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私のかぎ針が止められない理由。

    側から見れば、それはまるで
    何かに追い立てられるように見えるかもしれない。

    底無しに追い立てられて、
    それでいながら寝る時間を惜しまない
    手仕事。

    これは、ちょうど、
    母親が毎日子どものお弁当を作る理由と、
    たぶん同じだと思う。

    何にしようか…

    あの子、ソーセージ入れとけば大概ご機嫌なのよね。

    最近無理しちゃって、魚と野菜多めで、
    なんてリクエストあったか
    (家族と食べるときは手をつけないくせに…)

    そういえば、この前、プチトマト潰れて爆発してたってクレームあったっけ。

    今日食べるの遅くなるかもって…保冷剤、もつかな。焼き野菜にしておこうか。

    こうして、嗜好も栄養も、機能も、
    自然に手仕事の中に組み込まれていく

    そんな毎日のルーティン。

    全ては、

    あの、ぶっきらぼうに渡される
    食べ屑ひとつない空っぽのお弁当箱。

    ごち〜 料理上手くなったんじゃな〜い?

    なんて、憎たらしいほど生意気で、愛すべき
    あの、笑い顔。

    ふふん、と鼻を鳴らしてしまうくらい
    抑えきれない、じんわりとした幸せ。


    それと同じ、と言ったものの。

    愛犬のニットというものは
    空っぽのお弁当箱も無ければ、
    言葉もない。

    代わりにあるのは、

    良い、悪い、これ好き!これ嫌い!
    を表すボディランゲージ。

    これがまた、言葉以上に等身大で、そして雄弁。

    呆れるほど収まらない“ズーミーズ”のとき。
    雷や花火の音でガタブルのとき。
    叱られてシュンとしているとき。
    肌寒くてなかなか寝付けないとき。

    ニットを着せると、暫くして聞こえてくる
    クォッ、スー、クォッ、スー… スー…
    そして、穏やかな寝顔。

    待ちに待った、おでかけ。
    待ちに待った、お散歩。
    待ちに待った…があるとき。

    ニットを見せると、走ってきて、
    私の手を助けるように、自らニットに首を通し
    袖に手を入れてくる。

    その時に見せる、
    目を細め、
    口角を上げながら私を見上げる

    あの、なんとも愛おしい顔。

    街角で、可愛い〜と寄ってきてくれる人たちに
    なでなでされたり、褒められたりして
    ひとしきりみんなを見送って、
    振り返ったときの
    ご満悦なあの顔、あの耳、あの尻尾。


    これが
    「空っぽのお弁当箱」という勲章と
    同じだけの幸せ。


    だから、
    もっと美味しいものを、
    もっと栄養があるものを、
    たまに驚かせたいとニヤけながら
    あらゆる趣向を凝らして作るお弁当のように、

    もっと着心地の良い、
    もっと体を守れる、
    もっと安心してホッとしたり、
    楽しいことがあるとワクワクできる、
    そんなニットを作り続けている。

    …。
    いや、ちょっと違う。

    作っているというより、も。

    自分は愛されてると感じ続けられる
    メッセージを送り続けようとしている。

    親から子どもへ、
    そのうちに、子どもから親へ、
    サマンサへ、
    愛する誰かへ、

    不変的なメッセージを送り続ける。

    そう、これだと思う。

    そして、今日も
    止まらないかぎ針で
    メッセージを編み込んでいる。

     
     
    Samantha’s HandKnit アトリエノート サマンサというミューズから 生まれたオリジナルのニット。 その物語と制作の記録を ここに綴っています。 Stylebook / Columns motif → stitch

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