
推しが隣に越してきた 《最終話》
EP.24(END)「おかえり」
LUCEは毎週、どこかの音楽番組に出ていた。
タイアップに決まったドラマが大ヒットして、世間が騒いだ。リクの顔が、街の至るところに出るようになった。雑誌の表紙、コンビニのポスター、電車の中吊り広告。結菜が歩くたびに、リクがいた。
その人が自分の恋人。
そのことが、いまだに不思議だった。
大学の講義を受けていた時、スマホが光った。
RKの表示。
こっそり机の下でメッセージを確認した。
ビッグニュースがあると書かれていた。
なに?と返信すると、すぐに返ってきた。
今晩話すよ。
またタイアップが決まったのか。新しいコラボか。LUCEの勢いは止まらなかった。ここ数ヶ月の活躍は目覚ましくて、結菜も情報を集めるのに忙しかった。
バイトが終わって部屋に戻ると、情報収集を始めた。
次から次へと最新ニュースが届いてくる。
彼女なのにファンと同じように必死になっているのが、なんだかおかしかった。でもやめられなかった。リクのことを知りたいのは、ファンだった頃から変わっていない。
コンコン、コン。
手が止まった。
壁の音がした、気がした。
スマホが鳴った。RKの表示だった。
「リクさん? 壁…」
「隣にいるよ」
リクが続けた。結菜が何かを言う前に。
「戻ってくる」
「え」
「事務所の許可が出た。ここに戻ってくる」
「本当に?」
声が、震えた。
「本当に」
胸がいっぱいになった。言葉が出てこなかった。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。
スマホを持ったまま、玄関に向かった。ドアを開けた。
リクが立っていた。
帽子をかぶっていた。でも笑っていた。ニヤリとした、自信に満ちた笑い方だった。
「信じろって言ったろ?」
結菜は何も言えなかった。
「俺の勝ち」
そう言って笑った。
結菜は玄関を飛び出した。その勢いのままリクに抱きつく。
リクが慌てて結菜ごと玄関の中に入った。ドアを閉めた。
「部屋の外では会わない。事務所との約束」
「わかった」
「結菜を絶対に手放さない」
新曲のフレーズだった。でも今夜は歌じゃなく、言葉として届いた。
リクがしっかりと結菜を抱きしめた。
結菜は目を閉じた。
この腕の温度を、何度も思い出した。壁越しの電話では届かなかった、この温度が今ここにある。
どれくらいそうしていたかわからなかった。
翌日、引っ越し業者がやってきた。
廊下から、荷物を運び込む音がした。ごとごとと、重いものを引きずる音。段ボールを積む音。誰かが指示を出す声。
リクが戻ってくる音だ。
結菜は自分の部屋でその音を聴いていた。大学に行く準備をしながら、耳だけがその音を追っていた。
二、三時間もすると静かになった。
その夜、ピンポーンと鳴った。
ドアを開けると、リクがいた。
「ただいま」
笑顔で言った。
「おかえり」
結菜が答えた。
ふたりで笑った。
理由はなかった。ただ笑えた。ただいまとおかえりを交わして、笑えた。
「お腹すいてない?」
結菜がキッチンへ向かおうとすると、後ろから腕が回ってきた。
「もう離さないよ」
リクが言った。
結菜は振り向いて、リクの背中に手を回した。
「また一緒にいられるね」
「…お腹すいた」
リクのお腹が、盛大な音を立てた。
結菜は笑った。
「準備してあるよ」
テーブルにアスパラの肉巻きとサラダを並べた。
最初の頃、ベランダでアスパラの匂いがした夜のことを思い出した。リクが「いらないよ」と先手を打って笑った夜。
あの夜から、こんなに遠くまで来た。
「うまそう」
リクは手を洗って、テーブルについた。
「いただきます」
丁寧に手を合わせた。
一口食べた。
「うまい」
幸せそうな顔で食べていた。
カレーの夜も、パスタの夜も、鍋の夜も、毎回同じことを言った。毎回、本当にそう思っている声だった。その声が好きだった。
食べ終わると、リクは一度自分の部屋に戻った。
結菜も自分の部屋でシャワーを浴びた。
少しして、1201号室のドアを開けてもらった。
久しぶりのリクの部屋だった。段ボールがまだ積んである。
「片付け手伝おうか」
「それよりもっと一緒にいたい」
リクが笑った。
電気を消した。
ベッドに並んで横になった。
しばらく、暗い天井を見ながら話した。他愛のないことを話した。大学のレポートの話、バイト先の話、リクのレコーディングの話、どうでもいいことを話した。
ゆっくりと、リクが近づいてきた。
キスをした。
長いキスだった。満たされていく感覚があった。
それからふたりは体を重ねた。リクはいつも優しかった。強引じゃなくて、丁寧で、結菜のことを確かめるように。そんなリクが愛おしかった。
それからの夜は、そういう夜になった。
リクは帰りが遅い日も、自分の部屋でシャワーを浴びると決まって結菜の部屋に来た。ベッドにそっと潜り込んで、結菜を抱きしめた。
狭いベッドだった。でも、狭いほうがよかった。
眠くて会話がなくても、それで十分だった。そんな夜はリクが唇に一度だけキスをしてくれた。おやすみ、という言葉の代わりに。
リクの体温を感じながら眠った。リクのシャンプーの香りが心地よかった。
ある夜、テレビをつけると音楽番組でLUCEが歌っていた。
リクが笑っていた。ステージの上で、三万人に向かって歌っていた。完璧なアイドルの顔で、完璧な笑顔で、完璧に輝いていた。
結菜はそれを見ながら、隣でリクのシャンプーの香りがするブランケットを抱えていた。
画面の中のあの人は、今夜ここに来る。
シャワーを浴びて、疲れた顔で、でも笑いながらベッドに潜り込んでくる。
それを知っているのは、世界中で自分だけだった。
推しの彼女であることの、特別な重さと温かさが、今夜も胸の中にあった。
今日も推しに抱かれて眠る。
テレビで観るあの人は、わたしの恋人だ。
▼イメージソング
新曲 : 誓い 〜光へ〜 / LUCE
結 〜ベランダ越しの約束〜 / LUCE
*最後まで一緒に歩んでくれた読者への感謝*
推しが隣に越してきたら。
ファンなら一度は考えたことがあるかもしれない、そんな夢のような妄想から始まった物語でした。
でも書いているうちに、この物語は「推しと恋をする話」だけではなく、「誰かを信じ続ける話」になっていきました。
結菜とリクの恋を応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
ベランダ越しの約束が、皆さまの心のどこかに残ってくれたら嬉しいです。
また次の物語でお会いしましょう。
IZU