嫌いだった家
もう二度と戻るもんかと出て行ったのに、
なくなって初めて気づいた。
夢に出てくるのは、今の家ではなく、
あの大嫌いだった家。
振り向けば、
音や光、
忘れたはずの記憶がこぼれてくる。
今日もぽつり、その断片を拾い集めています。
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目次
嫌いだった家
小さな窓
家の記憶
音の家
戻れない家
藤
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嫌いだった家
大嫌いだったあの家。
茶の間につながっているお店。
朝起きると、もう開店している。
ボサボサ頭で、
パジャマ姿が丸見え。
ちょっと、お店、行ってきて。
寝起きなのに、
まだパジャマを着てるのに。
しぶしぶ私は
お店に立つ。
そんな家が嫌だった。
結婚したら、ぜったい、
サラリーマンのお家に行くんだ。
子ども心に
決心していた。
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小さな窓
私の部屋には南に大きなサッシがあった。
ベランダに続く大きな窓。
光も風もそこから入る。
でも、
音は違った。
海の音は東側の
小さな小さな窓から。
見えそうで見えない。
手が届きそうで届かない。
ざざん
ざざん。
海の音だけが近かった。
それが
わたしの好きだった
小さな窓。
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家の記憶
眠りに落ちる前の、静かな時間、
聞こえてくるのは海の音。
家の記憶。
試験前の一夜漬け。
朝が来たことを教える、
漁船のエンジンの音。
家の記憶。
たまにしか行けない旅行に大はしゃぎして、
走り回って、滑って転んで、
鼻血を出した長い廊下。
家の記憶。
弟と二人、
砂場の砂を溶かして作った
コーヒー牛乳。
水着のまま、足についた砂を
外の水道で流した
肌寒い夏の日。
あんなにも早く出たかったはずなのに、
今でも夢に出てくる。
今はもうない、
あの日の家。
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音の家
早く遠くへ行きたかった。
だから昼間には
あまりいい記憶がない。
私の大事な記憶は、
夜明け前に聞こえてくる、
ポンポンポンポン、漁船の音。
夜寝る前に響く、
しーんとした音。
そこに溶ける、
ザザーンザザーン、海の音。
そして、たぶん雨が近い日の、
カタダンカタダン
カタダンカタダン
遠くを走る
貨物列車の音。
あのころの私は
目を閉じながら、
ベッドの中で静かに静かに
その音を聞いていた。
そのベッドの中だけが、
私の好きだった世界。
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戻れない家
おじいちゃんが建てた家。
だから、とっても古い家。
冬になると窓ガラスに咲く氷の花。
とってもきれいだったけど、
朝、顔を洗うのがつらい。
寒い寒い洗面所。
トイレはいやあな、汲み取り式。
水洗に変えてほしいって
何度も何度も頼んだのに、
結局、私が家を出るまで叶わなかった。
なんて不便な家だったんだろう。
戻りたいとは思わない。
でも。
戻りたくない、と
戻れない、は
同じようで、同じじゃない。
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藤
あの家で、
最後に覚えている日の場面。
なんだろう。
私があの家を出てから、
私のお城だった
小さな窓のある部屋は、
弟のお城になっていた。
あの家に、
すでに私の居場所はなかった。
行けば必ずお客さん。
だからいつも日帰り。
泊まることなんて
もうなかった。
だから、
最後に覚えている
あの家の記憶は、
本当に
何もない。
ただ一つだけ。
何もなくなったはずの
あの場所に、
ぽつりと生き残った
おばあちゃんの
藤の木。
そこに
小さな藤色の花が、
咲いていた。
明日には
立ち入り禁止区域になる、
その前日。
風の中で、藤色だけが揺れている。