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Photo bykago_fishing

ばい貝の醤油煮を、夏の晩酌に。

    夏の富山の魚屋というのは、少しさびしい。鰤の季節はとうに終わり、蛍烏賊の白い群れも春に消えた。ガラスケースの氷の上に、水揚げの少ない季節の静けさが漂っている。そんな棚のいちばん端に、こぶし大の巻貝が、殻の螺旋をこちらへ向けて並んでいた。ばい貝だ。富山湾のずっと深いところ、光の届かない冷たい海の底で、かご縄の罠にかかって上がってくる。新湊、滑川、魚津。夏場、ほかの魚が減るこの時期にかえって数を増す、律儀な貝である。

    魚屋の主人が、氷を掻きわけながら「今日のはツバイやちゃ、身がやわらかいわ」と言う。この土地では、ばい貝といっても一枚岩ではない。オオエッチュウバイ、チヂミエゾボラ、カガバイ、ツバイ。深海のどのあたりで、どんなかご縄にかかったかで、身の締まりも、肝の濃さも、微妙にちがう。子どものころ、祖母がこれを煮るのを、僕は台所の入り口からよく眺めていた。殻を割らないように、しずかに、しずかに。あの慎重な火加減が、そのまま夏という季節の手ざわりのように、いまも指の記憶に残っている。

    家に帰って、まず鍋に貝と水を張り、火にかける。ことこと、と殻どうしがぶつかる鈍い音がして、湯気が立ちはじめる。あくをすくいながら、だしと醤油、みりんをほんの少し。煮すぎると身がゴムのように締まってしまうから、火は決して強くしない。台所じゅうに、醤油が煮つまっていく甘辛い匂いが満ちる。海の匂いと、醤油の香ばしさと、砂糖のまるい甘さが、湯気の中でひとつに溶けていく。夕方の、まだ明るい光の中で、この匂いを嗅ぐと、もう半分は酒を飲んでいるような気持ちになる。

    小鉢に三つ、四つ。汁ごとよそって、卓に置く。冷やした酒をひとつ。ここからが、ばい貝のいちばん愉しいところだ。爪楊枝を一本、貝の口の身に刺して、殻の螺旋にそって、ゆっくりと回す。くるり、くるりと、二回、三回。焦ってはいけない。途中で切れると、いちばん奥の肝を残してしまう。うまく回ると、するりと、渦を巻いた身が丸ごと抜けてくる。先端の、濃い翡翠いろをした肝まで、ひとつながりで。

    まず身を噛む。こりり、と歯が押し返される、あの独特の弾力。噛むほどに、醤油のしみた甘さと、貝の潮の味がにじみ出てくる。そうして最後に、肝のところ。ほろりとした、青くて苦い、大人の味。その苦みを追いかけるように、冷えた酒を喉に流す。とろり、と冷たいものが喉を落ちていって、貝の余韻を洗う。ほろ苦さと、酒の冷たさが、舌の上で入れかわるたびに、夏の夜がひとつぶんずつ深くなっていくような気がする。畳はまだ昼の熱を残していて、背中がじんわりと汗ばんでいる。開けた窓から、遠くで打ち上げ花火の、腹に響く低い音がひとつ。それを合図のように、また次の一つに楊枝を刺す。

    二つめ、三つめと箸を進めるうちに、手つきが少しずつ上手になっていく。楊枝を刺す角度、回す速さ、身がふっと軽くなって殻から離れる、あの手ごたえの一瞬。指先にだしの匂いと、貝のぬめりが残る。それをおしぼりで拭わずに、また次の貝にかかる。せわしないようで、これがいちばん、心のほどける時間なのだ。汁を張った小鉢の底には、いつのまにか砂のような細かい旨みが沈んでいて、最後にそれを箸の先で舐めとる。しょっぱくて、甘くて、ほんのり海の底の匂いがする。

    ばい貝は、めでたいことが「倍」になる、という語呂で、祝いの膳にのぼる貝だと聞いた。けれど僕は、こんな何でもない夏の夜の、ひとりの晩酌にこそ似合う気がしている。派手さはない。ただ、殻の奥から身を引き出す、あの数秒の集中と、苦みと甘みと潮の、静かな三段構え。それをくり返しているうちに、鍋は空になり、酒も残りわずかになる。

    あなたの町にも、殻や皮や骨と、少しだけ格闘してからでないと味わえない、そんな不便で、だからこそ愛おしい一皿があるだろうか。
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    Simmered Whelk — a Toyama Bay summer, unwound from the shell

    Summer is the quiet season at a Toyama fish shop. The winter yellowtail is long gone, the firefly squid vanished in spring. But at the end of the ice-filled case sit fist-sized spiral shells: baigai, deep-water whelks hauled up in rope traps from the cold, lightless floor of Toyama Bay. Oddly, they grow more plentiful in high summer.

    At home I simmer them slowly in water, then soy sauce, mirin and a little sugar — never a hard boil, or the meat turns to rubber. The kitchen fills with a sweet-salty steam of sea and caramelizing soy, and by dusk I already feel half-drunk on the smell alone.

    The real pleasure is at the table. You pierce the meat with a toothpick and turn it, slowly, following the spiral — once, twice, don't rush — until the whole coiled body slides out, all the way to the deep-jade liver at the tip. The flesh resists the teeth; then comes the liver, faintly bitter, grown-up. A swallow of cold sake chases it down. The tatami still holds the day's heat; a distant firework thuds against my chest.

    They say the whelk graces festive tables — "bai" is a pun on doubling one's luck. But to me it belongs to an ordinary summer night, alone with a drink. Is there a dish in your town worth a small struggle with shell or bone before you can taste it?

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    てつ

     
     
    富山県高岡市在住ライター。北陸の食・工芸・港町を歩いて書く。英語も書きます。 高岡・氷見・富山の「まだ知られていない日常」を国内外へ。毎日更新中。 Writer in Takaoka, Toyama. Hokuriku food & craft — JP & EN. Daily.

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