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ハロー!オーストラリアの誰かさん。

    ようやく、半袖一枚で街を歩けるようになった。
    ついこの前まで、昼は暑い、夜は寒いとサハラ砂漠のような気候だったので、日中どれだけ暑かろうと、ウィンドブレーカーや長袖の羽織ものが手放せなかった。歳をとったモンだ、と思う。分別がついたという意味である。

    夜遅くまでやっているクリーニング屋さんというのは、社畜の救世主だ。
    私ももちろん社畜なので、大変お世話になっている。
    昔買い物した時にもらった巨大なエコバッグに大量の衣類を詰め込み、半袖のシャツを羽織って外に出ると、じわっと腕に水を感じる。イヤホンをつけると、朝まで聴いていた藤井風がそのまま再生された。

    梅雨の時期は、びっくりするほど空気が重たいというか、粘っこくなる。
    少し歩くと、腕に水分をたっぷり含んだ薄い布のような空気がまとわりついてくる。ズンズン進んでも、前から次々と、途切れることなく重たい夜の空気が体に衝突してきて、水の中を進んでいるみたいだ。

    だが、個人的には冬よりも夏が好きだ。
    夏はとにかく薄着で過ごせるのがいい。サマーソングで頭悪くなれるのがいい。太陽の光が降り注いでいるのが、抜けるような青空がとにかくハッピーだ。

    そして、個人的に夏の醍醐味はアイスだ。冷房をガンガンにかけた部屋で、毛布にくるまって食べるアイスが最高なのだ。

    もちろん、地球には申し訳ない。だが、地球に気を遣えるほど心に余裕がないので、夏の間、存分に冷凍庫のように冷えきった部屋で、あったかくしてアイスを食べさせていただいている。

    毛布にくるまっていると、とても安心するのである。
    外の世界は暑い。部屋は冷たい。そして、毛布の中は暑い。自分の感じている暖かさは、外の世界から二重・三重に守られた空間なのだ。口の中に入るアイスの冷たさは、さらにもう一重守られた感覚だ。何層にも重なった壁は、究極の安心だと思う。

    藤井風が流れ終わると、あまり気分ではない曲が流れてきた。私はハマると同じアーティストを聴き続けるタイプだが、今はそこまでハマっているアーティストがいないため、ポケットからスマホを取り出し、シャッフル再生にする。

    何度かこれでもない、これでもない、とやっていると、ベルと鐘、ストリングスの壮大な曲が流れてきた。あ、これは冬の曲だ、と思って聴いていると、BoAの「メリクリ」だった。(後から見たら、15th Anniversary versionというやつだった。だからあんなに壮大だったのか。)

    夏の夜にメリクリ!と思いながら聴いてみると、じゅんわりと、肌に触れる空気が涼しくなってきているような感じがした。そんなことあるはずないのだが、私はこういうことがよくある。

    肌が心地よい涼しさを感じ始めると、ふと、オーストラリアは季節が逆なので、クリスマスにサンタがサーフィンをする、というのを思い出した。

    今、じめっとしたぬるい空気を感じ始めた私がいて、同時にオーストラリアのどこかでは、冬の空気の冷たさを感じ始めた誰かがいるのかもしれない。そう考えると、オーストラリアのクリスマスソングは、もしかしてサマーソングなのかな?はたまた、「メリクリ」みたいな日本の冬っぽい曲なんだろうか。

    考えてみると、暑さと寒さは、外の世界との「距離」と連動しているような気がする。自分のすぐ横の空気を、壁や窓で分断することで、「温度」を変える。これは自分から外界との距離をとりに行く行動だ。夏にクリスマスソングを聴く、というのは、自分と、遠い南半球を接近させる行動な気がする。

    こうやって、世界から自分を隠したり、遠いどこかといたずらに繋がったりしながら、どうにかこうにか生きている。

    ハロー!オーストラリアの誰か!良い冬を!
    世界が夏めいてきている。少しバカでハッピーになれる夏が好きだ。


     
     
    2000年生まれ。20代後半に突入して、勝手に震えている東京の経理サラリーマン。 大人にも子どもにもなりきれず、食・街・旅を見て考えたことをちまちま書きながら、ほげほげっと、ゆる〜く生活しています。

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