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ママがICUにいた日、パパはリチャヌド・ギアを挔じた。

    「ねぇ、この服ず、この服ず、この服。どれが䞀番䌌合うず思う」

    「党郚䌌合うよ。すみたせん、店員さん。これ党郚ください。」

    女の子なら誰もが䞀床は憧れる、たるで映画のワンシヌンのような買い物スタむル。それを、ごく自然にやっおのける人がいた。


    私の父だ。

    ◇


    私が小孊5幎生の秋。
    圓時36歳だった母が、「髄膜脳炎」ずいう病気で入院した。髄膜炎ず脳炎を同時に匕き起こす病気で、りむルスや现菌などが原因になるず蚀われおいる。

    母は「なんだか頭が痛い」ず蚀い始めおから䞀週間ほどで、起き䞊がれないほどの激しい頭痛に襲われ、そのたた入院になった。そしお、あれよあれよずいう間に容態は悪化し、ICU集䞭治療宀ぞ。今こうしお曞いおいおも、指先が震える。それほど、母の病気の進行は早かった。

    私は母子家庭で育った。
    家から500メヌトルほどの堎所に祖父母の家があり、母の入院䞭はそこで暮らすこずになった。母の身の回りのこずは、同じ垂内に䜏む母の二人の姉がしおくれおいた。祖父母も叔母たちも、本圓に私たちを支えおくれた。それでも、毎日が䞍安だった。


    ママが死んじゃったらどうしよう。


    そのこずばかり考えおいた。倜になるず泣きながら眠り、昌間も䜕をしおいおも心から笑えなかった。



    その頃、家庭科でナップサックを䜜る授業があった。授業䞭に終わらなかった人は宿題ずなり、家で完成させお提出。私は、それをい぀たでも出せなかった。

    あずは玐通しや奜きなワッペンを぀ける仕䞊げだけ。でも私はどうしおもそれをやる気になれなかった。ママず䞀緒にデザむンを考えたい。これがいいかな、それもいいねず蚀いながら、ワッペンも玐の色も、ママず䞀緒に遞びたい。早く提出しなきゃならないこずはわかっおいたが、私はギリギリたで母を埅っおいた。

    ある日、なかなかナップサックを提出しない子たちが教宀の前ぞ呌ばれた。私ず、宿題忘れ垞連の男の子が二人。担任の島寺先生は、躟に厳しい先生で、宿題を忘れたり授業䞭に隒いだりするず、前に䞊ばせお指導するこずがよくあった。

    䞀人ず぀理由を聞かれる。私は、自分の番が来るのが怖かった。

    「どうしおやっおこないのい぀たでに提出できる」

    男の子たちが順に聞かれる。「すみたせヌん忘れおたしたぁヌ今週䞭にやっおきたヌす」男の子たちは照れ笑いしながら答える。私はどう答えよう。忘れおたわけじゃない。い぀たでに なんお私が知りたい。今日家に垰っおママが居たら、明日にでも提出できる。でも居ないから。ママず䜜りたいから  。

    私の順番になり、私はう぀むいお黙っおしたった。クラスの子たちの芖線を感じる。䜕か蚀わなきゃ。でも喉の奥が詰たっおうたく声が出ない。

    「石野さん、わかっおるよ。できるだけ早く出そうね。」

    島寺先生は静かにそう蚀い、それ以䞊䜕も聞かなかった。

    あの頃の孊校生掻は、ほずんど芚えおいない。たぶん私は、抜け殻みたいに毎日を過ごしおいたんだず思う。でも、島寺先生がこずあるごずに気にかけおくれおいたこずだけは、しっかり芚えおいる。



    祖父母の家では、毎日叔母たちが病院垰りに集たっおきた。母の状態や、先生から聞いた話を祖父母含めた皆で話し合うためだ。私は母に䌚える機䌚が少なかったから、その䌚話で母の様子を知っおいた。

    「怍物状態になるかもしれない。」
    「埌遺症が残るかもしれない。」
    「もしそうなったら、誰が面倒を芋る」
    「燊はどうする」

    そんな話が、毎日のように私の目の前で亀わされおいた。私はい぀も、䜕か口を挟むでも泣くでもなく、ただ静かにその堎にいた。時に、これが自分たちの話ではないような、珟実ではないような錯芚にも陥った。感情が「無」になる感芚を初めお知ったのはこの頃だ。



    母がICUに入っお二日ほど経った頃だった。
    父が来おくれた。

    父は、私たちが䜏む堎所から飛行機で二時間ほど、かなり離れた所に䜏んでいた。父は来た初日、祖父母の家で叔母たちの様子を芋るなり、叔母たちに向かっお声を荒らげた。

    「子どもの前でする話じゃないでしょうが」

    そしお私の手を取り、

    「燊、行こう。」

    そう蚀っお、私を連れお出た。

    気分転換をさせようず思ったのだろう。圓時、垂で䞀番高玚なデパヌトぞ私を連れお行き、子ども服売り堎ぞ向かった。

    最近は、おしゃれなんお考える䜙裕もなかった。思春期に片足を突っ蟌み始めた幎頃だったのに、鏡すらろくに芋おいなかった気がする。久しぶりの買い物だった。

    「あ、これ可愛い。」
    「こっちもいい。」

    久しぶりに心が躍った。するず父は笑いながら蚀った。

    「党郚買いなよ。」

    たるで映画『プリティりヌマン』のリチャヌド・ギア。もしくは足長おじさんが蚀いそうな台詞だった。店員さんも、䞡手いっぱいに服を持ちながらほくほく顔で私たちに぀いお歩く。結局、服を十五着くらい、靎を二足、髪食りもいく぀か買っおもらった。圓時のお金でも、軜く十䞇円は超えおいたず思う。もしかしたら、もっずだったかもしれない。



    父が泊たっおいたのは、垂で䞀番倧きなホテルだった。最初から私を泊める぀もりだったのだろう、郚屋はベッドが二぀あるツむンルヌムだった。

    倜はホテルの最䞊階のレストランで、フランス料理のコヌスを食べた。自分の䜏んでいる街ずは思えないほど倜景が綺麗だった。䌊勢海老がおいしすぎお「なにこれっ」ず感動しおいるず、りェむタヌのおじさんず目が合い、にっこり埮笑みながら「お嬢様、ありがずうございたす」ず蚀っおくれた。真っ赀になっおいる私を、父は嬉しそうに眺めながら、「これもいいよ」ず、自分の分の䌊勢海老を䞀口譲っおくれた。

    父が買っおくれた新しいワンピヌスに身を包み、キラキラしたレストランで極䞊の食事をしお、「お嬢様」だなんお蚀われる。たるでプリンセス。私はほんのひずずき、母の病気のこずを忘れおいた。父も母のこずを口にしなかった。でも食事が終わる頃、父はふず私に聞いた。

    「もし、ママにもしものこずがあったら、パパのずころぞ来るかい」

    私は驚いお父を芋る。
    父は静かに続けた。

    「実はね、奥さんにも話しおあるんだ。」
    「燊が来るこずになっおも倧䞈倫だっお、了承しおくれおいるよ。」

    父は母ず離婚したあず再婚し、家庭を築いおいた。その蚀葉を聞いた瞬間だった。

    「もしものこずなんおないもん」

    気づけば私は、倧きな声で叫んでいた。レストラン䞭のお客さんが、䞀斉にこちらを芋る。りェむタヌさんも少し慌おおいた。
    父は少しだけ笑っお、穏やかな声で蚀った。

    「そうだね。ごめん。もしもなんお、あり埗ないね。」

    その䞀蚀で、私は少し安心した。


    その倜。
    ベッドは二぀あったのに、私は父のベッドぞ朜り蟌んだ。父は䜕も蚀わず、隣で寝かせおくれた。久しぶりに、ぐっすり眠れた気がした。




    翌日、父ず䞀緒に病院ぞ向かった。母はICU。圓時、その病院では小孊生はICUぞ入るこずができないきたりだったのだが、特別に蚱可しおくださり、私は母に䌚わせおもらえた。母はたくさんの管に぀ながれ、眠っおいた。私はベッドのそばぞ行き、声をかけた。

    「ママ。燊だよ。」

    その瞬間だった。母がゆっくり目を開けた。そしお母は、枟身の力を振り絞り、腕をぐぅヌっず持ち䞊げた。私ず父はすぐに母の手を握った。䜕かを䞀生懞呜話そうずしおいる。声にはなっおいなかったけれど、口の動きは間違いなく私の名前を呌んでいた。私は嬉しくお嬉しくおたたらなかった。

    「パパママ起きたね」

    病院を出おからも、その話ばかりしおいた。

    埌になっお知ったのだが、母はICUに入っおからずっず意識䞍明で、小孊生の私が特別にICUに入れおもらえたのも、盞圓に危険な状態だったからだそうだ。母がその䞀瞬目を芚たしたこずは、䞻治医も驚くほどの出来事だった。目を芚たしただけではない。腕たで持ち䞊げたのだから、ず。




    父は五日ほど滞圚した。その間、私は孊校を䌑んでいた。でもある朝、父が蚀った。

    「今日は孊校ぞ行きなさい。」

    私は少し驚いた。

    ホテルのあった垂の䞭心郚から、父ず二人でタクシヌに乗り、小孊校ぞ向かう。父ず登校するのはもちろん初めおだった。しかもタクシヌで。友達に芋られたら説明が面倒だなず思っお、孊校から少し離れた堎所で降ろしおもらった。それでも、誰かに芋られおいないか少しドキドキしおいた。
    父は、

    「パパは、おばあちゃんの家で埅っおるから。」

    そう蚀っお手を振った。

    その日、私は授業が終わるず党力で走っお垰った。父がどうしお今日だけ孊校ぞ行けず蚀ったのか。もしかしたら、私が孊校ぞ行っおいる間に飛行機で垰っおしたうんじゃないか。そんな䞍安でいっぱいだった。父が垰っおしたったら、たた、あの心现い毎日に戻っおしたう。䞀人がっちになるような気がしお怖かった。

    祖父母の家ぞ飛び蟌むように垰る。するず、

    「おかえり。」

    父はちゃんず、そこにいた。その䞀蚀だけで、匵り぀めおいたものが少しほどけた。父は穏やかに蚀った。

    「パパは明日垰るよ。お仕事があるからね。」
    「おじいちゃんずおばあちゃんにも、燊のこずお願いしおおいた。」
    「だから安心しお過ごすんだよ。」

    私は黙っおうなずいた。




    その日も、父の泊たるホテルぞ行った。父ず過ごす最埌の倜。ベッドに入った途端だった。今たで必死に我慢しおいたものが、䞀気に溢れた。涙が止たらなかった。

    「ママが死んじゃったらどうしよう。」
    「怖い。」
    「蟛い。」
    「パパ、垰らないで。」

    蚀葉にならない声で泣いた。息が苊しくなるほど泣いた。小さな子どもみたいに、しゃくり䞊げながら泣いた。

    父は䜕も蚀わなかった。黙っお私の話を聞いおくれた。背䞭をさすり、時々、䞀緒に涙を流しながら。慰めようずも、「倧䞈倫」ずも蚀わなかった。ただ、党郚受け止めおくれた。

    私は泣き疲れお、そのたた眠った。




    父が垰っお数日埌。
    母はただ眠ったたただったものの、容態は少し安定したずのこずで、ICUから脳神経倖科の病宀ぞ移るこずになった。面䌚もしやすくなり、日曜に叔母ず䞀緒に病院ぞ向かった。母ず䌚えるのが嬉しくおたたらなかった。病院ぞ着き叔母の車を降りるなり、私は病宀たで走った。叔母は、「買い物しおから行くから、先に行っおお。」そう蚀っお売店ぞ向かった。私は䞀人で病宀のドアを開ける。

    「ママ  。」

    するず
    母は目をしっかり開けおいた。

    「  燊。」

    「ママ起きおたの燊だよわかる」

    母は少し䞍思議そうな顔をしお、

    「  ここ、どこ」
    ず聞いた。

    私は嬉しくおたたらなくお、矢継ぎ早に話しかけた。

    「病院だよ」
    「ママ、燊が䜕歳かわかる」

    母は少し考えお、

    「  五歳かな。」
    ず答えた。

    そのずき叔母が病宀ぞ入っおきた。

    「よしこよしこ、わかる目が芚めたの」

    叔母は慌おお先生を呌びに走った。


    玄䞉週間眠り続けおいた母は意識を取り戻した。母は最初、自分の幎霢も私の幎霢も、自分の身に䜕が起こっおいるのかもよくわかっおいなかった。このたた蚘憶が戻らなかったらどうしよう。そんな䞍安もあったが、それは杞憂に終わった。母はあっずいう間に蚘憶を取り戻し、驚くほどの速さで回埩しおいった。その埌、二か月ほど治療を続け、入院は合わせお䞉か月ほど。埌遺症も残るこずなく、その幎のクリスマスむブに、母は元気に退院した。


    ◇


    埌になっお母から聞いた話がある。

    私が孊校ぞ行っおいたあの日。
    父は祖父母や叔母たち、䞀人ひずりに頭を䞋げお回っおいたそうだ。

    「燊のこずを、どうかよろしくお願いしたす。」

    そしお、それぞれにお金も枡しおいたずいう。さらに父は、こんな話もしおいたそうだ。

    「もし、よしこに䜕かあったら、私は燊を匕き取りたいず思っおいる。でも、それは私の垌望であっお、燊の気持ちを䞀番倧切にしたい。もし怍物状態になっおもお母さんのそばにいたいず蚀うなら、その気持ちを尊重しおあげおほしい。その時は、できる限りの揎助をしたす。よろしくお願いしたす。」

    そんな話をしおいたらしい。初日の無瀌も謝眪しながら。私は䜕も知らなかった。父は、私の前では䞀床もそんな顔を芋せなかった。

    これも埌になっお知ったこずだが。
    圓時、父は䌚瀟を経営しおいた。けれど、ちょうどバブル厩壊の圱響を受け、経営はかなり厳しい時期だったそうだ。それでも父は、そのこずを埮塵も感じさせなかった。

    飛行機に乗っお駆け぀け、
    私を高玚ホテルぞ泊め、
    たくさんの服を買い、
    おいしいものを食べさせ、
    安心しお眠れる堎所を䜜っおくれた。

    あの頃の私は、「パパ、すごい。」そのくらいにしか思っおいなかった。でも今ならわかる。あれは、お金を䜿いたかったわけじゃない。必死だったんだ。母を倱うかもしれない恐怖の䞭にいる嚘を、䜕ずか笑わせたかった。䜕ずか守りたかった。䜕ずか普通の子どもに戻しおあげたかったんだ。
    父にずっおは、そういう数日間だったんだず思う。



    照れくさいが率盎にこう思う。
    父は、めちゃめちゃかっこいい。私からすれば、リチャヌド・ギアよりかっこいい。



    母の病気のこずを思い出すず、今でも胞が少し苊しくなる。 でも、私にずっおかけがえのない、倧切なこずに改めお気づけた時間でもある。

    私は
    母の倧きな愛に包たれお生きおいる。
    そしお
    父の倧きな愛に芋守られお生きおいる。

    ありがずう。䜕䞇回䌝えおも足りない感謝の気持ち。私は1床でもちゃんず䌝えたっけ。いや、䌝えきれおいない。だから、どうか  



    この蚘事が、倩囜のパパに届いおいたすように。




    #創䜜倧賞2026
    #゚ッセむ郚門



     
     
    ツカレル・シンドむ・メンドクサむ日垞に クスッずした笑いを。 そんな心持ちでnoteを綎っおおりたす。 理由: 40代、1ヶ月のうち6日間くらいしか「今日調子いいな♪」ず思える日がなく芋栄匵った。実際は3日くらい 笑うず健康にいいらしいから。

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