠足なのか小さい子供たちの集団も。そのうち1人はコグマスーツを着ている。山の中を転げまわって遊んでもケガをしないという代物で、刃物を通さず、通気性に優れ、衝撃も吸収する新素材は汚れても洗い張りできる。見た目はクマそのもの。地元の呉服屋が和服の技術を活かして開発したという。
「にぎやかですね」
「ええ。休みになって孫とその友達が遊びに来ていまして。これから山の自然公園へ連れて行かなきゃならないのです」
「ジイジ早く」
「はいはい、あー、すみませんね。孫が急かすものでこれで」
駅舎を出ると小型のバスが止まっていた。あたりを見回しても運行ダイヤを書いた案内板などは無い。電車に合わせて発着するようだ。
「おっ、乗ってくかい?」
バスの運転手に声をかけられた。
「これは路線バスなのですか」
「今はね。幼稚園の送迎バスにもなるし、通院サポートやデイケアの送り迎えもしてる」
「大変ですね」
「そうでもないよ、田舎だから。それぞれ専用の車と運転手を用意するなんてもったいないって。自分は老人福祉施設で主任やってんだけど、入所者減って暇になっちゃって。みんな元気になっちゃったからさ。それで、乗ってく?」
「いえ、近いので」
「そうかい。Have a nice trip」
運転手が英語で返してくる。海外からの来訪も多いのだろうか。
駅前通りを見渡すと、地元の人が経営していると思われる個性豊かな数十店舗が軒を連ねている。チェーン店はほとんどない。それもそうだろう。こんなに変わったルールが適用される町で、全国一律の画一的な営業をするのは無理がある。
記憶のなかでは駅前に数軒しかなかった飲食店は、店舗数も種類も多くなっている。カフェ、ケーキ屋、蕎麦、寿司、焼肉、有名店で修業をしたらしい若者が独立したラーメン屋。以前から駅前にあったイチカワ食堂は洋食メインの「ビストロイチカワ」に様変わりしている。
気持ちの良さそうなオープンテラスがあるカフェを見つけ、値段が高くないのを確認して中に入った。隣の『大阪お好み菊ちゃん』という店も気になるが、お好み焼きはまた今度にしよう。
「いらっしゃいませ」
「一人なんだけど、いいかな?」
「ええ、店内でも外のテラスでも、お好きな方にどうぞ」
「ありがとう。オススメって何があるのかな」
「クマプレートはいかがです」
「クマ?」
「はい、サーモンサンドとレモネードのセットです。サーモンと呼んでいますがJAが山で養殖しているサクラマスでして。これが結構うまいんです。上品な脂の乗りと引き締まった身が特徴です。レモネードには町特産のハチミツを使っております」
「サーモンとハチミツでクマ? そのまんまだね」
「ええ。話せば長くて滑稽で妙な話なのです。実はですね、うちの息子がサクラマスの養殖をしているのですよ」
「へえ、すごいですね」
「何をやっても長続きしないヤツでしたが、こうして素晴らしい食材を生産するようになった。これは親として応援せにゃダメだろうと、早期退職して妻と一緒にこちらで店を始めた次第なのです」
「じゃあ、自慢の息子さんのプレートを一つ」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
改めて店内を見渡すと、重厚感のある木材がふんだんに使われており、有名人のサインや色紙などもいくつか飾られている。柳沢慎吾、U字工事、デーモン小暮? 本物が来たのだろうか。
ハシゴを積んだワゴン車が店の前に止まり、つなぎの作業服を着た客が駆け込んできた。
「悪い、急ぎでいつものテイクアウト頼むよ」
「あ、電気屋さん。どうしたんですか」
「二丁目の婆さんとこで電球交換に手間取ってさ、すぐ出ないと間に合わないんだ」
「大変ですね。今度はどこです?」
「インドネシア。あっちはクマじゃなくてトラだけどな」
店の中には地域FMらしいラジオが流れている。
『こんにちは。FMクマラジ、くまのまちDMOの上野ですっ。まずは今日の天気とクマ予報から』
クマ予報? 不審に思うのが当然なのだが、ラジオは淡々と続く。
『今日の天気は、一日中気持ちのよい晴れとなります。風も強くないので絶好のお出かけ日和。洗濯にも最適です。ただ、明日の朝方にかけては気温が下がり、少し肌寒く感じるかもしれないです。朝早い時間の農作業などでは、なにか一枚羽織るものがあるといいですよ。続いてクマ予報です。市街地と住宅街の全域はブルー。24時間以内にクマが接近する可能性はありません。西部のダム湖周辺と展望台周辺がイエローになりました。12時間以内にクマが侵入する可能性がありますのでお気を付けください。今後、レッド指定された場合は速やかに避難し、該当地区で行われるイベントや行事・作業は中止してください』
どうやら今日は比較的安全らしい。
『今月の町営宝くじ“クマはどこだ”の当選グリッドはN049E167。クマの位置は電波塔から南東に21キロくらいの山腹でした。なんと今回は、本当に、いよいよ当選者が、ついに……出ませんでした。今月も当選者なしのため、キャリーオーバーで当選金は3000万円を超えましたよ。宝くじの購入は町役場および郵便局の窓口から。1口200円。収益の一部はクマ対策に活用されます』
いいのかこれは、という疑念を無視して饒舌なDJの話は続く。
『本日の足軽鉄砲隊は、町に移住して小さなパン屋を出店した「こぐまパン」さんの開業をお祝いして発砲します。クマ対策の足軽鉄砲隊はみなさまの寄付で成り立っています。申し込み・お問い合わせはDMOまで。続きまして、スケートボードチームYA=MANBAの活躍についてです。昨日の県大会で優勝して、次は全国大会。おめでとうございます。出場メンバーは「特別顧問から受けた山中での特訓が体幹強化につながり、優勝への大きな力になりました。皆さん応援ありがとう!」と語っています。県大会優勝をお祝いして……えっ、これほんと? 今日のお昼ごろからってもうすぐですけど、駅前通りをオープンカーでパレードするそうです』
ガタイのいい初老の男性が何人かの若者を従えて現れたかと思ったら、慣れた感じで道路にカラーコーンを並べていく。葬儀屋から出てきた中年は三角コーンと警棒を担ぎバイクで走っていく。商店会の街頭放送が中断し、歩行者天国の交通規制についてお知らせを流しだす。ビストロイチカワの入り口が勢いよく開く。パスタを頬張りながら出てきた警察官がガタイのいい男と口論を始める。先触れの神主と巫女が道を開き清める。狩衣を着た熊のように大柄な男が年長の神官にどつかれる。警笛の音が鳴り響く。迷彩服を着た男たちに囲まれながら、警官が先頭に立ってパレードを誘導していく。
軽トラックの荷台に乗せられた選手たちが手を振り、子供たちの吹奏楽団が行進。そのあとを騎馬武者と足軽鉄砲隊が悠々と進んでいく。足を止めた観光客へボランティアスタッフが説明しようとしているが、これが何なのか理解するにはしばらくかかりそうだ。
足軽鉄砲隊が片膝をついた。
騎馬武者が采配を上げる。
「ようこそ、くまのまちへ!」
澄んだ青空に轟音が響き、火薬の匂いがした。