メインコンテンツへスキップ
見出し画像

まちっと。

    「まちっと。」という方言がある。
    「もうちょっと。」という意味だ。

    この「まちっと」という言葉と一緒に思い出すのは、私の祖母だ。
    92歳まで生き抜き、とても尊敬するスーパーばあちゃんであった。
    85歳くらいの時に、お手玉を3個「ホイホイホイッ」と目の前で150回。グランドゴルフが大好きで、ソフトバレーも若い人たちに混じってやっていた、とか。とにかくパワフルなばあちゃんだった。

    幼少の頃は、正月になると従姉妹も祖母の家に集まり、一緒に過ごした。
    鏡餅を作ったり、紅白を見たり、カウントダウンを見たり、初日の出を見に行ったり、と恒例の行事がたくさんあった。

    中でも、小学生の頃にあったイベント「〇〇大会」はよく覚えている。
    縄跳び大会、マラソン大会、バドミントン大会、と色々とスポーツ大会を開催し、順位ごとに景品がもらえる、というばあちゃん(おじいちゃん?)考案のスポーツ大会だ。

    優勝は、なんと「とれたての卵」だった。
    あとは、おばあちゃんのお得意様から頂いた粗品であろう、歯磨き粉やタオル、サランラップとかだったが、1位だけ、「とれたての卵」だったのだ。

    私も、何度か鶏小屋に入って、そっと卵を手にとっていた。
    あの温かいぬくもりを感じ、「命をいただく」ということを教わっていたのだなと、しみじみ。

    畑仕事もしっかりとやっていた。美味しくて新鮮な野菜を手に入れられることがどれだけ豊かだったのか、スーパーばあちゃんの生き方は本当に尊敬している。自給自足、ありもので楽しませるエンターテイナーに。

    そんな僕は、畑をやることにした。
    雑草だらけの土地を草むしりして、スコップを入れ、枯れ草を米糠と混ぜて醗酵させたり、苦土石灰を混ぜたりして、柔らかい土を作ることから始めてみた。腰を入れて鍬を振り下ろし、あのザクザクとして音をサクサクという音にするまでが大勝負だった。
    春が来て、種子から育てた苗を植え付けた時は、小学生になった子どもを送り出す気持ちに近かったように思う。
    「しっかりと根を張るんだよ!」という感じ。

    風が強い日、苗がくたっと倒れてしまいそうだと思い、その辺の木の枝を頂戴して、支柱を立てることにした。

    倒れそうになるのを、こっちにおいでと立て、紐でくくるもの。
    こっちにもたれかかっても大丈夫だぜと立て、紐でくくるもの。
    オメェさんは、支柱無しでもやってけラァ!と、一応立て紐でくくるもの。

    どれも必要な「支え」なんだと言い聞かせるのは、子どもに置き換えても同じようなものに感じたのだ。

    「どのように支えるか」は、相手を見て、声を聴いて判断した方がいい、

    ということか、、、。

    ある時、水をやり忘れて、葉はしおしおにくたびれていた。妻は、あら、もうダメだと思ったらしいが、僕は水をザーッとやり、浅いバケツに水をはり、そこに半身浴させてあげた。

    すると、午後には元気を取り戻し、葉っぱが生き生きと広がるまでに復活したのだ。それを見た妻は、生命力というものを感じたよう。

    「生き返らせよう」という執念が身を結んだ、とでもいうのであろうか。

    植物を育てる、ということ

    を通して、人間を育てることと重ね合わせて見るようになった。

    土を整えるために必要な化学肥料はいくらでもあるし、黒マルチを使って雑草を生やさなくすることもできるし、虫を避ける工夫もいくらでもできる。

    だが、本当にいい実が育つのは、微生物たっぷりの土。泥まみれの臭いものの中で、雑草を敷き、虫もウェルカムな環境らしい。

    整いすぎた環境では、潤わないという。

    なるほど、人間も然り。
    泥に塗れ、ありのままを受け入れ、精一杯生きるのが素晴らしいのだろう。

    祖母の生き方も、そんな姿だった。

    「まちっと、考えて活きるか」

    僕は今日も前進する。



     
     
    久留米に生まれ、久留米で育ち、「もうアイツは久留米には戻ってくるめー」と言われているヒト。 「愛と情熱を感じる」古墳が好きなヒト。 好奇心旺盛な、宇宙人説あり。

    あなたへのおすすめ