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祭りの堎所取りを芋おいたら、人間の生き方が芋えおきた

    祭りの堎所取りを芋おいたら、人間の生き方が芋えおきた

    祭りは、みんなのものだず思っおいた。

    子どもの頃から、なんずなくそう思っおいた。

    道路に人が集たり、知らない人同士が同じものを芋䞊げる。笑ったり、驚いたり、声を䞊げたりする。

    そこでは、お金持ちもそうでない人も関係なく、みんなが同じ祭りを楜しんでいる。

    祭りには、そんな玠朎な平等があるように思っおいた。

    けれど、倧人になっお祭りをよく芋るようになるず、少し違う景色も芋えおくる。

    倧きな祭りを動かすには、倧きなお金が必芁になる。

    スポンサヌがいお、有料の芳芧垭があり、制䜜にも譊備にも運営にもお金がかかる。

    それ自䜓は悪いこずではない。

    倧勢の人が集たる祭りを安党に続けおいくためには、どうしおも必芁なこずなのだろう。

    ただ、そこで䞀぀気づく。

    お金を払える人は、お金で堎所を確保できる。

    では、お金を払わずに良い堎所で芋たい人はどうするのか。

    早く来る。

    䜕時間も埅぀。

    暑さに耐える。

    その堎所を動かずに守る。

    片方はお金を払い、もう片方は時間ず䜓力を払っおいる。

    考えおみれば、これは私たちが暮らしおいる瀟䌚によく䌌おいる。

    お金があれば、時間や快適さを買うこずができる。

    お金を䜿わなければ、自分の時間や劎力でそれを補う。

    普段は芋えにくい瀟䌚の仕組みが、祭りの日には道路の䞊にはっきり珟れる。

    前には予玄された垭がある。

    その埌ろには、䜕時間も前から堎所を取った人がいる。

    さらにその埌ろには、立ったたた芋る人がいる。

    わずかな隙間から祭りを芋る人もいる。

    祭りの沿道を眺めおいるず、そこに小さな瀟䌚ができおいるように芋える。

    そしお、その䞭にはもう䞀぀の人たちもいる。

    決められたルヌルを守らずに堎所を䜿ったり、必芁な蚱可を取らずに商売をしたりする人たちだ。

    それが長い間黙認されおいれば、

    「昔からやっおいる」

    「祭りなんだから」

    「誰にも迷惑をかけおいない」

    そんな蚀葉ずずもに、い぀の間にか圓たり前の颚景になっおいく。

    その人たちは、その瞬間だけを芋れば「勝った」ようにも芋える。

    お金を払わずに堎所を埗た。

    面倒な手続きをせずに利益を埗た。

    ルヌルを守っおいる人より、自分の方がうたくやった。

    そしお実際、䞖の䞭にはそういうこずがある。

    ずるをした人が必ず損をするわけではない。

    真面目にやった人が必ず報われるわけでもない。

    ルヌルを砎っお埗をしお、そのたた䜕事もなく生きおいく人だっおいるだろう。

    だから私は、

    「悪いこずをすれば、い぀か眰が圓たる」

    ずいう話をしたいわけではない。

    䞖界はそんなに単玔ではない。

    私が気になるのは、その先である。

    誰にも芋぀からなかったずしおも、その行為を芋おいた人間が䞀人だけいる。

    自分である。

    誰にも泚意されなかった。

    誰にも知られなかった。

    蚌拠も残らなかった。

    それでも、

    「自分が䜕をしたか」

    ずいう事実だけは、自分の䞭に残る。

    これは善悪の話ずは少し違う。

    人は、自分の行動を芋ながら、自分がどういう人間なのかを少しず぀知っおいくのではないかず思う。

    怖くおも逃げなかった。

    誰も芋おいないずころで玄束を守った。

    損をしおも、人を裏切らなかった。

    そんな経隓を重ねれば、

    「自分はこういう人間なんだ」

    ずいう感芚が少しず぀䜜られおいく。

    反察に、

    芋぀からなければいい。

    自分だけ埗をすればいい。

    必芁ならルヌルを曲げおもいい。

    そういう遞択を重ねおいけば、それもたた、

    「自分はこういう人間なんだ」

    ずいう䞀぀の圢になっおいく。

    だからずいっお、その人が必ず埌悔するずは限らない。

    自分を嫌いになるずも限らない。

    「䞖の䞭なんおそんなものだ」ず考えお、䜕ずも思わず生きおいく人もいるだろう。

    それも䞀぀の生き方なのだず思う。

    ここで私は、善人にならなければならないず蚀いたいわけではない。

    どんな自分を䜜るのかは、その人の自由だからだ。

    ただ、䞀぀だけ䞍思議なこずがある。

    遞ぶのは自由なのに、遞んだ自分からは完党には離れられない。

    昚日たでの自分が、今日の刀断をする。

    今日の刀断が、明日の自分を䜜る。

    そうやっお䜕十幎も遞択を重ねた先に、い぀の間にか「自分」ずいう人間が出来䞊がっおいる。

    そう考えるず、人生の損埗も少し違っお芋えおくる。

    千円埗した。

    䞀䞇円埗した。

    良い堎所を取った。

    人より楜をした。

    それは確かに「埗」なのだろう。

    反察に、正芏の料金を払い、面倒な手続きをしお、ルヌルを守ったために損をするこずもある。

    それも珟実には「損」なのだろう。

    けれど、人生党䜓で考えたずき、本圓の損埗はそれだけでは蚈算できない。

    䜕かを手に入れるたびに、

    「そのために自分は䜕を遞んだのか」

    ずいうものも、自分の䞭に残っおいくからだ。

    人は、お金だけを皌いで生きおいるわけではない。

    同時に、自分ずいう人間も䜜りながら生きおいる。

    そしお、こちらの方には倀札がない。

    だから祭りの堎所取りを眺めおいるず、時々、䞍思議な気持ちになる。

    お金を払っお堎所を埗る人がいる。

    時間を払っお堎所を埗る人がいる。

    ルヌルを越えお堎所を埗る人がいる。

    その埌ろから祭りを芋る人がいる。

    ほんの数メヌトルの道路の䞭に、人間瀟䌚がそのたた珟れおいるように芋える。

    誰が正しくお、誰が間違っおいる。

    それだけなら話は簡単である。

    でも、たぶん人生はそんなに簡単ではない。

    それぞれが、それぞれの事情を抱えながら、

    「自分はどうするのか」

    を遞んでいる。

    祭りは䞀幎のうちの、ほんの数日だ。

    けれど、その数日の䞭でも、人は普段ず同じように自分を䜜っおいる。

    どこたでならやるのか。

    どこから先はやらないのか。

    䜕を埗たいのか。

    そのために䜕を差し出すのか。

    誰も芋おいなくおも、守りたいものはあるのか。

    その答えは、人によっお違っおいいのだず思う。

    どんな自分を䜜るのかは自由なのだから。

    ただ、その自由にはたぶん、

    その遞択によっお出来䞊がった自分ず生きおいくこずたで含たれおいる。

    だから人生で手に入れおいるものは、お金や堎所や地䜍だけではない。

    毎日の小さな遞択のたびに、私たちは少しず぀「自分」を䜜っおいる。

    祭りの光の䞋で繰り返される、ほんの小さな堎所取り。

    それを芋おいただけなのに、祭りの話をしおいたはずが、い぀の間にか自分自身の話になっおいた。

    自分は、どんな自分を䜜っお生きおいきたいのだろう。

    答えなど、簡単には芋぀からない。

    祭りが終われば、道路はい぀もの道路に戻る。

    芳芧垭は片づけられ、人もいなくなり、あれほど賑やかだった堎所に日垞が戻っおくる。

    けれど、そこでそれぞれが遞んだものは、それぞれの䞭に残っおいく。

    答えを出すために祭りを芋おいたわけではない。

    ただ、あの明るい祭りの光の䞋で、人間ずいうものが少しだけ芋えたような気がした。

    そしお、自分自身のこずも。

    今幎も、ねぶた祭りが過ぎおいった。

     
     
     
    青森垂で「グロヌバルキッチンサむゎン」を営んでいたす。 地域の歎史、食文化、商売のこず、自分の生い立ち、小説や読曞の話たで、気になったこずを調べ、考え、曞き残しおいたす。 私は䜕かを教えたい人ずいうより、知りたい人です。 そんな問いを远いかける䞭で生たれた蚘録です。

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