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贅沢品と必需品を正しく分けてください

    贅沢品は娯楽、なくても生きられるもの。
    必需品は生きるのに必要不可欠なもの。

    マックの話

    小さい頃からマックが好きだ

    自分はスキを表すのに回数や〇年以上と定量的に表すのが好きではないが、物心つく前から好きだったと思う。

    マックはいつ、何を食べてもマックの味と感情を味わえる。
    これは冷凍のポテトでも、バーガーキングのハンバーガーとも全く異なる。
    マックの厨房でしか作り出せない味だ。

    そして、食べ終わった後に胃から湧き上がってくるマック胸やけまでセットで、マックを食べたという行為は完成する。

    このいつ食べても小さい頃から全く変わらない味であるというのは、自分が何かを好きになるうえでの変数として大きい。コーラやじゃがりこもずっと変わらない味ですきだ。

    何かで聞いた、夜のお店でシャンパンが好きという人は味が好きなのでなく、シャンパンはどこで何を飲んでも味が似ているからブレが少ないのがいい、という話を思い出した。

    今日食べたマックの話


    今日は3月くらいからふつふつしていたマック欲が抑えきれずに、仕事終わりにマックに行った。

    1,210円を払ってビッグマックセットのLLサイズとナゲットを注文。受け取って茶色い袋を開くと、中にはハッピーセットが入っていた。
    自分は注文の行き違いに出くわした時、基本的には自分のミスの可能性もあるし店員さんに申し訳ないので受け入れることが多いが。ただ、ハッピーセットはさすがに腹は満たせず、1,210円には満たないので、電話してビッグマックを届けてもらうことにした。

    この時ちょうど、2日前にTwitterで見た「商品の行き違いがあった挙句に作り直して持ってきてもらった商品も違った人」のツイートを思い出さなかったら電話をするという選択肢すらなかったかもしれない。
    マック欲を察知してくれたアルゴリズムには感謝しかない。

    作り直したマックは、電話から15分で家に運ばれてきた。運んできてくれた方は電話の応対をしてくれた方と同じ声だった。ずっと申し訳なさそうにしており、インターホン越しにもいそいそとしていて、こちらが申し訳なくなってしまった。

    ただでさえ忙しく、仕事場も外国の人だらけで大変な中、たった1,210円しか払っていない人に貴重な30分(往復)も割いて、あったかいハンバーガーとポテトとチキンを持ってきてくれたことに罪悪感すら感じてしまった。

    罪悪感の正体

    この罪悪感の要因の一つに、自分の仕事が世の中に必要不可欠なものではない、という自認がある気がしている。

    マックは飲食業で食事を提供するインフラとしての役割がある。

    にもかかわらず、エッセンシャルワーカーの人の時間を使ってブルシットジョブの自分の娯楽の時間を埋めてしまった。この事実が罪悪感として刺さっている。

    そう考えると、仕事中は同僚やチーム、部の売り上げのためお客さんに喜んでもらうためという名目で使命感を持ってやっている自分の仕事は、社会から見たら特に役に立っているわけでもなく、なんて哀れなのだ。

    じゃあエッセンシャルワークって何?

    「〇〇が死んだら社会が終わる」にいれて言葉が成り立つのがエッセンシャルワークとすると、医療やインフラ、物流、教育が当てはまる。

    一方で「〇〇が無くなったら人生が終わる」にすると、ここには上記のいわゆるエッセンシャルワークは入ってこず、アニメやアイドル、映画などの趣味や娯楽が入ってくる。

    つまり論点や個人のモノの見方によって、必要不可欠なもの、つまり必需品は変わるのだ。

    マックに対して自分がエッセンシャルワークと表現したことに違和感がある人は、マックを必需品でなく娯楽や贅沢品と捉えているからかもしれない。
    小さい頃から好きな自分にとっては必需品であり、食べたいときにマックが食べられなくなってしまうと、人生の彩りは大きく失われてしまう。

    だからこそ、仕事やモノに対してどっちが大事、どっちが偉いなどはそこまでないのかもしれない。

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