
「男やな」と言われた日 京都人の美学。
今日はメガネを新調した。
遠近両用にして、日光で色が変わる調光レンズ、さらにパソコン作業で目の負担を減らすオプションも付けた。
「毎日使うもんやし。」
そう思って、現金で三万円払った。
その帰り、ランチを食べた店で注文と違う料理が運ばれてきた。
店員さんは何度も謝ってくれた。
怒る理由もない。
「大丈夫ですよ。」
そう答えたら、お詫びに次回使える五百円券を差し出された。
京都人の私は、もちろん一度は断る。
「いやいや、結構です。」
すると店員さんは、
「本当に申し訳ありません。」
もう一度勧めてくれた。
そこで初めて、
「ほな、お言葉に甘えます。」
ありがたく受け取った。
京都には、こんな文化がある。
一度遠慮する。
相手はもう一度勧める。
そして気持ちよく受け取る。
これは損得ではない。
相手への敬意を表す、一つの礼儀なのだと思う。
逆もそうだ。
誰かに、
「今日は私が奢るよ。」
と言った時。
財布を出す素振りすらない人を見ると、少し寂しくなる。
本当に払ってほしいわけではない。
「いや、自分も出します。」
その一言があるだけで、お互いの気持ちは温かくなる。
「今日はええって。」
「ありがとうございます。ごちそうさまです。」
そのやり取りに、人柄が表れる。
最近、「やっぱり男やな」と言われることがあった。
昔なら、豪快とか気前がいいという意味だと思っていた。
でも今は少し違う気がする。
男らしさとは、お金をたくさん使うことでも、威張ることでもない。
相手を思いやり、礼を尽くし、自分が決めたことには責任を持つこと。
そんな一本筋の通った生き方なのではないか。
合気道にも「礼に始まり、礼に終わる」という教えがある。
結局、人は強さよりも、礼儀や思いやりの積み重ねで信頼されるのだと思う。
京都で育った私は、その空気を当たり前のように吸ってきた。
だから今日も、まずは一度断る。
そして、相手の気持ちを受け取る。
そんな何気ないやり取りの中に、人として大切なものが残っている気がする。