
娘たちについて思うこと(ミュンヘン行の車窓から)
(ICE(ドイツの新幹線)の中で書いてます)
私には2人の娘がいる。長女は中学3年生の14歳、次女は小学5年生の10歳。二人とも、性格は違えど、明るく、優しくて、ユーモラスで、そして何より仲が良い。
もう今となってはその感覚をうまく思い出せないけれど、20代の頃は、まさか自分が父親になり、こんな風に娘を育てることになるとは、まったく想像もしなかった。男兄弟で育った私には、女の子がいる家庭がどんなものかイメージもうまくわかなったし、そもそも定職についてなかった自分が家庭を持つことになるなんて考えてもいなかった。
それが今や、「パパ」として、毎日一緒に食卓を囲み、車で習い事の送迎をし、勉強を教え、時にはいっちょ前に親らしく叱り、慰め、一緒に映画を見たり、買い物に行ったり、旅行したりしている。
上の娘は思春期で、そのうち毛嫌いされるんだろうなと思っていたが、ドイツにきて、家族で過ごす時間がずいぶん増えたこともあってか、今のところ関係は良好だ。妻や私と、ささいな口論はするけれど、それ以上に色々なことを自分から話してくれる。
下の娘もだいぶ大きくなったが、まだ子どもらしくて、活発で、想像力豊かで、かわいい。ほんのたまに、まだ手をつないだりもするが、いつも、(手をつないでくれるのも)そろそろかな、と思っている。
世の中の大勢の親と同じように、子どもが生まれてからというもの、膨大な時間を娘たちと一緒に過ごしてきた。
幸いなことに、娘たちについては幸福な記憶しかない。とくに子どもたちが小さかった頃の時間は濃密だ。公園遊びやキャンプから、なんてことない近所への買い物や絵本の読み聞かせまで、子どもたちは、何をしても本当にかわいくて、何をしても本当に面白かった。
その頃の記憶はヴィヴィッドに身体に染みついている。はじけるような笑顔や笑い声、無数の情景が胸の奥にやきついている。これは私の一生の宝物だ。
当時は、今が自分の人生で一番幸せなときなんだろう、と思っていた。今でもそう思う。もちろん今も幸せだけど、あのときの充足感にはかなわない。いずれにせよ、娘たちを育てられたことは、私の人生においてもっとも良かったことの一つであることは間違いない。
他方、子どもたちと過ごせる時間は有限だ。日本に帰れば長女は高校生、次女は中学生。勉強や部活で忙しく、きっと家族よりも友達を優先することなる。いずれ彼氏もできるだろう。家族の時間はますます減ることは間違いない。
残された時間は決して留まることなく、どんどん流れていく。今電車の窓の外を流れていく景色と同じように。
そのとき、きっとさみしいけれど、そのキラキラした思い出を胸の奥にしまいながら、娘たちや、娘たちとの思い出に依存せず、妻とともに新しい生活の形をつくっていくことができたらいいな、と思う。ビートルズが『Ob-La-Di, Ob-La-Da 』で歌ったように、人生は続いていくからね。