
失敗を失敗として
堕落しろ
落ちぶれろ
失敗は失敗でしかない
努力は報われない
残念ながら、この世の中に失敗している最中の言葉はほとんど残らない。一方で成功した時の言葉は多く残る。その言葉はこれまでの失敗を一度の成功で帳消しにしてしまう。つまり、その過程で起こった失敗は失敗として存在することが許されなくなる。
だから人はネガティブな人を見ると、
落ち込んでいる人を見ると、
キレイな文字を取り繕って、その人の失敗を失敗として残さないように全力でフォローしてくれる。
でも私は失敗と成功は別物だと思う。
私は自分の特性上、「今」を大事にする。過去と今が線で繋がれることはなく、それぞれが細かい点としてひとつの線を描いているように見える。
要は、その時起こった失敗は良くも悪くも自分の中で「失敗」として独立する。成功も然り。
ゆえに、失敗と成功との間に因果関係があることはわかってるけど、その「価値ある失敗」を「成功の一部」として捉えることは私にとって違う。
つまり、私は成功だけでなく、失敗を失敗として受け止める。失敗した時のダメージは大きすぎるけど、その分成功した時の喜び方も半端じゃない。浮き沈み激しい人のように見えるけど、個性とか多様性とか言うなら別にそれぐらいいいんじゃないの、と私は思う。
調子が悪い時、キレイな文字列を並べるぐらいなら、笑いながら「お前調子悪いやろ?ちょっと1回大失敗してこいや」って言ってほしい気がするのも多分それのせい。
けどそれを人に強要するのは…なんか違う。
その綺麗事を本音として出せる人も沢山いるらしいから。私にもそんな能力がほしいが、難しい。
だから私は不調だとわかっている時、私に対して一見厳しそうな言葉を投げる(もちろん他の人に対してこんなことは言えない)。でもこれはきっと単なる厳しさじゃないはず。自分で言うのもなんだけど、すごくよく響く気がするから。
「一度負けてこい。大失敗をしてこい。
勝負の世界に冷静さなんていらない。
栄光なんていらない。
どうせ勝てるヤツは1人しかいない。
だから守りに走るな、攻めに走れ。
プライドを捨て、地獄を味わってこい。
そして
二度とこうなるもんかと現実を重く受け止めろ。」
うーん。やっぱり厳しいな…。
けど、「それでもいいんやで」って言ってくれる人とか、本音を話そうにも話せない私から何かを汲み取ろうとしてくれる人とかが陸上競技の世界にはなぜか一定数いる。個人競技であるにも関わらず。これだから嫌いで始めた陸上競技を嫌いにはなれない。
だからどれだけ調子が悪かろうと、
「走らせてくれてありがとう、
この場で生かさせてくれてありがとう」
と言わんばかりにスタートラインに立たずにはいられない。
追記
これはあくまでも最終手段。
成功するに越したことはない。
だからまずは僅かな可能性をかけてやってみる。
それは前提。