メインコンテンツへスキップ
見出し画像

「もしも、ケアマネがよくあるファンタジー世界の悪役令嬢に転生したら」第10話

    第10話 ケアマネ、【相談窓口】を開設する


     それから数週間後。ネルとレイラがアクトン夫妻のもとを訪ねると、以前とは打って変わって笑顔で迎え入れられた。
     彼らの生活は相変わらずだが、少しだけ変わったこともあった。

    「ずいぶん楽になりました!」

     介護者であるアクトン氏の負担が、少しだけ減ったのだ。

    「それはよかったです」

     ネルもレイラも、夫妻の笑顔に心が温かくなる。

    「本当に、小さなことなんですがねぇ」

     言いながらアクトン氏が見つめた先には、きちんと洗濯されて清潔になった布おむつが積まれていた。

    「おむつの当て方一つで、これほど変わるとは思いませんでした」

     ネルが彼らにしたことは、たった一つ。【介護のプロ】である、お・ば・あ・ことモリーを派遣したことだ。
     モリーは直接介護を手伝ったわけではない。アクトン氏に、介護の方法を指導しただけだ。ズレにくいおむつの当て方を教えると、シーツを汚すことが減って洗濯物の量が半減した。また、身体を起こす時のコツを教えると、アクトン氏の腰の痛みが軽くなったのだ。
     減った負担で、アクトン氏には布オムツを洗濯したり部屋を掃除したりする余裕が生まれた。

    「アクトンさんは道路清掃局にお勤めでしたから、元々体力があります。それに、重たいものを運ぶことにも、ある程度は慣れていらっしゃいますから。ほんの少しコツを覚えれば、きっと大丈夫だろうと思いました」
    「いやあ、おみそれいたしました。本当に、ありがとうございます」

     アクトン夫妻が手をこすり合わせるようにしてネルに感謝を示す。

    「どういたしまして。けれど、これが私わたくしたちの仕事ですから。大げさな感謝は必要ないのですよ」
    「いんや! 感謝してもしきれねえ……!」
    「それなら、一つお願いがあるのですが」
    「え、わ、わしらにできることなら!」

     一瞬驚いたアクトン氏だったが、すぐに表情を引き締めて頷いてくれた。

    「他にも困っている方がいたら、ここに相談するように伝えてほしいのです」

     ネルが差し出したのは、一枚のチラシだった。

    「『ネル・クラム伯爵令嬢の介護相談所』?」

     アクトン氏が見出しを読み上げるので、ネルは恥ずかしくなって顔を赤くした。

    (うーん。やっぱり、この名前は恥ずかしいわ。変えてもらいましょう)

     と、内心で決意したのだった。

     * * *

    「この調子でチラシを配れば、きっと相談者がいっぱい来ますね!」
    「そう上手くもいかないと思いますけど」
    「どうしてですか?」
    「やはり、介護は家庭の問題だと考える人が多いと思いますの。外に頼るのは恥だと考える人もいるかもしれません」
    「確かに、そのとおりですね」

     アクトン夫妻の家からの帰り道、ネルの言葉にレイラが唸りながらノートを取り出した。歩きながら、器用に彼女の言葉を書き取っていく。

    「まだまだ、勉強することが山盛りですね」
    「ええ。一緒に頑張りましょう」
    「はい!」

     そうこうしている内に、二人は例の喫茶店に到着した。すでに店は閉店しており、彼らの拠点として整えるために大改装が行われている真っ最中だ。

    「お、帰ってきたな!」

     二人を出迎えたのは、グレアム王子だった。

    「……殿下、お暇なのですか?」

     呆れてため息を吐いたネルだったが、グレアムはうっとりと微笑んだ。

    「君のところに来るために、仕事も勉強も最速で終わらせてるんだ。褒めてくれるかい?」
    「はあ」

     ネルが適当に返事をしていると、そこに大きな看板が運ばれてきた。

    「わあ! 素晴らしい出来ですね!」

     看板を見たレイラは歓声を上げ、ネルはげんなりと肩を落とした。

    「あの、この名前、なんとかなりませんか?」

     看板には、チラシと同じように『ネル・クラム伯爵令嬢の介護相談所』と書かれている。

    「どうしてだい?」
    「とってもいい名前だと思いますけど」

     グレアムとレイラがきょとんと首を傾げている。

    「だって……」

     自分の名前がデカデカと掲げられているのが恥ずかしいのだ。

    「伯爵家の名前が書いてあるほうが、皆安心して相談できるだろう?」

     グレアムの言うとおりではある。こういった相談窓口は、信頼性が重要だ。

    「それに、看板も出来上がってしまったし、チラシだって今も刷り続けているんだ。今更だよ」

     パチンとウィンクしたグレアムを、ネルは少しばかり恨みがましい目で見た。

    (はめられたわ……)

    「この仕事は間違いなく君の実績になる。大公妃として立った時に、その実績は何よりも強い武器になるはずだ」

     彼は、自分の婚約者の良い宣伝になると考えたのだろう。

    「ネルお嬢様! お戻りでしたか!」

     喫茶店の中からモリーが顔を出した。荷物を手に、出かけるところのようだ。

    「北区に気になる家があるって聞いたんで、ちょっと行ってきますね」
    「ええ、お願いね」
    「あ、それと」

     モリーがカバンからノートを取り出した。

    「例の『洗濯集会』の件、わかりましたよ。ちょうど今日の昼前にあるみたいです」
    「『洗濯集会』?」

     首を傾げたのはグレアムだ。

    「西区の一部で、主婦たちが大物の洗濯物を持ち寄って協力して洗濯をする習慣があると噂で聞きましたの」
    「それが?」
    「もしかして、ちょっとしたお手伝いに繋がるかもしれないと思いまして」
    「なるほど。【社会資源】か」
    「その通りですわ」

     ネルはモリーのノートから手早く地図を写して、踵を返した。

    「行きましょう、レイラさん」
    「はい!」

     元気よく返事をしたレイラとは対照的に、グレアムはガックリと肩を落とした。

    「忙しいんだね、ネルは」
    「ええ。申し訳ありませんけど、これで失礼いたしますわ」

     ネルはお辞儀をしてそそくさと去ろうとしたが、それをグレアムが遮った。彼女の細い手をぎゅっと握りしめたのだ。そのまま、流れるような動作で手の甲にキスを落とすものだから、隣のレイラが悲鳴を上げる。

    「たまには、僕にも付き合ってくれると嬉しいな」
    「……っ!」

     サファイアの瞳に切なく見つめられて、ネルの頬が真っ赤に染まる。

    「わ、私わたくしは、お仕事で忙しいので! あなたに構っている暇はございませんのよ!」

     ネルはグレアムの手を振り払って駆け出し、それを見たグレアムは声を上げて笑ったのだった。

     そんな二人の様子を見ていたレイラは、心の中でつぶやいた。

    (前・世・の・記・憶・を取り戻した瞬間は、推しのグレアム様が目の前にいて浮かれたけど……。ただの婚約者馬鹿なんだもん。ちょっと引くわぁ)

     レイラは内心の失礼な思考など気付かれないように、ニコリと笑って軽くお辞儀をしてからネルを追って走り出した。

    (せっかく乙女ゲームのヒロインに転・生・したけど、ネル様・と一緒に働く方がよっぽど楽しいわ! ああ、ネル様の照れ顔! なんて尊いの!!!!)

     と、彼女が歓喜に震えていたことなど、この時のネルには知る由もなかった──。


    END



    #創作大賞2024 #お仕事小説部門


     
     
    2020年頃から小説家になろうに投稿しているweb小説家です。 2023年10月にKADOKAWA様より書籍化していただき、以降、ぽつぽつと書籍を刊行させていただいております。

    あなたへのおすすめ