
「親を看取る場所」で悩んだら読んでほしい話#5.エピローグ親不孝ではない
最後に、伝えておきたいこと。
それは
「どんな選択も間違いはない」
そして
「例え臨終に立ち会えなくても、それは決して親不孝ではない」
と言うこと。
医療相談員時代にも、老人ホームでの相談員時代にも、たくさんのご家族と話してきた。
みんな、迷ってきた。
みんな、悩んできた。
ある日突然の出来後に直面して、訳も分からない状態で、考えて決めてきた。
「本当にこれしか選択はないんですか?」
「あの時の選択で良かったのか」
そんな声は少なくなかった。
「ご家族が一生懸命、考えて、悩んで、出した答えに正しいも、誤りもない。愛を持って選んだことは、愛でしかない」
ずっとそう感じていたから、そう伝えてきた。
時を経て、私は今度は、初めて患者の家族になった。
選択してもらう立場から、選択を迫られる側になり、身を持って、初めて経験して体感した。
こんなにも重い選択を、私はお願いしてきたのか。
こんなに辛かったのか。
こんなに苦しかったのか。
だから、みんな、あんなに悩んで苦しんでいたのか。
あの時に私が言った言葉を、自分にかけた。
「正しいも、間違いもない。愛を持ってした選択は、愛でしかない」
そうだ。
私はあの時、ベストと思われる選択をした。
そのことは、胸を張っていえる。
それでも
「お父さん、どうして死んじゃったの?」
「もし、あの時、あぁしていたら、違ったかな?」
答えの出ない問い、感情は消えず、幾度も湧き上がる。
そしてその都度
「あの時、一番いいと思って選んできたんだ」
と。
そして、きっと父は言うだろう。
「いいんだよ」
と。
親の死に目に会えないことを、この世の親不孝の代名詞のように言われることがある。
果たしてそうだろうか?
たくさんの方の終末期に携わり、最期の時に立ち会ってきた。
「呼吸が苦しそうに見えても、本人は辛さを感じてはいない」
そのことを知ってはいても、分かってはいても、肩や顎で「はぁ、、、はぁ、、、」と言う息遣いを見つめ続けることは、容易くない。
その姿を家族に見せずに逝くこともまた、愛だと私は感じている。
だって、直前までご家族が面会に来ていたのだ。
その後の僅かな時間に逝かれた方。
訪室の回数も増やして、常に職員の目が届く状態であったにも関わらず、静かに旅立たれた方もいる。
待って、待って、ずっと待っていたかのように、ご家族の到着と同時に逝かれた方もいる。
どんな看取りでも、親不孝なことなんてない。
親の看取る場所で悩む方に、届きますように。