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【noteでBL】寝かしつけ人募集

「noteでBL」8月の企画に、参加します。

今回のお題

「平成レトロ」「ハト」「睡魔」

ジャンル

現代ドラマ

あらすじ

敏腕証券マンの桐島智也は、仕事で華々しい成果を挙げる一方、重度の不眠に苦しんでいた。ベランダにハトが住みつき、苛立った桐島は、害鳥駆除業者を呼ぶ。ハト駆除にやってきた青年・佐野航平のある特性に気づき、智也は奇妙な提案を持ちかける。

以下、本文(文字数:4,982 文字)


寝かしつけ人募集

坂本エンジン

 これはひとつの昔話である。
 むかし、むかし、あるところにワンス・アポン・ア・タイム――。そうはじまる、ある意味でありふれ、ある意味で奇妙な、ひとつの物語。
 それはあの、狂おしくもどこかせつない、1989年のこと……。

  *

「桐島さん、先週の案件でまた億単位の金動かしたって本当ですか?」
 桐島智也は、サイドテーブルに肘を預け、薄く微笑んだ。時計の針はすでに真夜中近いが、オールバックに撫でつけられた髪には毛乱れひとつない。
 傍らに侍る女たちが、かいがいしくシーバスリーガルの水割りをつくったり、おしぼりを取り替えたりしながら、桐島の腕に豊満な胸を押し当てて甘い声を上げた。
「今夜はこれからどうするの?」
「桐島さんのマンション、夜景がすごいって聞きました。いちど行ってみたいわ」
 桐島は洗練された手つきでダンヒルのライターの火をともし、煙草をふかした。
「また今度な。明日の寄り付き前に仕込みたい銘柄があるんで、今日は失礼する。あとはみんなで楽しくやってくれ」
 テーブルの上に数枚の諭吉札を滑らせると、相伴にあずかっていた取り巻きの男たちが口々に礼を言う。
 ナイトクラブの喧騒をあとにして通りに出ると、交差点は拾えないタクシーを待つ人々で溢れかえっていた。桐島は歩道に立つと、無造作に万札の束を掴み、高く掲げた。黒塗りの車が吸い寄せられるように滑り込み、彼のために後部座席のドアが開かれるのだった。
 桐島の部屋はウォーターフロントに聳えるタワーマンションの高層階だ。
 先ほどまで身をひたしていた東京の喧騒も、この部屋からは遠い星の瞬きに過ぎない。部屋は嘘のような静寂に満たされており、大理石の床に高級な革靴の音が響くだけ。
 桐島がアルマーニを脱ぎ捨てると、鍛えられた裸身があらわになった。
 手早くシャワーを浴び終え、水滴を拭いながら洗面台の鏡を睨みつけると、鏡の中には、彫りの深い端正な顔立ちの男が桐島を見つめ返している。ナイトクラブの仄暗い照明では目立たなかったが、その目元には落ち窪んだ暗い影がこびりついていた。
 睡眠薬を二錠、ウィスキーで流し込む。
 そのままキングサイズのベッドに身を投げ出した。
 目を閉じる。だが、暗闇の向こうから押し寄せてくるのは安らぎではない。頭の中で、株価のチャートが、為替の数字が、顧客たちの喧しい声が、渦を巻き始める。
 ベッドサイドに置き去りのロレックスがコチコチと秒を刻む音が耳に障るようだ。
 寝返りを打つたび、リネンが擦れる音すら神経を苛立てた。睡眠薬クスリの効果はまるで現れなかった。意識は泥のように重いのに、脳の核心だけが恐ろしいほど冴え渡っている。
 気づけば、ブラインドの隙間から、冷たく白んだ薄青い光が部屋の天井を這っていた。
 激しい倦怠感と、頭痛。桐島は顔を歪め、こめかみを強く押しこすった。少しは微睡んだような気もするが、そのあいだも「眠れないという悪夢」を見ていたような気がする。
 その時だ。

 クルッ、ポー。クルッ、ポー。

 ベランダから、低く濁った不快な音が聞こえてくる。
 桐島はかっと目を見開く。
 ベッドから飛び起きると、足をもつれさせながらベランダのサッシへと突進した。厚手のカーテンを力任せに引きちぎらんばかりに開け、ガラス戸を叩きつけるように滑らせる。
「失せろ!!」
 怒声を張り上げると、ベランダのエアコン室外機の上にいた二羽の鳩が、驚いて飛び立つ。バサバサッと不吉な音を残し、鳩は東京の灰色の空へと逃げ去っていった。
 早朝の東京が遠くかすんでいる。
 それはすばらしい眺望だったが、桐島の目に風景は映っていなかった。

  *

「ご依頼ありがとうございます。害鳥駆除『バードレスキュー』の佐野と言います」
 玄関を開けると、日焼けした肌の青年が立っていた。佐野航平という名札をつけた彼は、応対した桐島の、DCブランドの部屋着とは対照的な、実用本位な作業着に身を包んでいる。桐島より背は低いが、がっしりとした肩幅をしていた。
 桐島がベランダを指さすと、佐野は「失礼します」と落ち着いた低い声で言い、迷いのない足取りで窓の外へ出た。
 ベランダの隅には、このところ彼の神経を逆撫でしている忌々しい灰色の塊――鳩の巣と、乾いた糞とがあった。
「……ひどいもんだろう」
 桐島は室内側のサッシに背を預け、力なく吐き捨てた。
「居着いてしまっていますね。でも、卵もヒナも見当たりません。今ならまだ、間に合いますよ」
 佐野は淡々と、しかし丁寧な手つきで、糞の除去を始めた。ヘラで汚れを削り取るリズミカルな音と、時折シュッシュッと響く消毒液の霧が、室内にまで微かに漂ってくる。
「鳩っていうのは、一度自分の場所だと決めると、驚くほど執着するんです」
 作業を続けながら、佐野が語り始めた。その声は、不思議なほど耳に心地よかった。真夜中のラジオDJのような、あるいは幼い頃に聞かされた絵本の読み聞かせのような、穏やかなトーンだった。
「掃除して綺麗にするだけじゃ足りないんです。ここはもう安全な場所じゃないんだと、彼らに思い知らさなきゃいけない。だから、匂いを消して、止まりにくい角度にスパイクを置くんです」
 その解説は、単なる仕事の説明を超えて、桐島の荒廃した意識をゆっくりとなぞっていくようだった。
「彼らも必死なんです。でも、人間も休む場所が必要ですもんね。このベランダは、桐島さんの場所ですから」
 佐野が室外機の裏に手を伸ばし、隙間を塞ぐテープを貼る音が聞こえる。パサッ、パサッという軽い摩擦音。そして、寄せては返す波のような、低く柔らかな話し声。
 桐島はいつの間にか、サッシに頭を預けていた。
 脳の核心が、じわりと解けていくのを感じる。シャツ越しに伝わる、窓ガラスの冷たさが心地いい。
 意識が、ゆっくりとセピア色の闇に溶けていった。

「……あっ」
 飛び起きる。
 ソファに横たわっていたことに気づく。いつの間に眠り、誰が運んだのか。
「……ずいぶん、お疲れだったようですね」
 あの低い声だ。
 顔を覗き込んだ眼差しは、傷ついた動物を案じるような温かな色を帯びている。
「作業は終わりました。ネットも張りましたし、当分は戻ってこないはずですよ」
 佐野は立ち上がり、道具の入ったバッグを肩に担いだ。
「……もう、行くのか」
 掠れた声で、桐島は問うた。数年ぶりに味わった、深く、重い、純粋な眠りの余韻が、身体をまだ包み込んでいる。
「はい。本日はこれで失礼します。領収書はこちらに。万一、被害が再発するようなら――」
「待って」
 桐島はほとんど反射的に、佐野の作業着の袖を掴んだ。
 突然のことに、駆除業者の青年は驚いたように足を止める。
「きみ……、この仕事で、いくら稼いでる」
「はい?」
「きみを雇いたい。倍の給料を出すから」

  *

 そうして――
 佐野航平の奇妙な仕事が始まった。
 この頃、大バコのディスコでは、盛り上がっている店だとアピールするため、派手な格好でフロアで踊り続ける女性たちが店に雇われていた。また、就職では、売り手市場であったため、企業はこぞって有名大学の学生たちの囲い込みに奔走しており、学生たちを旅行に招待するなどしていたが、この旅行に同行し、学生たちを監視するだけのアルバイトなどもあった。
 それでも、誰かを――それも成人男性を、毎夜「寝かしつける」という仕事で雇われたのは、もしかすると航平が史上初であったかもしれなかった。
 桐島智也の不眠症は、それほどまでに深刻であり、一方で、彼には有り余るほどの金があったのだ。
 航平に求められたのは、毎晩、智也の部屋を訪ねることだった。
 通いの家政婦が掃除や洗濯を終えて帰宅するのと入れ替わりに部屋に残り、智也の帰りを待つのだ。
 智也の帰宅はたいてい深夜で、冷蔵庫にあるものは好きに食べていいと言われていた。帰宅した智也がたまに土産をくれるのだが、銀座の名店の寿司であったり、行列のできる店のケーキであったりした。
 シャワーを浴び、ナイトウェアに着替えた智也がベッドに身をよこたえる。
 航平はそのかたわらで、おもむろに本を開く。
「『長い間、私はまだ早い時間から床に就いた。ときどき、蝋燭が消えたか消えぬうちに「ああこれで眠るんだ」と思う間もなく急に瞼がふさがってしまうこともあった。そして半時もすると今度は』……」
 航平の朗読が続くうち、智也は、あれほど不眠に苦しめられていたのが嘘のように、やわらかな眠りに落ちてゆき、いつしか静かな寝息を立て始める。
 それを確認すると、航平はそっと本を閉じ、読書灯を消す。
 智也は航平のための簡易ベッドも用意してくれていたが、多くの夜を、航平はすぐには眠らず、じっとそこにいて、智也の寝顔を見つめていた。
 智也の眠りの番をすることも、自分の仕事の一部だとでもいうように。

  *

「声。大学で研究してもらったらいいかもしれないな」
 朝のコーヒーを飲みながら、智也は言った。
「人を眠りに誘う特殊な周波数なのかもしれない」
「そんなバカな。桐島さんだけですよ。俺の声で眠くなるだなんて」
 智也は朝はコーヒーだけだが、航平は朝食はたっぷり食べる派だという。なので、智也は彼の朝食も用意してやることにした。テーブルの上に並ぶ、トーストに、オムレツ、ベーコン、サラダ、フルーツジュース。豪勢なアメリカンブレックファーストだ。
「桐島さん、自分は朝ごはん食べないのに、料理は上手なんですね。ホテルみたいなオムレツだ」
「これしきのことで安眠が買えるなら安いもんだよ」
 智也は笑った。

 それはなんとも不思議な――ある種の寓話のような日々だった。
 毎夜、智也は航平の声を聞きながら、眠りに誘われる。
 まるで、それもまた彼の声の効能であるかのように、もたらされた眠りは深く、チャートも財務諸表も夢には出てこなかった。そしてすっきりと目覚めたときには、気力が充分であったので、智也は仕事でいっそうの成果をあげ、個人資産の額も積み上がる一方だった。
 彼を疲弊させていた接待や夜の遊興も全力で楽しめるようになり、航平が待つ部屋に帰るとき、持ち帰る土産が、腕時計や鞄であることもあった。「やるよ」と言ってそれらを差し出されるとき、航平は少しだけ困ったような笑顔になるのを、バスルームに向かう智也の背中は見ていなかった。
 そして、それは、いつの夜のことだったろう。
 ある夜、航平が来てからは珍しいことだが、未明に、智也はふと目を覚ましたのだった。
 航平は、与えられたベッドではなく、智也の傍らで眠っていた。
 青い闇に目が馴れると、思いのほか近くにある航平の貌が、くっきりと浮かびあがってきた。なだらかな鼻梁と、がっしりとした顎の輪郭。そして柔らかそうな唇。ふいに、その目が、よく見ると睫毛の長い、二重の瞼が、開いて、智也を見返した。
 そのまま数分。夜の底で、ひとことの言葉をかわすこともなく見つめ合い、ふたりは、どちらからともなく、唇を重ねていた。

  *

 黄金の時代は、いつも終わりを迎える。それが神話のさだめであった。
 タロットカードの「塔」の図案のように、人々が狂騒のうちに築きあげたものは、ある日突然、がらがらと崩れ落ちていった。
 ひっきりなしに電話が鳴り、顧客からの怒号が飛び交うオフィスで、智也は座ったまま微動だにせず、すべての電話を無視した。
 自宅の電話も鳴りっぱなしで、ドアを直接叩きにきたものも大勢いたが、航平は言いつけどおり、応対することはなかった。その日から、智也は部屋に帰らず、数日後、バイク便のメッセンジャーがメモを届けにきた。
 もう航平の給料を払えないこと、この部屋も人手に渡るので出ていってほしいことが、震える文字で書かれていた。
 短い、詫びの言葉とともに。

 それが、まったく唐突な、物語の終わりだった。
 伝説の証券マンと言われた桐島智也が、その後、どうなったのか、当時の同僚たちに聞いても知っているものはいなかった。おそらく金融業界を去ったのだろう。
 むろん、一時期、彼の部屋に同居していたひとりの青年のことなどを、知っているものはなおさらにいない。
 だからこの物語に、結末はない。
 ただ――。
 ここに一片の、新聞の切り抜きがある。1990年のある日、全国の新聞にいっせいに出された、個人による新聞広告だ。

「寝かしつけ人募集」

 この奇妙な広告を、誰が、なんのために出稿したのかは、わかっていない。
 ただそこに、知られていない物語の続きがあったのかもしれない、と、想像するしかないのだ。

(了)

※作中の引用文は『失われた時を求めて 1~第一篇「スワン家のほうへI」』著:プルースト、訳:高遠 弘美(光文社)より引用しました。

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