
映画を言葉で観てしまう。|止まってくれない映画
映画館で映画を観るのが好き。
あの特別感。
ポップコーンがあるとさらにいい。
映画が始まる直前に照明が落とされていくのも好き。
先日、「急に具合が悪くなる」という映画を観た。

おっ、と考えさせられる言葉が2、3箇所あった。
後でノートに書こう、と思ってそのシーンを通りすぎる。
3時間以上の映画だった。
翌日、映画の感想を書こうと思ってそのシーンを思い出そうとするのだけど、思い出せない。
正確に言うと、登場人物が発したその言葉が思い出せない。
「急に具合が悪くなる 名言」で検索してみたが、私の心に引っかかったその言葉はどの記事にもなかった。
今度は詳細に「急に具合が悪くなる 映画 看護師辞める」で調べてみる。
結果、私の求めていた言葉には辿り着けなかった。
映画はこういうことがよくある。
途中でメモが取れなくて、あとで思い出せないことが。
大したことではないと思う人がいるかもしれない。でも、これが大したことなのだ。
私にとって言葉は大事だから。
映画は、ストーリーや、構成、演技、音楽、演出など、さまざまな観点で楽しむことができるし、これらのどれも外すことができないと思う。
スクリーンに映し出される景色とマッチした音楽に胸を打たれることもある。
だけどやっぱり、映画のことをあとで振り返り考えるのは、誰かが発した言葉だ。
ここまで言葉に執着するのは、もったいないことだとも思う。
もっと他に享受すべき要素がたくさんあるだろうに。
それらを享受できたならば、どんなに面白いだろうかと。
言葉に固執する自分を残念に思う。
だけどこれが自分だから、貫くしかない。
わたしが魅せられる言葉たちは、言葉単体では存在しないことも承知している。
ストーリーやキャラクターの個性、背景設定があって、そこに言葉が重ねられることで、言葉に言葉以上の意味合いが生まれる。
その言葉を味わいたい。
でも、映画はどんどん進んでいく。
流れがあって、止まってくれない。
映画館でなくても、まずは止めずに映画は最後まで観なければ、と思う。
これが本なら、私はきっと立ち止まっているだろう。
じっくり考え、考え尽くしてから先へ進んでいただろう。
本は好きなペースで、心地よいリズムで、読み進めることができる。
とても自由だ。
これから、映画の自由な楽しみ方に、もっと磨きをかけていきたい。
