グリーフハラスメント〜遺族に実際に起こったこと〜【前編:時間薬という嘘】
とにかく暑すぎます、京都。食欲すら落ちてしまいそうな毎日です。
そんな猛暑の中、月曜日から本日まで早朝補講を受ける三男コウタから「お父さん、絶対に起こしてね!」と頼まれました。今時というか、末っ子独特の甘え上手さというか。毎日ハラハラさせられますが、どこか面白く愛おしい三男です。
そのコウタも、今年10月22日で20歳(成人)を迎えます。
そして10月20日は、私が会社の代表取締役(社長)を辞めてから13年になる日。私にとっては、ある種の大きな記念日でもあります。
妻が亡くなった当時、私は勤務していた会社の社長に就任して2年目、45歳でした。
自分の中では「55歳までの10年間が、仕事として一番脂が乗り、力を発揮できる時期だ」と意気込んでいた頃です。しかし、それも妻という絶大な存在が家庭を支えてくれていたからこそ成立していたのだと、後になって思い知らされました。
まさかの死別。これまで築き上げてきた人生の前提が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていきました。
本来、私は決められたルーティンで動く「リズム人間」です。それなのに、新しい生活のリズムがまったく作れない。社長業、慣れない家事、そして子育て……悪戦苦闘する毎日のなかで、長年お世話になっていたオーナーファミリーからサポートをいただきました。それは本当にありがたく、心強い支援でした。
今振り返っても、2歳・6歳・11歳だった三兄弟の育児と家事、そして幼稚園や学校の対応を、よく一人でこなしてきたと思います。それもすべて、当時手を差し伸べてくれた友人や妻が遺してくれた「ママ友」たちのサポートがあったからこそ。あの時受けた恩は、今でも忘れることができません。
当時は周りの誰もが「時間の経過とともに、いずれ以前のように仕事へ没頭できるようになるだろう」と思っていました。私自身も、どこかでそう信じていたのです。
しかし、現実は甘くありませんでした。
子育ては「子どもが好き」という気持ちだけで乗り切れるものではありません。夫婦で完全に役割分担をしていた私にとって、洗濯も掃除も料理も、ほとんど「できない」に等しい状態からのスタートでした。
妻が亡くなって1年、2年と経つにつれ、オーナーとの関係にも徐々に亀裂が入り始めます。
ある日、友人経由で「オーナーは『仕事は半年だけ目をつぶる』と言っていたぞ」という話が耳に入りました。
「え? 半年後に元通り働けっていうこと……? 無理に決まっている。その前に、私の心のケアをしてくれよ」
胸の奥で虚しさが募りました。世間ではよく「悲しみは時間薬だから」と言われます。しかし私の場合、年数が経てば経つほど、妻への想いはどんどん濃くなっていくようでした。
(中編へ続く)
