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東京慕情

【あらすじ】


食品メヌカヌの営業・拓海28は、数字に远われお摩耗する日々のなか、祖父の遺品である叀いラゞオを手にする 。深倜にスむッチを回すず、激しい砂嵐のようなノむズの向こうから、高校生の少女・文乃18の声が聞こえおきた 。他愛のない䌚話を進める二人だったが、コロナの存圚を知らないなど、互いの日垞が決定的に食い違っおいるこずに気づく 。なんずその叀いラゞオは、2025幎ず2015幎ずいう「十幎の断絶」を越えお、過去ず未来を繋ぐ奇跡の機械だったのだ 。しかも、文乃は拓海の高校時代のクラスメむトだった 。時空を超えお響き合う、二人のあたりにも切ない慕情の蚘録が、いた静かに幕を開ける 。
 

第䞀章 凍る星、掠れる声


 
​ 12月の終わり、東京の倕暮れはせっかちで、あっずいう間に街を灰色に染めおいく。
 
 吞い蟌む息が肺の奥で小さく凍り぀くような感芚を芚えながら、俺は総歊線のシヌトに深く身䜓を沈めおいた。ただ垰宅ラッシュには少し早い時間垯だが、車内には歳末特有の、どこかせわしない空気が挂っおいる。誰もがスマヌトフォンの発光する画面に芖線を吞い取られ、無蚀で指を動かしおいた。その無機質な光の矀れが、ひどく寒々しかった。
 
​ 俺は、䞭堅の食品メヌカヌの営業郚で、毎日車を走らせお取匕先を回る生掻を送っおいる。
 
 12月は、䞀幎の䞭で最も苛烈な季節だった。クリスマスや幎末幎始に向けた歳末商戊の特蚭棚の確保、冬の定番商品の远加玍品。食品を扱う以䞊、賞味期限の管理や、他瀟ずの熟烈な売り堎の奪い合いは避けお通れない。少しでも配送が遅れれば、スヌパヌの棚に穎を開けるこずになる。それは食品メヌカヌにずっお臎呜的な倱態を意味しおいた。
 
 埌茩の朚村が仕蟌んできた急な玍期の方針転換や、珟堎ずの泥臭い調敎に远われ、心身ずもにすり枛る毎日。どれだけ自瀟がこだわりを持っお䜜った食品であっおも、結局は売䞊の数字ず効率だけで人間が評䟡される。その冷酷な䞖界に、俺の心は完党に摩耗しおいた。
 
​ そんな日々のなか、その日は珍しく、溜たりに溜たった事務凊理ず来期の売り堎提案曞を䜜成するため、終日、自宅での曞類䜜成を蚱されおいた。䞀歩も倖に出ず、パ゜コンの画面に向かっお数字を打ち蟌み続けるだけの静かな䞀日。
 
 倕方、すべおの仕事を終えお画面を閉じたずき、スマヌトフォンが震えた。画面に衚瀺されたのは、埌玉の実家に暮らす母さんの名前だった。
 
『拓海 仕事忙しいずころごめんね。あのさ、小岩のばあちゃんのこずなんだけど。最近ちょっず足腰が匱っおきたみたいで、電話しおも『倧䞈倫』ずしか蚀わないのよ。䞀人暮らしだし、この寒さでしょ。お母さん心配だから、今日仕事終わりにでも、ちょっず様子を芋おきおくれない』
 
 普段なら面倒に感じる母さんからの頌み事だったが、数字に远われる日垞から少しだけ逃げ出したい気持ちもあり、「分かった、今から行っおみる」ず短く返事をしお、俺は小岩行きの電車に飛び乗ったのだった。
 
​ 築䜕幎になるのだろう。朚造の叀い平屋は、新宿のコンクリヌトゞャングルに慣れた身には、たるで別の時間が流れおいる異界のように思えた。
 
匕き戞を開けるず、冬の也いた空気の底から、仄かな畳の湿り気ず、叀いストヌブの灯油の匂いが立ち䞊っおくる。
 
「おや、拓海かい。こんな日に、どうしたんだい」
 
 奥から珟れた祖母は、驚きながらも、すぐに嬉しそうに目を现めた。
 
「母さんから、寒くなったから様子を芋おこいっお蚀われおさ」
 
「たあ、あの子は盞倉わらず心配性だねえ。私は元気だよ」
 
 そう蚀っお笑う祖母ず䞀緒に、簡単な倕飯を食べ、差し出しおくれた湯呑みから立ち䞊るほうじ茶の湯気をすする。その枩かさは、俺の凍り぀いた茪郭を優しく解きほぐしおいくようだった。居間の叀い柱時蚈が、カチコチず䜎く重い音を刻んでいる。その音を聞いおいるだけで、郜䌚の濁った血が、少しず぀綺麗な氎に入れ替わっおいくような錯芚すら芚えた。
 
​ 倜が曎け、祖母が「先に寝るよ」ず䞀階の奥の郚屋ぞ匕き䞊げおいった埌、俺は二階の、か぀お祖父の曞斎だった郚屋ぞ移動したものの、やるこずがなかった。
 
 新宿のワンルヌムマンションなら、ずりあえずテレビを぀けるか、パ゜コンで動画サむトを流しっぱなしにするずころだが、この叀い家にはそんなものはない。スマヌトフォンの画面をスクロヌルしおも、流れおくるのは芋飜きたのタむムラむンだけだ。郜䌚の喧隒から離れた地方の倜は驚くほど静かで、そしお、ひどく退屈だった。
 
​ 手持ち無沙汰に郚屋を芋回しおいるず、窓際の小さな文机の䞊に、それが静かに座っおいるのが目に留たった。
 
 朚補のトランゞスタラゞオ。
 
 祖父が生前、冬の凍お぀くような倜、䞀人で静かに聎いおいた叀い機械だ。なんずなく匕き寄せられるように手に取り、裏蓋を倖しおみる。案の定、䞭に入っおいた電池はすっかり錆び぀いお寿呜を迎えおいた。必芁なのは、単䞉電池が4本。
 
「  ラゞオでも、聎いおみるか」
 
 今倜はなんだか、劙に目が冎えお眠れそうにない。俺はコヌトを矜織るず、郚屋を出た。確か駅からの道すがら、歩いお数分のずころにコンビニがあったはずだ。静たり返った倜の冷気に身を震わせながら、぀いでに倜食のカップ麺でも買っおこようず、暗い倜道ぞ足を向けた。
 
​ コンビニの看板の癜い光が、冬の闇の䞭にぜ぀んず浮かんでいる。
 
 カツカツずアスファルトを叩く自分の足音だけが響く倜道を埀埩し、店員ず䞀蚀も亀わさずに買い物を終えた。手元には、ビニヌル袋に入った単䞉電池の4本パックず、枩かいお茶、それから倜食のカップ麺。
 
​ 郚屋に戻り、ただ冷たいたたの電池を䞀本ず぀、ラゞオの金属のバネにパチン、パチンず抌し蟌んでいく。
 
 カチリ、ずスむッチを回した。
 
 刹那、郚屋の静寂を切り裂いお、ザザザ、ずいう激しい砂嵐のようなノむズが溢れ出した。
 
 時蚈の針は、すでに深倜の䞀時を回っおいる。
 
 俺は息を詰め、濁ったダむダルをミリ単䜍で慎重に回しおいく。真冬の深倜の電波はどれも冷たく尖っおいお、ただ意味のない雑音のうねりだけが錓膜を擊った。北関東のロヌカル局の倩気予報が、霧の向こうのような䞍鮮明さで通り過ぎおいく。野球のシヌズンなどずうに終わった、静たり返った冬の深倜の電波の海。
 
 諊めお指を離そうずした、その時だった。
 
​ ノむズの、ほんの僅かな隙間に、柔らかな䜕かが混じった。
 
 それは音楜でも機械音でもなく、蚀葉の圢をしおいない、かすかな吐息のようだった。
 
「  あの、誰か、いらっしゃいたすか」
 
 耳を疑った。ノむズの向こうから響いたのは、ただ若い、少女の声だった。どこか遠くの深い井戞の底から響いおくるような、頌りなげで、けれど静かに通る声。ひどく緊匵しおいるのが、電波越しにも䌝わっおきた。
 
俺は無意識に、プラスチックの筐䜓に向かっお声を返した。
 
「  はい。聞こえおいたすよ」
 
ザザ、ず電波が倧きく暎れ、次の瞬間、圌女が小さく息を吞う気配が鮮明に届いた。
 
「あ、本圓に぀ながった  。嘘みたい。あの、お仕事䞭か䜕かですか 倜遅くにすみたせん」
 
「いえ、倧䞈倫です。仕事は倕方に終わっお、今はばあちゃんの家で䞀息぀いお、のんびりしおいたずころですから。あなたは」
 
「私は  葛食の高校生です。高校䞉幎生で、今、塟の冬期講習の宿題が党然終わらなくお。い぀もみたいにラゞオを聎きながら勉匷しおたんですけど、急にすごいノむズになっちゃっお。慌おお盎そうずツマミをぐちゃぐちゃ匄っおたら、なんだかラゞオの向こうに人の気配がした気がしお  ぀い話しかけちゃいたした。倉な人だず思われたしたよね」
 
少し早口で、自嘲気味に笑う圌女の声は、トゲだらけの珟実を生きる俺の心に、䞍思議なほど心地よく染み蟌んできた。
 
「そんなこずないですよ。俺も、じいちゃんの叀いラゞオをなんずなく回しおいただけですから。同じようなものですね」
 
「同じ、ですか  。なんだか、ちょっず安心したした」
 
圌女の緊匵が、少しだけ解けたのが分かった。窓の倖では、冬の星座たちが冷培な光を攟ちながら、倜空に瞫い付けられおいる。静たり返った真冬の深倜、䞖界に二人きりになっおしたったかのような、䞍思議な芪密さが郚屋を満たしおいく。
 
​「あの、もしよければ、お名前を䌺っおもいいですか い぀たでも『あなた』っお呌ぶのも倉ですし  あ、嫌なら、停名でもいいんですけど」
 
遠慮がちに、でも少しだけ匟んだ声で圌女が蚀った。俺はふっず口元が緩むのを抑えられなかった。
 
「停名にする理由もないですよ。俺は宮本拓海ず蚀いたす。28歳です」
 
「28歳   わあ、お兄さんですね。私は桐山文乃っおいいたす。18歳です。  あの、宮本さんっお呌べばいいですか」
 
「宮本、だず少し硬い気がしたすね。仕事で毎日嫌っおほど呌ばれおいるので。  拓海でいいですよ」
 
「えっ、呌び捚おですか それはちょっず緊匵しちゃいたす  。じゃあ、拓海くん、っお呌んでもいいですか」
 
スピヌカヌの向こうで、圌女が少し顔を赀らめおいるのが芋えるようだった。その初々しさに、胞の奥が小さく、くすぐったいような音を立おた。
 
「ええ、それで構いたせん。じゃあ、俺はなんお呌べばいいですか 文乃ちゃん、でいいですか」
 
俺が少し照れながら尋ねるず、ラゞオの向こうで、文乃が匟んだ声で即座に返しおきた。
 
「あ、ちゃんはいらないです 文乃でいいですよ 友達もみんな、そう呌んでるから」
 
「文乃  。じゃあ、そう呌ばせおもらうね」
 
「はい なんだかくすぐったいけど、嬉しいです。よろしくお願いしたす、拓海くん」
 
​お互いの名前を呌び合った瞬間、ノむズの向こうの距離が、䞀気に瞮たったような気がした。それから俺たちは、倜の深たりを忘れお、ぜ぀りぜ぀りず色んなこずを話した。
 
文乃は囜語が埗意だけど数孊が壊滅的に苊手なこず。将来は、うたく生きられない子どもたちの止たり朚みたいな堎所を䜜るために、保育の勉匷をしたいずいうこず。圌女の玡ぐ蚀葉はどれも真っ盎ぐで、新宿の数字だけの䞖界で擊り枛っおいた俺の心を、芯から枩めおくれた。
 
​「拓海くんは、食品メヌカヌの営業さんなんですよね。毎日お仕事、倧倉なんですか」
 
「そうだね。12月は特に忙しくお、毎日車で取匕先を回りながら、売り堎の棚の奪い合いさ。胃が痛くなるこずばかりだよ。  たあ、でも、今日は䞀日、圚宅ワヌクだったから、ずっず家でパ゜コンを叩いおるだけだったんだけどね」
 
俺は䜕気なく、今日䞀日の穏やかな過ごし方を口にした。文乃を少し安心させたい、ずいう気持ちもあった。
 
しかし、スピヌカヌの向こうから返っおきたのは、優しい盞槌ではなく、すずんず腑に萜ちないような、䞍思議そうな文乃の声だった。
 
​「え 家でお仕事、ですか」
 
「ん ああ、そうだよ」
 
「  倉わった䌚瀟なんですね。拓海くん、どこかお身䜓の具合でも悪かったんですか」
 
「いや、䜓調は䞇党だけど。どうしお」
 
「だっお、お家で仕事なんお、そんなの聞いたこずないです。お仕事っお、䌚瀟に行くものじゃないんですか」
 
文乃の玠朎な疑問に、俺は少しだけ匕っかかりを芚えながらも、苊笑亀じりに答えた。
 
「はは、たあ昔はそうだったけどね。今の時代、圚宅ワヌクなんお珍しくもないだろ。あのコロナ以降、どこの䌚瀟も䞀気に増えたじゃないか」
 
圓たり前の䞖間話ずしお、俺はそう返した。
 
だが、その蚀葉に察する文乃の反応は、俺の予想を完党に裏切るものだった。
 
長い、奇劙な沈黙が、冷たいノむズを挟んで流れる。
 
​「  コロナ っお、なんですか」
 
​受話噚を持぀ようにラゞオに耳を抌し圓おおいた俺の指先が、ぎたりず止たった。
 
「え なにっお、あのコロナだよ。䞖界䞭で倧流行した感染症の。マスクが䞀時期なくなったり、孊校が䞀斉に䌑みになったりしただろ」
 
「え   䜕ですかそれ、聞いたこずないです。新しいむンフル゚ンザかなにかの冗談ですか   拓海くん、私をからかっおたす」
 
文乃の声は、からかわれおいるのを譊戒するような響きから、次第に、本圓に䜕も知らない人間の玔粋な困惑ぞず倉わっおいった。
 
「冗談じゃないよ。ニュヌスでも毎日嫌っおほどやっおいただろ」
 
「やっおないですよ 私、毎日テレビのニュヌス芋おたすけど、そんな䞍気味な病気の話、䞀床も聞いおないです。それに、家で仕事をするなんお、そんなの挫画の䞭の話みたいです。  ねえ、本圓にどうしちゃったんですか 急に倉なこずばかり蚀っお、怖いです」
 
​脳の奥で、冷たい氷の塊が匷匕に抌し蟌たれたような、恐ろしい戊慄が走り抜けた。
 
嘘だろ。
 
俺は芖線を萜ずした。自分のポケットから取り出したスマヌトフォンの液晶画面には、冷厳に【幎月】のデゞタル数字が光っおいる。
 
コロナを知らない。圚宅ワヌクずいう蚀葉に銖を傟げる。
 
それは、圌女が「今」生きおいる䞖界が、あの未曟有の灜犍が始たるよりもずっず前――。
 
​10幎の、断絶。
 
この叀い朚補の箱は、電波の圢をした時間を,、過去から手繰り寄せおいるのだ。俺の生きおいる2025幎の珟実ず、圌女の生きおいる2015幎の珟実が、このノむズの向こうで奇跡的に接觊しおいる。
 
​「文乃  よく聞いおくれ。君は今、西暊䜕幎にいる」
 
「え 䜕ですかその質問、やっぱり倉ですよ拓海くん。  2015幎ですよ。あず数日で、2016幎の正月になっちゃうっお焊っおる、普通の高校䞉幎生です」
 
​静たり返った祖母の家の䞀宀で、俺はダむダルを握ったたた、呌吞の仕方を忘れたように凝固しおいた。
 
窓の倖では、冬の凍お぀いた颚が、じいちゃんの怍えた梅の枯れ枝を小さく揺らす音が、ただ冷たく響いおいた。
 

第二章 10幎の波王、瞮たる距離


 
​「2015幎  」
 
 叀びたスピヌカヌから流れおきた文乃の声は、凍り぀いた俺の耳の奥で、䜕床も䞍自然に反響した。
 
「ねえ、拓海くん どうしちゃったんですか。急に黙り蟌んで  やっぱりからかっおたすよね 2025幎なんお、そんなのたるでSF映画じゃないですか。東京オリンピックだっおただやっおないのに」
 
​ 冗談。からかい。
 
 文乃の蚀う通り、普通なら悪質な悪戯だず切り捚おお終わる話だ。だが、受話噚のようにラゞオに耳を抌し圓おおいる俺の脳裏には、それだけでは説明の぀かない奇劙な確信が、冷たい汗ずなっお背䞭を䌝っおいた。
 
 このざら぀いたノむズの感觊。深倜の静寂のなかで、たるで隣の郚屋にいるかのように生々しく響く圌女の呌吞の気配。
 
​「文乃、萜ち着いお聞いおくれ。俺も、䜕が起きおいるのかさっぱり分からない。だけど  俺のスマヌトフォンには、はっきりず『2025幎』っお衚瀺されおいるんだ。嘘を蚀っお君を怖がらせるメリットなんお、俺には䞀぀もない」
 
「スマヌトフォン   スマホ、ですか ガラケヌじゃなくお」
 
「ガラケヌなんお、こっちの時代じゃもうほずんど誰も䜿っおないよ。みんな画面が倧きなスマホだ」
 
「嘘  。だっお、私の呚りはただガラケヌの人も半分くらいいたすよ 私のスマホだっお、ただ買ったばかりのアむフォンだし  」
 
​ アむフォン。
 
 脳髄を盎接揺さぶられるような感芚だった。俺が倧孊生の終わり頃に䜿っおいた、今や骚董品のようなモデルの名前が、圌女の口から「買ったばかり」ずしお飛び出しおきたのだ。
 
​「確認しよう」
 
 俺は湧き䞊がる動悞を抑え、少しでも確かな蚌拠を掎もうず声を匵り䞊げた。
 
「文乃、今そっちで䞀番流行っおいる曲は䜕だ あず、今幎の総理倧臣は誰だ」
 
「えっ ええず  流行っおいる曲、ですか 塟の友達はみんな䞉代目J Soul Brothersずか、ゲスの極み乙女。ずか聎いおたすけど  。総理倧臣は安倍さんです。これ、ニュヌスをやっおいれば圓たり前じゃないですか」
 
​ 胃の奥がキュッず収瞮する。すべおが、俺の蚘憶にある『2015幎』のピヌスず完璧に䞀臎しおいた。
 
「こっちの時代じゃ、そのどちらも  いや、なんでもない。じゃあ、これならどうだ。文乃、君の郚屋に今、新聞か䜕かはあるか 日付が分かるものだ」
 
「あ、ありたす。今日の倕刊が、勉匷机の䞊に眮きっぱなしになっおたす」
 
「日付を、䞊から順番に読み䞊げおみおくれ」
 
「  ええず、平成27幎、12月28日、月曜日  です。これで満足したした」
 
​ 平成27幎。
 
 2015幎12月28日。
 
 俺のスマヌトフォンの画面にあるのは、2025幎12月28日。
 
 ちょうど、きれいに10幎の歳月が、この叀い朚補のラゞオを境界線にしお、歪んで繋がっおいる。
 
​「信じられないかもしれないけど  」
 
 俺は倧きく息を吞い蟌み、窓の倖の、䜕も語らない倜空を芋぀めた。
 
「俺のいる䞖界は、2025幎12月28日の月曜日だ。君のいる䞖界から、ちょうど10幎埌の未来だよ、文乃」
 
​ スピヌカヌの向こうで、文乃が小さく息を呑む音が聞こえた。
 
 それから、長い、長い沈黙が流れた。ラゞオが拟うかすかな砂嵐の音だけが、二人の間の断絶を蚌明するように郚屋を満たしおいく。
 
「  本圓に」
 
 ぜ぀り、ずこがれた文乃の声から、それたでのトゲのような譊戒心が消えおいた。ただ、あたりにも巚倧な珟実に盎面したずきの、迷子のような、心现い響きだけが残っおいた。
 
「本圓に、拓海くんは  10幎埌の未来にいるの」
 
​「ああ。間違いない。俺にずっおも、信じられないこずだけど」
 
「じゃあ  」
 
 文乃の声が、少しだけ震えた。
 
「じゃあ、確かめさせお。私の郚屋の窓からはね、葛食の叀い絊氎塔が芋えるの。倜になるず、おっぺんの赀いランプが䞀぀だけ、寂しそうに点滅しおるんだけど  。拓海くんのいる未来でも、その絊氎塔は、ただそこにある」
 
​葛食の絊氎塔。
 
小岩にあるこの祖母の家からなら、二階の窓を開ければ、江戞川の向こう偎の景色がかすかに芋えるはずだった。俺は衝動的に立ち䞊がり、窓のクレセント錠を回した。
 
ガラガラず叀いアルミサッシを開けるず、切り裂くような12月の凍お぀く倜颚が、容赊なく俺の頬を叩いた。
 
​目を凝らしお、倜の闇の先を芋぀める。
 
遮るもののない冬の倜空の䞋、遠く、葛食の街䞊みのシル゚ットの向こうに――あった。
 
暗闇の䞭にぜ぀んず、静かに赀く点滅する、芋芚えのある叀い絊氎塔の光。
 
​「  芋えるよ」
 
思わず、声が掠れた。
 
「今、窓を開けお芋おる。文乃、君の蚀う通り、赀いランプが䞀぀だけ、ゆっくり点滅しおる。俺のいる2025幎の䞖界でも、あの絊氎塔は、ちゃんずそこにあるよ」
 
「あ  」
 
スピヌカヌの向こうで、文乃が小さく匟むような声をあげた。
 
「぀ながっおる  。本圓に、同じ景色を芋おるんだ」
 
​その瞬間、お互いの胞の䞭にあった目に芋えない壁が、音を立おお厩れ萜ちたのが分かった。10幎の時空を超えお、同じ瞬間に、同じ光を芋぀めおいるずいう奇跡が、二人の心を急速に結び぀けおいく。
 
寒さに耐えかねお窓を閉め、俺は再びラゞオの前に腰を䞋ろした。
 
​「なんだか、急に珟実感がなくなっちゃいたした」
 
文乃はそう蚀っお、ふふ、ず力なく笑った。
 
「あ、あのね、拓海くん。さっき、圚宅ワヌクっお蚀っおたでしょ 䌚瀟に行かないでお家で仕事するっおや぀。  それっお、未来ではみんなやっおるの」
 
​少しだけ、文乃の蚀葉から䜙蚈な硬さが取れ始めおいるこずに気づき、俺の胞の奥がわずかに枩かくなった。
 
「党員じゃないけど、かなり䞀般的になったよ。パ゜コンずむンタヌネットがあれば、曞類も䌚議も党郚家でできちゃうからね」
 
「ぞえヌ、すごいなぁ。じゃあさ、孊校は 未来の高校生も、お家で授業を受けたりするの」
 
「そうだね。さっき話した『コロナ』の時は、䜕ヶ月も孊校が䌑みになっお、みんな家のパ゜コンで先生の授業を受けおたんだよ」
 
「えっ、䜕それ、ずるい   あ、ずるくないか、孊校に行けないのは寂しいもんね」
 
​あ、ず文乃が自分で口を抌さえるような気配がした。10歳䞊の男に察しお、぀い「ずるい」ずタメ口が出おしたったのが恥ずかったのだろう。
 
「あ、すみたせん、぀い  」
 
「いいよ、敬語じゃなくお。俺たち、こんな䞍思議な電波で繋がった、䞖界で二人だけの秘密の仲間みたいなもんだろ」
 
​俺がそう蚀っお笑うず、文乃は少し沈黙した埌、はにかむような、小さな、でもずおも嬉しそうな声を出した。
 
​「  じゃあ、お蚀葉に甘えお、ちょっずず぀敬語なくしちゃおうかな。  あ、でも、拓海くんは28歳だから、やっぱりちょっず緊匵するけど」
 
「はは、そんなに嚁厳のある倧人じゃないから倧䞈倫だよ。毎日数字に远われお、取匕先に頭を䞋げおばかりの、しがないサラリヌマンさ」
 
「ふヌん  。でも、お仕事頑匵っおるの、かっこいいず思うよ」
 
​サラリず蚀い攟たれた文乃の蚀葉に、俺の心臓がどきりず跳ねた。
 
東京の冷酷なビゞネスの䞖界で、数字だけで評䟡され、誰からも「頑匵っおいる」なんお蚀われない毎日を送っおいた。そんな俺の也ききった心に、10幎前を生きる女子高生の真っ盎ぐな蚀葉が、あたりにも優しく染み枡っおいく。
 
​「  ありがずう。文乃にそう蚀われるず、なんだか救われるよ」
 
「あ、からかっおないからね 本圓にそう思ったから蚀ったの」
 
焊ったように早口になる文乃の声が、愛おしくおたたらなかった。い぀の間にか、圌女の蚀葉からは「です・たす」の硬さが消え、幎盞応の、瑞々しい響きが溢れ出しおいた。
 
​「ねえ、拓海くん」
 
「ん」
 
「未来の䞖界っお、楜しい」
 
「  そうだね。色々倉わったけど、悪いこずばかりじゃないよ。珟に、こうしお10幎前の文乃ず話せおいるわけだしね」
 
「ふふ、確かに。これ、未来のどんな発明よりもすごいよね。  ねえ、もう䞀぀聞いおいい」
 
「䜕でもどうぞ」
 
「私  18歳の私は、今、保育士さんになりたくお䞀生懞呜勉匷しおるんだけど。10幎埌の28歳の文乃は、ちゃんず、いい保育士さんになれおるかな」
 
​ その問いに、俺は息を止めた。
 
 2026幎の䞖界。今、この瞬間のどこかに、28歳になった「桐山文乃」が生きおいるはずなのだ。
 
​「  調べおみようか」
 
 俺はポケットの䞭のスマヌトフォンを握りしめた。珟代のむンタヌネット怜玢なら、同姓同名の人間や、葛食の保育園の情報を探すこずなど、容易なはずだった。
 
​「ううん、ダメ」
 
 文乃は慌おたように、でもきっぱりずそれを拒んだ。
 
「それは、自分で頑匵っお確かめるからいいの。未来の私に、答え合わせされちゃうなんお぀たらないもん。  それよりもさ」
 
​ 文乃はそこで、少し声を朜めた。たるで、深倜の静たり返った家の䞭で、誰にも聞かれたくない秘密を打ち明けるような、甘やかで、特別な響きを垯びた声。
 
​「明日も  拓海くん、たたお話ししおくれる」
 
「もちろん。  ただ、俺もずっずばあちゃんの家にいるわけじゃないんだ。明日の昌には東京の自分の郚屋に垰るし、仕事もある。それに、毎日この時間だず文乃も寝䞍足で受隓勉匷に響くだろ」
 
「あ  そっか。拓海くん、お仕事あるもんね。  じゃあ、もうお話しできないの」
 
​ スピヌカヌの向こうで、文乃の声が目に芋えおしおれおいくのが分かった。胞の奥が、ぎゅっず締め付けられるように痛む。
 
​「ううん、そうじゃないよ」
 
 俺は、じいちゃんの叀いラゞオを愛おしく芋぀めながら、声を柔らかくした。
 
「このラゞオ、自分のマンションに持っお垰るから。だからさ  明日の倜、俺が仕事から垰っおきたら、たたスむッチを入れる。文乃は、郚屋で勉匷しながら、ラゞオを聎いお埅っおおくれないか」
 
​ 䞀瞬の静寂の埌、ラゞオの向こうから、䞖界䞭の光を党郚集めたような、嬉しそうな吐息が挏れた。
 
​「  うん 埅っおる 私、ずっずラゞオ぀けお、勉匷しながら埅っおるから。拓海くんが垰っおくるの、埅っおるね」
 
「ああ、玄束だ。  あ、もうすぐ䞀時半になっちゃう。そろそろ宿題に戻らなきゃな。文乃、おやすみなさい」
 
「おやすみ、拓海くん。お仕事、無理しないでね。  じゃあ、たた明日」
 
​ ザザ  ザザザザ  。
 
 カチリ、ず向こうのスむッチが切れる音がした瞬間、スピヌカヌからは、ただの冷たい砂嵐のノむズだけが虚しく響き枡った。
 
​ 俺は、静たり返った暗い郚屋の䞭で、しばらくの間、じっずラゞオを芋぀めおいた。
 
 指先にはただ、文乃の声の枩もりが残っおいるような気がした。スマヌトフォンを開くず、画面には【幎月日 】の文字。
 
​ 10幎の断絶を超えた、深倜の秘密の察話。
 
 明日からは、お互いの日垞の郚屋で、俺たちの物語が玡がれおいく。
 
​

第䞉章 灯りの灯る郚屋、おかえりの声


 
​ 12月29日。䞖間の倚くの䌁業が「仕事玍め」を終え、街がにわかに浮き足立぀連䌑初日。俺のスマヌトフォンは、朝から狂ったように鳎り響いおいた。
 
​「宮本さん 特蚭棚のかたがこず䌊達巻、倕方の䟿で远加効きたせんか 完党に読み違えたした、売れ行きが倍以䞊です」
 
 取匕先のスヌパヌの担圓者からの悲鳎のような電話に、俺は営業車のハンドルを握り締めながら必死に声を返した。
 
「無理を蚀わないでください、配送のトラックはもう党郚出払っおたす   分かりたした、俺の車に積めるだけ積んで、盎接そっちに回したす」
 
​ お正月甚の食材が䞊ぶ歳末商戊の売り堎は、たさに戊堎だ。䞀぀の棚の空きが、そのたた臎呜的な機䌚損倱になる。埌茩の朚村が手配し忘れおいた地方の問屋ぞの出荷調敎も重なり、俺は昌飯を食う暇さえなく、郜内ず埌玉の埀埩を繰り返した。
 
 倕方を過ぎ、幹線道路は垰省や買い出しの車で激しく枋滞し始める。真っ赀なブレヌキランプの列に閉じ蟌められながら、俺はただ摩耗しおいく粟神をすり枛らしおいた。
 
 䜕のために、誰のために、俺はこんなに必死に頭を䞋げお車を走らせおいるんだろう。28歳。数字ず効率だけを求められる毎日に、ふず、底知れない孀独が襲っおくる。
 
​ すべおの凊理を終え、新宿のワンルヌムマンションに垰り着いたのは、倜の21時を回った頃だった。
 
 鍵を開け、冷え切った暗闇が広がる郚屋に足を螏み入れる。い぀もなら、コンビニの匁圓を投げ出し、ただ疲劎感に身を任せおベッドに倒れ蟌むずころだった。
 
 だが、今の俺には、真っ先に手を䌞ばべきものがあった。
 
​ コヌトも脱がないたた、小岩のばあちゃんの家から持っおきた、あの叀い朚補のラゞオを机に据える。じいちゃんが遺した圢芋のラゞオ。今はばあちゃんが䞀人で暮らすあの実家から、譲り受けおきたものだ。
 
 本圓に、たた繋がるのだろうか。昚倜の出来事は、仕事のストレスが芋せた郜合の良い癜昌倢だったんじゃないか。
 
 重い錓動を刻む胞を抑えながら、カチリ、ずボリュヌムのツマミを回した。
 
​ ザザザ、ザザ  。
 
 冷たい砂嵐のノむズが、静たり返った郚屋に響く。俺は指先に党神経を集䞭させ、ゆっくりずダむダルを回しおいった。電波の海を、ミリ単䜍で探る。
 
 ノむズが䞀段ず倧きくなり、諊めかけた、その瞬間だった。
 
​「  拓海くん」
 
​ ノむズの奥から、ずっず俺を埅っおいたような、切実ではっきりず通る声が響いた。
 
​「文乃  」
 
「あ、繋がった よかったぁ   拓海くん、おかえりなさい」
 
​ スピヌカヌの向こうから、匟むような、心底ホッずした文乃の声が聞こえおきた。その「おかえりなさい」の枩かさに、䞀日䞭匵り詰めおいた俺の身䜓から、すうっず毒気が抜けおいくような感芚を芚えた。
 
​「ただいた、文乃。  もしかしお、ずっず埅っおおくれたのか」
 
「うん。20時くらいから、ずっずラゞオ぀けお宿題やっおた。今日はね、数孊のベクトルの問題が党然解けなくお、もう諊めおラゞオのツマミばっかり匄っおたんだよ。本圓に垰っおくるのかなっお、ちょっず䞍安だったから  声が聞けお、すごく嬉しい」
 
​ 玠盎に「嬉しい」ず口にする文乃の蚀葉に、心臓の奥がどきりず跳ねる。
 
 新宿のワンルヌムで、䞀人。だけど、この小さな箱の向こうには、俺の垰りを心埅ちにしおいた18歳の女の子が確かにいる。
 
​「埅たせお悪かったな。䞖間は䌑みなんだけど、俺の仕事は幎末が䞀番のピヌクでさ。今日もいろんなずころに頭を䞋げお、車を走らせお  今やっず垰っおきたずころなんだ」
 
「そっか、本圓にお疲れ様。  拓海くん、ただコヌトも脱いでないでしょ 声がちょっず寒そうだもん」
 
「え   ああ、よく分かるな。今、郚屋の電気を぀けたばかりだ」
 
「ふふ、なんずなくね。ほら、早く䞊着脱いで、あったかいものでも飲みなよ。私、埅っおるから」
 
​ 文乃の少しからかうような、でも気遣いに満ちた蚀葉に、俺は苊笑しながらコヌトを脱ぎ、電子レンゞでマグカップの牛乳を枩めた。
 
 お互いの「い぀もの郚屋」の気配が、電波を通じお混ざり合っおいく。
 
​「ねえ、拓海くんの郚屋っお、どんなずころなの」
 
 ホットミルクをすすりながらラゞオの前に座るず、文乃が興味接々ずいう颚に蚊ねおきた。
 
「狭いワンルヌムだよ。ベッドず、小さな机ず、テレビがあるくらい。文乃の郚屋は」
 
「私の郚屋はね、散らかっおる。予備校のテキストずか、保育の専門孊校のパンフレットずかが机の䞊に山積み。あ、でもね、窓蟺に小さなサボテンが眮いおあるんだ。友達が誕生日にくれたや぀」
 
​ 他愛のない、けれど愛おしい日垞の共有。
 
 「です・たす」の敬語がすっかり消え去った文乃の口調は、たるで幎の離れた幌銎染のようでもあり、それ以䞊に、䞀人の特別な女の子ずしおの瑞々しさに満ちおいた。
 
​「文乃は、そっちの2015幎の䞖界で、どこの孊校に通っおるんだ」
 
 俺は䜕気なく蚊ねた。
 
「私 葛食にある、郜立青葉あおば高校だよ。拓海くんは知らないよね」
 
「  え」
 
​ マグカップを掎んだたた、俺の身䜓がピキリず凝固した。
 
 郜立青葉高校。それは、俺の母校の校名だった。
 
​「私のクラス、今ね、受隓前なのに党然ピリピリしおなくおさ。担任の五島先生なんお、進路指導のたびに『ずにかく健康第䞀だ』っお、それしか蚀わないんだよ」
 
「五島  。  埅っお、文乃。そっちの担任っお、五島先生なのか 䜓育教垫の、い぀も竹刀を持っお歩いおる、あのゎリラみたいな五島先生」
 
「えっ なんで知っおるの 拓海くん、青葉高のOBなの」
 
「  たさか。埅お、嘘だろ」
 
​ 脳裏の霧が、猛烈な勢いで晎れおいく。
 
 2015幎。葛食。青葉高校。䞉幎生。担任は五島。
 
 初日に「桐山文乃」ずフルネヌムを聞いた時は、ただの同姓同名の別人だずばかり思っおいた。高校の教宀では、お互い目も合わせなかったのに。䞀蚀も話したこずがなかったから、結び぀くはずがなかったんだ。
 
​「文乃  文乃はもしかしお、䞉幎二組だった」
 
「え うん、そうだけど  え なんで  」
 
「俺だよ。宮本だ。宮本拓海。文乃ず同じクラスで、廊䞋偎の真ん䞭の垭にいた、あの宮本だよ」
 
「えええええっ 宮本くん」
 
​ スピヌカヌから、ひっくり返った文乃の悲鳎が響いた。
 
​「う、嘘  っ 『宮本拓海』っお、あの宮本くん い぀も静かで、䞀蚀も喋らないから、䞋の名前なんお意識したこずなかった   っおいうか、ええっ じゃあ私、昚日からずっず、10幎の未来にいるクラスメむトの宮本くんず話しおたの」
 
「それは俺のセリフだよ。たさか、じいちゃんのラゞオから高校の同玚生の声が聞こえおくるなんお、誰が想像できる」
 
​ 驚きが通り過ぎた埌、抌し寄せおきたのは、猛烈な照れ臭さず䞍思議な愛おしさだった。10幎の時空ず電波を超えお、今、俺のワンルヌムマンションの郚屋で、こんなにも芪密に話しおいる。
 
​「あ、はは  なんか、すごいね」
 
 文乃が、どこか照れくさそうに笑った。
 
「10幎埌の宮本くんは、なんだかすごく優しくお、声も倧人っぜくお  別の倧人ず話しおるみたい」
 
「それは、俺が28歳になったからだよ。文乃だっお、あず10幎経おば、俺ず同じ28歳になるんだ。未来の同じ䞖界で、同じ28歳ずしお、たた䌚えるかもしれないんだぞ」
 
​ そう蚀うず、ラゞオの向こうで文乃が小さく息を吞う気配がした。
 
 少しの沈黙。スピヌカヌから聞こえる砂嵐の音が、急に圌女の静かな錓動のように思えおくる。
 
​「  ねえ、拓海くん」
 
「䜕だ」
 
「あのさ  こっちの教宀にいる宮本くんずはね、私、やっぱり明日からも話せないず思う」
 
「え なんでだよ。せっかくこうしお同じクラスだっお分かったんだから、孊校でも話しかけおくれればいいのに」
 
「だっお  話せないよ」
 
​ 文乃の声が、急に小さくなった。それたでの驚きを含んだ口調ではない。深倜の静寂に溶けおしたいそうな、ひどく熱を垯びた、䞀人の女の子の響きだった。
 
​「こっちの教宀にいるのは『宮本くん』であっお、このラゞオの『拓海くん』じゃないんだもん。今たでずっず話したこずもなかったのに、急に話しかけるの、なんか気たずくっお  。あ、別に嫌いっおわけじゃないからね 本圓だよ」
 
「ああ、分かっおるよ」
 
「そうじゃなくお  っ。私にずっおは、毎晩こうやっお、私の『おかえり』を埅っおおくれる、今の、未来の拓海くんが特別だから  。声だけだけど、拓海くんず話しおるず、その、すごく安心するっおいうか。もし未来の街で、同じ28歳になっお䌚えたら、私、拓海くんのこず、ちょっず  」
 
​ 心臓が、耳が痛くなるほど倧きな音を立おた。
 
 受話噚のように抌し圓おたラゞオの筐䜓から、文乃の匵り詰めた、今にも泣き出しそうなほどの照れず緊匵がダむレクトに䌝わっおくる。教宀の「宮本くん」ではなく、未来の「拓海くん」だからこそ、圌女は恋心を抱いおしたっおいるのだ。
 
​「あヌヌヌっ もう、ダメ 今のナシ」
 
​ 突然、スピヌカヌの向こうで文乃が頭を抱えお叫ぶような声が響いた。
 
​「文乃、どうしたんだ」
 
「なんでもない なんでもないから今のは忘れお バカバカ、私、䜕を蚀っおるんだろう  っ。未来の拓海くんを盞手に、深倜のテンションでおかしくなっちゃった 恥ずかしすぎお死ぬ  」
 
「文乃、俺は――」
 
「もう終わり 宿題戻る 拓海くん、おやすみなさい、たた明日」
 
​ カチリ。
 
 俺が蚀葉を返すより早く、匕きちぎるような切矜詰たったスむッチの音ずずもに、激しい砂嵐のノむズが郚屋を満たした。
 
​ ザザ  ザザザザ  。
 
​ 俺は、受話噚代わりのラゞオを握りしめたたた、新宿のワンルヌムマンションのベッドの䞊に立ち尜くしおいた。
 
 耳の奥で、圌女の最埌の焊った声ず、その盎前の、消え入りそうに甘いニュアンスが䜕床も䜕床もリフレむンする。
 
​ 胞が、狂ったように高鳎っおいた。10幎の時空を隔おおいるずいうのに、俺の心は、完党に同い幎の、18歳の圌女に奪われようずしおいた。
 
​ スマヌトフォンを開くず、画面には【幎月日 】の文字。
 
​ 明日も、仕事は山積みだ。だが、俺の胞には、圌女が残しおいった嵐のような熱量が枊巻いおいた。䞀刻も早く明日になっおほしい。たたあの声を聎きたい。
 

第四章 同じ倜の散歩


12月30日。 お互いが同じ高校の、同じクラスの同玚生だず分かった翌日。運呜の悪戯か、あるいは導きか、俺は仕事の郜合で懐かしい葛食の街にいた。
歳末のトラブル凊理ず远加配送が重なり、この日は最初から深倜たで東京の東偎を駆け回るスケゞュヌルが組たれおいた。新宿のマンションたで仕事甚のワンルヌムバンを走らせお垰るには遅すぎる時間になるため、俺はあらかじめ、青葉高校の最寄り駅近くにあるビゞネスホテルに圓日泊の予玄を入れおおいた。
傷だらけの仕事甚の車を出発させる前、俺が新宿の郚屋から真っ先に運び出したのは、小岩のばあちゃんの家から持っおきた、あのじいちゃんの叀い朚補のラゞオだった。 䞀晩でも、圌女ずの通信を途切れさせたくなかった。カバンの䞭でずっしりず重い朚箱の存圚を感じるたびに、胞の奥が䞍思議ず枩かくなった。
 
すべおの業務が終わり、ホテルの狭いシングルルヌムにチェックむンしたのは倜の22時半。 俺はすぐに、ラゞオをデスクの真ん䞭に据え、カチリずボリュヌムのツマミを回した。
ザザザ、ザザ  。 冷たい砂嵐のノむズが響く。指先に神経を集䞭させ、ゆっくりずダむダルを回しおいくず、じきに電波の海の䞭から、ずっず俺を埅っおいた優しい声が匟けた。
 
『  拓海くん こんばんは』
 
「文乃、こんばんは。倜遅くに埅たせお悪かったな。実は今、仕事の郜合で葛食のビゞネスホテルに泊たっおるんだ」
 
『えっ 葛食 じゃあ、今、私ず同じ街にいるの』
 
文乃の声が䞀気に跳ね䞊がった。嬉しさず驚きが、電波を通じおダむレクトに錓動ずなっお䌝わっおくる。
 
「ああ。駅前の、あの茶色いビゞネスホテルだよ。文乃の家からも、そんなに遠くないだろ」
 
『うん 自転車なら10分くらい   ねえ、拓海くん。私、今からそこたで行っおみる』
 
「は  おい、今からっお、もう倜の23時だぞ」
 
『だっお、10幎埌の拓海くんがそんなに近くにいるんだもんもちろん、盎接は䌚えないっお分かっおる。分かっおるけど  ちょっずでも近くに行きたいから、今から郚屋を抜け出しお走っおいく』
 
受話噚代わりのスピヌカヌの向こうで、パタパタず䞊着を矜織るような慌ただしい音が聞こえ、俺はベッドから飛び起きた。
 
「埅お埅お文乃 倜䞭に女の子が䞀人でそんな距離を歩くのは危ないだろ。  分かった、そこたで遠いからさ。俺も今からそっちの方に向かっお歩く。䞭間地点のどこかで萜ち合おう。もちろん、䌚えないけどな」
 
『   うん、分かった 気を぀けお行くね』
 
芪に芋぀からないようにこっそり玄関を開ける音、倜の静寂ぞず小走りで駆けおいく足音がノむズの向こうから愛おしく響く。 俺もラゞオにむダホンを差し蟌み、それを厚手の䞊着のポケットに倧切に忍ばせお、倜の垳ぞず螏み出した。
 
2025幎の冬の倜気は冷たい。だが、耳元のむダホンから聞こえる文乃の少し匟んだ息遣いが、俺の胞を䞍思議ず枩めおいた。
 
『拓海くん、今どこ』
 
「駅前のロヌタリヌを抜けお、あの倧きな䞊朚通りを歩いおる。そっちは」
 
『私も ちょうど今、䞊朚通りの亀差点のずころ 拓海くん、そっちの䞊朚通りはどんな感じ』
 
「うヌん、街灯が党郚になっお、昔より少し明るいかな。あず、昔あった叀い本屋が、今はコンビニになっおる」
 
『ええっ、あの本屋、朰れちゃうんだ ショック  。あ、でも、あの倧きな歩道橋はただある』
 
「あるよ。今、その䞋にいる」
 
10幎の時差。 文乃の歩く2015幎の倜道ず、28歳になった俺の歩く2025幎の倜道。 芋える景色は少しず぀違っおいおも、俺たちは確かに、お互いを目指しお同じ道を歩いおいた。ポケットのラゞオに手を添えお歩く俺の姿は、呚囲から芋れば奇劙かもしれない。だが、俺にずっおは、10幎前のクラスメむトず時空を超えお歩み寄っおいるような、倢のような時間だった。
 
『ねえ、拓海くん。もうすぐ、青葉高校の裏手にある、あの小さな河川敷の公園だよ。そこを䞭間地点にしない』
 
「ああ、ちょうど俺もそこに近づいおる。案内しおくれ」
 
静たり返った䜏宅街を抜け、暗い土手を䞊がっおいく。 やがお、芖界が開け、穏やかに流れる川ず、その向こうに広がる東京の倜景が芋えおきた。
 
『着いた』
 
ず文乃が嬉しそうに息を匟たせる。
 
「俺も今、公園のベンチの前にいる。文乃は」
 
『私も、そのベンチの前に立っおるよ』
 
2025幎、28歳になった俺の目の前にあるのは、経幎劣化で少し塗装の剥げた朚補のベンチ。 2015幎、18歳の文乃の目の前にあるのは、ただ新しさの残る同じベンチ。 俺はポケットからラゞオを取り出し、ベンチの真ん䞭にそっず眮いた。
 
「じゃあ、ここに座ろうか」
 
俺がベンチに腰を䞋ろすず、むダホンの向こうから、衣類が擊れる埮かな音が聞こえた。
 
『ふふ、座ったよ。なんだか䞍思議だね。私は誰もいないベンチに䞀人で座っおるのに、隣に、倧人の拓海くんが座っおる気がする』
 
「俺もだよ。隣に、マフラヌを巻いた文乃が座っおる気がする」
 
冬の星座が、遮るもののない倜空に冷たく茝いおいる。 盎接觊れるこずはできない。手を䌞ばしおも、そこにあるのは冷たい倜気だけだ。それでも、俺たちの心は、高校時代のあの狭い教宀にいた頃よりも、ずっず、ずっず近くに寄り添っおいた。ラゞオの真空管の埮かな熱が、俺の手のひらをじんわりず枩めおいる。
 
『拓海くん』
 
「ん」
 
『今日ね、䌚いに来おくれお、私、すごく嬉しかった。明日からの冬期講習、めちゃくちゃ頑匵れそう』
 
文乃の暪顔が、声のトヌンだけで鮮明に脳裏に浮かぶ。優しくお、䞀生懞呜で、愛おしい、俺の特別な女の子。
 
「ああ。でももう遅いから、颚邪ひかないうちに早く垰るんだぞ。俺もホテルに戻る。たた明日も、話そうな」
 
『うん 玄束ね』
 
10幎の時を隔おた、同じ倜の公園。 冷たい颚が二人の間を吹き抜けおいく䞭、俺たちは名残惜しそうに、䜕床も「たた明日」を繰り返しながら、ラゞオのボリュヌムをゆっくりず絞った。
 
朚補のラゞオを䞡手で倧事に抱え盎し、俺は誰もいない隣のスペヌスを芋぀めた。 確かな枩もりを残したたた、俺たちの特別な冬は、少しず぀深たっおいく。
 

第五章 同じ空を芋䞊げお


12月31日。倧晊日。
葛食のビゞネスホテルをチェックアりトした俺は、午前䞭のうちに新宿のワンルヌムアパヌトぞず戻っおいた。 郚屋の掃陀をしおも、テレビを眺めおいおも、頭の䞭にあるのは昚倜のあの河川敷の公園のこずばかりだった。28歳にもなっお、䜕床も時蚈を盗み芋ながら、静たり返る倜の時間をただ埅ち䟘びおいた。
い぀もより少し早めの倜の21時過ぎ。埅ちきれなくなった俺が机の䞊の叀い朚補ラゞオのツマミを回すず、冷たい砂嵐 of ノむズの向こうから、ノヌトにシャヌプペンシルを走らせる芏則正しい音が小さく聞こえおきた。文乃が勉匷をしながら、早めにラゞオを぀けお埅っおいおくれたのだ。
 
「文乃 こんばんは。ちょっず早かったか」
 
『あ、拓海くん こんばんはううん、ちょうど今䞀区切り぀いたずころ。お母さんのお手䌝いも終わっお、お郚屋で冬期講習の埩習をしおたの。繋がっお嬉しいな』
 
スピヌカヌの向こうから、ほっずしたような文乃の優しい声が響く。 2015幎の終わりを刻む文乃ず、2025幎の終わりを刻む俺。生きおいる幎号は違っおも、俺たちは他愛のない話をのんびりず玡ぎながら、倧晊日の特別な倜を䞀緒に䞀歩ず぀進めおいった。
 
そうしお静かに時間が流れ、いよいよ日付が倉わる数分前。
 
「なぁ、文乃。ちょっず窓開けお倖芋おみおよ。星が凄く綺麗だぞ」
 
『え、窓 うん、ちょっず埅っおね  わ、本圓だ 颚は冷たいけど、空がすっごく柄んでる』
 
受話噚代わりのスピヌカヌから、ガラガラず窓を開ける音が響く。同時に、冬の冷たい颚の音が吹き蟌んできた。俺もたた、アパヌトの狭いベランダぞ続く窓を倧きく開け攟った。
 
やがお、時蚈の針が重なり、新しい幎ぞず䞖界が切り替わった、たさにその瞬間だった。 ドン、ず遠くでお腹に響くような䜎い音が響き、ビル矀の隙間の倜空に、新幎を祝う倧茪の鮮やかな光が匟けた。
 
『すごヌヌい花火 拓海くん、花火だよ』
 
「ああ、こっちでも䞊がっおる。綺麗だな  」
 
東京の東の端にいる文乃の䞖界ず、西の端にいる俺の䞖界。 新幎の幕開けを迎えたそれぞれの冬の倜空に、偶然にも同じように矎しい倧茪の華が咲いおいる。その䞍思議な重なりが、俺たちの心を匷く揺さぶった。
 
『䞍思議だね  。私が芋おるこの綺麗な光を、10幎埌の拓海くんも、今、同じ瞬間に芋䞊げお、綺麗だねっお蚀い合えおる』
 
「ああ。空だけは、ちゃんず繋がっおるんだな」
 
俺はベランダの手すりをギュッず握り締めた。冷たい倜気が頬を刺すが、耳元から聞こえる文乃の声の枩もりのせいで、少しも寒くはなかった。
 
『ねえ、拓海くん。私、そっちの未来に行くのが、なんだか楜しみになっおきちゃった』
 
「え」
 
『だっお、専門孊校を卒業しお、私が28歳になったら、ちゃんず拓海くんず同じ䞖界で、同じ堎所で、今床は䞊んでこの花火を芋られるかもしれないでしょ だから、私、受隓もその先の勉匷も、絶察に頑匵るね』
 
文乃の健気な笑顔が、声のトヌンだけで鮮明に脳裏に浮かぶ。 愛おしくお、胞が苊しくなるほどだった。
「ああ。俺、2026幎の䞖界で、ずっず埅っおるから。文乃が28歳になっお、俺の前に珟れるのを、䜕幎でも埅っおる」
 
『ふふ、私、絶察にそっちの2026幎の䞖界に行くからね。28歳になった私を芋぀けお、びっくりしないでよ』
 
「驚かないよ。どんなに倉わっおおも、俺はすぐに文乃だっお分かるさ」
 
最埌の倧きな花火が、倜空いっぱいに光の䜙韻を残しながら、ゆっくりず消えおいく。 新しい幎が明けた静寂の空の䞋、俺たちは䜕床も「おめでずう」を蚀い合っお、名残惜しそうにラゞオのボリュヌムを絞った。
 
窓を閉め、静たり返った郚屋で、俺は自分の䞡手を芋぀めた。 高校䞉幎生の時に、倜䞭にラゞオを通じお未来の俺ずこんな䞍思議な経隓をした文乃なら  今幎、この2026幎の䞖界のどこかで、俺の前に珟れおもおかしくはないはずだ。
 
そんな淡い期埅が、冬の冷たい胞の奥に、小さな灯火のように宿っおいた。
 

第六章 届かないチョコレヌト


新幎の喧隒はあっずいう間に過ぎ去り、気が぀けば季節は2月ぞず移り倉わっおいた。 2016幎の高校の教宀では、俺ず文乃は盞倉わらず蚀葉を亀わす機䌚のない同玚生のたたらしい。だけど、倜のラゞオを通じお二人の空間を共有しおいる今の俺にずっおは、あたり関係のない話だ。
 
街が甘い銙りに包たれるバレンタむンデヌの日の倜。新宿のワンルヌムアパヌトでい぀も通りラゞオを぀けるず、ツマミを回した瞬間に、スピヌカヌの向こうから文乃の声が聞こえおきた。
 
「文乃こんばんは。今日も遅くたで勉匷か」
 
『あ、拓海くん、こんばんは うん、䞀応机には向かっおたんだけど、最近ちょっず集䞭力が切れやすくおダメだなぁ。そっちはどう お仕事忙しかった』
 
「いや、2月に入っおからは割な萜ち着いおるよ。そっちの東京は、ここ数日かなり冷え蟌んでるだろ。颚邪ひかないように気を぀けろよ」
 
『ふふ、ありがずう。でも郚屋の䞭は暖房でポカポカだから倧䞈倫』
 
穏やかな笑い声のあず、ラゞオの向こうが少しだけ静かになった。 シャヌプペンシルを机に眮くような、埮かな音が響く。
 
『  そろそろ固たったかな  』
 
文乃は、自分に蚀い聞かせるように小さな声でそう呟いた。
 
『あ、拓海くん、ちょっず埅っおね』
 
䜕のこずか尋ねる間もなく、スピヌカヌの向こうでバタバタず慌ただしい足音が響き、ドアが開く音がした。
 
どうやら、䜕かを急いで取りに走っおいったらしい。俺は受話噚代わりのスピヌカヌに耳を傟けながら、その賑やかな気配に思わず口元を緩めおいた。 しばらくしお、少し息を切らせた文乃が郚屋に戻っおくる気配がした。
 
『お埅たせ お父さんたちに芋぀からなくおセヌフだった。  じゃヌん 拓海くん、これなぁ〜んだ』
 
匟んだ声ずずもに、スピヌカヌのすぐ近くで、プラスチックの型から䜕かがコロンず倖れる小気味いい音が響く。
 
「いや、これっお蚀われおも芋えないんだけど」
 
『あ、そっか ラゞオだから芋えないんだった じゃあ、正解を蚀うね』
 
くすくすず楜しそうに笑う文乃。自分のうっかりに照れおいる圌女の顔が、声のトヌンだけで鮮明に浮かんできお、胞の奥がじんわりず熱くなる。
 
『正解はね、拓海くんぞのバレンタむンチョコでした 晩ご飯の埌にキッチンで䜜っお、冷蔵庫で冷やしおたんだ。でも、10幎の壁があるから手枡しはできないでしょ だから、これは“拓海くんにあげた぀もり”のチョコ 私が代わりに矎味しく食べおあげるね。拓海くん、はい、あヌん』
 
スピヌカヌの向こうで、文乃がサクッず小さなチョコレヌトを口に含む音が聞こえた。
 
『んヌ 矎味しい 拓海くん、私の手䜜りチョコ、ちゃんず届いた』
 
「なんだよそれ。届くわけないだろ。俺、䞀口も食べおないんだけど」
 
ぶっきらがうに蚀葉を返しながらも、俺は愛おしさで胞がいっぱいになっおいた。俺を想っおチョコを䜜っおくれたこず。届かない珟実を寂しがる代わりに、音声しか繋がらないラゞオを䜿っお、そんな可愛い方法で笑わせおくれようずしたこず。
 
『もう、そこは“矎味しかったよ、文乃”っお蚀っおよ 28歳の倧人の䜙裕はどこにいったの』
 
「倧人の䜙裕なんお、文乃の前じゃ最初からボロボロだよ」
 
俺が本音を挏らすず、文乃は、
 
『  もう、すぐそういうこず蚀うんだから』
 
ず、今床は本圓に照れたように声を小さくした。ラゞオのむンゞケヌタヌのオレンゞ色の光が、俺の狭い郚屋をぜ぀んず照らしおいる。手枡すこずのできないチョコレヌト。だけど、俺の口の䞭には、確かにどんなお菓子よりも甘くお、少しだけ切ない味が広がっおいた。
 
「文乃、ありがずうな。気持ち、ちゃんず受け取ったよ」
 
『  うん。どういたしたしお』
 
受話噚を眮くようにラゞオを切り、俺はふう、ず静かに息を吐いた。 倧晊日の倜に抱いた「2026幎のどこかに文乃がいるかもしれない」ずいう淡い期埅は、この切ないバレンタむンを経お、もっず匷固な祈りのようなものに倉わっおいた。
 
冷え切った冬の郚屋で、自分の䞡手をぎゅっず握り締めた。
 

第䞃章 蚘憶


 
3月に入り、窓の倖の空気はほんの少しだけ柔らかさを垯びるようになっおいた。
 
その日の日䞭、営業先を回っおいた28歳の俺は、埗意先のオフィスで新しく赎任しおきたずいう担圓者を玹介され、思わず声を䞊げそうになった。なんず、高校の時の同玚生だったのだ。結構仲の良かった里䞭。お互いに驚き、名刺を亀換したあず、芪睊を深めるずいう目的も兌ねお、近くの定食屋で䞀緒にランチを食べる流れになった。
 
他愛のない昔話で堎が枩たっおきた頃、俺の胞の奥で、ずっず抑えおいた衝動が頭をもたげた。文乃の珟圚に぀いお、こい぀なら䜕か知っおいるかもしれない。 だが、高校時代に䞀床も話したこずのない圌女の近況をいきなり蚊ねるのは、あたりにも䞍自然だ。俺は頭をフル回転させ、倧人の䞖間話を装いながら、別の男の同玚生二人の名前を思い浮かべた。
 
「そういえばさ、あい぀らどうしおんのかな。ほら、野球郚だった䜐藀ずか、あず鈎朚ずか。それから  窓偎の垭にいた、桐山さん、だっけ あのぞんの奎らっお、今も連絡取っおたりする」
 
我ながら完璧なカモフラヌゞュの぀もりだった。里䞭は
 
「あヌ、䜐藀なら地元で芪の仕事継いでるよ。鈎朚は確か結婚しお埌玉にいるはず」
 
ず、最初の二人に぀いおは気さくに教えおくれた。 しかし、文乃の名前に差し掛かった瞬間、里䞭は箞をピタリず止め、怪蚝そうな顔で俺を芋おきた。
 
「え、でも桐山さんは  お前だっお知っおるだろ」
 
䞀瞬、䜕を蚀われおいるのか分からなかった。知っおいる 俺が䜕を 怪蚝な顔で芋぀められたたた、俺の脳の奥底で、10幎間完党に眠っおいた、分厚い蚘憶の蓋が凄たじい勢いで跳ね䞊がった。
 
そうだ。思い出した。桐山文乃。圌女は、あの高校の卒業匏の日の倕方、家に垰っおいる途䞭で信号無芖の車に跳ねられお――。
 
圓時はたずもに話したこずもなかったし、もう匏も終わっお孊校を卒業した埌のこずだった。お通倜にも葬匏にも行かなかった。だから、28歳になった俺の蚘憶からは、あい぀の悲劇的な結末が、すっかり消え去っおしたっおいたのだ。 そこからのランチの味は、党く芚えおいない。生きた心地がしないたた、どうやっお残りの仕事を終えおアパヌトぞ垰っおきたのかも蚘憶になかった。
 
その倜、深倜の静寂の䞭で、俺は祈るような気持ちでラゞオのツマミを回した。
 
ザザ  ザザザ  。
 
冷たいノむズの向こうから、い぀も通りの、あの愛おしい文乃の声が聞こえおくる。
 
『拓海くん、こんばんは』
 
その声を聎いた瞬間、心臓が痛いほどに脈打った。俺は喉の枇きを芚えながら、必死で声を震わせないようにしお問いかける。
 
「  文乃。なぁ、卒業匏っお、い぀だっけ」
 
『え ふふ、䜕蚀っおるの、明日だよ さっきたで、明日のために制服のリボンずか䞀生懞呜綺麗にしおたんだから』
 
明日。やっぱり、明日なのだ。 あい぀は自分の身に明日降りかかる凄惚な運呜なんお、䞀ミリも知らずに楜しそうに笑っおいる。 そこからの䌚話は、俺の頭にはほずんど入っおこなかった。文乃が嬉しそうに明日の段取りや、友達ず玄束しおいるアルバムの話を熱心に語りかけおくるのを、俺はただ
 
「ああ  」
 
「そっか  」
 
ず、完党に䞊の空で盞槌を打぀こずしかできなかった。手のひらは冷たい汗でびっしょりず濡れおいた。
 
『――だからね、本圓に楜しみ。あ、ごめんね、明日卒業匏だから、今日はもう寝るね。たた明日、終わったらたくさんお話ししよう』
 
文乃がそう蚀っお、い぀ものようにラゞオを切ろうずした時。
 
「あのさ、文乃  」
 
俺はスピヌカヌにしがみ぀くように、狂おしい声を絞り出した。
 
「倉なこず蚀うかもしれないけど。  明日の卒業匏には行かずに、ずっず家にいおくれないかな」
 
受話噚代わりのスピヌカヌの向こうで、文乃の気配がぎたりず固たった。 䞀生に䞀床の晎れ舞台に、行くなず蚀われたのだ。戞惑うのも、怒るのも圓然だった。
 
長い、匕き裂かれそうなほどの沈黙が二人の間を流れる。 やがお、文乃は䞀蚀だけ、ぜ぀りず蚀った。
 
『そっか  』
 
その声のトヌンからは、圌女がどう思ったのか、䜕も読み取れなかった。 再び蚪れた䞀瞬の沈黙の埌、もう䞀床、文乃が静かに口を開く。
 
『じゃあ、寝るね  』
 
パチリ、ず冷たい音を立おお、ラゞオの向こうの気配が消えた。砂嵐の音だけが、静たり返った俺の郚屋に虚しく響いおいる。
 
その倜、俺は䞀睡もするこずができなかった。
 
文乃は、俺のあの䞍条理な蚀葉をどう受け止めたのだろうか。明日、圌女は卒業匏に行っおしたうのだろうか。それずも、家にいおくれるのだろうか。
 
10幎前の過去に向けお、届くかどうかも分からない必死の祈りを捧げながら、俺はただ、冷たい暗闇の䞭で朝が来るのを埅ち続けおいた。
 

゚ピロヌグ


 
あれから、半幎ずいう月日が指の隙間をこがれ萜ちおいった。
吹き抜ける颚の冷たさにハッずさせられるものの、西日に照らされたアスファルトは、ただ倏の埮熱を埮かに残しおいる。䞖界がすっかり秋の色圩に染たりきる手前で、季節は名残惜しそうに足螏みをしおいた。
 
倖回りの途䞭、俺は自動販売機で買った冷たいお茶を喉に流し蟌む。 冷気は容赊なく胞の奥ぞず萜ちおいき、それが俺に、いた生きおいるずいう確感をかろうじお䞎えおくれた。
 
あの卒業匏の倜。 俺は祈るような、あるいは呪うような気持ちで、ノむズの海にラゞオのチュヌニングを合わせた。だが、あの日以来、文乃がその波間に珟れるこずは二床ずなかった。
 
俺の思いは、届かなかったのだろうか。 それずも、あの歪んだ運呜の歯車を、俺たちは倉えるこずができなかったのだろうか。
 
䜕も分からない。答えをくれるはずの波長は、もうどこにも存圚しない。 それでも、俺は生きおいかなければならなかった。䞖界は俺の喪倱など意に介さず、ただ冷培に明日を連れおくるからだ。
 
空になったペットボトルをゎミ箱ぞ攟り蟌み、手の甲で額の汗を拭う。 傟きかけた西日が、営業車のフロントガラスに反射しお俺の目を鋭く刺した。珟実に戻る時間だ。重い足取りで車ぞ歩み寄り、ドアノブに手をかけようずした、その時だった。
 
背埌から、䞖界のすべおの音を圧し拉ぐような声が、俺の錓膜を震わせた。
 
「――拓海くん」
 
心臓が、嫌な音を立おお跳ねた。 忘れるはずがない。その響きを、その枩床を、俺の魂は焌き付けられるように蚘憶しおいる。埮熱を孕んだ秋の颚が、俺の髪を激しく掻き乱しおいった。
 
俺は、䞀瞬だけ、立ち止たる。
 
だが、振り返らなかった。
 
もしあの日、ラゞオの向こうで運呜が倉わったのだずしたら。文乃が䞍条理な結末から逃れ、この䞖界のどこかで生きおくれおいるのだずしたら――圌女はもう、俺の知っおいる文乃であっおはならないはずだ。過去の因果から切り離され、俺のいない新しい人生を、たっさらな足跡で歩んでいなければおかしい。 今ここで俺が振り返り、圌女を呌び止めおしたえば、せっかく断ち切ったはずの歪んだ運呜の糞が、再び圌女を瞛り付けおしたうかもしれない。
 
いや、それ以前に――これは半幎間、圌女を想い続けお狂いそうになった俺の脳味噌が響かせた、ただの郜合のいい幻聎なのではないか。
 
本物なのか、それずも俺の未緎が生んだ幻なのか。 確かめる術はない。だが、もし本物なら圌女の未来のために、もし幻なら俺が珟実を生きおいくために、ここで振り返るわけにはいかないんだ。 姿なんお芋えなくおいい。ただ、圌女がこの空の䞋のどこかで生きおいおくれさえすれば、それでいい。
 
だから、俺は振り返らなかった。
 
前を芋据えたたた、俺は営業車のシヌトに滑り蟌んだ。ドアが閉たる鈍い金属音が、過去ずの境界線を匕くように車内に響く。
 
震える手でキヌを回し、アクセルを螏み蟌んだ。 バックミラヌを芋る勇気は、俺にはなかった。ただ陜炎の立぀アスファルトの先だけを凝芖し、車を急発進させる。
 
遠ざかる゚ンゞン音だけが、答えを眮き去りにしたたた、倕闇の迫る秋の空ぞず溶けおいった。

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