
体調不良の日
朝、目を覚ましたとき、僕は自分の身体が自分のものではないような気がした。
熱があるわけではない。激しい痛みがあるわけでもない。ただ、身体の奥のどこかで小さな歯車が噛み合わなくなっているようだった。
窓の外では六月の空が薄く曇っていた。
妻は仕事へ向かい、家の中には静かな時間だけが残された。
テーブルの上には読みかけの本と、冷めたコーヒーがあった。
僕はソファに横になり、天井を見上げた。
体調が悪いとき、人は未来のことを考えられなくなる。
来月の予定も、来年の夢も、どうでもよくなる。
ただ、「今日を無事に終えたい」と思う。
それは不思議なことだった。
普段は人生について大げさに考えているのに、身体が少し弱るだけで、人間は今日一日を生きることの難しさを思い出す。
僕は目を閉じた。
すると昔の記憶が浮かんできた。
大学生だった頃、未来はどこまでも続くと思っていた。
社会人になった頃は、成功すれば幸せになれると思っていた。
結婚した頃は、家族を守れば人生は完成すると思っていた。
でも、どれも少し違った。
人生は完成しない。
完成しないから面白いのだ。
昼過ぎになると少しだけ身体が楽になった。
僕は散歩に出た。
近所の公園には誰もいなかった。
ベンチに座り、風に揺れる木々を眺めた。
葉っぱは風に逆らわなかった。
右へ吹けば右へ揺れ、左へ吹けば左へ揺れる。
その姿を見ていると、自分だけが無理に頑張っていたような気がした。
人生を変えなければ。
もっと成長しなければ。
もっと成功しなければ。
そんな言葉に追い立てられていた。
しかし木々は違った。
ただ季節を受け入れていた。
春には芽を出し、夏には葉を広げ、秋には散り、冬には休む。
それだけだった。
そして、それで十分美しかった。
そのとき、ふと一つの言葉が頭に浮かんだ。
「休むことは立ち止まることではない。次の一歩を深くするための準備である。」
僕はその言葉を何度も心の中で繰り返した。
体調不良を敵だと思っていた。
でも本当は違うのかもしれない。
身体は僕に手紙を書いていたのだ。
「少し休め」
「少し考えろ」
「本当に大切なものを見失うな」
と。
夕方になると空が晴れた。
雲の隙間から光が差し込み、公園の芝生を金色に染めた。
世界は何も変わっていなかった。
変わったのは僕の見方だけだった。
人は強いから生きているのではない。
弱くなる日があるから、自分の本当の強さを知る。
体調不良の日は失われた一日ではない。
むしろ人生の速度を落とし、自分自身に追いつくための一日なのだ。
家へ帰る途中、僕は少しだけ笑った。
明日も完璧ではないだろう。
失敗もするだろう。
妻と口論する日もあるだろう。
仕事で落ち込むこともあるだろう。
それでもいい。
人生は完璧な航海ではなく、何度も寄り道をしながら進む旅なのだから。
玄関のドアを開けると、静かな部屋に夕陽が差し込んでいた。
僕は靴を脱ぎ、ゆっくりと深呼吸した。
そして心の中で、もう一度その言葉をつぶやいた。
「人生を変えるのは、絶好調の日ではない。立ち止まった日に見つけた小さな気づきである。」
その日、僕の体調は完全には治らなかった。
けれど、生き方は少しだけ変わった気がした。
それだけで、その一日は十分に価値のある一日だっ