
さよなら、バニーガール
バニーガールは、私の人生にとって、必要でないものの一つだと思っていた。
その存在がある、という事だけ知ってはいたけれど、自分がそれに扮装することはおろか、そういう衣装を進んで身に付けるような人間関係は持っていなかったので、私には、それは、テレビの人や、漫画の中の世界のものだと思っていた。
その日は突然にやってきた。
私はその頃、結婚式場のアルバイトをしていて、その日も指定された結婚式場へ足を運んで、式の中で料理を運んだりしていた。
その日の結婚式は、かなり大掛かりなもので、式を沢山の来場者の方に楽しんでいただけるように、式場の他に色んな部屋を貸し切って、趣向を凝らしたサービスを行っているのが、仕事の合間に見えたりした。
その中で、会場の入り口で、似顔絵サービスというものをやっていた。何人かの来場者が列をなしてイラスト作家さんの前に並んでいるのを見かけて、人思いのご夫婦なんだな、などと、ほんわかした気持ちになったりしていた。
仕事が少し落ち着いてきた頃、裏の料理やドリンクの受け渡し場所で、社員の人が、
「いち、に、さん、し、ご、うん。君達ちょっとこっちに来て。今から向かう場所で、ホールサービスをしてもらうから」
と、その場にいた私を含むアルバイトの女の子五人を数えて、私達を連れて、違う部屋に向かった。
私達五人は、無言で社員の人について行った。
私は、何か裏方の仕事でもする事になるのかな、などと思いながら、無防備について行った。
エレベーターを上って、上の方の階に向かっているのが分かった。
式場とやたら離れるな、と思った。
エレベーターを降りて少し歩くと、やたら分厚いドアの前に案内された。
「君達はこのドアの向こうの部屋で、しばらくホールサービスをしてくれ。また忙しくなってきたら、呼びに来るから」
そう言って、社員の人は、その分厚いドアを開けた。
すると、そのドアの向こうはラウンジだった。
しかも、普通のラウンジではなく、夜職のお姉様の他に、白くて長いうさぎ耳もしくは黒くて長いうさぎ耳を付けた、服のお股の部分の布地の角度が鋭利なバニーの衣装を着たバニーガールが何人もホールをうろうろして、ドリンクなどを配っているような、お昼なのに色濃い夜のお店がそこに存在していた。
私達は一見して戸惑った。のが伝わってきた。
けど、私達はお互いの顔を一度ちらりと見て、何事もなかったかのように、そのラウンジに飛び入った。
バニーのおねえさんは、ヒールが高く細すぎてくねくねとした歩き方しかできないのに、飲み物をこぼしそうになりながら一生懸命くねくねと歩いているといった体で、私はそのくねくねと歩くバニーのおねえさんの側を通り過ぎながら、普通の制服に小さなフリルのエプロン姿の私は、手を挙げた来場者の元に行って、注文を受けに行った。
私は夜のそういうお店に行ったことは無くて、夜職のおねえさま方が、来場者の横に腰掛け、来場者の話をうんうんと聞きながらお酒を注いでいる様子に、私は場違いかもしれないと思ったけど、とりあえずお金をもらうから、注文を取ったりドリンクを運んだりくらいはしなくては、と、注文を受けた。
その来場者の方は、普通に何かのお酒を注文されたので、はい、〇〇ですね、と、確認をしたら、
「きみは、ドリンク以外のサービスを何かしてくれないのかね?」
と、言われて、私はびっくりして、
「ドリンクを運ぶ事しかできません」
と、ドアを閉める様な空気感で、その来場者を突き放し、急いで場を離れた。
ああ、無理だ、と思った。
そんな風にしか返せなかった自分は、面白くもないし、びっくりするし、笑えないし、全くもって無理だ。
夜職の人は、こんな会話にも上手く返しをしているのだと思うと、すごいよ、私に夜職の才能、かけらすら無い、という事を発見した。私の顔には青い縦線が沢山入っていたのではないか、と、思う。
しばらくそのラウンジで、大人しくロボットの様に働いていると、やっと、帰ってこいとお呼びがかかった。
ラウンジの外に出ると、息が深くできる感じがした。
何かすごく濃厚で重圧感のある場所にいた。
私は無理をした。
世の中には知らなくても良い世界が沢山転がっているのだな、という事を知った。
私はその時就職活動をしていたのだけど、無理はしないで、自分に合った仕事先を見つけよう、と式場へ向かいながら思った。
自分がバニーガールになることも、これからバニーガールに出くわすこともない。さよなら、バニーガール。
何だかありがとう、バニーガール。
そして、あのくねくねと歩いていたバニーガールのおねえさん達、足の踵、大丈夫だったのだろうか、と、何故か心配した。