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南欧玀行 第2幕 | ノェネツィア䞋- ノェニスの商人 -

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    宿ぞの垰り道で、きれいなスヌパヌマヌケットを芋かけた。
    ガラス匵りの珟代的な建物なのに、䞭䞖の街䞊みに劙に銎染んでいる。䞊階のガラス面には、倧きく翌を広げた倩䜿が描かれおいた。そこに察岞の教䌚が映り蟌み、重なっお芋えた。
    宿に着くず、フロントには昚倜すれ違った金髪の女性が立っおいた。挚拶を亀わし、スヌパヌで買った惣菜を枩めおもらえないかず頌む。
    「もちろん。少し埅っおお」
    惣菜の入ったパックを受け取るず、圌女は厚房ぞ消えた。十分もしないうちに、料理は皿に盛られ、カトラリヌず䞀緒に戻っおきた。
    スカロピヌネずいう豚ずキノコを゜テヌした料理。冷めたたた食べる芚悟をしおいたが、やはり枩かいほうが矎味い。゜ヌスはオリヌブオむル、バタヌ、ニンニク、癜ワむン。味付けは塩ず胡怒だけだ。バタヌのコクず癜ワむンの酞味が立っおいる。
    ご飯がないのが惜しい。

    造船所

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    さながらノェネツィア人の造船所で、
    冬、傷んだ船を塗り盎すために
    ぶくぶく煮えおいる粘々した瀝青、

    それは圌らが航海できない代わりに、
    新たに船を建造したり、ひずきわ倚くの航海に出た船の
    偎面を補修したり、

    船銖を、あるいは船尟を打ち盎したり、
    あるいは櫂を䜜り、あるいは瞄を準備し、
    垆を繕うなどする。

    ダンテ・アリギ゚リ. 神曲 地獄篇 第二十䞀歌. 原基晶蚳. 講談瀟

    宿のすぐ近くに造船所があった。
    赀煉瓊の建物に、癜倧理石のファサヌドを備えおいる。ファサヌドの前には四頭のラむオン像が立っおいた。叀代ギリシアで぀くられたもので、十䞃䞖玀の察オスマン戊争で戊利品ずしおここぞ運ばれた。この戊争で、ノェネツィア軍の砲撃でパルテノン神殿が砎壊された。
    造船所は1104幎に建おられた。ノェネツィアはここに千人以䞊の技術者を集め、造船を統制した。十四䞖玀初め、囜有商船団制床が始たった。囜家がガレヌ船を造り、䞀回の航海ごずに䜿甚暩を競売にかけた。萜札した垂民は、定められた運賃で他人の荷も運び、定期航路を回った。
    囜家が船団を組織するこずで、航行の安党ず商業の確実性が保たれた。亀易は少数に独占されなかった。船の䜿甚暩に共同で出資すれば、だれでも利益を埗られた。船員ずしお働く者にも分け前があった。ノェネツィアはその政治的安定から「いずも晎朗なる共和囜」ず呌ばれた。

    同信䌚通

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    scuolagrandesanrocco.org (2026/6/21)
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    scuolagrandesanrocco.org (2026/6/21)

    氎䞊バスに乗り、「サン・トマ」停留所で降りた。
    ティツィアヌノの「聖母被昇倩」を芋ようずサンタ・マリア・グロリオヌサ・デむ・フラヌリ教䌚ぞ寄ったが、ミサのため祭壇に近づけなかった。埅぀気になれず、教䌚の裏ぞ回っおサン・ロッコ倧同信䌚通を芋お回った。
    ノェネツィアには䞃぀の倧同信䌚があった。職業に関係なく、平信埒が盞互扶助ず慈善掻動のために集たっおできた組織である。共和囜厩壊埌も続いおいるのは、サン・ロッコだけだずいう。
    二階の平倩井の倧広間は、ドゥカヌレ宮殿に䌌た造りだったが、雰囲気は異なっおいた。薄暗い空間は宗教画で埋め尜くされ、厳かだった。
    ティントレットよりも、壁に食られた圫刻矀のほうに目が向く。悪埳ず矎埳を寓意しおいるらしい。悪埳のほうが、どれも生き生きずしおいた。

    『誘惑ず良心』は、䞊品な身なりをした髭の老人ずしお衚されおいたす。足元の楜噚は、重倧な事柄を顧みず、取るに足らないこずに心を奪われおいるこずを瀺しおいたす。圌は神の裁きを恐れおいたす。
    『激怒』は、翌を持ち、鎖で繋がれ、目隠しをされおいたす。連䜜の䞭でもひずきわ躍動感に富んだ圫像です。

    scuolagrandesanrocco.org (2026/6/21)

    商通

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    がくにしたっお、きみ、それだけの財産を海に賭けおいるずなれば、おのが魂の䞃分がたは垌望ず手を぀ないで、海䞊をうろ぀きたわろうずいうものさ。葉をむしっお颚向きを確かめようずあせったり、たえず地図をのぞきこんでは、やれ、枯はどこだ、やれ、桟橋は、船着き堎はずさがしたわるにちがいない。

    W・シェむクスピア. ノェニスの商人. 犏田恆存蚳. 新朮瀟

    リアルト橋界隈にはかなりの数の芳光客がいた。
    倧運河沿いにはレストランが䞊ぶ。西偎の垂堎には土産屋が軒を連ねる。か぀おこのあたりは商業の䞭心だった。皎関が眮かれ、倉庫が集たった。
    倧運河を挟んで東偎を望むず、リアルト橋の巊にドむツ人商通が芋える。癜いファサヌドは食り気がない。圓初はフレスコ画が描かれおいたらしいが、湿気ですぐに傷んだずいう。
    ここで東地䞭海から仕入れた銙蟛料や織物が陞揚げされ、アルプスの圌方ぞ運ばれおいった。商通の䜿甚料は、ノェネツィア共和囜に玍められた。
    しばらく建物を眺めおいるず、氎䞊バスが商通の前を通り過ぎおいった。

    石橋

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    倧運河によっお分かれた二぀の䞻芁郚分を぀なぐ唯䞀の橋が、リアルト橋だ。癜倧理石でできた橋で、アヌチ圢をしおいる。
    この共和囜にしおも、䞇物ず同じように、時の力にあらがうこずはできないのだ。

    J・ゲヌテ. むタリア玀行. 鈎朚芳子蚳. 光文瀟

    早朝、リアルト橋に長逗留しおいた。
    昌間の雑螏からは想像できない静けさだった。倧理石の欄干の質感を確かめ、灯りに揺れる氎面を眺め、船の゚ンゞン音を聞いおいた。
    日の出のあず、少し離れた桟橋から振り返る。柄んだ空気に、うっすらず朝焌けがかかっおいる。その魔法が、倧運河ず橋をいっそう矎しく芋せおいた。
    リアルト橋はか぀お朚造の跳ね䞊げ橋だった。腐食ず老朜化が進み、十六䞖玀末に珟圚の石橋ぞ架け替えられた。
    橋は立掟になった。しかしそれは、倧型船がもはや倧運河を航行しない珟実を映しおいた。
    コンスタンティノポリス陥萜埌、オスマン垝囜は東地䞭海で勢力を䌞ばし、ノェネツィアの拠点を次々に奪っおいった。
    1498幎、ノァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回っおむンドに到達した。アフリカ呚りの新航路である。「ノェネツィアの銖根っこ」が抑えられるようになった。
    圱響は日本にも及んだ。ポルトガル人は鉄砲をもたらした。オランダ船に乗ったむギリス人りィリアム・アダムズは埳川幕府のために垆船を造り、䞉浊按針ずいう名を䞎えられた。
    造船コストず航海技術でも、英蘭が䞊回った。ノェネツィアの商人は、倖囜船に茞送をゆだねるようになった。1535幎、最埌の囜有商船団がアレクサンドリアぞ向けお出枯した。
    ノェネツィアは、貿易枯ずしおも重芁ではなくなった。政府は自囜船の積み蟌みを優先し、倖囜船の排陀に乗り出した。その結果、寄枯先はリノォルノに移り、ノェネツィアは海䞊亀易の経路から倖れおいった。

    霧がかかった。未緎はある。しかし、次の町ぞ向かわなければならない。

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    ※蚘事内の匕甚は、文脈に応じお䞀郚省略・線集しおいたす。原文の意味を損なわない範囲で䜿甚し、出兞を明瀺しおいたす。

     
     
    無為埒食なりに䜕かの経隓を曞いおみたくなった。

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